Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 堀内 孝雄(1949年生まれの61歳 )は、歌手、作曲家。
アリスのメンバー。愛称は「ベーヤン」。大阪市阿倍野区出身。
1971年に谷村新司と堀内孝雄で矢沢が合流することを前提に
「アリス」を結成。翌年シングル「走っておいで恋人よ」でデビュー。
同年に矢沢が正式に合流し、晴れて現在のアリスとなる。
「遠くで汽笛を聞きながら」「冬の稲妻」「ジョニーの子守唄」
「夢去りし街角」「秋止符」など、数々の曲を生み出した。
1980年代には、「堀内孝雄&ケインズ」を結成し、
「逆光線」等リリース。後半からは徐々に演歌路線
(ニューアダルトミュージック→演歌ポップス→演歌)へ転向。
実兄は奈良市近鉄大和西大寺駅前でお食事処を経営。
その後はテレビ、舞台でも活躍している。
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テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 岩谷 時子(1916年生まれの94歳 )は兵庫県西宮市出身の日本の
作詞家である。歌手・越路吹雪のマネージャーを務めたことでも知られる。
京城(現在のソウル特別市)生まれ。5歳の頃に西宮市に移住。
西宮市立西宮高等学校を経て神戸女学院に進学。1939年神戸女学院大学
英文科卒業後、宝塚歌劇団出版部に就職。月刊誌『歌劇』の編集長を務めた。
そうした中、偶然編集部にやってきた当時15歳の越路吹雪と出会う。
二人は意気投合し、越路の相談相手となる。越路が宝塚を退団して歌手になり
たいと相談したとき、岩谷も退職を決意。共に上京し、越路の付き人を務めた。
東宝文芸部に所属。会社員として働く傍ら越路をサポートし、越路が死去する
までの約30年間、マネージャーとして強い信頼関係で支え続けた。しかし、
あくまで「越路が好きだから支えていた」という岩谷は、越路が亡くなるまで
マネジメント料としての報酬は1円も受け取らなかった。
越路が歌うシャンソンの訳詞を手掛けたのきっかけとして作詞家・訳詞家とし
ても歩み始める。ザ・ピーナッツ『恋のバカンス』や加山雄三『君といつまでも』、
ピンキーとキラーズ『恋の季節』、園まり『逢いたくて逢いたくて』など数多く
のヒット曲を生み出してきた。
その後の活躍は周知の通り。現在でもミュージカルを中心に作詞家活動を行っている。
テーマ:音楽 - ジャンル:音楽
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 徳永 英明(本名同じ、1961年生まれの49歳)は、日本の
シンガーソングライター、作曲家、俳優。福岡県柳川市生まれ。
デビューのきっかけを求めて22歳で俳優養成学校TBS緑山塾に入る。
乃木坂の喫茶店でアルバイトをしながら、デモテープ製作を行う。
1985年マリンブルー音楽祭でグランプリを受賞したことが
きっかけでデビューが決まる。
1994年元モデルの女性との結婚を発表。そして2児の父親でもある。

1997年、進むべき道を見失い、原点に戻る意味でシングル
「Rainy Blue 〜1997 Track〜」をリリース。ベストアルバム
『Ballade Of Ballade』もリリース。初のバラードコンサートを行う。
1998年「もやもや病」にかかり、スペインに単身で渡り、
充電期間を過ごす。その後は順調に歌い続けている。
ボクの好きなタイプの歌手でもある。

もやもや病とは・・・
もやもや病(moyamoya disease)は、脳底部に異常血管網がみられる
脳血管障害。脳血管造影の画像において、異常血管網が煙草の煙のように
モヤモヤして見えることから、日本人研究者により「もやもや病」
と命名された。
日本でのかつての正式名称は、ウィリス動脈輪閉塞症
(ウィリスどうみゃくりんへいそくしょう)。


テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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川上 徹。1963年生まれの47歳。東京都出身。桐朋学園高校音楽科、
桐朋学園大学音楽学部を経て、アメリカのジュリアード音楽院、
シンシナティ音楽院、、ハンガリーのリスト音楽院にて更なる研鑽を積む。
帰国後、直ちに仙台フィルハーモニー管弦楽団首席チェロ奏者に就任。
また朝比奈隆指揮のオールジャパン・オーケストラの首席チェリストに
抜擢され、高い評価を受けた。さらに神戸室内合奏団の首席チェリスト
にも就任。1998年より小澤征爾氏の要請により新日本フィルハーモニー
交響楽団の首席チェリストに就任。また、九州交響楽団客員首席チェロ奏者
をも務めている。これまでに国内外でソリスト、室内楽奏者として幅広い
活動を行っている。
日本室内楽コンクール第2位、ロンドン国際弦楽四重奏コンクール特別賞、
宮城県芸術選奨新人賞等を受賞、英国ではメジャー音楽誌に取り上げられ
高く評価された。オーケストラの首席、ソリスト、室内楽奏者としてその
豊かな才能を存分に発揮し、非常に高い評価を得ている。また演奏会の企画
なども積極的に手がけており、多方面にわたって活動を展開している。
チェロを故井上頼豊、ザラ・ネルソバ各氏に師事。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 中欧3ヶ国から帰国しました。

◎スケジュール
成田→スイス(チューリッヒ)約12時間→ハンガリー(ブタペスト)→
世界遺産の聖イシュトヴァーン大聖堂、マーチャーシュ教会、漁夫の砦、
王宮、くさり橋など見学→オーストリア(ウィーン)→世界遺産
ハプスブルグ家の栄華を今に伝える王宮、ベルベデーレ宮殿、シュテファン
寺院など見学→チェコ(プラハ)
→プラハ城、カレル橋、ボヘミア王国の遺跡、聖バルバラ大聖堂など見学→
スイス経由→成田

◎感想
・日本の北海道より上の緯度にあるため、寒くてカイロが必需品であった。
・予想していたより街はきれいでハイテクも進んでいる。
 但し、庶民の暮らしは日本の70%位であると言う。
・夫々の国で過去政治的な動乱があったが、それらを克服してヨーロッパ
 全体が古いものを大切にする風情が表れている。
・国が違っても「親密協定」が結ばれている為、スムーズに行き来できる。
 いわゆるボーダーレスがかなり進んでいる。
 但し貨幣制度が違うためかなり面倒だ。
・この3ヶ国だけでも日本人は数千人いて、大半が音楽の勉強だと言われている。
 がしかし言葉の壁もあって卒業できるのはごく一部であると言う。
・とにかく初めての国であったが感動の連続であった。
・お土産と言ってもこれと言うものがなく、スチールギター用のバー、ピックを
 入れるヴィトン(?)のポーチを買いました。
テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:海外情報
ハンガリー

 明日20日(土)からヨーロッパ3ヶ国(ハンガリー、オーストリア、チェコ)
へ行って参ります。
帰国は26日(金)となります。
その間ブログはお休みとさせて頂きます。
お土産話をお聞かせいたします。お楽しみに!
特にウィーンの音楽の街に浸って来ようと思っております。
テーマ:中欧 - ジャンル:海外情報
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 星野哲郎(本名:有近哲郎、1925年 - 2011年)は日本の作詞家。
山口県大島郡周防大島町出身。
長男はシンガーソングライターの有近真澄。
1946年東京海洋大学卒業。翌年、日魯漁業に入社、遠洋漁業の乗組員となる。
しかし就職して数年後、腎臓結核のために船を下りざるを得なくなり、
郷里周防大島にて4年にわたる闘病生活を余儀なくされる。
1953年 雑誌「平凡」の懸賞に応募した詞が入選したことをきっかけに
作詞家の道を歩み始める。その後の活躍は周知の通り。
生涯4.800曲あまりを作詞したとされる。
1996年社団法人日本作詩家協会の会長に就任。
2000年 勲三等瑞宝章受章。
2010年11月15日、85歳にて逝去。
ご冥福をお祈り申し上げます。
テーマ:歌詞&PV - ジャンル:音楽
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 河島 英五(1952年 - 2001年)は日本のシンガーソングライター、
俳優。大阪府東大阪市出身。長女・河島あみる、は歌手・タレント、次女・
河島亜奈睦(アナム&マキ)、長男・翔馬も歌手。
男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、
時代を越えて男の共感を呼び、歌い継がれている。 若いころにギターを
持って世界を放浪し、庶民の暮らしに触れ、音楽を通して共に喜怒哀楽を
共有し合った経験が、河島英五の音楽の礎を築いている。
コンサート活動では、大都市だけでなく山間部や僻地でも行い、音楽を通じ
てファンと交流することに主眼を置いた。
「男らしさ」にこだわった歌詞の真意が女性には理解し難いといったきらい
もあるが、一本気で豪快でありながら、繊細で優しい人柄と生き様は誰からも
愛され、年代を超えて「男が憧れる男」として同時代を生きた人々の記憶
刻み込まれている。
1970年代に河島英五とホモ・サピエンスを結成して、京都レコードから
デビュー。グループ解散後ソロ活動開始
代表曲は「酒と泪と男と女」。この歌は河島が中学生のとき、彼の父の姿を
見て作曲したものである。萩原健一がカバーし、テレビの歌番組等で歌って
いたが、同じ頃、河島の歌唱版が京都・伏見の清酒メーカー・黄桜酒造の
CMソングとして使われるようになると全国的なヒットとなり、河島自身も
全国的に名が知られるようになった。
長女・河島あみるの結婚式に参列後の2001年、肝臓疾患のため急逝した。
享年48歳。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 竹井誠、1956年生まれの54歳。東京生まれ。埼玉大学理工学部数学科卒。
在学中より日本音楽集団(和楽器アンサンブル)に尺八奏者として所属。
入団後、篠笛、能管、竜笛に取り組む。尺八を藤崎重康、宮田耕八朗、
笛を望月太八に師事。1980年代後半より邦楽囃子笛方(長唄、歌舞伎、
日本舞踊など)としての活動を開始し、このジャンルで一時、「望月太八次郎」
を名乗るが、2005年芸名を返上し、独立する。
一方で、数少ない笛・尺八兼任奏者として日本音楽集団、林英哲(大太鼓奏者)
グループ等で十数回の海外公演。ライブシーンで林英哲、山下洋輔(ジャズピアノ)、
伊藤多喜雄(ロック民謡)、仙波清彦(マルチパーカッション)、
三橋美香子(ボーカル)、堀越彰(ドラムス)等のユニットに参加。
スタジオミュージシャンで演歌、民謡、CM、劇中音楽等のレコーディング多数。
最近のライブシーンでは竹の香りのするフルート、ピッコロも披露
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 安井 かずみ(1939年 - 1994年、本名:安井一美)は神奈川県横浜市
出身の作詞家、訳詞家、エッセイスト。愛称はズズ(ZUZU)。
初期のペンネームは みナみカズみ。
数々の有名人からも人望が厚く、信仰の厚いクリスチャンでもあった。
フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。女流画家を目指していたが、
在学中にみナみカズみのペンネームで神田のシンコーミュージックで
アルバイトで訳詞をしたことがきっかけで作詞家となる。フランス語の訳詞が
できる数少ない語学力と独特の発想による歌詞世界で知られる。
1965年、伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で第7回日本レコード大賞
作詞賞を受賞。以降、小柳ルミ子の「わたしの城下町」など数々のヒット曲
を送り出し、多くの賞を受賞した。作詞した作品の総数は約4000曲にものぼる。
1977年には、安井より8歳年下でミュージシャンの加藤和彦(後に63歳で自殺)
と再婚。優雅なライフスタイルで公私ともに行動を共にし、憧れの夫婦として
支持された。コンスタントにエッセイストとしても活動したが、
1994年肺癌のため55歳の若さで逝去。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 アメリカはニューヨークのブルックリン地区の倉庫街にその
ライブハウスはあった。
ここには20あまりのライブハウスがあり、約100のバンドが
連日ライブを行っている。客席は毎回満席である。
その熱狂ぶりな何なのか?
ライブハウスといっても使われなくなった倉庫内に簡単なステージ
を作っただけのシンプルなものだ。
この形態を「Do It Youself Rock」通称DIY ROCK(ドイロック)
と呼んでいる。
発案者のトッド・パトリックはこの理由について「企業が売る音楽は
ビジネスが目的で面白さがない。それに比べてこのDIYは考えもしない
ことが現実に起きる。草の根の音楽を追求したいのだ」と言う。
アメリカの法律ではライブハウスへの入場は21歳以下禁止となっている。
ところがDIYは年齢制限がない。しかも通常のライブハウスのチケット
は最低でも30ドルはするが彼らは10ドルに抑えているのも人気の理由だ。
宣伝媒体としてはインターネットのYou Tubeや広告を掲載した
Show Paper(10,000部)などをコンビニなどに
無料で配布している。
このアマチュア集団からプロのバンドに転向し、メジャー入りしたバンドもある。
定期的に彼らを招いてライブを行っているがチケットは即完売であると言う。
今後は専用のスタジオを模索している。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 堀江 美都子
(ほりえ みつこ、本名・浅見 美都子 1957年生まれの53歳 )は、
日本の女性歌手、声優。愛称はミッチ。
歌手としての代表曲は、『キャンディ・キャンディ』主題歌
「キャンディ・キャンディ」、『花の子ルンルン』主題歌
「花の子ルンルン」、『超電磁マシーン ボルテスV』主題歌
「ボルテスVのうた」など。声優としての主な担当キャラクターには、
『愛少女ポリアンナ物語』のポリアンナ、『Dr.スランプ アラレちゃん』
のオボッチャマンなどがある。
近年でもライブ活動、ファンの集いなどを精力的に行っている。
50歳を迎えた後も第一線で活動しており、『風の少女エミリー』では
主題歌を担当した。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 柳 ジョージ(本名:柳 譲治、1948年生まれの62歳 )は、
日本のミュージシャン。神奈川県横浜市南太田出身。日本大学法学部卒業。
神奈川県横浜市出身。父親はサラリーマンで、「典型的な中流階級」
の家に生まれ育つ。中学時代、ザ・ベンチャーズに影響されギターを始めた。
日大在学中は全共闘による学生運動が最も激しかった頃。この頃"クリーム"
などニューロックに影響され、在学中の1969年、ブルースロックバンド
「パワーハウス」を陳信輝らと結成した。1970年、ザ・ゴールデン・
カップスの後期メンバー(ベーシスト)として加入。
1079年のアルバム『RAINY WOOD AVENUE』はオリコンアルバムチャートで
初登場1位を獲得するなど高い人気を得た。
1980年日本武道館で初のコンサート。
以後はソロアーティストとして活動を継続中。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 森繁 久彌(1913年 - 2009年)は、日本の俳優、コメディアン。
1934年に早稲田大学商学部へ進学。在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉
や山本薩夫と共に活動。この頃に萬壽子夫人と知り合う。その後、山本らが左翼
活動で大学を追われてからは部の中心的存在となりアマチュア劇団に加わり築地
小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演した。
1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。長兄の紹介東京
宝塚新劇団へ入団。その後は日本劇場の舞台進行係を振出しに東宝新劇団、
東宝劇団、緑波一座と劇団を渡り歩く。下積み時代は馬の足などしか役が付かな
かった。日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を務めた時、藤山に頼み込み通行人の
警官役で舞台に立つも全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた。座長の古川ロッパ
に認められた緑波一座では、盟友となる山茶花究と出会う。
1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。満州電信電話の放送局に
勤務。満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。甘粕正彦とも交流があった。
1939年、長男(元俳優の森繁泉)誕生。
1950年、NHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』に倣ったラジオ番組
『愉快な仲間』を放送。メインの藤山の相手役のコメディアンとして抜擢され、
『愉快な仲間』は2人のコンビネーションが人気を呼び、3年近く続く人気番組
となった。この放送がきっかけで映画や舞台に次々と声が掛かり、一躍人気タレント
となった。1953年からマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに三枚目
の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げ
るまで大活躍する。
ラジオやテレビでのトーク番組・バラエティ番組等では、その独特な話り口が
「森繁節」として親しまれた。舞台では1959年より「森繁劇団」を結成し、
持続的に演劇活動を行う。またミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』は
900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じ、彼の代表作となった。
その後の活躍は周知の通り。
2009月11月10日東京都内の病院で老衰のため死去。96歳。
日本政府は大衆芸能の発展に尽くし、多くの人材を育てた生前の功績を多とし、
森繁久彌に対し、従三位に叙すると同時に国民栄誉賞を授与する閣議決定を行った
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ウクレレブームが反映して一時期ブームを作った牧伸二の
ウクレレ漫談がアマチュアの間で再びブームになっている。
牧伸二と言えばもうすでに70代後半になっている。
中学を出て温度計を作る会社に就職、夜は定時制の高校に
通った努力家でもある。
しかしお笑いの世界をあきらめきれず、漫談の牧野周一に弟子
入りするもなかなか芽が出ず「あ~やんなっちゃった、
あ~やんなっちゃった」と口ぐせになった。それを聞いた牧野周一が
これをヒントにしてウクレレを持たしたのだと言う。
原曲はハワイアンナンバーの「タフ・ワフ・ワイ」で、
もともとラブソングだったのをある時戦いの歌に変わりリズムも
早くなったのだ。
このYouTubeに登場するウクレレ漫談は多少下ネタがあるが気にならない。
難しく考えず楽しめばいいのではないか。ではごゆっくりドーゾ。



テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 You Tube(動画サイト)を偶然見ていたら同じ仲間のバンドが出てきた。
「酒井勝敏&アロハ・ハワイアンズ」である。(すごい名前つけたね)
以前の名前は「ホア・アロハ」かな。
どの人も見覚えのある人達。スチールギター、ウクレレ、ギター・
キーボード・ヴォーカルなどなど。
しかしこのフラダンサーはどこのハラウですかね。笑顔がいいなあ。
ステージは「ながの東急ライフビアガーデン」だ。この夏に収録したのだと思う。
我々も頑張らなければ。


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 西城 秀樹(本名:木本 龍雄(きもと たつお)、1955年生まれの55歳)
は広島県広島市出身の歌手・俳優である。
父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通ってドラムを勉強した。
5年生の時に兄とエレキバンドを結成。高校時代はジャズ喫茶でバンド出演時に
スカウトされる。家出同然で広島から上京。明大中野高等学校定時制へ転校し、
マネージャー宅に居候しながら、歌、芝居、踊りのレッスンを続けデビューの
チャンスを待った。
1972年ビクター音楽産業よりシングル「恋する季節」のキャッチフレーズと
共に歌手デビュー。片仮名の「ヒデキ」の愛称で人気となる。「チャンスは一度」
以降、マイクを持って直立不動の姿勢による歌い方が主流であった歌謡界に
アクション旋風を巻き起こす。
その後「情熱の嵐」がオリコン週間チャートで初のベストテン入りとなり、
一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」
と呼ばれる。
2001年会社員であった現夫人と結婚。2002年、長女誕生。2003年長男誕生。
2003年、85枚目のシングル「粗大ゴミじゃねぇ」発表直後、公演先の韓国で
脳梗塞を発症するも、闘病の末復帰し、その後の活躍は周知の通り。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 和田 アキ子(1950年生まれの60歳)は、日本の歌手、タレント、
女優、司会者、実業家である。在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化。
本名:飯塚 現子(いいづか あきこ、旧姓:和田)。
15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。長身から発せら
れるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ社長直々にスカウトされる、
当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮
で活動していたが実際にデビュー出来たのはボーカルの和田とオルガンの夏
のみであった。
1968年「星空の孤独」でレコードデビュー。キャッチ・コピーは
「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。このデビュー曲は話題にならな
かったが、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、人気歌手の仲間
入りをした。
1986年、歌手として紅白に1978年以来8年ぶりに出場。以後、
連続出場中。また紅組司会も務める。
2007年、東京・西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。和田はプロデュース
のみを行い、和田の弟が経営をしている。
1976年にプロモーション会社社長と結婚したが、8か月で離婚。その後、
現在の夫であるカメラマンの飯塚浩司と再婚。その直後、子宮ガンが元で子供
が出来ない身体となり、それを理由に離婚を求めたことがあるが、夫は
「子どもが欲しくて結婚したのではない」と言った。その後も、飯塚とは現在に至る。
このため、姪や和田のマネージャーの子供らとの親交が深く、家族同然のつき
あいをしている。 また発展途上国の恵まれない子供たちに、国際ボランティア団体
の里親制度に長年登録、支援をしている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 音楽仲間から現在使用しているミキサーを使わなくなったから譲ると
言われ二の返事で承諾する。
と言うのも我々が現在使用しているのはテスコのビンテージ(?)もので、
いつ壊れてもおかしくない状態だ。
目的はサイド(ギター、ウクレレ、ベースなど)をラインアウトにして
ここに集中させ、それを1本化して本ミキサーに繋げると言うもの。
ステージによってはPAがあればこのミキサーだけで使える。
従ってエフェクターなどの機能はなくても良く、パワードミキサーで
なくても良い。
実際モノを見てみると状態も良く、しかもYAMAHA(MG-102C)のブランド
である。小型(30Cm×26Cm)で持ち運びに便利なのも良い。
最大6チャンネル使える。
さて次回のライブが楽しみでもある。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
ささや1
ささや2
ささや3

 東信ハワイアン愛好会の「ハナレイ・ハワイアンズ」よりライブ情報が
寄せられました。
10月20日(水)上田市ささやホールでのライブの様子です。
今回の衣装はシックでいいですね。品があります。見たかったなあ
テーマ:おすすめ音楽♪ - ジャンル:音楽
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 平尾 昌晃(1937年生まれの73歳 )は作曲家、歌手。
幼少時にたびたび改名し、初期の芸名・昌章を経て、現在は現芸名を本名
にしている。
茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山ら
と知り合う。 慶應義塾高等学校を中退後、ウエスタンの人気バンド
『チャック・ワゴン・ボーイズ』に入る。しばらくして、
『チャック・ワゴン・ボーイズ』はボーカルの小坂一也が脱退したため、
『オールスターズ・ワゴン』となる。
1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た
渡辺プロにスカウトされ同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』
に出演。自身としても、1958年キングレコードより「リトル・ダーリン」
でソロ・デビュー。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と
「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な
大人気を博した。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバー
である「星は何でも知っている」、翌年には「ミヨちゃん」が大ヒット。
その後も、作曲家として非凡な才能を発揮していたが、結核で長期間の休養を
余儀なくされる。1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス
調まで様々な作風の曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供
している。作詞家山口洋子とのコンビはこの時代を代表する
ゴールデン・コンビとして知られている。
現在は音楽活動のみならず、ボランティアにも力をいれて施設の訪問などを
行っている。またチャリティゴルフの企画等、幅広く活躍。
2001年、モンブラン国際文化賞受賞。2003年、紫綬褒章受章。
2004年に歌手デビューを果たした平尾勇気は3男。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 三船和子(1947年生まれの63歳、本名:緒方一子)は、
日本の演歌歌手。「他人船」や「だんな様」のヒットで知られる。
愛知県一宮市出身。夫は歌手の辰巳晴也。
松山恵子に憧れて歌手を志す。
1965年、新しく誕生したミノルフォンから、その”第1号”歌手として、
ベトナム戦争の反戦歌「ベトナムの赤い月」でデビュー。
「他人船」がヒット、売上は10万枚を超えた。

1968年、乗車していたタクシーがガードレールと信号の鉄柱に衝突する
交通事故に遭遇、鞭打ち症の後遺症で声が出なくなり、引退に追い込まれる。
その後のリハビリで徐々に声を回復してゆく。
1983年、東芝EMIから「だんな様」で再デビューを果たす。
1992年、松尾芸能大賞歌謡芸能音楽賞を受賞。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年- 2006年)は、日本の作曲家・
編曲家。和製ポップスの開拓者の一人であり、1960年代のスター、
ザ・ピーナッツの育ての親として数々のヒット曲を輩出し、他歌手にも楽曲
を提供するなど、日本ポップス界に大きな足跡を残した。
学生時代はハワイアンバンドを結成していた。
目立ちたがり屋で笑いが大好きな性格から、自らも積極的にTV番組に出演。
ピアノを伴奏しながらも、タレントに負けず劣らずの積極性で笑いをとって
いた。「シャボン玉ホリデー」の音楽担当時、ハナ肇からクレージーキャッツ
に誘われ、本人もその気になったが、渡辺プロダクション社長の渡辺晋と妻の
美佐に反対されて挫折したエピソードを持つ。1972年の「第23回NHK紅白
歌合戦」では教え子のザ・ピーナッツとの共演で派手なパフォーマンスの指揮
で出場したが、一部の歌手からは「自分より目立ちすぎ」と言われたこともある。
1993年から2005年まで蛍の光を指揮した際もその派手なスタイルは変わ
らなかった。また本人も自覚していたが、歌を唄うのは得意ではなかった。

「マツケンサンバII」で有名になった作曲家・編曲家の宮川彬良(本名:晶)
は長男である。孫の安利は高校生ながらミュージシャンの道を歩んでいる。
2006年虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅にて急逝した。
享年75歳。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ビッグ・アイランドと呼ばれるハワイ島ケアウホウには一族の庭とされる
広大な庭園がある。ここがカメハメハ3世の生誕の地とされる。
カメハメハ3世(Kamehameha III, カウイケアオウリ Kauikeaouli
1813年 - 1854年)は、ハワイ王国第3代の王。
30年にわたる在位であった。
1825年、兄カメハメハ2世の死を受けて即位。1832年までは母
カアフマヌが摂政を務めた。カアフマヌはカメハメハ2世に洗礼を施し、
ハワイの伝統的信仰を廃するなどしている。
当時ハワイは重要な捕鯨地域として、また砂糖の産地として注目されていた。
こうした中、カメハメハ3世は王国の改革に努め、1840年にハワイ語の
憲法を制定し、1840年代半ばにはイギリス、フランス、アメリカから
独立国として承認された。しかし、憲法制定後の政府では白人が要職を握り、
ハワイ人が主体的に政治参加することが妨げられていた。近代的な土地制度
も導入されたが、私有観念の希薄なハワイ人が土地を失う結果に終わった。
1854年死去、甥のカメハメハ4世が跡を継いだ。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 村治 佳織(むらじ かおり、 1978年生まれの32歳 )は、
日本のギタリスト。同じくギタリストの村治奏一は実弟。
3歳頃からギターを父・村治昇に師事する。10歳からはクラシック
ギタリストの福田進一に師事。その後のジュニア・ギターコンテスト
最優秀賞受賞。その後数々の賞を獲得し、1993年にデビュー
リサイタルを開催。1996年にはイタリア国立放送交響楽団の定期
演奏会に招待されヨーロッパでのデビューを飾った。
1997年からフランス・パリのエコールノルマル音楽院へ留学。
アルベルト・ポンセに師事。以降パリでの活動。その後スペインに渡り
一年のうち6ケ月位はスペインで過ごす。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 千 昌夫(本名:阿部健太郎、1947年生まれの63歳 )は演歌歌手。
プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員。
1965年、作曲家遠藤実に入門。「君が好き」でデビュー。
「星影のワルツ」が1967年秋頃より大ヒット、ミリオンセラーとなり、
1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場する。その後「君がすべてさ」、
「アケミという名で十八で」「懐かしの人」などが10万枚を超えるヒット
となる。
1972年、アメリカ人歌手ジョーン・シェパードと結婚したが1988年
に離婚した。後に18歳年下の外国人女性(アマンダ夫人)と再婚し、
3人の子供をもうける。次女のダニエラは2009年に芸能界にデビュー
している。
1977年発売の「北国の春」が大ヒット、2作目のミリオンセラーとなり、
日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」
「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれ、歌手としての黄金
時代を迎える。
その後不動産関連事業を行ったが、バブル崩壊で経営破たんで多額の借財が
あったが民事再生法などで返済額は大幅に減額されている。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽