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Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

ハワイの夜-1
ハワイの夜-2
ハワイの夜-3
ハワイの夜-4
ハワイの夜-5
ハワイの夜-6

 多くのハワイアンバンドは「ハワイの夜」をレパートリーにしている。
年配のお客からのリクエストが比較的多いからだと思う。
この映画は戦後初めての海外ロケとしても有名なのだ。
主演の鶴田浩二、岸 恵子が熱演している。
岸 恵子の「ハワイの夜」は見ものである。なかなか味のある歌い方だ。
あらすじは次のようだ・・・

日華事変の頃、日本からスポーツ親善使節としてハワイへ派遣された加納明と
牧野春夫は、ふとしたことからハワイに住む河合一家と知り合った。ジーンという
娘と隆夫という息子は日系二世で、アメリカの市民であったが、その父母はまだ
日本へ強い郷愁を持つ一世だった。そしてこの平和な夢の島でも、一世と二世
との間に日本の軍国主義的な侵略に対する激しい意見の対立があった。
明とジーンとは、そうした垣根をこして相愛するようになり再会を約して別れたが、
やがて1941年12月8日の日米開戦は2人の望みを絶つかに見えた。隆は父の
反対を押しきって二世部隊に志願し戦線へ派遣された。明も日本で出征、
サイパンの死闘に参加していた。やがて終戦、ジーンの父は病没し隆夫は
片脚を失って復員した。ある日ハワイに入港した病院船には傷つき捕虜となった
明が乗っていた。捕虜収容所の病院のベッドに、重体の身を横たえながら、
明はジーンに面会させて貰うことを懇願したが、軍律はそれを許さなかった。
自分の命数を知った彼は遂に病院を脱出し、薄い記憶を頼りにジーンの家へ
たどりついた。夢にも忘れなかった明の姿に歓喜したジーンは固く明と抱き合ったが、
明は満足のほほえみを浮かべて息を引きとった。

この映画に登場するバンド「バッキー白片とアロハハワイアンズ」は生で演奏
している。出演は
 スチールギター・・・バッキー白片(膝で抱えるラップスチールを使用している)
 ギター・・・和田 弘
 ウクレレ・・・山口銀次
 ベース・・・藤原満穂
と豪華メンバーである。

ハワイの夜の歌詞は次のようだ。
作詞:佐伯孝夫 作曲:司 潤吉 編曲:佐野雅美  

     ハワイの夜

 ハー ハワイ 緑の夜
 月も宵から 浪間に燃えて
 ああ パパイヤは 仄か甘く
 君慕う ウクレレ
 やさしのハワイ ああ ハワイ

 ハー ハワイ 君待つ夜
 つきぬ想いに 花さえ むせぶ
 ああ ささやくは 風か波か
 ひとり漕ぐ カヌーよ
 いとしのハワイ ああ ハワイ

 



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テーマ:思い出の音楽 - ジャンル:音楽
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 ハワイアンを歌わせたらこの人。
甘い声、伸びのある声に若い女性もうっとり。
その名も「小出 茂」さん。ハワイアンを歌い続けて40年になる。
早稲田大学ナレオ・ハワイアンズOB。ヴォーカルとウクレレを担当。
スローバラードの歌を得意とする。学生時代は都内のみならず北は北海道、
南は沖縄と全国各地で演奏。在学中からいくつかのプロのグループに所属する。
その後、先輩のプロのグループ、白石信とナレオハワイアンズに参加。
その当時盛んだった各大学の主催するコンサートやダンスパーティー
そしてライブハウス、ダンスホール、ナイトクラブ等に出演。また全国あらゆる
米軍キャンプにも出演する。1980年には自らバンド「ハワイアン40'S」を結成。
現在はライブハウスやコンサート、ホテル等のディナーショーを中心にソロシンガー
として活動。かってはテレビ、ラジオにも数多く出演。新聞や雑誌にも取り上げられた。
その中でTBSテレビ「すばらしき仲間」(1987年)、
東海テレビ「鶴瓶の音楽に乾杯」(1987年)、東海ラジオ「らりるれロータリー」
(1988年)等が話題を呼ぶ。日本ハワイアン音楽協会会員。「こいでオフィス」代表。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 今3人組ユニット「Satia」が少しずつ人気が出てきている気配だ。
Satiaは音楽講師の藤澤聡子(サックス)、松林千佳(ヴァイオリン)、
西田文子(ピアノ)によるアンサンブルユニットで
聡子の(sa)、千佳の(ti)、文子の(a)によりSatia(サチア)の由来になっている。
心情を描いたオリジナル曲を中心にクラシック、映画音楽、モダンタンゴ、
日本の童謡などを織りまぜ情感豊かな「瞬」(とき)の感動を表現している。
信州という自然豊かな風土に囲まれマイナスイオンいっぱいに育った三人の感性は
satiableなライブ&コンサートで開花中。今のところ信州でのライブが中心のようだ。
オフィスも長野市内にある。この日は全員裸足で気合が入っていた。
興味のある方はサイトでドーゾ。
テーマ:ハンドメイドの作品たち - ジャンル:趣味・実用
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 渚ゆう子はもともとのハワイアン歌手で今もハワイアンを歌わせたらなかなか
いける。「月の夜は」「バリバリの浜辺」などごきげんな曲も多い。
渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、1945年生まれの64歳)は、日本の歌手。
大阪市浪速区出身。本名は大江千鶴子。ハワイアン歌手としてレコードデビューの後、
ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄って大ブレイクし一躍
人気歌手となった。
母親が沖縄、父親が大阪出身。幼少より両親の熱心な教育を受け、沖縄民謡と
琉球舞踊を習熟する。
1964年 久葉真鶴(くばまづる)の芸名で芸能界入り。
1965年 マヒナスターズの前唄で出演した。そのとき、リーダー和田弘のすすめが
あり上京。作曲家浜口庫之助に師事。ハワイアンを覚える。
1966年 「渚ゆう子」に改名(命名当初は渚夕子だったが、日没のイメージは良くない
ということでゆう子となった。名付け親はマヒナスターズの松平直樹氏。「汀ゆう子」
と言う説もある)
1957年 ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。そのB面は「ルアウの
火も消えて」どちらも東芝レコードのスチールギター奏者でハニーアイランダースの
リーダー大橋節夫が作曲した。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽
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 7月26日(日)夜8時から1時間半にわたり「うたごえ喫茶」が
チャイナレスト天津で行われた。
川中島今井にある「ひとミュージアムうたごえ喫茶」が出張演奏したもので
ある。
盲目のアコーディオン奏者、ギター、ベースが伴奏である。
ロイヤルハワイアンズのヴォーカルのモアナ・ヨシエ、マウナ・まゆみを
ゲストに招き、お客様も沢山来て頂き大いに盛り上がりました。
「日本心の歌」をテーマにふるさと、浜辺の歌、椰子の実など古くから
ある日本の歌を熱唱しました。
関係者の皆様いろいろありがとうございました。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 スチールギター奏者で忘れてならないのがこの人「小林ライオン潔」である。
複数ネックのスチールギターを自在に弾きこなす技術は並はずれている。
今はフェンダー製のスチールは作られていないが大切に使用している。
4本ネックもあるから恐れいる。
1933年北海道生まれの76歳になる。慶応義塾大学卒。
4歳から聴音、5歳からピアノを習い、東京でロシア人ピアニストに
「音楽はテクニックよりハートです」と教えられる。スチールギターは15歳から。
大学1年のとき独自のシステムで日本ではポス宮崎に次いで二人目の
ペダル奏者となる。
 高校時代バッキー・スタイルだったがハワイコールスやカントリーを聞いて
スタイルが一変、米軍キャンプで活躍したことからウェストコースト・ジャズを聞きあさる。
1964年頃からレコーディング、CM、TVショーで活躍。1971年に脱サラ。
渡辺貞夫にジャズ理論を師事。来日したJerry Birdの特殊スラントに魅せられ、
ラップスチールに熱中。
1983年、これらをもとに今まで得たテクニックの全てを網羅した
「モダンスチールギターメソード」全3巻を出版。同時に本格的に全国ネットで
スチールギターの指導を始める。
 同年5月、ジェリー主催のSteel Guitar HO'OLAULE'A(大会)に初参加、
以後毎年レギュラーゲストとして参加、1998年にその思い出を綴った現地録音CD
「My Memories Of Hawaiian Steel Guitar HO'OLAULE'A」を自主制作でリリース。
そのジャズタッチ・プレイはHSGA(スチールギター協会)のホームページやALOHA JOE
のインターネット放送、BS放送セント・ギガで60分特集するなど日本国内、海外でも
大きな話題を呼ぶ。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽
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 今日のクムフラはRay Kahikilaulani Fonseca
(レイ・カヒキラウラニ・フォンセカ)である。
ハワイ島はワイピオにハラウを構えている。フラコンペには必ず上位入賞
と言う輝かしい実績を持っている。
ここのワイピオ渓谷が有名である。つまり神々が宿る神聖な場所でもある。
またハワイの多くの食材の産地でもある。特にポイのタロイモどころでもある。
レイはアンクルと会って30年以上にもなると言う。つまり彼が11歳である。
そこでフラを習い、アンクルからフラのすべてを習った。
そしてそれらを今、教えるべく毎日が楽しいと言う。

ここでワイピオ渓谷に伝わる伝説のカヒコをご紹介しょう。
「KA PALI HA’I」(カ・パリ・ハイ)・・・これは男性のフラである。
HAIとはハワイ島ワイピオ渓谷に伝わる伝説の女性の名前で
Ha’inakolo(ハッイナコロ)を短縮して出来た名前である。
果実に飢えていたハッイナコロは渓谷にある果実を夢中で探している
うち我れを忘れてそして夫に発見されてしまう。
それまでの数ヶ月間は彼女は渓谷をさまよい続け、彼女がその時に
登ったPall(断崖絶壁)がHaiの崖と呼ばれるようになった。

レイ・カヒキラウラニ・フォンセカは今年の9月18日~21日、
東京のJCBホールで行われる
「フェスティバル・・・ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ'09」にも出演する予定だ。






テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 その工房は神奈川県鎌倉市七里ヶ浜にあった。
代表の三井達也さん。
元インダストリアルデザイナー(車のデザイン)、22歳からウクレレを始める。
1996年から田村一雄氏のもとでウクレレソロ演奏、ウクレレ製作を学ぶ。
2001年田村氏よりofficeTを引き継ぐ。
現在、ウクレレインストラクターとしてみずから教室を主宰するかたわら工房で
オリジナルウクレレの製作にいそしんでいる。
ここではウクレレビルダー三井達也さんが制作するオリジナル・ハンドメイド・
ウクレレの販売、修理・レストア、そしてウクレレ教室でのウクレレ演奏レッスンなど
ハワイの伝統楽器ウクレレの専門ショップである。
ハンドメイド・ウクレレはほとんどがオーダーメイドで、ハワイアンコア、マホガニーを
はじめとする様々な木材を使用し、工業デザインのセンスを生かしかつ日本の伝統
工芸を取り入れ、箱根寄せ木細工やフィニッシュに鎌倉彫の漆で仕上げるなど
他には類を見ないオリジナリティ溢れるプレミアム・ハンドメイド・ウクレレ。
制作は月2本のペースやっとと言うからかなり手間をかけている。
ウクレレ演奏教室ではハワイアンミュージックはもちろんのこと、
ジャズスタンダード、ボサノバなど様々なジャンルの曲を歌とウクレレソロでレッスン。
でも、なんといってもウクレレスタジオ七里ケ浜は
湘南の海を見下ろす工房に隣接するアットホームな雰囲気のレッスン室で
フレーバーコーヒーを飲みながらウクレレ気分に浸れるところが一番の売りだと言う。
これぞハワイアンリラクゼーション。
奥様の玲子さんもフラで花を添える。本日の踊りは「プア・リリレフア」である。
テーマ:ハンドメイドの作品たち - ジャンル:趣味・実用
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 フラ業界では知る人ぞ知る新野まりあさんである。
今回は師匠であるジョージ・ナオペから見た彼女を紹介しょう。
日本から来た最初の生徒であり40年の付き合いがある。
彼女は日本人第1号のクムフラである。
最初はスペインから来たフラの先生エトワール・ジョンヨアの影響を受けた。
ある時エトワールから電話があった。
自分はあまりカヒコを得意としていないが、マリアがテンプルダンスを
やりたがったていると。そしてマリアに会いました。
マリアは日本では最初の生徒だったのです。
ジョージ・ナオペ自身も偉大なダンサー「イオラニ・ルアヒネ」から学んだのだ。
ジョージ・ナオペはマリアをとても誇りに思っていると言う。
それは正しいフラをマスターしたからだと言う。本物のハワイのフラなのだ。

彼女は医者でありながらガンと闘い、その不屈の精神で打ち勝ったのだ。
今70歳を超え精力的に後輩の指導に情熱を傾けている。


テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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平井幸二、1960年生まれの49歳。
1993年に都内の広告代理店を退社しアドウエーブを設立。 当時の仕事内容は
広告のデザインが主体。事務所が藤沢だった事もあり、 趣味のサーフィングにさらに
拍車がかかり、他にもウクレレやハワイアン・ミュ ージックにもハマル。
1997年にはフラを始め、2000年にフラの雑誌「フラレア」創刊。 自身男性フラの
インストラクターでもある。
最近、「踊る大学教授」という副題のついたフラ関連の本を出版した。さしずめ
「踊る編集長」のニックネームがついている。
平井幸二さんによると、日本のフラ人口はここ10年ほどで急速に増え、推定17万人。
「サーフィンなどのハワイ文化とともに広がった。現地で見て、自分でも踊りたいと
始める人も多い」と話す。さらに・・・
 最近フラがブームになったわけじゃなくて、もともとやってる人はたくさんいた。ただ、
インドアでレッスンしているから、みんな知らなかっただけ。前からやってる人はもの
すごく多かった。
 日本ではハワイよりもフラ人口は多いかもしれない。
ハワイの人が全員フラをやってるわけじゃないし。
 ハワイはアメリカの植民地になった時に、ハワイ語やフラが禁止された。その時期は
サーフィンも禁止されている。でも隠れてフラをやっていた人もいて、その人たちの
おかげで今もフラが伝わっている。そして1970年頃に「ハワイアン・ルネッサンス」
という運動が起こって、「自分たちの言葉や文化を取り戻そう」という気運が盛り上がり、
今に至っている。
 日本のフラの起源は1950~1960年頃のハワイアン・ブーム。当時、各大学に必ず
ハワイアン・バンドが2つや3つはあった。でもその頃はあくまでバンドがメインで、
フラダンサーは脇役だった。
 フラは、お婆ちゃんにはお婆ちゃんに合ったゆったりした踊りがあって、若い娘には
若い娘向けの踊りがある。みんなが知ってるフラといえば「ムームーを着てウクレレや
ギターに合わせて踊る」というイメージだけど、あれは「アウアナ」と言って現代の踊り。
一方、フラの古典には「カヒコ」という踊りもあって、こちらは太鼓に合わせて踊る迫力
ある踊り。
 フラは民族舞踊。ハワイには文字を書いて残す文化がなかったので、節を付けて
覚えて、それを後世に伝えていた。さらにハンドモーションや足の動きで「風が吹いて」
「お花があって」なんて物語を補足した。振りがつけばなおさら忘れにくい、という利点も
あったと思う。
 当時はウクレレもギターもなかったので、ひょうたんでできた太鼓に合わせて踊った。
それがフラの始まり。
ハワイでは40年ほど前から、先住民族の文化としてフラを見直す動きがあり、
子どもからお年寄りまで広く楽しまれている。毎春の「メリー・モナーク・フェスティバル」
など本格的な競技会も数多いが、日本人愛好家が出場するにはハードルが高い。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
デビット-1
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 ハワイのことならこの人に聞けと言うのが通り相場になっている。
デビット・スミスはハワイアンブームに乗ってMCやイベント企画など
忙しい日々を送っている。

デビット・スミス(鎌倉アウトリガークラブ代表 )
ハワイ・ホノルル出身。1980年より芸能界やモータースポーツに関しての
専門マネージメント会社を東京で運営。1998年よりはビーチプロダクション
レイランドを鎌倉に設立。 ハワイアンスタイルの音楽やシンプル生活環境を
テーマにした海辺のキッズプログラムを提案。
日本最大のウクレレイベント「ウクレレピクニック」主宰プロデューサー。
ハワイのカイムキ・ハイスクール卒業。
ハワイのローカル情報はこの人に聞くといち早くゲットできる。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
アカカ-1
アカカ-2
アカカ-3

 今演奏したい曲に「アカカの滝」「とマナクーラの月」がある。
どちらも3拍子のワルツのリズムである。
ヴォーカルもいるがフラとなると3拍子で踊れるかな?との疑問がある。
そこへ飛び込んできたのが「アカカの滝」のフラ映像である。
上がクムフラDarlene Ahuna(ダーリン・アフナ)がアカカの滝の前で踊って
いる絵になるフラである。これは3拍子で見事に踊っている。
下はメレフラのヒロ・ナオペが4拍子で踊っている。
はてさてどうしたものか。3拍子で踊れるなら一番いいのだが。
詩の内容的には次のようだ・・・

 私は初めて見ます
 このアカカの滝を
 高地に高くそびえて
 流れ落ち
 崖の下で霧のように
 飛び跳ねる
 物語は終わります
 このアカカの滝は
 女神ペレを称えます
 いつまでも高地に高くそびえて
 崖の下で霧のように
 飛び跳ねる
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
アディス-1
アディス-2
アディス-3

 今まで数多くのクムフラが登場したが、今回登場するクムフラ
「アディス・ゴームス」はちょっと事情が違うようだ。
ハワイ最古のキリスト教会でクムフラとしてのフラと伝統の精神を
指導している。
今も観光客など教会へ行くと無料で指導してもらえる。
彼女のフラ精神とは・・・
フラとはすべてを表現できる踊りの芸術であると言う。
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、感じるなどすべての感覚を
表現する。彼女にとってフラは人生そのものなのだ。
フラの本質はこの美しい土地や文化を表現することなのだ。
知識を共有して、ただ歌を習うのではなく、伝統を受け継ぐこと。
そしてこれを次世代へ正確に受け継がないと絶えてしまう。
フラを教えるためには、練習を沢山すれば良いと言うものではなく、
フラに対する情熱、フラを愛する心がないと正しく教えられない。
彼女はクムフラの創始者である「マイキ・アイウ・レイク」に影響を
受けているのだ。彼女から教えを受けたことが人生を決めたとも。
彼女の残した遺産は今も受け継がれている。
「フラとは踊りの芸術であり、人生のすべての感覚を表現する」
と締めくくっている。




テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽
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カモミ-3
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 「カモミ・オカ・パキピカ」とはジョーッジ・ナオペが作詞作曲した
フラの代表的なオリジナル曲である。
実にいい感じである。内容的には・・・

 さあ ハワイへおいで
 酒もうまいし 姉ちゃんもきれいだ
 フラも見れて 踊れるよ
 ハワイは好きだ ハワイの鼓動があるから
 さあ ハワイへおいで

と言うような意味らしい。
誰か譜面もっていませんか?
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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バッキー-2
バッキー-3

 我々バンドでのバッキー氏のオリジナルとしては「ホノルル娘」と
「俺はお前に弱いんだ」の2曲だけである。
ここでもう一度バッキー白片作品集を整理してみよう。

 ・椿のたより(石巻宗一郎作詞)
 ・ホノルル娘(佐伯孝夫作詞)
 ・踊る今宵(ディック・ミネ作詞)
 ・島は常夏(島田馨也作詞)
 ・ALOHA HAWAII(ディック・ミネ作詞)
 ・アロハ・ヌイロア・イアオエ(バッキー白片作詞)
 ・俺はお前に弱いんだ(石巻宗一郎作詞)
 ・さすらい(インスツルメント)
 ・今宵こそは(インスツルメント)
 ・二人の幸福(石巻宗一郎作詞)
 ・夢のビギン(石巻宗一郎作詞)
 ・忘れはしないいつ迄も(石巻宗一郎作詞)
 ・ささやきのタンゴ(石巻宗一郎作詞)
 ・ささやきの小径(石巻宗一郎作詞)
 ・若い僕等(石巻宗一郎作詞)
 ・無情の街(石巻宗一郎作詞)
 ・君の面影(石巻宗一郎作詞)
 ・フラ・マンボ(石巻宗一郎作詞)
 ・真夜中のノクターン(石巻宗一郎作詞)
 ・何処かであいつが(石巻宗一郎作詞)
 ・夜のビギン(石巻宗一郎作詞)
 ・愛しき故に(石巻宗一郎作詞)
 ・真実の愛(石巻宗一郎作詞)
 ・そよ風(石巻宗一郎作詞)
 ・美わしのハワイネイ(石巻宗一郎作詞)
 ・夢のワルツ(ディック・ミネ作詞)
 ・そよ風の島(石巻宗一郎作詞)
 ・しばしの別れ(石巻宗一郎作詞)
 ・月影のワルツ(石巻宗一郎作詞)
 ・きままな渡り鳥(石巻宗一郎作詞・唄:鉄砲光三)
 
まだまだあるとは思うがそれにしてもよく作ったものだ。
もう版権は切れていると思うので希望者には譜面をPDFで送付します。

バッキーさんには4人の息子と1人の娘がいる。
このうち長男と二男はマヒナスターズでギターとベースを弾いている。
当時長男は時々スチールギターを弾いていたが親父を超えることは
出来なかったのだと思う。今、父親そっくりである。
二男の奥様はキーボードを時々弾いて登場する。
三男は闘病生活(?)、4男は事務所の管理をやっているやに聞いています。
それにしてもなつかしいですねえ。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 6月21日(日)六本木ヒルズで開催されたMakeke Hawaii Lii Lii
ミスフラハワイ・コンテスト2009である。
普通のフラコンテストと違い「あなたがフラハワイのイメージガールに!」が
キャッチフレーズになっている。
「フラが好き」「ハワイが好き」 明朗活発で皆の憧れるフラガールを選出する
コンテストなのだ。
ミスフラハワイの栄冠に輝いた人・グループには、ハワイ旅行のプレゼントや、
フラハワイのイメージモデルとして雑誌やテレビ等に出演出来る。
1年間、「Miss Hula Hawaii 2009」として様々なご活動が約束される。
今回の目玉は5月に行われたメリーモナーク・フラフェスタでミスフラハワイ
に選ばれたAureana Tseuがゲストとして出演したことである。
この他キャシー中島や武蔵丸親方なども出演して大会を盛り上げた。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 ハワイ島ヒロ在住のハワイアン・ライフスタイルを提唱し、実践するスラック・キー・ギタリスト。
同じくスラック・キー・ギタリストとして有名なジョージ・カフモクJr.を父に、
そしてモーゼス・カフモクを叔父に持つ音楽一家の一員である。幼少の頃から父に伴い
演奏活動を始め現在に至る。ソロCDリリースは現在までに2枚あるが、その他に参加
アーティストとして数多くのハワイアン・スラック・キー・ギターのCDに出演、
結果グラミー賞のハワイアン・ミュージック部門のベスト・ハワイアン・ミュージック・アルバム賞
を受賞した全てのCDに参加しているミュージシャンである。
他方オーガニック提唱者としても有名で自然食品をこよなく愛し、自ら無農薬野菜の栽培
などこだわりを見せている。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
田中新
窪川京子
佐久間ふみえ
上西千加子
石橋隆子
田中幸子
新野まりあ

 5月17日に行われた「ジャパン・メリーモナーク・フラフェスタ」では
ジョージ・ナオペを招いての盛大なものであった。
この時日本フラ界の最高峰のダンサーがその踊りを披露した。
写真上から・・・
 ・田中 新・・・NohoPaipai
 ・窪川京子・・・Ikona
 ・佐久間ふみえ・・・Pua AloAlo
 ・上西千加子・・・Pualili Lehua
 ・石橋隆子・・・Hoonanea
 ・田中幸子・・・Kamalani O Keaukahi
 ・新野まりあ・・・日本フラダンス協会会長

バックバンドは佐藤眞砂美 with Ka Leo Band
 
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 東急ライフビアガーデンライブは昨日で後半戦に突入しました。
梅雨のせいか天気はあまり良くはありませんでしたが、お客様は先ず先ずの
入りでわざわざ我々のライブを見に来てくれるお客様もいて感激でした。
フラのお姉さんも忙しい中参加して頂き感謝しております。
あと2回ありますので頑張ります。
8月は他のライブでスケジュールいっぱいです。
とにかく健康が大切、体調管理に万全を期して乗り切りたいと思う。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 ハワイで生でだべられる料理は少ないがサーモンを生で食べられる
料理がある。ルアウパーティには欠かせない「ロミロミサーモン」である。
ロミロミとはマッサージ用語で「揉む」と言う意味がある。
材料はサーモン、とまと、玉ねぎ、わけぎ、粗いソルト、水だけ。
ハワイではサーモンは獲れないので他地方のものを使う。
先ずサーモンは皮をむく。そして小さい角切りにする。
わけぎも小口切りにする。玉ねぎも小さくきざむ。
とまとも角切りにする。材料が出来たらハワイアンソルトと水をまぜて
軽くかきまぜる。味は水の量で調節する。
これで出来上がり、観光客(特に日本人)にも一番喜ばれると言うことです。

テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 ハワイのクムフラ「James Dela Cruz(ジェームス・デラ・クルーズ」ミュージシャンでもある。
1960年生まれの49歳になる。歌もうまい。
オアフのワイキキにハラウ「HALAU HULA NA OPIO KOOLAU」がある。
1976年に自分が主宰する舞踏団を弟と一緒に始めた。
基本的には45や33回転のレコードのプレーヤーにかけて大勢の従兄弟たちが踊るだけ
の家族集団であった。5年後のアンクル・ジョージと出会い、ハラウのアシスタントとして
スタートしたのだ。
弟が教え、自分は振り付けや衣装のデザイン、司会などを担当するという基本的な
役割分担を決めた。このハラウには近隣の子供たちや10代の若者たち、高校からの
友人などが集まるようになり、次第に大きくなっていったと言う。
そしてアンクルのおかげでクムフラになれたのだ。
彼の持論はフラについてはあまり言葉はかわさない。人生における欠乏や欲望に対し、
応対する程度なのだ。フラに言葉は要らないのだ。
「身体は口よりも饒舌」そのものなのだ。

テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
バッキー
ロマ

 久保内成幸(くぼうち しげゆき)さんはどうなったのか?
とおしかりをうけました。そうだ一番大切な人を忘れていました。
バッキー白片とアロハハワイアンズのウクレレを担当、ファルセットも優雅に
こなし甘い声で女性ファンをうならせました。
その後「久保内成幸とロマネスクセブン」を結成、歌謡コーラスを中心に活動
しました。もちろんハワイアンも取り入れ、銀座タクトにもレギュラーとして
ステージにたっていました。その時彼はピアノを弾いていました。
彼の代表曲には「アフリリ」「コナカイオプア」「リリウエ」などフラソングは数え切れない。
 メンバーでベース奏者の「石巻宗一郎」作詞「バッキー白片」作曲の
「俺はお前に弱いんだ」を唄って一世を風靡。それが縁で後に歌謡曲に転向し
「新宿エトランゼ」などレコード多数だす。
いつしか「宝塚」出身の久美まり(イボレイ・マリ)さんと結婚し、名古屋在住となり、
ウクレレ指導のかたわら音楽事務所でハワイアンやHulaのマネージメントを行う。
自身もハワイにも在住し「ジョニーラムフォー」に師事し、Hulaも踊るそうな・・・・
今サイトを見ると白髪できれいな紳士に仕上がっておりました。
ますます元気でのご活躍をお祈り致します。

テーマ:懐かしい歌謡曲 - ジャンル:音楽
ジョージ根本

 昨日ハワイアンバンドのジョージ根本を取り上げたところ、各方面からどんな人?
なんて問い合わせがいくつかあった。
彼は昭和30~40年代に活躍していたバンドマンで兄弟5人で結成、名前も「ハワイ
ブラザーズ」とし彼は当時ギターをやっていた。
銀座タクトでは何回も聞いているが彼の人間性がよくにじみ出ている演奏スタイルで
あった。プロフィールとしては・・・
本名:根本 淳則(ねもと あつのり)
1944年生まれ。明治大学卒。高校時代からハワイアンバンドを結成。その後プロの
「ジョージ根本とハワイブラザース」のメンバーとして各地で演奏活動を続けた。現在、
ハワイ、ポリネシアの音楽や文化の普及、指導のほか、各地のカルチャーセンターなど
でウクレレの指導に力を入れている。日本クラウンから「はじめてのウクレレ」
「ウクレレ・コードブック」のビデオも出している。
尚、その当時のハワイアンバンドはどんなメンバーがいたかご紹介しましょう。

・バッキー白片とアロハハワイアンズ
・大橋節夫とハニーアイランダーズ(渚ゆう子)
・ポス宮崎とコニーアイランダーズ(南カオル)
・山口銀次とルアナハワイアンズ(日野てる子)
・大塚竜夫とパームセレナーダズ(エセル中田)
・白石信とナレオハワイアンズ
・原伊佐男とホノルルダンディーズ
・山下洋治とファイブサウンズ(三條正人)
・亀田四郎とブルーエコーズ
・小林隆とブルーハワイアンズ
・大久保英明とヒロハワイアンズ
・ジョージ根本とハワイブラザーズ
・三浦正弘とアロハブラザーズ
・ジョージ松下とアイランドキング
・山口軍一とルアナタヒチアンズ

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ハニー-1
ハニー-2
ハニー-3
ハニー-4

 三浦弘とハニーシックス(みうらひろし-)は、1965年に結成したハワイアンバンド。
その後ムード歌謡コーラスに転身。代表作に『よせばいいのに』『お嫁にゆけない私』
などがある。
結成当時は兄弟だけで構成されていたが、後に長兄・弘の長男英樹が加入した。
2008年に70歳となった弘が体力の限界を理由に脱退、『三浦京子とハニーシックス』
に改名した。長兄・弘は作詞、作曲に従事。
1948年に弘がバッキー白片や大橋節夫に師事、兄弟でハワイアンバンドを結成した
のが始まりである。
日本のジャクソン5ともいわれる、三浦弘とハニーシックスは三浦正弘とアロハブラザーズ
に末っ子で長女の礼子を加えた。ハニーブラザーズ、ハニーロマン、ハニーシックスと
名を変えている。三浦(正)弘はムードコーラスの天才的ソングライター。)
三浦弘 , 三浦久雄 , 三浦京子 , 三浦悦夫 , 三浦春男 , 三浦英樹 , 三浦貞夫。
三浦弘とハニーシックスの店 ハニー・ビー(新宿) TEL/FAX 03-3365-0826/
(株)ブラザー音楽事務所 TEL 03-3312-2901。
毎月28日はハニーの日 お問合せ:ハニー・ビーまたはブラザー音楽事務所
2/28(水) ハニーの日/三浦弘とハニーシックスLIVE/出演:三浦弘とハニーシックス
1部:20:00~ 2部:22:00~/\5000(1ドリンク付)/お問合せTEL 03-3365-0826(ハニービー)
この他兄弟でのハワイアンバンドでは「ジョージ根本」が健在である。
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ボランティア

 毎年恒例の「音楽ボランティア(おんぼら)」が開催される。
8月1日(土)13:30開演。ホクト文化ホール(長野県県民文化会館)中ホール。
入場無料。司会:丸山憲司(元SBCアナウンサー)
今年の出演者は・・・
 
 ・ヴォイブコバとジェントルメン(ハーモニー内軽音楽部門)
 ・ANIMONI(アニモニ)・・・女声デュオ
 ・アンサンブル フローム・・・ハーモニカアンサンブル
 ・長野二胡楽友会・・・二胡合奏
 ・エヌエヌ・・・管楽器カラオケ

以上の5組が出場します。
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アロハ-1
アロハ-2
アロハ-3
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アロハ-5
アロハ-6

 日本の高級繁華街にある六本木に「アロハステーション」なるライブハウスがある。
オーナーはハワイアンバンド「佐藤眞砂美 with Ka leo Band」の佐藤眞砂美と妹の
佐藤美由紀である。姉の眞砂美のファルセット(裏声)はすばらしく、いかにも
ハワイアンな雰囲気をかもしだしてくれる。
六本木でハワイ気分 美味しい家庭料理と陽気なハワイアンで皆様をおもてなしと
している。
毎日ライブがありジョージ・ナオペなど有名人も訪れると言う。
一度行ってみたいものである。
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イヴァラニ-1
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イヴァラニ-6


 ハワイのクムフラ「Iwalani Walsh Tseu」(イヴァラニ・ウォルシュ・シイーユー)
元気に活動している。現在58歳、3児のママでもある。
アンクルとの出会いは10代だと言う。アンクルは常に人を惹きつけ頼りがいの
ある人だと。そして20代でアンクルとステージを踏むことになる。
アメリカ本土へも定期客船で通う。そして帰りはハワイへお客様を連れ帰った。
船上でのハワイアンショーたとえば「ジェホパカ・レーアカナ」などセレブ気分で
あった。
大切なことはフラを楽しむこと、そうすると自然とフラはうまくなると言う。
自分の中にある最高のものを引き出すこと。
どんな風に相手と対話するか、どんな風に相手のことを気遣うか。
フラの本当の意義は自分は誰であるかを探すこと、そして愛すること、助け合う
こと、文化を知ることとしている。
彼女は一時期ガンに侵され生死をさまよったことがある。
しかし今それを乗り越え新しいチャレンジに向かっている。
彼女のブレスレット好きは有名である深い意味はないと言う。
自分の人生に対するプセゼントなのだ。

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ハリウッド-1
ハリウッド-2
ハリウッド-3
ハリウッド-4

 ハリウッド・フラとは余り耳なれない言葉であるが、もともとはハリウッドで創作
されたとする説がある。
エルビス・プレスリーの名作「ブルーハワイ」の中 で演じている。素晴らしい映画は
時代を超えるもの。映画の中で、ハリウッド・フラと呼ばれるスタイルを見ることができる。
華やかさを売り物にするハリウッド・フラは、文字通りハリウッドが作り上げたもので
「本来のフラをゆがんで見せている」と、批判する人たちもいるがが、フラの歴史には
欠かせない存在だと思う。ダンサー達はセロファン・スカートとブラだけの衣装で、
レイはプルメリアが定番。
映画”ザッツ・エンターティメント”の中に出てくるようなフラ・フラダンスの世界。
このキラキラるセロフィンスカートは、Kumu Hula(ロレイン・ジョシュア・ダニエル)の
母親の考案と言うことである。
1920年代のハワイでは外国人向けに特に船員にフラをみせていたのだ。
となると当然セクシーさはつきもの、それに異議が出てくるのも仕方のないことでもある。
ここでもう一度歴史を振り返ってみるのも面白いかも知れない。
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ヘンリー-1
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ヘンリー-3
ヘンリー-4

 「いとしのクレメンタイン」は日本では『雪山讃歌』の曲として広く知られるが、
1946年のジョン・フォード監督のアメリカ映画『荒野の決闘』
(原題は“My Darling Clementine”)の主題歌となったことで、元の歌自体も広く
知られるようになった。
この映画は保安官のワイアット・アープの弟が悪徳牧場主によって殺害され復讐
する内容になっている。場所はもちろんOK牧場である。
パーシー・モントローズ(Percy Montrose)の作品とされる
(時にはバーカー・ブラッドフォード(Barker Bradford)によるものとも)。H・S・トンプソン(H.S.Thompson)の“Down by the River Liv'd a Maiden”が原詩とされている。
詩は、1848年から1855年の間に起きたアメリカ西部のカリフォルニアの
ゴールドラッシュの金鉱堀り(フォーティーナイナー)の娘を、水死によって後に残された
恋人が愛しむ内容。


1.谷間の洞窟で
金脈探して掘る
坑夫となって住み着いた49年組
と娘のクレメンタイン

いとしの、いとしの
いとしのクレメンタイン。
お前とは二度と会えない、
とても悲しいよ、クレメンタイン。

2.妖精のように輝く彼女
靴のサイズは9番で
ニシンの箱のフタを取ればそれが
彼女の靴だった


3.アヒルを水辺へ連れて行った
これが毎朝9時の彼女の仕事
木片につまずいて
彼女は川へ落っこちた


4.真紅の唇を水面に出し
アップアップしている
だが、ああ、私は泳げなかった
それでクレメンタインを失った


5.彼女を失ったのだ 失ったのだ
クレメンタインを失ったのだ
だが、私は彼女の妹にキスした
クレメンタインを忘れたのだ

6.49年組坑夫は
やがてやつれた
娘を一緒させるのではなかったと考えた
クレメンタインを忘れなかった

7.墓地の片隅では
花咲く樹の大枝にからみつき
バラや花々が成長した
これらはクレメンタインが育てた

8.夢の中で彼女は微笑む
びっしょり濡れた服を着て
生きていた時抱き締めたように。
確かに彼女は死んでいるのだが
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フラヨガ-1
フラヨガ-2
フラヨガ-3
フラヨガ-4
フラヨガ-5
フラヨガ-6

 フラとヨガを組み合わせたフラヨガがブレイク中である。
「フラヨガ」はエアロビインストラクターの田嶋由美子氏が発案。フラダンスのステップや
ハンドモーションと、ヨガのポーズで使う筋肉をバランスよく働かせることで、
強くしなやかな体をつくることが可能としている。
フラダンスは、緩やかな見たダンスの見た目とは裏腹に、太ももやわき腹など、
普段は使わないような筋肉を使うため運動量が多いのが特徴。そのため、フラダンスの
レッスン後に階段が昇れないほど筋肉が疲労してしまうことがあり、「それをなんとか
改善する方法はないか?」と考えた田島さんは、ストレッチも出来るヨガを組み合わせた
フラヨガを思いついたと言う。
エアロビクスの指導歴25年以上。その間に、阪神タイガースのトレーニングプログラム
作りなどにも関わる。
出産後に気功、ヨガの資格も取り、現在もインストラクターとして活躍。2007年3月、
フラダンスとヨガを組み合わせた「フラヨガ」を発表し、現在各地で指導中。
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