
グサン・マルトハルトノさん(インドネシアの名曲「ブンガワン・ソロ」の作者)
が20日、インドネシア・ジャワ島ソロの病院で死去、92歳。
同国のポピュラー音楽クロンチョンの歌手として10代から活躍。
地元のソロ川の雄大さを題材にブンガワン・ソロを作詞・作曲した。
第2次大戦中は旧日本軍の慰問団に加わりジャワ島各地を回った。
ブンガワン・ソロは1947年、松田トシさんが日本語の詞で歌って大ヒットした。
1917年中部ジャワ州ソロ(スラカルタ)生まれ。演劇や歌を披露する楽団に
参加し、第2次大戦中は日本軍の慰問団としてジャワ、スマトラ島各地で歌う。
スカルノ政権時代の63年、政府の文化使節団として中国、北朝鮮を訪問。
80年に初来日、友好団体などの招待でこれまで5回訪日し、東京、横浜、
大阪などで公演している。92年、スハルト元大統領から文化勲章を受章した。
クロンチョンのほか、ジャワ語で歌われるランガム・ジャワなど44曲を作詞作曲。
ソロ市内の自宅で妹、弟の家族とともに暮らしていた。
戦前から歌い継がれているクロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」の作詞・作曲者
として知られるグサン・マルトハルトノさんが一日、中部ジャワ州の古都ソロから
ジャカルタを訪れ、全作品の歌詞や楽譜、歌の背景などを編さんした豪華本
「国民的作曲家シリーズ第一巻・グサン」の出版記念会に出席した。日本人にも古き
良き南国歌謡として、愛されてきたブンガワン・ソロだが、時代とともにそのような
イメージも変わりつつある。グサンさんは「若い世代の日本人にも、日イ友好のシン
ボルとしてブンガワン・ソロを歌い継いでほしい」と期待する。
クロンチョンは、スカルノ初代大統領が地方の民謡をクロンチョンにアレンジするなど、
ナショナリズムを高揚させる国民音楽として奨励。流行歌から学校で学ぶ「唱歌」
となったが、クロンチョンを代表するヒット曲であるブンガワン・ソロは、
ジャズやディスコ風にアレンジされるなどして、歌い継がれている。
グサンさんは「どんなスタイルで演奏するのも、その音楽家の自由。ただ、
時代の流れとともに、クロンチョン特有のリズムはすっかり失われてしまった」
と寂しげな表情を見せる。
日本軍の慰問団として各地を巡演したグサンさんは、八〇年代にグサン基金協会を
設立した元日本兵らとの交流も続けていたが、近年は途絶えがちだという。
「最も親しかった元日本兵の友人はもう亡くなってしまった。しかし、
ブンガワン・ソロが好きになり、わざわざソロの自宅まで私に会いに来てくれる日本人
もいたと言う。