
これまで、PC向けフルセグ対応デジタルTVチューナーの単体製品は著作権保護の観点から販売が行えず、基本的にはPCとのセット販売での提供に限られていた。しかし、4月8日に社団法人デジタル放送推進協会(Dpa)が「PC用デジタル放送チューナのガイドライン」を発表したことで、PC向けフルセグ対応デジタルTVチューナー単体製品の販売が事実上解禁になった。
また、必要とされる動作環境に制限があることや、録画ファイルが(原則として)録画PCでしか再生できない点、今のところ編集機能がない点にも注意が必要だ。
動作環境については、HDCP対応ディスプレイや、HDMIまたはHDCP対応DVI出力が事実上必須となっており、購入前の事前チェックが重要となる。これについては、バッファローやアイ・オー・データが配布する環境チェックツールでも確認できる。なお、HDCP対応液晶は2万円から、HDCP対応ビデオカードは5千円程度から購入可能だ。
いずれにしてもまだハードルが高く、各社発売したばかりで、もう少し様子を見た方がよさそうだ。
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1975年のビッグショーである。左は恩師淡谷のり子だ。
1924年(大正13年)に東京の下谷に生まれる。本名は菊池郁子。早5歳にして琵琶を弾く。8歳には琵琶教師の免状を得た。 その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。女学校の低学年にも関わらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。1939年テイチクやポリドールからの誘いもあったが、恩師大村の勧めもあり、コロムビアのテストを受け、一度でパスし専属になった。デビュー曲は「噯噯噯」であった。しかしこの曲は、検閲をにより発売禁止という憂き目に合ってしまった。その後は、「相呼ぶ歌」や「愛馬花嫁」がヒット。その中でも、松竹映画「湖畔の別れ」主題歌「湖畔の乙女」は、大ヒットした。戦後の1947年(昭和22年)には、娼婦を歌った「星の流れに」が大ヒット。「そんな女に誰がした」という歌詞は当時の風俗を象徴しているような内容である。1948年(昭和23年)、作曲家の大久保徳二郎と結婚(1956年に離婚)。 1954年(昭和29年)には、引揚船を待つ母の心情を歌った「岸壁の母」がヒット。1957年(昭和32年)にビクターへ移籍するもヒット曲には恵まれず、歌手業から遠ざかり、渋谷の道玄坂でレコード店「キクチ」を経営する。1967年(昭和42年)に復帰し、懐メロ番組などに出演する。2000年(平成12年)勳四等瑞宝章を受章。テレビ東京の「昭和歌謡大全集」などに出演していたが、体調を崩し、2002年(平成14年)、心不全で死去する。享年は78歳だった。
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当初22型モニターを買うつもりでいたが、パソコンショップへ行ったところ24型モニターが
期間限定でお買得値段で出ていた為、急遽それに決めてしまった。
メーカーは「BenQ」で解像度は1980×1200、コントラストが1:1000、輝度は250と
やや暗い感じがする。(通常は300)
しかしながら24型と言う大きさが魅力でもある。実際に使用してみると、A3版が画面に
すっぽり入り非常に具合がいい。
現在パソコンが4台で運用しているが、これで全てブラウン管モニターから液晶モニターに
変えたことになる。これも時代の流れかも知れない。
尚、ブラウン官モニターはリサイクルショップに持っていくと2000円とられるので仲間の
カイ君がいると言うのでそちらに回すことにした。これでめでたし、めでたしである。
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南米ボリビアから「チャランゴ」のDMがメールで届く。
一体どこから調べたんでしょうかね。
ハワイアンでは余り使用しないが、使用しても面白いと思っている。
これは全て手造りで作者、jorge romero
カルロス・ロメ-ロの弟。カルロスほど有名では無いが、音も良く仕上げがきれいだと言う。
鍵盤、ハカランダ-、表面板、ピノ・ブランコ、ボディ-、タルコなどとなっている。
値段は$150~$300となっているが、思ったほど高くはない。
チャランゴはもともとは、16世紀にスペイン人が持ち込んだギターの前身であるビウエラ・デ・マノが発展したもので、ボリビアのポトシ北部地方が発祥の地ではないかと推定されている。現在一般的な形のものは、マンドリンと同じくらいの長さで若干小型の胴体というサイズで、マンドリンに似て胴体は丸底のものが多い。(平底の胴体のものもある。) 胴体の材料には、アルマジロ(ケチュア語: kirkinchu)の甲羅を利用したものもあり、見た目は印象的であるが、プロの演奏家の使用に耐える楽器はほとんどが木製である。
弦は現在はナイロン弦を使用するのが一般的だが、鉄弦を使用することもある。5コース10弦で、上から順番にソドミラミと調弦される。真ん中の3コース(ミ)の2本の弦がオクターブ差に調弦されており、その低音側のミが楽器全体の最低音、高音側のミが、5コースのミとともに楽器全体の最高音となる。従って、ギターやマンドリンと異なり、弦が低音から高音へと順番に並んでいるわけではない。この調弦は、C/Am(ハ長調/イ短調)のキーで親指と人差し指で二重奏の旋律をつま弾くのに都合がよいように考慮されているようである。
つまりウクレレ感覚でと考えれば納得もゆく。

世界最大のフラショーと言えば「メリーモナーク・フラフェスティバル」をあげることが出来る。
毎年1回5月頃、ハワイはヒロで1週間かけて行われる。場所は「イーデス・カナカオレ・テニス・スタジアム」である。今年も盛大に行われた。
このイーデス・カナカオレは人の名前で女性のマスタークムフラでジョージ・ナオペの先生にも
あたる人だ。その偉大な人物の名前をとったのだ。
ジョージ・ナオペもこのメリー・モナークの創始者の一人である。
前夜祭にはホテルでハラウの生徒が夫々披露することが習慣となっている。
「アイハー」と呼ばれるフラの一種で「ひざを曲げ、腰を落とし、カカトをあげない」と言う動作が披露
されたことが目新しいかもしれない。
同時にクラフトショーも行われる。今回クローズアップされたのは「ラウハラ・ハット」と呼ばれるもの
で、フラには必需品でもある。その職人もいて代々続いているのだ。
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サントリーは5月13日、炭酸飲料「ペプシ」シリーズの新製品「ペプシブルーハワイ」を6月10日から期間限定販売すると発表した。価格は490ミリリットルのペットボトルで147円。
2007年の6月にも期間限定で「ペプシアイスキューカンバー」を販売し、話題になったペプシシリーズだが、今回は「華やかな香りとすっきりした後味の、パイナップルとレモン風味のコーラ飲料」に仕上がっているという。また南国の海をイメージした青色の液体で、清涼感も演出されている。
パッケージは南の島の海辺をモチーフとし、さわやかで開放感のあるブルーとホワイトを基調としたデザインを採用した。
早く飲んでみたいものだ。
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1978年放映の「ビッグショー」だ。
競馬の馬を数頭所有し、こよなく馬を愛した。
春日八郎(かすが はちろう、本名:渡部実、1924年生まれ)は、日本の歌手。福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身。声質・声量共に一流で、その声は今なお多くの人を魅了している。
浅草でクラシックの正統派藤山一郎のステージを見て歌手に憧れる。歌手を目指して上京。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業後、新宿のムーラン・ルージュで活動するも、なかなかヒットに恵まれず苦しい時代をすごす。1949年にキングレコードに入社。歌手としてさらに磨きをかける。
1952年に「赤いランプの終列車」が大ヒットし、活動の場が広がる。1954年「お富さん」(発売半年で50万枚、最終的には100万枚を超える大ヒット)、1955年「別れの一本杉」(60万枚の大ヒット、まだ売り出し中の船村徹を有名にさせた作品でもある)とそれまでの流行歌とは質の異なる望郷歌謡をたて続けにヒットさせ、流行歌の衰退期において「演歌」という新天地を築いた。春日の直後に同じキングレコードから三橋美智也、更には三波春夫、村田英雄、島倉千代子らが登場。美空ひばりも演歌を歌い出し、後に演歌の女王と称されることとなる。1960年代には北島三郎、都はるみ等が台頭し、演歌の全盛期をむかえる。このような演歌台頭の流れから春日を演歌歌手の第一人者と見る向きが多い。音楽ジャンルとして演歌が定着すると、長年にわたり演歌界をリードした。1988年には静岡県の熱海にて親交の深かった三橋、村田らと共に「三人の会」を結成。晩年は低迷した演歌の活性化に力を注いだ。肝硬変にて1991年に死亡。享年67歳。
春日の代表作の一つ「お富さん」は、1978年にエボニー・ウェッブによって「ディスコお富さん」としてカバーされてリバイバルヒットし、発売2週間で20万枚を売り上げた。
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ハープと言えばアイルランドが有名だ。
「ケルティック」というのは「ケルトの」という意味で、北部∃-ロッパ民族のことだ。ケルト人は、イングランドの中心部から現在のスコットランド、ウェールズ、アイルランド方面へと移動しながら、独特の魅力ある文化、特に音楽を育んできたのだ。
中でも民族音楽として最も有名なのがアイリッシュ・ミュージックで、日本でも“チーフタンズ”や“エンヤ”の大ブレイクにより、急速に人気を高めつつある。本来ケルティック・ミュージックとは、かなり広範囲なケルト地方の伝統音楽を意味し、アイリッシュ・ミュージックはその中の一つのジャンルとして考えられており、その他に、スコットランド民謡やウェールズ民謡が代表的なものである。
"Clarsach"(クラルサッハ)とはゲール語(ケルト民族の言葉)で「ハープ」を意味あうる。ハープはアイルランドの公式紋章とされるほど民族の象徴的な意味を持つと共に、古代ケルト時代より魔法の力が宿ると信じられていた。
通常のハープは、柳の樹で作られた胴体に真鍮の弦を張ったもので、14、15世紀の通称「ブライアン・ボルー・ハープ」又は「クイーン・メアリー・ハープ」と呼ばれているタイプなのだ。
ハープ職人を探すこと3年、制作に約5年の歳月を費やした稀少価値の非常に高いヴィンテージな楽器だと言う。
現代の私たちの耳は大きな音に慣れすぎてしまって、繊細な音を聞き分ける機能を失いかけていることを警鐘しなければならない。

太平洋戦争が終わると、横浜にも米軍の大部隊が進駐した。なかでも横浜港は、施設全体の90パーセントほとんどが接収され、機能が停止していた。そして、3年が経過。1948年(昭和23)。相変わらず生活の不安がつきまとう人々の耳に、明るい歌声が聞こえてきたのだ。
「憧れのハワイ航路」、作詞・石本美由紀、作曲・江口夜詩、歌ったのは、岡晴夫だ。
この当時の暗い世の中に差し込んだ一筋の光、そんな表現がピッタリな、それはそれは明るい歌だったのだ。
当時、日本人の海外渡航は禁止されていて、ハワイ旅行などは夢のまた夢だったのだ。
では、ハワイまでの船旅は、どの程度の費用がかかったのか? いろいろ調べてみると、横浜の海岸通りにある日本郵船歴史博物館に、1941年(昭和16)の資料が保存されている。これによると、横浜からハワイのホノルルまで、1等船室利用で、当時の金額でおよそ1100円、2等船室でおよそ700円と言うことです。
当時の大学卒の銀行員の初任給が、70円から75円だから、本当に贅沢で、憧れる「ハワイ旅行」だったのだと思う。
終戦後、横浜~ホノルル~サンフランシスコ、といった太平洋航路には、アメリカン・プレジデント・ライン、APLという船会社が就航していた。アメリカの歴代の大統領の名前をつけた真っ白い船が定期就航していて、7日か8日でホノルルに着いたと言う。行きたくても行けない。食べるものにも事欠くなか、「憧れのハワイ」に向けて港を出て行く白い豪華船は、まぶしく見えたことかと思う。
敗戦の混乱から回復していない世の中で、岡晴夫の若々しく明るい歌声と、マーチを思わせる軽快なメロディは、複雑な思いと共に、大ヒットしたのだ。
日本が独立を果たした後も、海外旅行には制限が加えられていて、完全に自由化されたのは、はるか後の1964年、東京オリンピックの年、のことでした。自由化された海外旅行、日本人観光客が目指した場所は、そう、ハワイだったのだ。
近年、豪華客船によるクルーズの人気が高まっている。2002年に完成した、横浜港大さん橋客船ターミナル、通称・大桟橋には時々、豪華客船が入港する。一段と大きくなった客船を見て、あの歌を思い出す方もいるのでは?
現在海外旅行は年間1000万人を超えている。

シンガーソング・ライターの「中山うり」が今、静かなブームを巻き起こしている。
愛用のアコーディオンを抱え、時にはトランペットを吹き、音楽から離れると
美容師の顔も持ち、美容院での仕事もこなす異色の存在だ。
中山うり(なかやま うり、1981年生まれ )27歳は日本のシンガーソングライターである。
埼玉県出身。埼玉県立与野高等学校、日本美容専門学校卒業。ワールドアパート所属。
高校時代、トランペットで全日本吹奏楽コンクール金賞受賞、2007年ソニー・ミュージックジャパンインターナショナルよりデビュー。アーチスト活動の傍ら美容師としても活動している。
アルバムも出している。
DoReMiFa(2007年)
月とラクダの夢を見た
夏祭り鮮やかに
映画あの空をおぼえてる挿入歌
早起きラジオ
マドロス横丁
Blu-Voyage
ばいばいどくおぶざべい
ノスタルジア
走る女
エトランゼ(2007年)
笑う月
虹のパノラマ
サーカスが来た
さすらいのエトランゼ
ジャワの夜はふけて
夜のレクエルド
猫のしっぽを追いかけて
星の界(ほしのよ)
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ハワイ島のマスタークムフラのジョージ・ナオペ。この愛弟子に「レイレネ」がいる。
彼女は今年70歳になるがクープナ(シニアフラ)のハラウを開設している。
ボランティア、各種イベントなどに出演している。
この写真もシニアの男性によるフラで非常にダイナミックで力強さが感じられる。
ここはカメハメハ大王の生誕地「コハラ」と言う場所でもある。
従ってことあるごとにカメハメハ大王の銅像の前でオリを捧げ、リーフレイ(頭にかぶるレイ)をつけて
フラを踊る。これは幸福と愛のシンボルだと言う。
面白い話としては、カメハメハ大王の若かりし頃、当時のハワイは「寝ている人を起こしてはなら
ない」とする法律があったと言う。そこでカメハメハ大王はヒロ市で寝ていた所、蹴飛ばされたと言う。それ以来ヒロ市はきらいになったと言われている。
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今、ミャンマーではサイクロンなどで大変な被害を受けている。
軍事政権としても痛手でもある。
以前ミャンマーへ旅行したときに購入した「ビルマの竪琴」が我がオフィスに鎮座している。
これはお土産用で実際には音は出ません。弦が7本で、チューニングはどのようにするので
しょうかね。当時のディナーショーでは必ずこれを弾いて歌ってくれた。
ミャンマーの空港へ到着すると先ず300米ドルと交換させられる。
そしてアウンサー・スーチー女史の名前を言うことはタブーだ。
まだまだ貧しい国ではあるが早く立ち直って貰いたいものである。
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オハフ島は「皆んなの集まる場所」と言う意味があると言う。
その為か世界中から集まっているのだ。それだけ魅力あるかも知れない。
OAHU (The Gathering Place) オアフ島は ハワイの州都ホノルルがある島、ハワイの玄関。面積は約1600キロ平方メートル。
ハワイ諸島の中では3番目の広さ。観光客なら誰でも知っているワイキキビーチ。
ワイキキとはハワイ語では「水の噴き出る場所」という意味。ワイキキ以外にもハナウマ、ノースショア、カイルアなどの美しいビーチがある。
ワイキキを歌った[Waikiki][Waikiki Hula] ダイヤモンドヘッドを歌った[Kaimana Hila] などのハワイアンソングはハワイアンを知らない人でも聞いたことがあるのではないか。
ハワイ州は太平洋上にあり、アメリカ合衆国第50番目の州で、約120の島々がある。
実際に人々が暮らしているのはハワイ諸島と呼ばれる8つの島のみで、 北西から南東へ、ニイハウ、カウアイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェ、ハワイの8つ。これ以外の島はほぼ無人の小島だ。 ハワイの島々には「ハワイアンチェーン」と呼ばれる火山脈がとおっており、現在はハワイ島のみ火山活動が 続いている。 ハワイの州都、 オハフ島のホノルル は平均気温は25.1度。北東からの貿易風の影響で湿度は低く、同様に どの島も年間を通じて過ごしやすい。まさに太平洋の楽園! 亜熱帯気候のハワイであるが、ハワイ島のマウナ・ケア山やハマウナ・ロア山など4000m級の山々では、 冬には雪が降ると言う。
ハワイの話は尽きないのだ。

日本のヨーデルの第一人者と言えば「ウィリー沖山」である。今年75歳になるが益々元気だ。
本名:沖山宇礼雄。出身地:横浜。生年月日:昭和8年2月25日
■ セント・ジョーゼフ在学中よりプロとして活躍。カントリーボーイズ、ウエスタン・ランブラーズ、チャック・ワゴンボーイズを経て、自分のバンド、ブルーレンジャーズ結成。
■ 抜群の歌唱力と発音の良さを買われて、ビクターよりヨーデルの名曲「スイスの娘」でレコードデビュー。キャンプ、クラブ、ラジオ、テレビで活躍しポピュラーシンガーとしての地位を固める。
低音から高音までの音域の広さを生かし、ジャズ、カントリー、ポピュラー、シャンソン、ハワイアン、とそのレパートリーは多岐に渡り、各界で第一人者として活動。
■ 常に新しいことにチャレンジ続け、全日本歌謡選手権では10週勝ち抜き、更に、グランドチャンピオンとなる。ラスベガスのシルバー・バード・ホテルメインステージでは四ヶ月に渡り出演し。現地マスコミからも高い評価。
長野オリンピック時は、WILLY・Oとして、五輪応援ソングをリリース。 気鋭のサンプリングミュージシャン寺田創一とのコラボレーションなど実験的なフィールドでも活動。
オリジナルソングとして「この命のある限り」「潮風のバラード」発表。
現在もホテル、ライブハウス、クルーズ船などのステージで歌っている。
ヨーデルはアルプス山麓の牧童が仲間と呼び交わすのに使用した、独特の裏声が元になっている。ファルセットと低音域の地声を交互に織り交ぜるようにして歌うのが特徴。また、アルプス地方のヨーデルがアメリカにわたり、カントリー・ヨーデル(ウェスタン・ヨーデル)(英語ではyodelと綴る)というアルプスのヨーデルとは違った一つのジャンルを形成していくこととなる。当然、旋律や歌詞の主題そして歌唱法など大きく異なる。
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今年も飯山菜の花まつりがやってきた。
近所の友人がオカリナの演奏で出ると言うので見に行って来た。
車で約1時間かかり、駐車場からシャトルバスで会場へ向かう。
一面菜の花で埋め尽くされ絶景の景色である。
この菜の花まつりは今年で25回を数える。これに併設して「朧月夜音楽祭」が開催され
それも今回が7回目となる。地元のメンバーを中心にオカリナ、ハーモニカ、コーラス、
ブラスバンドなど24組が出場する。
この場合必ず「朧月夜」を演奏しなければならないと定められている。
とにかく天気も良く、ひねもすノタリノタリかなである。
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1976年放映の「ビッグショー」だ。今回はミヤコ蝶々がゲストである。実に新鮮そのものだ。
ダークダックス (DARK DUCKS・・・黒いアヒル)は、男性4人の合唱団(ボーカルグループ)である。1951年に結成された。
メンバー全員、慶應義塾大学経済学部出身。同大学のコーラスグループ・ワグネルソサエティのメンバーたちが、クリスマスパーティーで歌を披露した事がきっかけで結成。結成当時はJAZZ・黒人霊歌を中心に活動していたが、現在はロシア民謡、山の歌、唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとしている。
活動歴は50年を越え、日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループとしてギネスブックにも認定されている。ソビエト連邦ほか世界各国へたびたび演奏旅行へ出かけている。また、三菱電機と関係が深く、同社提供のラジオ番組「ダークダックス・ワールドスタンダード」(TOKYO FM) をメンバーが持ち回りで担当したり、レコード会社「メルダック」(のちに徳間ジャパンコミュニケーションズ へ譲渡) にも出資するようになった。他に、菱電単独提供番組のABCラジオ・「ダークダックスの三菱電機サンデーダークダックス」を担当していた。
小林亜星とは大学時代の先輩・後輩の間柄であり、2007年現在においても楽曲の書き下ろしや、リサイタル会場にスタンド花が届けられるほどの親密な関係にある。
2000年に佐々木行氏が体調を崩し、現在では3人のメンバーで活動している。また、時折、同形態をとるコーラスグループデューク・エイセスとボニージャックスとの共同でショー開催もしている。
高見澤 宏(たかみざわ ひろむ、1933年生まれ)。静岡県出身。トップ・テナー。愛称は、パクさん。静岡市立高等学校卒業。妻は故萬屋錦之助の妹 。
佐々木 行(ささき とおる、1932年生まれ)。福島県出身。セカンド・テナー。ただし、現在休業中。愛称は、マンガさん。
喜早 哲(きそう てつ)、1930年生まれ)。東京都出身。バリトン。愛称は、ゲタさん。『日本の抒情歌』(誠文堂新光社、1983)『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』(新潮社、2007年)等の著作もある。
遠山 一(とおやま はじめ、1930年生まれ)。東京都出身。バス。愛称は、ゾウさん。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京芸術大学中退。
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ビジネスの最終日、かねてからの念願であったミュージカル「キャッツ」を見ることが出来た。
東京は五反田にあるキャッツ専用劇場である。山手線五反田駅から歩いて10分のところにある。
その周りの商店街も応援していて、グッズなどの店舗もある。いわゆる「キャッツの街」と言っても
過言ではないと思う。
今年で25年目を迎え7000回を目標にしていると言う。
キャッツは、世界で興行的に最も成功したミュージカルのひとつ。原題は『CATS』。
マンカストラップ、ラム・タム・タガーといった個性的な猫たちが都会のごみ捨て場を舞台に、踊りと歌を繰り広げる。人間が一切出てこない型破りの演出と振付に、観客も最初は戸惑っていたがやがて大ヒットとなった。なお、ニューヨークでの連続上演回数は、2006年1月にオペラ座の怪人に抜かれるまでブロードウェイでのロングラン公演記録であった。
日本では劇団四季によって1983年に東京都新宿の仮設劇場であるキャッツ・シアターで初演された。このキャッツ・シアターは日本初のミュージカル公演用の仮設劇場であった。
以降、順に大阪、東京、名古屋、福岡、札幌、大阪、東京、札幌、福岡、名古屋、大阪、静岡、広島、仙台、東京と全国で上演され続け、22年間で上演回数は6000回(2005年)を超え、観客動員数は600万人(2005年)に達している。国内のミュージカル上演回数として最多記録を更新中である。2004年11月11日から東京の五反田のキャッツシアター(常設)で無期限ロングラン中。また五反田公演では、2007年に同一公演地で通算公演回数1000回を突破した。
とにかく見ての感想は歌がうまいこと、ダンスもうまい。恐らくレギュラーの座も厳しいのではないかと
想像出来る。久しぶりに命の洗濯が出来た感じでもあった。
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