



インドの楽器で思い出すのは「シタール」であろう。
これほど幻想的な音色は類を見ない。
伝統的なシタールは19弦で、棹は長さが約90cmで約20個の金属製のフレットが
結びつけられている。フレットの上には約7本の金属製の演奏弦が張られており、
左手の指で弦を押さえミンド(チョーキング)という奏法により1フレットにつき4~5度
音をだす。右手につけたミズラブ(金属製の爪)で弦をはじいて演奏する(撥弦楽器)。
フレットの下には約12-16本の共鳴弦が張られている。
共鳴胴は通常ヒョウタン、もしくはユウガオの実(カンピョウの原料)を乾燥させたもので
作られる(カボチャや木製、まれに真鍮製のものも)。また胴体とは別に、棹の上部にも
同サイズかやや小振りの共鳴器が付くが、これなども他の多くの撥弦楽器
(リュート、ウード、ギターなど)とは異なる特徴と言える。
独特のミュートのかかった音色は(第一ヘルムホルツ運動→第二ヘルムホルツ運動)、
ジュワリという骨製(木製)の駒でつくられており、三味線の上駒のサワリと語源が共通
と言われている。
標準的な調弦は六弦を使ったRaga yamanにおいてG D F# A D Dである。
伝統的なインド音楽やインド・ポップスに使用されるが、60年代半ばからは、
ヤードバーズのジミー・ペイジや、ビートルズのジョージ・ハリスン、ローリング・ストーンズ
のブライアン・ジョーンズらが使用したため、欧米のロックファンにもよく知られる楽器になった。
価格は50万~100万円といったところだ。
一度弾いてみたいと思っている。





我々バンドのレパートリーにも「小雨降る径」などのタンゴを入れている。
これは典型的なコンチネンタルタンゴである。
ビートのやり方もアルゼンチンタンゴとは変えている。
タンゴにはヨーロッパを中心に発達したコンチネンタル・タンゴと,本場アルゼンチンで
発達したアルゼンチン・タンゴとがある。それではその違いは何か。
日本でのタンゴは1930年代にさかのぼる。日本に入ってきたものはほとんどこの
コンチネンタル・タンゴと言ってもいい。一言で言うなら「派手で華麗なタンゴ」という
表現がぴったりである。
コンチネンタル・タンゴは,20世紀初頭から半ばにかけてヨーロッパで発展した音楽
である。このコンチネンタルタンゴは「洗練して」「上品に」した感じとなっている。
(いわゆるヨーロッパのブルジョア風な感覚)。ダンスホールで踊るために,多くは
大編成のバックバンドで演奏されるのが特徴でもある。音楽的には,よりクラシックに近く,
指揮者が立って,バイオリンのシンフォニーやドラムなどの入ったビッグバンドを指揮する
形となり、音が厚いのでダンスホールやコンサートホールには向いているのかもしれないが、
やや洗練され過ぎて「骨抜き」になってしまっている気よく
する。
日本人が「タンゴ」と言ってイメージするのはこのコンチネンタル・タンゴの場合が多いと
される。タンゴと聞くと「えっ!」と一歩引かれてしまうことが多いが、アルゼンチン・タンゴは
このコンチネンタル・タンゴとは一味違うと見る向きが多い。
それではアルゼンチンタンゴとは、ブエノスアイレスという街は南米でももっとも大きな都会
であり港町で、19世紀末のブエノスアイレスは,国際貿易港としてかなり栄えた。
アルゼンチンという国は,広大なパンパ(平原)を持った国だけあり,穀物や牛肉などの
大輸出国として栄えていたので穀物の収穫など仕事もヨーロッパの貧しい国や地方から
渡ってくる出稼ぎや移民も多かった。
しかし,こうした港町にはいつの世も定住の地をを持たない船乗りたちが一夜の夢を
追い求めて酒場に入り浸り、大麻の貿易や密輸入などは日常茶飯事であったのだ。
ブエノスアイレスの街は繁栄を極めていたので、表通りにはヨーロッパばりのきらびやかな
カフェや店が建ち並び,「南米のパリ」とまで言われるようになった。しかし,一方で貧富の
差はどんどん広がっていき、貧しい小作や労働者は過酷な労働を強いらその結果、裏通り
の方は世界でももっとも危ない地域として恐れられるようになったのだ。
タンゴが生まれたのは,ブエノスアイレスのボカ地区と言われる一角だと言われている。
このボカ地区は,港町ブエノスアイレスの中でも,このような貧しい「裏町」。このボカ地区の、
貧しい労働者や娼婦たちのたむろするカフェで、ギターを伴奏に踊られていたのがタンゴだと
いわれている。まさにカオスの中から生まれた音楽なのだ。
おなじみの「ラ・クンパルシータ(仮想行列)」は典型的なアルゼンチンタンゴである。
従って実に人間臭く、垢ぬけた感じはない。
さて皆さんはどちらがお好きですか?
















11月23日(月)pm1:30より千曲市新戸倉にあるカラオケ喫茶「モリ」で
うたごえ&カラオケ喫茶を行いました。
集まったのは歌好き20名ほど。
上は82歳まで元気な方たちばかりです。
田口さんのギター1本で日本心の歌を熱唱。約1時間ほど歌ってカラオケ部門
へ突入。皆さんの18番が次から次へとマイクの奪い会い(?)になるほど。
コーヒーとケーキがついて甘さもたっぷりでした。
終了したのも日の暮れた5時頃でした。
今回の収穫はハワイアンを歌えそうな女性をスカウトしたこと。
なかなかいけるかな?と言う感じです。
彼女はフラをやっており、ハワイアンには日頃からなじんでいる。
早速CDと譜面を渡そうと思っている。
はてさてどうなりますか、今後にご期待ですかね。
皆さん長い時間御苦労さまでした。







キューバ音楽と言えば先ず頭に浮かぶのは「サルサ」であろう。
軽快なリズムにビートの取り方などキューバ人ならではの「お上手」さが滲み
出ている。やはり国民性の違いだろうか。
キューバは社会主義国であり「エナ」と言われる国立芸術学院がある。
様々な分野のアーチストの卵が勉強している所でもある。
授業料は無料であるが、卒業するには大変らしい。
例えばピアノ部門で100人入学しても卒業出来るのは2~3人と言うレベルだ。
才能のない者は他へ転向を命じられる。
日本では授業料を払っている以上「やめろ」とは言えない。
そして晴れて卒業の暁には有名バンドへの入団が待っている。
その有名バンドの一つに「バンボレオ」がある。
世界はもちろん日本公演も数多く手がけている。 メンバーとしては・・・
ラサロ・バルデスと歌姫、タニア・パントーハの音源を日本とロンドンのDJ・サウンド
クリエイターたちがラウンジ・リミックス。
「バンボレオ」のリーダーであるピアニスト、ラサロ・バルデースと圧倒的な歌声の
タニア・パントーハ。
これにはキューバ・ファン、サルサ・ファンも納得。さらに最新のクラブ・ミュージック
としても注目すべきであろう。
よくゲストで参加しているバンニアも実力派でもある。
バンニアはバンボレオのオリジナル・メンバー。
バンドを抜けてからソロになって活動し、キューバを代表する女性ボーカリストと評価
されている。
オマーラ、ハイラ、バンバンのジェニー、バンボレオのタニア、そしてバンニアが人気、
実力でトップ5と称賛される。





今、男性フラが静かなブームだと言う。
男性フラと言うと今までは「カヒコ」が中心であったが、最近は「モダンフラ」にも
人気が集中している。
フラと言えば、「女性が踊るダンス」というイメージが強いが、Hula(フラ)は古来、
神への祈りを捧げる宗教的な儀式で、大変神聖なものとして踊られていた。
当時は限られた男性のみが神殿(ヘイアウ)でオリ(詠唱)を唱え太鼓やパフを叩き
ながらフラを踊っていた。
フラは神へ捧げる男性の踊りとして生まれ、そして現代へ今でも受け継がれている。
“カヒコ”(古典フラ)は元々は男性が打楽器にあわせて力強く踊るものであるが、
綺麗なメロディーや歌にのせて踊るというものではなく、自然や神に対する礼拝を
込めて詩を唱えながら踊るという。
かなり宗教的で神聖な踊りでもある。
はてさてこのブームいつまで続くやらである。
それには教える為の「ハラウ」も必要になってくる。
田舎では無理?







沖縄の民謡とハワイ音楽で共通点があることがわかる。
先ずリズムだ。ゆったりとした感じがフラでも踊れると言う。
そして沖縄と言うと頭に浮かぶのが「安里屋ユンタ」だろう。
『安里屋ユンタ』(あさどやユンタ)は、沖縄県の八重山諸島に伝わる民謡。
琉球王国時代の竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマ
(1722年 - 1799年)と、王府より八重山に派遣されクヤマに一目惚れした
目差主(みざししゅ。下級役人)のやり取りを面白おかしく描いている。
18世紀の八重山では庶民に苛酷な人頭税の取り立てが課せられており、
庶民が役人に逆らうことは普通では考えられなかった。そんな中で目差主の
求婚をはね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として
語り継がれ、結の田植歌と結び付いて19世紀初頭までに安里屋ユンタとなったと
考えられている。歌詞は23番まで続き、4番以降ではクヤマに振られた目差主が
「ならばお前より美しい娘を見つけて嫁にする」と言ってクヤマと別れ、イスケマと
言う娘を娶って郷里に連れて帰る過程を描いているが、一般に歌われるのは6番
までのことが多い。
歌詞中の「マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ」は八重山方言の古語で
「また逢いましょう、美しき人よ」の意であるとされるが、インドネシア語で
「太陽は我らを等しく愛する」の意味も込められている、との説もある。
『安里屋ユンタ』(歌詞)
作詞:星克(ほし かつ) 作曲:宮良長包(みやら ちょうほう)
(1)
サー 君は野中の茨の花か
サーユイユイ
暮れて帰れば ヤレホンニ 引き止める
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
(2)
サー 嬉し恥ずかし 浮名を立てて
サーユイユイ
主(ヌシ)は白百合(シラユリ) ヤレホンニ ままならぬ
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
(3)
サー 田草(タグサ)取るなら 十六夜月夜(イザヨイツキヨ)
サーユイユイ
二人で気兼ねも ヤレホンニ 水入(ミズイ)らず
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
(4)
サー 染めてあげましょ 紺地(コンジ)の小袖(コソデ)
サーユイユイ
掛けておくれよ 情(ナサケ)の襷(タスキ)
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ
(5)
(サー 沖縄よいとこ 一度はおいで
サーユイユイ
春夏秋冬(ハルナツアキフユ) みどりの島よ
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ)










ダンスについては世界各国独特のものが伝統的にある。
アイリッシュ・ダンスの原点は文字を持たずダンスによって表現することでは
ハワイのフラと原点は同じである。
アイルランドのダンス。
その歴史は600年とも800年とも言われてる。もともとケルト民族の住むアイルランド
には文字が存在しなかった。物語や歌によって人から人へ伝えられてきたのだ。
その長い歴史があって、そして各地域ごとにアイリッシュダンスはいろいろな発展をし、
今に伝わってきたと言うことで、いくつかのスタイルいくつかのカテゴリーに分けられる。
一般的にはアイリッシュダンスは・・・上半身を使わず足だけで踊るダンス、
というのがベースになり、それに加えておもしろいアイディアがあれば、フォーメーション
なりアームなり足さばきなりを取り入れ、作品的にショーアップを心掛けているのが現状。
・シャンノース
アイルランド人がゲール語(アイルランド語)を話していた昔のスタイルで全身を自由に
使って踊るダンス。最も古いスタイル。
・セットダンス
8人1組で踊る“フォークダンス”そっくりなのがアイリッシュダンスのセットダンス。
とても簡単なステップをその曲が終わるまでくり返し踊るといったもの。
“オクラホマミキサー”とか“マイムマイム”といったものやったことあるが、
“フォークダンス”もアイリッシュダンスのセットダンスのスタイルをそのまま持ってきた
ものとも言われている。
・フィギュアーダンス
フィギュアーは形という意味からか、数人のダンサーで輪になったり、8の字を描いたり
するダンス。ステップ自体はとても簡単。ケーリーダンスに似ている。
・トラディショナル
伝統的に伝わってきたもの、トラディショナルなアイリッシュミュージック。
ハードシューズのダンスにはブラックバード、セントパトリックスデイ、などがある。
CDを買うとセットダンスと表記してあるのがその種の物なのだ。
・ステップダンス
上半身はいっさい使わないで足だけで踊るダンス。
・オールドスタイル
イギリスの支配下にあり、ゲール語を禁止され英語を強制された頃のダンス。
ダンスも禁止されたが、アイルランドの人たちはダンスは生活の一部としていた。
外を見回ってるイギリス兵に窓越しに見られてもいいように腕の動きをなくしてしまったと
いう話も残っている。


カノンコードとは、聞き慣れない言葉であるがもともとの意味はキリスト教
(カトリック)の教則を細かく定めたものとしている。
カノンは、そのポリフォニー音楽の一形式で、あるパートが演奏したメロディを、
べつのパートが遅れて演奏するもの。
要するに、「かえるのうーたーが・きこえてくーるーよー」の「きこえて」
にあわせて別のパートが「かえるの」と歌い出す、輪唱と同じことなのだ。
コード進行の完成形であると言われている。
日頃色々な音楽を聴いていて、あ、これはいい曲だ。と感じることがあると思う。
実はそう感じる曲で、このコード進行を使用していることが非常に多い。
現代の日本人にとって最も親しいコード進行になっているようだ。
そして、「売れる」コード進行でもある。
使い古されたコード進行とも呼ばれており洋楽では意図的に避けられているようだが、
日本では今もなお人気が高く、このコード進行を使った曲は続々と作られている。
その数は無数にあり、全てを挙げるのは不可能である。
このコード進行で、どれだけ良い曲が作れるかが作曲家としての勝負どころと言える。
基本は次の通りである。
| C | G | Am | Em | F | C | F | G7 |
サビに多用される。曲全体がこのコードのものもある。
あの名作曲家バッハはこのカノンコードを好んで使ったとされる。








今年もクリスマスの季節がやってくる。
来月16日にホテルでのライブも入っている。
今年は最後の「アロハ・オエ」のかわりに「きよしこの夜」をやろうかと思う。
フラも入れたいがリズムが3拍子の為、うまく踊れるかどうかである。
それともキャンドルのかわりにペンライトをもって客席の中で振ると言うことが
できるかどうか、打診しているところである。
「きよしこの夜(Silent Night)」は1818年12月25日にオーストリアの
ザルツブルグの聖ニコラウス教会で初演された。この歌にまつわる逸話として、
クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンがネズミによって壊され、クリスマスに
歌う賛美歌の伴奏ができなくなり、急遽ヨゼフは“Stille Nacht”の詞を書き上げ、
グルーバーに、この詞にギターで伴奏できる讃美歌を作曲してくれるように依頼。
グルーバーは最初「教会でギターを弾いても人々は誰も気に入らないのではないか?」
と懸念を示していたが、ヨゼフの説得もあって詞に曲をつけることを了承。
グルーバーは一晩中懸命に考え続け、ついにこの曲が作られた。曲ができあがったの
は教会でミサが始まるわずか数時間前のことであった"-という有名なものがあるが、
近年の研究では数年前にヨゼフは詩を完成させていたという説が有力である。しかし、
グルーバーが短期間で作曲したのはほぼ間違いないとされる。



メンバーのナイツ♪テラシマ氏がハワイ語辞典(ハワイな気分)のサイトを
送ってくれました。
ハワイ語を検索すると日本語訳が出てきます。いわゆる「バイリン・ガル」
ですかね。
今回は「ハイナ」「ハイナホウ」を取り上げてみたいと思う。
ハワイ語で歌った時は最後から2番目は「ハイナ」で最後は「ハイナホウ」
で終わります。従って「ハイナホウ」の声がかかるとエンディングの準備
に入る大事なかけ声となります。
日本の「相の手」とも言うのでしょうか。
「ハイナ」を検索すると次のような表示になりました。
【haina(ha'ina)】(ハイナ)
言う(言った)こと、声明、折り返し句
【haina】(ハイナ)
(神への)奉納、いけにえを捧げること
【Ha'ina 'Ia Mai Ana Ka Puana】(ハイナ イア マイ アナ カ プアナ)
歌の主題に戻る
【haina(hainā)】(ハイナー)
残酷な、無慈悲な
【maaa(Ma'a'a)】(マアア)
風の名前、ハワイ島のラハイナに吹く風
【lahaina】(ラハイナ)
過酷な太陽
などいろいろな意味があることがわかった。
一般的には「終わり」の意味であると勘違いしている例が多い。
正しくは「繰り返し」が一般的であると思う。
「ハイハホウ」とは、
これは「ホウ」は「もう一度」ということなので「ハイナ・ヴァースをもう一度」という意味だ。
この結果「ハイナとハイナ・ホウの2度ハイナ・ヴァースを演奏する」とよく誤解されるが
「ホウ」は「もう一度」なので結果として「何度も繰り返す」場合もあると言う。
これを機にハワイ語にはまりそうである。









STKsound ディナーショーのゲスト演奏で我々に与えられた30分の貴重
な時間を3曲にこめました。
メカナニ・アウカオポ、ブルーハワイ、タフ・ワフ・ワイです。
それぞれフラが入りました。
タフ・ワフ・ワイは子供(ケイキ)が入って拍手喝采でした。
とにかくライトの照明も加わって暑くて汗が手ににじみ、スチールのバーも
すべってヒヤヒヤでした。
その上200名の観客の中、あがってしまい実力の半分でした。
しかしながら大きなミスもなく何んとかこなしました。
終了後新潟に住む作詞家の先生から来年上越で演奏を頼むと言われ
ちょっといい気分、楽しみにしております。
いずれにしてもいい経験をさせて頂きました。
関係者の皆様いろいろありがとうございました。







第6回「STKsoundディナーショー」が11月14日(土)午後1時より百景苑で
盛大に開催されました。これは中野音楽事務所が主催したものです。
プロの歌手の皆さんが日頃の実力を如何なく発揮され、熱唱、熱唱の連続で
約200名の観客を酔わせました。
中野先生始め作詞作曲の先生方並びに各種スタッフの皆様の力で見事成功
させました。
アトラクションとして須坂昇竜太鼓、日本舞踊、ハワイアンバンド&フラなど
脇役も花を添えました。
ハワイアンバンド&フラについては明日ご報告いたします。
主な歌手の皆さんをご紹介します。
・内川みどり(キングレコード)
・花房ゆかり(コロンビアレコード)
・フランク中田(徳間ジャパン)
・瀬名ひとみ(キングレコード)
・清水美枝子(STK)
・篠原 貢(STK)
・古畑けんじ(STK)
・関 やすこ(STK)
・泉 優子(STK)
・北 芳巳(STK)
・滝 栄子(STK)
・葵 みつこ(STK)
・小山まゆみ(STK)
・宮尾正人(総合司会)
・西村忠一(スタッフ)
・渡辺信行(スタッフ)
・藤澤悦三(照明)
・松澤 茂(音響)
・中野信一(企画・構成)







沖縄の三線とウクレレを合わせた楽器「サンレレ」なる楽器が出来た。
アルベルト城間さんが考案した夢の楽器“サンレレ”、構想10年でついに完成!
今年5月の『ギターフェス2009』でも話題となった注目の“サンレレ”とは、
ウクレレのボディー+三線と同じポジションの棹、3弦楽器で奏法が三線+αという、
“ウクレレの音色がする三線”で、その音色に癒されると言う。
プロミュージシャンからの依頼で10年がかりで製品化したのは、
三線メーカーの(有)マチダヤ・コーポレーション。
(国道58号沿い三線ショップ『開鐘屋』が直営店舗として販売受付中)
「音色にこだわり、素材をハワイまで仕入れに行ったりもしました」との事。
サンレレを生産する工場は、ハワイでも2年連続受賞実績のある
ウクレレ&ギター・メーカーのT's Guiters。
ボディーとネック(棹)はマホガニー、指板はローズウッドと、
ギターに使われているものと同じ素材が使用されている。
(スタンダードモデル/パイナップルモデルの2タイプ。各定価8万円)









「ダヒル・サヨ(Because of You)」と言う曲はハワイアンナンバーとしても広く歌われている。
日本ではエセル中田の訳詞が一般的である。
歌手も世界で有名人も歌っている。日本でも小林旭、ダークダックスなど。
もともとフィリピン民謡であったのだ。
『ダヒル・サ・イヨ』は1970年代初頭、当時のイメルダ・マルコス大統領婦人が愛唱
したことから急激に人気を得た曲である、今ではフィリピンのクラシックとも言える存在
になっている。最近ではアメリカのオバマ大統領も口ずさんだと言うことが明らかになり、
静かなブームになってきている。
もともとフィリピンに古くからある愛の歌で、曲の雰囲気も内容も日本の『ここに幸あり』
によく似ているのだ。何人もの歌手が歌っているが、美空ひばり的な存在である
ピリタ・コリャレス(Pilita Corales)が本格的な歌を聴かせてくれる。
Dahil Sa 'Yo」として演奏ではエキゾチック・サウンドのアーサー・ライマン(Arthur Lyman)
のバージョンがあるが、ボーカルでは美しいハーモニーで定評の有るトリオ・グループの
ザ・レターメン(The Lettermen)などが歌っている。
その中でも、フィリピンを訪れたナット・キング・コール(Nat "King" Cole)がサービスで
タガログ(現地の言葉のTagalog語)で歌っている「Dahil Sa Yo」は素晴らしいの一言。
ダイル・サヨ(君ゆえに) エセル中田:訳詞
ダヒルサヨ 君ゆえに
我が愛を 告げるとき
胸おどる 口づけよ
忘れないで 我が愛を
ノケクム 愛のうた
きらめく 星の下
いつまでも かわらずに
愛すと歌う ダヒルサヨ



ハワイのカウワイ島にある「シダの洞窟」は観光名所としても人気のスポットである。
多くのツアー客が訪れるカウアイ島の名所。全面をシダに覆われた神秘的な洞窟。
かつて王族の結婚式が行われていたことから神聖な場所であるとされ、2人でここを
訪れると幸せになれるという言い伝えが生まれた。
洞窟はワイルア川をさかのぼったところにあり、河口から20分ほど船に乗っていく。
船を下りて5分ほど歩くと洞窟に着く。
なお、洞窟自体は浅くて小さいロマンティックな挙式も可能だと言う。
日本の結婚式の場合はジューンブライトがポピュラーであるが、ハワイでは2月と6月が
ピークであると言う。
また洞窟の正面には小さなステージがあり、ここで遊覧船のクルーたちが「ハワイアン・
ウェディング・ソング(ケカリネイ・アウ)」を演奏してくれる。切り立った壁が天然の音響効果
の役目を果たし、ムードも満点。見学に要する時間は約30分程度。ボートの行き帰りを含め、
所要時間は1時間半ほどのツアーである。実は、ここで結婚式を挙げることもでき、
ハワイらしいウェディングを希望するカップルには人気を呼んでいる。レイで飾られたボードが
準備され、厳かに執り行われる式は、かつてのハワイ王族のスピリットに見守られているかの
ようで、とてもロマンティックなのだ。
この「ハワイアン・ウェディングソング」は現在ではポピュラー・ソングとしておなじみに
なっている歌でもある。1925年に初演されたハワイのオペレッタ「プリンス・オブ・ハワイ」
(主演レイ・キニー)中の一曲として作られたもの。その後ホフマン、マニングによる英詞を
得て、アンディ・ウイリアムス、エルビス・プレスリーなどがヒットさせている名曲でもある。















昨年10月にフランク永井さんが76歳で亡くなったことは記憶にも新しい。
今回はその秘蔵映像を見ながら彼の魅力にせまりたいと思う。
美空ひばりと並んで国民的歌手と言っても過言ではない。
1932年宮城県生まれ。生家が映画館を経営していた為、何不自由なく育つ。
しかし7歳の時に父親が他界、母親の手で育てられる。
母親に中古のトランペットを買ってもらい、このことが音楽に対する気持が出て
きたようである。さらに
幼少時から歌手に強いあこがれをもっていて、米軍のキャンプでアルバイトを
しながらジャズを聞きそして歌っていた。
そしてアマチュアジャズコンクールで優勝し歌の世界へ。
その後の活躍は周知の通りである。彼は落語が好きで「フランク亭」なる名前
も使っていた。
昭和60年、突然自宅で首つり自殺を図るも一命は取り留める。
しかし知能指数は小学生以下の認知を受け姉(美根子)のもとで闘病生活を送る。
一部週刊誌によると、彼には水商売の女との間に隠し子がいたのだ。女の子で
あると言う。彼には子供がいなかったのだ。
その母親から金品を要求されていたのだ。
自殺する前日にも300万円を要求されていて思いつめたとしている。
この話が事実だとしたら、非常に悲しい事件である。
しかし彼はすばらしい歌を残してくれた。
これからも歌い継がれていくことと思う。
テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽



胡 美芳さん(こ・びほう=歌手、本名胡朝子〈こ・あさこ〉)が7日、肺炎で死去、82歳。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時から東京都品川区勝島3の1の3の品川区立なぎさ会館で。喪主は長男西田眞(まこと)さん。
日本の華僑の家庭に生まれ、52年に歌手デビュー。「夜来香」を歌い、ヒット。「何日君再来」「支那の夜」などを歌った。二葉あき子、並木路子らと結成した「コロムビア五人会」でも活動。日中友好活動にも尽力した。
胡美芳(こ びほう)(1926年生まれ)は、和歌山県生まれの中国人歌手。戦後日本でデビューし、渡辺はま子や李香蘭の歌のカバーで人気を博した。日本コロムビア所属。1974年にキリスト教に入信し、以後、福音歌手として教会を回っての活動を続けた。
ご冥福をお祈り申し上げます。



8日(日)NHK杯国際フィギュア競技会を見てきました。
場所はオリンピックが開催されたビッグハットです。
2ケ月前に長野であることを知り、チケット獲得の為インターネットで悪戦苦闘の末
ようやくゲット。いい席は満員でしたがまあまあの席でした。
テレビではみますが、実際のライブは迫力があってすばらしいものでした。
出場者は安藤美姫、中野友加里、高橋大介、小塚崇彦、井上レナ、この他世界の
名だたる有名人ばかりでした。
会場内はカメラ禁止と言うことで実際の映像はありません。
この日はアイスダンスのコンペ(競技)とエキシビジョンの種目でした。
日本はメダルこそ逃したものの堂々と演技を披露しました。
特に照明、音響などの技術がすばらしく、そちらの方に目を奪われてしまいました。
久し振りにいいものを見せてもらい寿命が10年位伸びました。








スチールギターについては当初6弦を使っていたが、途中から8弦に変えた為
今までのものは譲ったりして今使用している8弦トリプルネック1台だけとなった。
その為スペアが必要なことからカノウプスの神谷さんに相談したところ
パンドラの箱からYS-8DSを出してきてくれました。
色もバッキーブラウンに似ていておしゃれな感じである。
トーン3段切り替えもついている。
さっそく愛称を「チャコ」と名づけました。
音色も申し分なく、高い音もきれいに出ました。
ペグもおしやれでかわいい感じです。
カノウプスの場合はフレットごとに赤くマークされていて非常に弾きやすくなっている。
値段は・ヒ・ミ・ツ・です。
うさぎのカッタちゃんはスタート合図です。
バンドのスタート合図はいろいろで声をかける、スチールで音を出す、足でならす
など様々です。
ぼくらのは好評です。
100円ショップで315円で出来ました。
はてさてこれからが楽しみです。






ジョージ・ナオペが亡くなって早10日ほど経つ。
ハワイ時間の11月6日に葬式が行われると言う。
そこでハワイの葬式はどんなものか調べてみた。
ハワイのお葬式は趣向たっぷり。唄あり、フラあり、スライドショーやビデオショーありで、
日本の結婚披露宴も顔負けだ。もちろんどんちゃん騒ぎではなく、式は静かに進行する。
職場の仲間がピアノの弾き語りをしたり、孫一同が集まって合唱したり、いろいろな趣向
で死者を讃え、生涯を記念するのがハワイのお葬式と言うことです。
そして何よりの違いは服装。 葬式で黒を装う、という習慣はハワイにはなく、強いて
ドレスコードを挙げるならば、アロハ・ウエア。男性はアロハシャツ、女性はムームーが多い。
色は赤でも黄色でも、何でもOK。特にハワイアンのお葬式はカラフルな感じ。ジュエリーも
「真珠に限る……」なんてルールはもちろんない。みなハワイアンジュエリーをジャラジャラ
つけたまま、葬儀に出席している。
それもここ数年は、故人の家族がお揃いルックでお葬式に出るのがトレンドになっている
と言う。
中でもマヌへアリイというリゾートウエア・ブランド(日本でもフラダンサーに大人気とか)が
好まれている。マヌへアリイのアロハやムームーと言えば、南国らしいハデハデ・プリント
で有名ど。しかもハワイアンのお葬式なら、お棺の上にはマイレレイなどたくさんのレイが……。
お棺に横たわる故人も(菊ではなく)レイできれいに飾られ、女性なら、ハクレイ(頭につける
レイ)をつけていることもある。









先日ブログにオカリナの事を書いたら早速友人がオカリナライブの
チケットを送ってくれた。
11月3日(火)善光寺は大門町にある「竹風堂」の3階へ行ってきた。
1階が店舗、2階がレストラン、3階がイベント会場である。
100席ある椅子はほぼ埋まっていた。大盛況である。
オカリナライブは初めてであるが想像していた以上に感動的なもので
あった。しかも朗読をいれたのも新鮮であった。
この日は久しぶりに善光寺にも参拝することだ出来命の洗濯をして来ました。
ここでアーチストを紹介しょう。
・永山 浩:オカリナ
長野市出身。小学3年生の時に担任教師からオカリナの手ほどきを
受ける。中学時代に吹奏楽を始め、高校卒業後も一般吹奏楽団に12
年間在籍した後オカリナ演奏を再開。現在はオカリナ演奏の江波太郎
氏から指導を受けながら、オカリナサークルの講師も勤める。
・塩崎泰治:ギター
須坂市出身。須坂高校卒業後に日本ギター音楽学校へ進みギターを
学び、現在は須坂市で音楽活動を行う。
・松永り香:朗読
神奈川県出身。文化学院文学科卒業。劇団NLT付属の養成所から同
劇団を経て現在フリー。
財団中、八木光生氏の朗読教室へ通い、朗読に興味を持ちはじめる。
出産を機に舞台の活動を休止「まきまきおねこ」を立ち上げ、朗読活動へ
と移行する。日本新劇俳優協会会員。
・山本瑞己:朗読
長野県出身。日本大学芸術学部演劇科卒業。在学中から小劇場中心
に活動していたが、キャスター、ナレーションの仕事を機に朗読に関心を
もち始める。舞台で共演していた松永と再会し、2006年より「まきまき
おねこ」に参加。



ぼくの所にはオカリナが2本ある。
以前興味本位で購入したものであるが、これがハワイアンとセッション
出来ないか模索した時期があった。
もちろんその道の第一人者の「宗次郎」の演奏も繰り返し聴いた。
ハワイアンのある一部の曲については使えるがほとんどがマッチしない。
と言うのもオカリナは単音には強いがビブラートとなると弱い部分がある。
従って今はお蔵入りである。
いずれはと思ってはいるが、それはお遊びでと考えている。
宗次郎(そうじろう、本名:野村 宗次郎(のむら そうじろう)、1954年生まれ)は、
オカリナ奏者。
1975年 初めてオカリナの音色に触れる。この年オカリナ奏者・火山久に弟子入り。
栃木の山あいの廃材利用の家にすみながらオカリナを制作。
群馬県館林市出身。使用しているオカリナは全て自身による手作りである。
デビュー前からオカリナ製作を始め、現在までに製作したオカリナは数万本におよび、
その中で実際に演奏に使用するのは10数本といわれる。1980年以降、
栃木県にある廃校となった小学校で生活していたが、現在は茨城県常陸大宮市
(旧緒川村)の山村で暮らす。

「今村ねずみ」このユニークな名前に注目した。
今村ねずみ(いまむら ねずみ、1958年生まれ)は日本の俳優、演出家。
北海道札幌市出身。北海道札幌北陵高等学校を卒業した後上京し、夢の
遊眠社、Tap Tipsなどで活躍した。赤坂のショーパブでダンサー兼ウエイター
をしながら、そこで出会った瀬下尚人、石坂勇らと共に1986年にパフォーマンス集団
THE CONVOY SHOWを立ち上げた。出演の他、作・構成・演出・振付もこなしている。
また1985年から半年間、伊藤彰、森岡進とともに2代目いいとも青年隊を務めている。
Tap Tipsとは1980年代に話題となった東京赤坂のショーパブ。
雨宮 良など多くのスターを輩出したことでも有名。
今後の活躍が楽しみでもある。
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