

平井幸二、1960年生まれの49歳。
1993年に都内の広告代理店を退社しアドウエーブを設立。 当時の仕事内容は
広告のデザインが主体。事務所が藤沢だった事もあり、 趣味のサーフィングにさらに
拍車がかかり、他にもウクレレやハワイアン・ミュ ージックにもハマル。
1997年にはフラを始め、2000年にフラの雑誌「フラレア」創刊。 自身男性フラの
インストラクターでもある。
最近、「踊る大学教授」という副題のついたフラ関連の本を出版した。さしずめ
「踊る編集長」のニックネームがついている。
平井幸二さんによると、日本のフラ人口はここ10年ほどで急速に増え、推定17万人。
「サーフィンなどのハワイ文化とともに広がった。現地で見て、自分でも踊りたいと
始める人も多い」と話す。さらに・・・
最近フラがブームになったわけじゃなくて、もともとやってる人はたくさんいた。ただ、
インドアでレッスンしているから、みんな知らなかっただけ。前からやってる人はもの
すごく多かった。
日本ではハワイよりもフラ人口は多いかもしれない。
ハワイの人が全員フラをやってるわけじゃないし。
ハワイはアメリカの植民地になった時に、ハワイ語やフラが禁止された。その時期は
サーフィンも禁止されている。でも隠れてフラをやっていた人もいて、その人たちの
おかげで今もフラが伝わっている。そして1970年頃に「ハワイアン・ルネッサンス」
という運動が起こって、「自分たちの言葉や文化を取り戻そう」という気運が盛り上がり、
今に至っている。
日本のフラの起源は1950~1960年頃のハワイアン・ブーム。当時、各大学に必ず
ハワイアン・バンドが2つや3つはあった。でもその頃はあくまでバンドがメインで、
フラダンサーは脇役だった。
フラは、お婆ちゃんにはお婆ちゃんに合ったゆったりした踊りがあって、若い娘には
若い娘向けの踊りがある。みんなが知ってるフラといえば「ムームーを着てウクレレや
ギターに合わせて踊る」というイメージだけど、あれは「アウアナ」と言って現代の踊り。
一方、フラの古典には「カヒコ」という踊りもあって、こちらは太鼓に合わせて踊る迫力
ある踊り。
フラは民族舞踊。ハワイには文字を書いて残す文化がなかったので、節を付けて
覚えて、それを後世に伝えていた。さらにハンドモーションや足の動きで「風が吹いて」
「お花があって」なんて物語を補足した。振りがつけばなおさら忘れにくい、という利点も
あったと思う。
当時はウクレレもギターもなかったので、ひょうたんでできた太鼓に合わせて踊った。
それがフラの始まり。
ハワイでは40年ほど前から、先住民族の文化としてフラを見直す動きがあり、
子どもからお年寄りまで広く楽しまれている。毎春の「メリー・モナーク・フェスティバル」
など本格的な競技会も数多いが、日本人愛好家が出場するにはハードルが高い。
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