Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

天津ライブ_-2
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 2009年の大晦日は雪となった。今、津々と降り続いている。
早いもので1年はあっと言う間である。
今年もご支援、ご協力頂いた皆様には深く感謝申し上げます。
今年はとにかくライブが多かった。本番の回数を重ねると、それだけ上達も早いと
言われているが反面体力的にはキツイものになる。
フラのお姉さんの中には倒れた人もいたと言うから無視は出来ない。
今年は機材(PA)類を新しくし、音響面にも力をいれた。その結果「音」については
大部改善された。
人材面では「マウナ・まゆみ」がプロ宣言でメンバーとしては一緒に出来なくなった。
そのかわり「コモマイ・アケミ」と「ウィキ・マキノ」が入会し良かったと思っている。
いずれにしても反省すべきは反省し、建設的なことはどんどん取り入れていこうと
思っている。
とにかくうまくなりたい、その為にはどうするか今後の課題であると思う。
「歌って踊ってショータイム」つまり三位一体は間違っていなかったと思うこのごろである。
来年もよろしくお願い申し上げます。では皆様良いお年をお迎え下さい。
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テーマ:ライブ! - ジャンル:音楽
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前回好評の「日劇ウェスタンカーニバル」が再び登場。
平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男を中心に展開。
当時のポップス界のゲストも交え盛大に行われた。
実になつかしいです。


テーマ:ライブ! - ジャンル:音楽
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 原信夫とシャープス&フラッツは半世紀以上立った舞台から退くことを決めた。
「82歳、人前でやる仕事ですから、あんまり老いぼれると人様に失礼ですよね」と、
さらりと言ってのける。60年近く率いてきたジャズ・オーケストラも7月いっぱいで終わる。
海軍軍楽隊に入隊するも終戦を迎えてジャズを始めた。駐留軍施設にあったクラブで米兵相手に
腕を上げた。渡辺貞夫も聴きに来ていた。
小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団との共演や、尺八を入れたオリジナル曲作りなど
ジャンルを問わない活動も。「いまやジャズはアメリカだけのものじゃなくなった。世界の音楽
です。日本でも舶来主義じゃなくて、独自のスタイルが生まれてほしい」と次世代へ思いを託す。
 「ジャズは不良のやるもの」と言われてきたのに、昭和63年に紫綬褒章を受章した。
「何かお返しをしなければ」と、始めたのが学校での音楽鑑賞会やクリニック。一線を退いても、
教えることは続けたいという。日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」
の58年の歴史は、そのまま戦後の日本のポピュラー音楽の歴史そのものなのだ。
1951年9月、10人編成で「シャープス&フラッツ」をスタートさせた原信夫は、
短期間で現在と同じ17人編成のビッグバンド・スタイルを取り入れ、アメリカのスイング・ジャズ
からモダン・ジャズへの推移をその敏感な感覚で捉え、ダンス・バンドからコンサート・バンドへと
脱却を図り、「デューク・エリントン」「カウント・ベイシー」「スタン・ケイトン」
「ウディ・ハーマン」等の本場のトップクラスを射程におさめた積極的な音楽活動を繰り広げてきた。
1958年には初リサイタルを成功させ、「NHK交響楽団」「日本フィルハーモニー交響楽団」
との共演等、音楽性の高さは初期から高く評価され、熱狂的なファンを獲得するだけではなく
全国規模で幅広い音楽ファンに受け入れられた。
そして国民的スターであった「美空ひばり」との出会い、原自身の作曲による「真っ赤な太陽」
の大ヒットは周知の通り。そうした多岐にわたる活動の中でも、ビッグバンド・ジャズの本質は
片時も失われず、1967年には、「アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演、
大成功を納め、その後もアメリカ、ソビエト、ヨーロッパ、アジア各国から招待され、多くの海外
公演を成功を収める。
さらに「クインシー・ジョーンズ」「サミー・デイヴィス Jr.」「ダイアナ・ロス」「イブ・モンタン」
「パット・ブーン」「ペリー・モコ」をはじめとする国際級スター達との共演も実に多く、
「世界のシャープス&フラッツ」としてその実力を強烈にアピールしてきた。
今後は作曲を中心に活動し、若手育成にも力を入れると言う。


テーマ:ライブ! - ジャンル:音楽
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女性のギターリストとしては珍しいと言われている。
村治 佳織(むらじ かおり、 1978年生まれの31歳 )。
東京都台東区出身。血液型はA型。同じくギタリストの村治奏一は実弟。
3歳頃からギターを父・村治昇に師事する。10歳からはクラシックギタリストの
福田進一に師事。その1年後の1989年、ジュニア・ギターコンテスト最優秀賞受賞。
その後数々の賞を獲得し、1993年にデビューリサイタルを開催。
1996年にはイタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招待されヨーロッパでの
デビューを飾った。
年間の半分はスペインで過ごす。自身の持っているギターもスペイン人職人による
手造りの高価なものだ。


テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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「悪魔の奏でる楽器」とも言われている「バンドネオン」。
アルゼンチンタンゴには欠かせない楽器でもある。
日本でプロと言われる人は20人ほど。
しかも楽器そのものは作られていないのだ。今あるものを自分で直すしかないのが現状だ。
メーカーによってボタンの位置も違っており、統一性もない。
アコーディオンに形が似ているし「アコーディオンの一種」という説明も見受けられるが、
鍵盤は、ピアノのような形ではなく、ボタン型で、これが蛇腹を挟んで両側についている。
アコーディオンが1820年代に発明され、改良して作られたアコーディオンの一種である
コンツェルティーナ(コンサーティーナ)の影響を受けて、1840年代、ドイツの
ハインリヒ・バンド Heinrich Band が1847年に考案した。
バンドネオン奏者の早川 純は・・・
1980年生まれの29歳。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。タンゴの新しい可能性を
追求するユニット、Tango-jackを主宰。バンドネオンを小松亮太、ミゲル・バルベーロ各氏に師事。
2002年、アコーディオン奏者coba主宰のベローズ・ラバーズ・プロジェクトに参加。
2003年、2005年と、小松亮太&オルケスタ・ティピカのメンバーとしてアルゼンチンや
ブラジル等南米4カ国で演奏。2003年と2004年に、それぞれタンゴ界の重鎮
レオポルド・フェデリコ、オスバルド・ベリンジェリ、マリア・グラーニャなどの日本公演に参加。

さてこれからバンドネオンの時代がくるのか?
テーマ:楽器 - ジャンル:音楽
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 クリスマス・コンサートがあると言うので行きつけの温泉施設へ出向く。
前回と同じメンバーではあるが今回はクリスマス特集と言うことでお馴染みの
クリスマスソングを奏でてくれた。
・エネルボスケ(森の妖精)
 アルパ(ハープ)とコカリナ
 コカリナは木で出来ていて高音でオカリナとは構造的に違っている。
 北村康江(アルパ)・コカリナ)・長谷川幹子(アルパ)

・アンサンブル・カラー
 年齢も楽器も違うと言うことで(カラー)にしたと言うことです。
 笠井美智子(ヴァイオリン)・西沢章予(フルート)・中川真由美(ピアノ)

このあとはサウナでたっぷり汗を流し、今年を振り返りながら疲れをとる。
とにかく演奏をうまくなる為には皆んなで仲良く、楽しくではなかなか上達しない。
従って気持の上でもプロ精神を持つべきではないかと思っている。
将来的には入場料を取ってなんて夢はつきない。
さて、来年はどんな年になるのか期待と不安の中まもなくお正月を迎える。
テーマ:クリスマスソング(動画) - ジャンル:音楽
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 水谷八重子(みずたに やえこ 1939年生まれの70歳)は、日本の女優。
水谷良重(みずたに よしえ)名義で長らく活動していたが、1995年に
母の跡を継いで2代目襲名。本名は松野好重(まつの よしえ)。母は初代水谷八重子。
父は14代目守田勘弥。
1950年、ジャズ歌手としてデビュー。黒柳徹子、横山道代ともに三人娘と呼ばれて
人気を博した。また、朝丘雪路(伊東深水の娘)、東郷たまみ(東郷青児の娘)ともに
「七光り三人娘」を結成していた。 1959年にジャズドラム奏者の白木秀雄と結婚
するが1963年に離婚。
中央競馬の馬主でもある。高松三太調教師、高松邦男調教師とは古くから懇意にしており、
持ち馬を高松厩舎に預けていた。
女優という職業柄、馬名には「ファニーガール」、「ラマンチャノオトコ」、「ミスサイゴン」
など、ミュージカルの題名を多く利用している。


テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 住江(すみのえ)みちるプロフィール

本名:的場 翠
芸名:ロシータ・花田と羽田隼子(たかこ)
兵庫県芦屋市出身

宝塚歌劇団29期生
1939年に宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)入学
1942年に宝塚歌劇団に入団
1946年に退団

同期生
青葉しぐれ(1958年に退団。改名後は青葉多枝子)
草間かほる(1957年に退団。改名後は草間淑江)
故里千秋(1959年に退団。改名後は故里明美)
若梅昌子(1944年に退団。退団後は占い師・泉アツノとして活躍。)

先輩
越路吹雪
朝霧早苗
瞳うらゝ
大路三千緒
乙羽信子
越路吹雪
月丘夢路
東郷晴子
瑠璃豊美


宝塚歌劇団退団後、NHK”食後の音楽”にレイモンド・コンデ、
フランシスコ・キーコらと出演。以来、関西放送関係で活躍する。
34年上京。
TBSテレビで「スマイリー・小原とスカイライナーズ」を伴奏に活躍。
35年、NHKオーディションに合格して貫禄を付け、楽団「南十字星」と共に
TBSテレビの”グッド・ナイト・ショー””音楽手帳””季節の歌”等に出演。
ラテンものを多く歌っている歌手で、海外出演に招かれていたが断っていた。
力道山のよき相談者でもあるプロレス解説者:伊集院浩の姪。
15年前に他界。

以上の情報は当方hw寄せられた息子さんの牌鬼屋(パイオニア)さんのHPより
転載致しました。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 牌鬼屋(パイオニア)さんから面白いメッセージを頂きました。
Beonqa Bintanq(ブンガ・ビンタン)と言う歌をハワイアンで
やらないか?と言うものです。
この牌鬼屋さんは元ヅカガール(住江みちる・故人)の息子さんで現在は
雀荘を経営(?)しているらしい。
この住江みちるについては後日話したいと思う。
この住江みちる(ロシータ・花田)が歌っているブンガ・ビンタンとは・・・
このブンガ・ビンタン(星の花)とはインドネシアに咲く一夜蘭のこと。
風媒花で樹木の梢高く咲く。
その白い花が星のように見えるところから星の花と言う異名がある。
そして芳香を放つので余計少女達に愛されている。
フィリピンのサンパギータ、ハワイのハイビスカス、日本の桜とも言うべきか。
譜面もあるので早速キーボードでメロを弾いてみた。実にゆったりとしたハワイアンに
向いているのではないか。多少低音と高音の落差が大きいのが気にかかる。
いずれレパートリーにと考えている。
すでに50年以上経過しているので著作権は消滅していてフリーの状態なのだ。
その美しい詞をご紹介しょう。

   ブンガ・ビンタン

 別所直樹作詞・伊藤英二作曲

 南の国に 咲くという
 その名も愛し 星の花よ
 あゝ ブンガ・ビンタン
 香りゆたかに 髪にさし
 乙女は甘い 恋を待つ

 地上の星と 天国の
 星を結ぶ 愛し花よ
 あゝ ブンガ・ビンタン
 乙女の胸に 抱かれて
 一夜限りに 散る花よ

 南の国の 甘い夜
 白く輝く 星の花よ
 風もないのに ほろり散る
 乙女の胸に ほろえい散る
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 ハワイでのキリスマスもアメリカ本土並みに華やかなようだ。
ワイキキのホテルには、大掛かりなクリスマス・デコレーションが登場。
「MELE KALIKIMAKA!」 (メレ・カリキマカ=ハワイ語で「メリー・クリスマス」)
毎年11月の第4木曜日サンクスギビングデー(感謝祭)翌日から、本格的な
ホリデーシーズンに突入するハワイ。
イルミネーションに包まれるダウンタウン、美しいデコレーションを競い合うワイキキ
のホテル、セールやイベント盛りだくさんのショッピングセンター。そして、
クリスマスイブには、裸足のサンタが海や空から到着!
ホリデーシーズンのメインイベント「ホノルル・シティ・ライツ」。毎年12月上旬から
正月明けまでの1ヶ月間、ダウンタウンが美しいイルミネーションとクリスマス・
デコレーションで彩られる。そして、市庁舎内にはサンタクロースも登場!
ワイキキからは、イルミネーションの見学トロリーが出発する。
南国ハワイのサンタクロースは裸足に短パン姿で、ワイキキビーチからカヌーに乗って登場。
ホリデーシーズンのアラモアナセンターはエキサイティング! キッズ向けミュージカルに
サンタクロースのパレード、センター内を走るクリスマス・トレイン…… と、
まるでテーマパークのよう。さらに、
このシーズンならではの楽しみの1つがワイキキのホテル・ホッピング。
趣向を凝らしたツリーや豪華なデコレーションで飾り付けられたホテルなどが登場する。

下記の動画はハワイ語による「きよしこの夜」である。珍しいのでピックアップしてみた。
ボク自身聞いたのも初めてである。
写真をクリックすると歌が聞こえる。

京都高島屋IZUMIちゃん -Po Laie-
京都高島屋IZUMIちゃん -Po Laie-
テーマ:クリスマスソング(動画) - ジャンル:音楽
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 来年6月から始まるFIFAワールトカップ南アフリカ大会が開催される。
アフリカ大陸では初となる。
それに伴いマスコットも披露。
サッカー・2010年W杯南アフリカ大会の組織委員会が、大会公式マスコットの
「ザクミ(Zakumi)」を発表した。
「ザクミ」はヒョウをイメージしたキャラクターで、名前は南アフリカを表す
国名コードの「ZA」とアフリカ大陸の複数の現地語で「10」または「ようこそ」
を意味する「kumi」を掛け合わせた造語。
テーマ:アフリカ - ジャンル:海外情報
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 邦楽パーカッション「西川啓光(ひろみつ)」は日本の伝統的な打楽器奏者して
活躍中である。
【現在の活動】
所属団体:オーケストラアジア・ジャパン、日本音楽著作権協会。西川啓光和太鼓グループ
「鼓友会」主宰。現代邦楽研究所講師。パール楽器製造㈱「パール和太鼓」のアドバイザー。
【略歴】
日本音楽集団の一員として「音楽之友社賞」「レミーマタン音楽賞」受賞。東京都の要請に
よりオーストラリア(シドニー市)と東京都姉妹都市提携の友好使節団のプロデュース及び
音楽監督を務める。大相撲アメリカ公演及びパリ公演のオープニング音楽を担当。市川猿之
助演出主演スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」「オグリ」「八犬伝」「カグヤ」「オオクニヌシ」
の音楽プロデュース及びサウンドクリエートを担当。ソロアルバム「冥王」をコロムビアレコ
ードよりリリース。蜷川幸雄演出のシェークスピア劇「テンペスト」平幹二郎主演「元禄港歌」
の邦楽監修及び指導。宝塚歌劇団「花の舞拍子」「川霧の橋」「永遠物語」「花幻抄」他日本物
の作曲、太鼓指導。劇団四季公演「ジーザス・クライスト・スーパースター・江戸バージョン」
「Mバタフライ」「九郎衛門」「ソング&ダンス」の邦楽編曲、作曲、指導。石川さゆり「童」
のアルバム共同企画、「石川さゆり音楽会」レギュラー出演、「歌麿」の邦楽作曲。長山洋子
「嵐峡」の邦楽作曲。NHKテレビの依頼により岐阜県中津川市の「風流おどり」の音楽復元。
日・中・韓、70名からなる民族楽器だけで編成されている「オーケストラアジア」の創立
メンバー。
テーマ:最新音楽ニュース - ジャンル:音楽
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ナツメロで美しいメロディと言えば「星の流れに」をあげることが出来る。
メロディはおろか詞もそれなりに感動を与える。
昭和22年日本は敗戦から立ち直ろうとしている時のある若い女性を歌ったものである。
当初歌手を淡谷のり子に打診したが断られ菊池章子にしたと言う経緯がる。
これを作詞した清水みのるにスポットを当ててみよう。
清水 みのる(しみず みのる、本名:清水實、1903年-1979年)は、日本の作詞家。
静岡県浜名郡伊佐見村(現在は浜松市西区伊左地町)生まれ。旧制浜松中学(現・浜松北高校)、
立教大学英文科卒。
少年期は水泳に熱中。詩人・佐藤惣之助に師事した後にポリドール社員として作詞家の道を歩む。

昭和初期~中期に活躍し、特に作曲家の倉若晴生、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで、
『かえり船』、『別れ船』等の数々のヒット曲を世に送り出した。母校・立教大学の第三応援歌
「若き眉」の作詞も手がけている。特に「星の流れに」は大ヒットにつながった。
作詞した清水は、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、東京日日新聞(現在の毎日新聞)
に載った女性の手記を読んだ。もと従軍看護婦だった彼女は、奉天から東京に帰ってきたが、
焼け野原で家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身を嘆いていた
という。清水は、戦争への怒りや、やるせない気持ちを歌にした。こみ上げてくる憤りをたた
きつけて、戦争への告発歌を徹夜で作詞し、作曲の利根は上野の地下道や公園を見回りながら
作曲した。
母校の浜松市立伊佐見小学校には功績を記念した「清水みのるの部屋」が、浜松市西区伊左地町
には「森の水車(作詞 清水みのる / 作曲 米山正夫)」を記念した森の水車公園がある。


テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽
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 口琴(こうきん)とは余り聞きなれない言葉であるが、口で演奏する楽器のことだ。
マーランザーノはイタリア語でこれを指す。この国が発祥のようだ。
今これが静かなブームである。
サイズはだいたい手のひらに収まるほどで、素材といい形といいビールの栓抜きによく
似ている。身の回りで見かけないなじみのない楽器だが、ヨーロッパとアジアに広く分布
している。また移民や植民によってアフリカ、新大陸にも伝えられたと言う。素材は金属
の他に竹が使われることもある
口琴を演奏するには、外枠の広い部分を左手で持ち、狭くなっている先の部分を前歯に
しっかり押しつけて、中心に通っている弁を右手で弾く。音は、びぃーんというバネの
ような音であるが、このとき息を吹いたり「ヨヨヨ」と舌を動かすことによって音色を
大きく変えることができる。この音色の変化の激しさが他の楽器にない口琴の大きな特長
でもある。倍音を強調してメロディを奏でたり、鳥や動物の声のまねをしたりいろいろで
きるので今静かなブームとでもいえるのではないか。ロボットの声も出せると言う。



テーマ:最新音楽ニュース - ジャンル:音楽
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 ホテル国際21で長野東ロータリークラブ・クリスマス会に招待されました。
30分2ステージのライブでした。クリスマスと言うことでクリスマスソングが
中心となりました。
このロータリークラブは経営者の集まりでいわば社長さんの集まりです。
それだけに緊張しましたが大いに盛り上がりました。
フラも親子3代で「タフ・ワフ・ワイ」を踊り拍手喝采でした。
鷲沢長野市長も飛び入りでフラダンスにチャレンジ、見事踊りました。
この時ばかりは「市民会館建て替え」なんて忘れていたみたいです。
関係者の皆様いろいろありがとうございました。
テーマ:LIVE、イベント - ジャンル:音楽
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バリ-3

 来年1月にバリへ行くべく説明会があると言うのでJAへ出向く。総勢50名で行くと言う。
成田ーデンパサールーバリ島観光ージョグジャカルターデンパサールー成田のルートである。
朝2時出発はきつい。バリの小学校を訪問すると言うことでお土産として各自リンゴ2ケ持っ
て行って下さいと言うことでした。スーツケースに入れれば果物もOKだと言う。やはりお国柄か。
向こうは真夏なので着替えが大変だ。今から体調管理に気をつけないと。
一番関心があるのはダンスである。
バロンダンス・・・バロンの踊りは「ガムラン」と言うバリ独特の踊りだ。
ガムランはマリンバ
に似ている。バリでは良い魂と悪い魂が
いつも同時に存在していると信じられている。バロンは良い魂を表す動物、
ランダは悪い魂を
表す動物だあるのだ。踊りは7段階に分かれている。
ケチャックダンス・・・バリ古来の太陽崇拝と海から魔物が陸に上がってこないように祈る
儀式が発展し「ラーマナヤ物語」も取り入れられた舞踏劇に創作されたもの。
その他世界遺産もあり初めてなので期待もしている。
我々が来夏に使うアロハシャツ全員分とフラ用の捲きスカート(ロンジー)も買おうと思っている。
テーマ:バリ島 - ジャンル:海外情報
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 「タップダンスのうまいのがいる」と調べてみたら川平慈英だった。
川平 慈英(かびら じえい、Jay Kabira、1962年生まれの47歳 )は、沖縄県那覇市
出身の俳優、タレント、スポーツキャスター、ナレーターである。また、熱狂的なサッカー
好きとしても知られ、サッカー関連番組のスポーツキャスターを多数務めている。
愛称:「ジェイカビ」。
母親は、アメリカ人。父親の川平朝清は元アナウンサー(琉球放送→沖縄放送協会→NHK)
で現在は昭和女子大学の職員。タレントでJ-WAVEのナビゲーターとして知られるジョン・カビラ
(本名・川平慈温)と元日本マクドナルドマーケティング本部本部長の川平謙慈
(現在シカゴ在住・鉄道関連会社勤務)は、実兄である。
「コツコツやるのはきらい」と言ってるほど派手好きである。
テーマ:ダンス - ジャンル:学問・文化・芸術
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 かってはハワイの国歌であり、今では州歌となっている「ハワイポノイ」は、「アロハオエ」
と同様、世界の名曲として広く人々に愛唱されている。
それは「ハワイポノイ」の作詞作曲をしたハワイ王朝7代目の王で、「メリー・モナーク」
の愛称でハワイアンに親しまれている カラカウワ王の作詞作曲によるもの。
人民には愛されていたカラカウワ王も政治には幼なすぎたようである。
詞の内容も力強いものになっている。

      HAWAII  PONOI

 誇り高きハワイの民よ
 王を崇め讃えよ
 この国を治める君主である王を
 われらの父なるカメハメハは
 自ら武器を手に戦い
 この国を守った
 
 誇り高きハワイの民よ
王を信頼せよ
 王の血は若き世代に受け継がれていく
 誇り高きハワイの民よ
 忠誠心に満ちた民よ
 これを心にきざめとどめよ
テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽
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菅原都々子と言えば昭和を代表する大歌手である。82歳になるが現役で各方面で
歌い続けている。
菅原 都々子(すがわら つづこ、1927年生まれ )は歌手である。
本名は永松 都々子(ながまつ つづこ)。旧姓は菅原。通称「エレジーの女王」。
非常に個性的なビブラート唱法が魅力で、数々の名曲を歌った。「NHK紅白歌合戦」
の記念すべき歌唱者第一号として広く知られる。
青森県上北郡三本木町(現・十和田市)に生まれる。父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎
(まるめろう)で、後に作曲家となる陸奥明。ただ、当時の陸奥は故郷に帰って新聞記者
をしていた。
9歳の時にオーディションのために1人で上京させられて、その際に古賀政男に認められた
ことから「古賀久子」の名をもらい養女となる。
1937年 - テイチクエンタテインメントで養父・古賀が作曲した『お父さんの歌時計』
でデビュー、同時に実父の陸奥も作曲家として上京。
1940年 -養子縁組は解消。父・陸奥のもとにもどって「菅原都々子」として再デビュー、
1945年 父の母校である東洋音楽学校を卒業。
戦後は田端義夫の前座を努めながら独特のビブラートの高音で少しずつ人気を得ていく。
「月がとっても青いから」が大ヒットにつながり歌手の座を不動のものに。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハーモニカの匠の技と言えば「八木のぶお」をあげることが出来る。
現在約500本のハーモニカを携え各地を演奏旅行している。
プロフィール・・・1952年東京生まれの57歳。
14 歳からブルースハープを独学で始め、クロマチック・ハーモニカを崎元譲氏に師事。
日本のフュージョン界をリードしたカーティス・クリーク・バンドで活躍し、
TV 「北の国から」「探偵物語」等のテーマ演奏も手がける。
90年代前半国内のライブ活動をはじめ、ニューオリンズ・ヘリテッジ・ジャズ・
フェスティバルへの 3年連続出演、ドクタージョン、ネビル・ブラザーズとスタジオ・
セッションでの共演、 3 週間に及ぶ東ヨーロッパ・コンサート(外務省後援・国際交流基金
主催)など、国際的な活動を展開。
また、北野武監督「 HANABI 」のサウンドトラック(音楽:久石譲)、サイトウキネンフェス
ティバル武満徹メモリアルコンサートにおける小室等との共演、世界的舞踏家田中泯をはじめ
とする各国アーティストが集まる「アート・キャンプ白州」でのパフォーマンスなど、ジャンル
を超えたその活動は新たなハーモニカファンを開拓し、筑紫哲也の TV 「ニュース 23」
のエンディングテーマ(詩・曲武満徹、歌石川セリ)での演奏はハーモニカの癒しのフレーズ
として多くの人々を魅了した。
これからも楽しみでもある。
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 落語界で好感を持っている人に「三遊亭好楽」さんがいる。
おなじみ「笑点」のメンバーでもある。芸は一流である。

1946年生まれの63歳。東京都出身。京華商業高校卒業。
昭和41年林家正蔵入門。前座名は‘九蔵’。
昭和46年二ツ目昇進
昭和56年 真打昇進
昭和58年師正蔵の死去により
三遊亭円楽門下に移籍。
三遊亭好楽に改名。
<出囃子>ずぼらん
師正蔵の‘鰍沢’を聞いて落語の世界に魅せられ入門。
古典落語に情熱を傾ける。得意ネタは‘抜け雀’
‘子別れ’‘綿の袈裟’‘蛇含草’‘肝つぶし’など。
ガン予防をテーマにした落語を発表したり、時事小噺
なども行ったりと情熱的に活動。
講演にも力を入れ、‘生きることの歓び’を伝えている。

これからも応援しているよ。
テーマ:最近のお気に入り - ジャンル:趣味・実用
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 ハワイアンの中で比較的きれいなメロディと言えば「マナクーラの月」を
あげることができる。
「マナクーラの月」とは1938年製作のアメリカの海洋スペクタクル・パニックの
古典映画ジョン・フォード監督の「ハリケーン」の舞台となった南太平洋の架空の島
の名前で映画の主題歌が『マナクーラの月(The Moon of Manakoora)』。
アルフレッド・ニューマンが書き下ろした。
白人に不当な扱いを受けるポリネシア人たちの現実の姿、彼らの男女の強い愛情を描
いた映画である。主演はジョン・ホール、ドロシー・ラムーアが好演している。
 ハワイ語でmanaは「魂、スピリチュアルなパワー、エネルギー」といった意味で日本
でいう「気」や「霊力」のこと。古代より自然崇拝であるハワイアンは自然のなかの
すべてのものにマナ(mana)が宿っていると言われ信じられている。
 kooraは亀(ホヌ)の甲羅のこと。ハワイでウミガメは神聖な生き物であり、
海の守り神・幸運の象徴として大切に保護されている。
 ハワイ語はローマ字読みができ日本語で使われている単語もあるようなので、
おそらくカメの甲羅(koora)のことかもしれません(?)
とにかくうっとりするような演奏をしたいと思っている。


テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽
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 ブンガワン・ソロと言う曲は我々のレパにもあるが、この曲を知っている人は意外
に多い。この曲はインドネシア民謡だと思っていた。この曲を日本全国にばらまいたのは、
1951年の作品である市川崑監督・池部良主演の映画「ブンガワンソロ」ということである。
スト-リ-は、1945年の終戦直前、ジャワのある村落に迷い込んでマラリアに苦しむ
脱走兵と村娘の悲恋を描いたもの。ブンガワン・ソロとはソロ川のこと。
 作曲者は「G・マルトハルトノ」でGはグサンのイニシャル。2004年11月の時点では
元気に活躍されている方のようである。ソロと言う場所に住んでいる。また、ソロ川のほとりに
グサン公園があって、ここにグサンの胸像が置かれているということである。
グサン・マルトハルトノとは 1917年中部ジャワ州ソロ(スラカルタ)生まれ。演劇や歌を
披露する楽団に参加し、第2次大戦中は日本軍の慰問団としてジャワ、スマトラ島各地で歌う。
80年に初来日、友好団体などの招待でこれまで5回訪日し、東京、横浜、大阪などで公演している。
 ブンガワン・ソロ(1940年の作品)は第二次世界大戦中、ジャワに侵攻した日本兵の
心をとらえた。戦後に松田トシが日本語詞をつけて録音し、日本で最もよく知られる東南アジア
の流行歌となり、オランダ、シンガポール、マレーシア、中国など各国で歌われた。
 クロンチョンは、スカルノ初代大統領が地方の民謡をクロンチョンにアレンジするなど、
ナショナリズムを高揚させる国民音楽として奨励。流行歌から学校で学ぶ「唱歌」となったが、
クロンチョンを代表するヒット曲であるブンガワン・ソロは、ジャズやディスコ風にアレンジされる
などして、歌い継がれている。

 ブンガワン・ソロ(松田トシ:作詞)

  ブンガワン・ソロ 果てしなき
  清き流れに 今日も祈らん
  ブンガワン・ソロ 夢多き
  幸せの日たたえ 共に歌わん
  
  聖なる河よ 我が心の母
  祈りの歌のせ 流れ絶えず
  花は咲き 花は散れど
  愛の誓いは とわに変わじ


  
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 ここでもう一度フラの歴史を学んでおこう。
世界一美しい踊りと言われるフラ。現在のフラの源流は、1000年前近くからあったと
言われる古代フラで、更に、この原点はマルケサス、タヒチ、トンガ、サモア等ポリネシア
各地の踊りと共通の起源を持つものと考えられており、これらがハワイに入りハワイの自然
観や宗教観の強い影響を受け、ハワイのフラとして独自に育った言われている。
ハワイの伝説・神話によれば、フラを最初に踊ったのはタヒチの酋長の「ラア」とも言われて
おり、また別の言い伝えでは、ラカ(ペレの妹でフラの女神と言われている)が、さらに、
ヒイアカ(同じくペレの妹)が半神のホーポエ(ヒイアカの親友・オヒアレフアの森の精)
から教わり踊ったのが起源とも言われている。いずれにしても、神々への礼拝の宗教儀式の際
に奉納されたもので、いわゆる古代のフラであった。このなかには限られた男性だけしか踊る
ことが許されないものもあった。
ハワイの島々は昔、文字がなく、口から口への言い伝え(オーラル トラディショナル)により
後世にいろいろの出来事を伝えた。その大きな手段が オリ(Oli 祈り・詩詠、一般的にチャント
とも言う)、メレ(Mele 踊りを伴う歌)であり、 フラ(踊り)であつた。神聖な自然に対する
信仰がハワイ文化の根底をなしており、多くの宗教的意味を持ち、自然をたたえ、神々に畏敬を捧げ、
美しい星、大きな海、綺麗な花になって踊った。また、男も女も求愛の踊りを踊った。
この古代フラの流れを受け継いできたのが、現在、古典フラと呼ばれるカヒコ(Kahiko)で、
チャンターが唱えるチャントと打楽器のリズムに合わせて踊るもので、ハワイの自然、神々、
王や酋長への賛歌である。
一方、日本で一般的にフラと呼んでいるのは、現代フラ(アウアナ='Auana)で、19世紀後半の
カラカウア王政以降に登場、ウクレレやギターの伴奏を従えた新しいスタイルのハワイアン
ミュージックに合わせ踊るものである。更に、観光的要素も加わり、ハワイ州をあげて力を入れて
おり、今では主流になっている。
従って、カヒコとアウアナでは、歴史の違いによるものが大きく、歌も踊りも歴然と異なっているが、
元々のカヒコの詩にアウアナのメロディーを乗せて現代風にアレンジしたものも多い。
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リバテイ・ジャズ
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 「リバティ・ジャズ・オーケストラ」の招待券を頂いたのでメセナホールへ出向く。
毎年開かれていて今年で15回になると言う。
須坂市在住のJAZZ好きが「須坂にBig Bandwo]の願いから有志が集い
1988年に結成された。1994年第1回コンサートを開催。
須坂市を拠点に活動。メンバーは18名でバンマスは井田義男が務める。

ゲストヴォーカルの「牧 さちこ」のプロフィール。
大学在学中よりジャズヴォーカルを始める。
1992年細野義彦カルテット、阿野次男トリオなどのライブに参加。
その後坂田稔カルテット、中部ジャズプロジェクト、角田忠雄グループ、
武田徹ジャミングキャッツなどと共演する。
2005年赤坂「フラット・ヴォーカルコンテスト」で優勝。
最近は長野市を中心にライブハウス、ホテル、パーティなどで活動中。

全体にレベルが高く、ヴォーカルも声量があり見応えのあるライブであった。
その後はファミリー忘年会として「村さ来」なる居酒屋で祝杯をあげる。
あとはおきまりのカラオケ「BANBAN]で楽しむ。
帰ったのは午前様であった。
とにかく眠い。
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NHK-BS2で放映していた「日めくりタイムトラベル」を偶然見た。
なつかしいハワイに関する映像が流れていた。
昭和36年と言えばアメリカはハワイを一大リゾート地として開発を始めたばかりである。
当時日本では誰もが海外へ行けるわけはなく、行くには約400万円が必要とされた。
「トリスを飲んでハワイへ行こう」をキャッチフレーズにしたサントリーは昭和39年に
解禁になるなで積立方式を行ったが当選者100人中実際にハワイへ行ったのは3人だけ
と言う結果に終わった。多くの人は現金を選んだようである。
またこの頃からハワイアンバンドが盛んになり約1000とも言えるバンドが乱立した。
現在有名司会者の「露木茂」は早稲田大学のナレオハワイアンズでMCとヴォーカルを
やっていた。
「徳光和夫」は立教大学でハワイアンバンドのMCを、「森本毅郎」は慶応大学で
同じくMCをやっていた。
プロバンドも盛んでバッキー白片や大橋節夫など周知の通りだ。
古き良きハワイアンの時代であった。
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 ハワイのカウワイ島に伝わるカヒコを踊る前に女神に捧げるオリ。
今回その内容が明らかになった。

Oll Noho ana Koakua

霧に閉ざされた神秘の向こう
山に住まわれる神々よ
どうか目覚めたまえ
この地はラカの神によって
平安と安らぎがあります
これからフラを捧げる踊り手が
あなたに導かれて清められ
無垢の体を持って踊ることが
出来ますようにお祈りします
ありがとうございます

ハワイ島に住むペレは
Maukeleで踊る
炎のダンスはブクブクと盛り上がり
のたうちながらPunaへ押し寄せ
土地をむさぼり食う
炎の舌は美しいPallullを舐め
ついには高い崖をもひと舐めにする
その恐ろしいダンスの響きは
マウイのKaululaauの土地まで聞こえる
我々の平和はどこにあるのだ
ペレに安らぎを
重く低くうねりながら
女神ペレの祭りは続く

テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽
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 スラッキ・キー・ギターについては諸説あるが、こわれたギターをそのまま
弾いたところ幻想的な音色だったことから始まったと言われる。
従って開放弦で弾くと言うのが基本であると言う。
その為チューニングが十数種類ある。
ハワイの名手シリル・パヒヌイを紹介しょう。
1950年オアフ島ワイマナロ生まれ。父親は偉大なるスラック・キー・ギター・マスターであり、
伝説的なミュージシャンとしてあまりにも有名なギャビー・"ポップス"・パヒヌイ。
7歳の頃からギターを弾き始め、15歳で独自のロックバンドを結成、父とも演奏を始める。
1968年に伝説のバンド、「サンデー・マノア」のオリジナル・メンバーとして参加。
その後軍隊に2年間入隊し、1975年にザ・サンドイッチ・アイル・バンドを結成。
パニニレコード社からリリースされた父のアルバムに全て参加。
1979年にピーター・ムーン・バンドのメンバーとなる。その後ソロ・アルバムをリリースし、
ナ・ホク・ハノハノ賞などを数々受賞。現在、後輩育成の為ワークショップなどで教える傍ら、
演奏活動も精力的にこなしている。
テーマ:バンド活動♪ - ジャンル:音楽
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 初孫が生まれて早8ケ月たちました。
向こうの両親を交え会席料理でお祝いしました。
この子の両親が大きく母親はバスケの選手で170センチ、息子は180センチ以上あるので
きっと大きくなることと思う。
頭の毛がうすいのが気にかかる。
手が大きい為ピアノなどどうかと言っておきましたが夢はふくらむ一方。
今からぼんやり期待しております。
テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ
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 元デュークエイセスのメンバーで病気療養中であった飯野知彦さんが亡くなった。
飯野知彦(いいの・ともひこ)さんは11月20日午前10時、胃がんのため埼玉・所沢市内の
病院で死去していたことが1日、分かった。56歳だった。
飯野さんは昨年胃がんが発覚。治療を受けて回復したものの、今年6月に自宅で倒れ入院。
長期療養が必要と診断されたため、7月にデュークを脱退した。治療を続けながら復帰を目指して
いたが、その願いはかなわなかった。最期は最愛の妻、裕子さんに看取られ、天国へ旅立った。
関係者によると、11月25日に近親者だけで葬儀・告別式を済ませ、裕子さんが喪主を務めた。
お別れの会は未定。
デュークエイセスは1955年に結成され、ダークダックス、ボニージャックスと並ぶ、日本を
代表するコーラスグループ。「いい湯だな」「女ひとり」などのヒット曲を歌ってきた。
飯野さんは、90年に脳内出血で死去した初期メンバー、谷口安正さんの後任として91年に加入、
トップテナーを担当。最後のステージは5月21日、大阪厚生年金会館で行われた
「BS日本・こころの歌」の公開収録だった。
ご冥福をお祈り致します。
テーマ:ボーカロイド - ジャンル:音楽