

ハワイ王朝と言えばカメハメハ大王、カラカウア王、リリウオカラニ王女
などが有名であるがあまり知られていないのがカピオラニ王妃である。
ご存じカラカウア王の奥様です。
彼女は1834年生まれで65歳でその生涯を閉じている。
波乱の王妃と言っても過言ではない。
カラカウア王は、1882年に竣工したアメリカ唯一の宮殿であるイオラニ宮殿
をカピオラニ王妃との住居とした。翌年にこの宮殿で戴冠式を行い、
この時にハワイ各島からカフナ(神官)を集めて、古代から伝わる伝承・歴史を
書きとめる作業を行ったとされる。秘密とされていたハワイの創世神話叙事詩
「クムリポ」もカラカウア王により公表され、世に知られることになった。
この戴冠式に合わせて除幕された、ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王の銅像
の建立もカラカウア王が決定したものだ。
1874年の選挙の結果即位したカラカウア王は、ハワイ文化の再興に努め一定の
成果を得たものの、政治的には親米勢力に圧迫されていき王権の縮小つまりは
ハワイ人の権利喪失を余儀なくされた。
こうした状態を回避しようとカラカウア王は様々な方策を講じたが、その中には推定
王位相続人である姪のカイウラニ王女を外国王族と結婚させることで、アメリカとの
関係を再構築しようとする狙いもあった。
(その候補には日本の皇族である山階定麿王(後の東伏見宮依仁親王)もいた。
しかし、この件は日本がことわったとされる)
しかし、王のこういった行動はいずれも失敗に終わり、治世末期にはハワイは
アメリカ人のもの同様に陥っていったのだ。
こうして、失意のカラカウア王は多くの課題を妹リリウオカラニに残して1891年に
亡くなったが、アメリカ本土で暗殺されたとする説が有力。
女王として即位したリリウオカラニは失意の兄王の遺志を受け継ぎ、王国をハワイ人
に取り戻そうと試みまるが、その性急な姿勢は逆に親米勢力をクーデターに追い込み、
1893年にアメリカ海兵隊と図った親米勢力によって廃位されることになる。
以後、姪で王太子であるカイウラニ王女はアメリカ政府に王政復古を訴え、
リリウオカラニ女王は本国において王位奪回を図ろうと試みるが、いずれも失敗に
終わり1898年には形式的にハワイ共和国として維持していた独立をも失い、
ハワイはアメリカの植民地となる。
その後、ハワイ人の希望の星と称えられたカイウラニ王女が1899年に急死し、
カラカウア王朝は後継者を失い、最後までハワイ人の心の女王であったリリウオカラニ
の死により1917年に途絶えることになりました。
個人的にはいつまでも「ハワイ王朝でいてほしかった」と言うのが本音である。