Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 ◆マウイ・オニオン
マウイの西地区にクラと言う街がある。一面に広がる玉ねぎ畑。
マウイ・オニオンの栽培が盛んだ。従事しているのは殆んどがフィリピン
からの移民で数千人はいると言う。
ハワイに住んでいる人でもあまり食べたことののないタマネギ、殆んどが
アメリカ本土で消費される。残念ながら日本には入ってこない。
一番おいしいものをアメリカ人は食べる。
これはどこの国でもそうであるが、例えばオーストラリアなどのマトン(羊肉)
はラム(若い肉)、ホゲット(柔らかくておいしい)、マトン(成肉)とあるが
オーストラリアでは一番おいしいホゲットを食べていて外国には輸出しないのだ。
普通のタマネギより少し小ぶりであるが、世界的に有名なその甘くとろける
ようなタマネギはドレッシングやポテトチップの味付けに使われたりしているが、
レストランの中にはステーキ風で出しているところもあるくらいだ。
ハワイ各地の空港でも売っているようだ。
この玉ねぎには2種類あり、一つには夏に実ると言う「1015」と冬に実る
「イエロー・グラネックス」がる。それぞれ特徴がありこれは好みになると言う。
またマウイでは年2回「マウイ・オニオンフェスティバル」が行われる。
マウイの特産、マウイ・オニオンをとことん楽しもうというお祭りで、今年でもう
15回を迎える。ホエラーズ・ビレッジで開催されている。
内容はオニオン早食い競争やレシピコンテストが予定されているが、マウイの
シェフたちのマウイ・オニオンを使ったお料理のデモンストレーションが楽しみ
と言う人もいる。
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テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 内藤 敏子は、チター演奏家。アジアで唯一のチター・アカデミーである
内藤チターアカデミー主宰。
武蔵野音楽大学短期大学弦楽科卒業(バイオリン専攻)。卒業後はスイスに留学。
チターとバイオリンの共演がきっかけとなり、チターの魅力を知る。
チューリッヒにて十数年間、チター界の実力者として名高いJ.コーザに師事。
アントーン・カラスやルーディ・クナーブルからもレッスンを受ける。
また並行して演奏活動。スイスにてチター演奏家として、またチター教育者
としての資格を取得。
親交のあったアントーン・カラス家からは映画「第三の男」に関する多くの
未公開資料を託され、著書『激動のウィーン「第三の男」誕生秘話―チター奏者
アントン・カラスの生涯』を出版する。
帰国後は、日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団をはじめとする
オーケストラとの協演、「名曲アルバム」、「題名のない音楽会」などテレビ、
ラジオなどにも出演。ソロコンサートや講演会も行う。一方で東京・埼玉・神奈川・
香川の教室にて後進の指導にあたる。日本チター協会会長。
秋篠宮妃紀子のチターの先生としても知られている。

チターとは・・・
チターは、主にドイツ南部、オーストリア、スイスなどでよく使用される弦楽器。
日本の箏(琴)に似た形状をしているが、長さは短い。約30本の伴奏用弦と
5~6本の旋律用のフレット付き弦が張られている。これを親指につけた
プレクトラムと呼ばれる爪を使って弾く。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイはマウイ島に伝わる伝説の神話がいくつも伝えられている。
マウイとは神の名前で女神である母と人間である父とに出来た子とされている。
そのマウイに課せられた仕事がこの島に太陽を一杯浴びせることであった。
これにより今もマウイは世界でもまれに見る太陽が降り注ぐのだと言う。
このマウイの郊外にある「ハナ」と言う小さな町にチャンターである
「ジョン・レイク」とその娘でクムフラの「シッシイ・レイク」がいた。
ジョン・レイクは古代ハワイの大酋長「ピイラニ」の血を引く由緒ある家柄でもある。
チャンターとは祈りをささげ神に許しを請うのだ。
ハワイ語でマラマ・アイナとは土地を敬愛すると言う意味なのだ。
そして「ピイラニハレ・ヘイアウ」に家や聖なる場所に入る時は慈愛をもって許可を
求める。そして先祖や祖父母に語りかける。そしてチヤントとフラは続く。
彼等は別の次元にいながら我々を守ってくれる。
その神が「ロノ」なのである。この歴史あるチャントに彼等は生涯を捧げている。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 1978年にデビューしたコーラスグループである。
デビュー当時は3人姉弟と従姉からなり、2006年現在は3人姉弟と
次男の嫁と、親族だけでメンバーを構成している。ハートウォームな
コーラスワークと個々の歌唱力は高く評価されており、アカペラはもちろん、
コーラスグループの先駆者である。コンサート・CD制作・TVラジオ出演など、
毎日を忙しく活動している。
また、コーラスをもっと楽しんでもらいたいと、各地でのワークショップを
企画する傍ら、個々でのソロ活動、夫婦ユニット「JOJO」を結成するなど活動
を行っている。
1978年『Mr.サマータイム』が、100万枚を突破する大ヒットとなった。
25周年を迎える2003年には、メモリアルコンサートを東京・大阪で開催
したほか、BEST盤を発売。2007年には高校野球でイメージアーティストに
選ばれ「栄冠は君に輝く」を歌った。

○叶 正子 (かのう まさこ、長女、1952年生まれの58歳 )
熊本県出身。ビートルズが好きでファンクラブに入っていた。サーカスとして
活動する前は、弟・高の誘いでヤマハのオーディションで研修生となった。
研修生時代、他の女性研修生2名と「ピーマン」というユニットを組みレコード
デビューしたこともあり、この中の一曲「部屋を出て下さい」は、正子と同じく
ヤマハの研修生だったこともある根本美鶴代(現・未唯)と増田啓子(現・恵子)、
後のピンク・レディー。

○叶 高 (かのう たかし、長男、1954年生まれの56歳 )
福岡県出身。サーカスのリーダー。サーカスとして活動する前は、俳優を目指していた。
文部省から後援を得て山間部の学校で劇をしたり、遊園地でちびっ子ショーをしていた。

○原 順子 (はら じゅんこ、次男の妻、1956年生まれの54歳 )
東京都出身。サーカスに加入する前は、アマチュアでバンド活動をしていた。
ポプコンに出場した経験もある。ハワイアンに造詣が深く、専門誌の「月刊ハワイアン
ウェーブ」に連載を持っていた。
ソロ活動で夫の央介と"J&O"というユニットを組んでいる。

○叶 央介 (かのう おうすけ、次男、1956年生まれの54歳 )
福岡県出身。中学時代に吉田拓郎に出会い音楽に目覚めギターを始める。
その後「サイモン&ガーファンクル」「タイガース」など洋楽・邦楽を問わずコピーを続け、
サーカス加入前は、フォーク歌手を目指していた。 
ONE VOICE(サイモン&ガーファンクルの作品)の日本語訳をするなど、サーカスの作品の作詞
を多くしている。時折ギターも演奏し、繊細な音色を奏でる。
テーマ:この人の音楽が好き♪ - ジャンル:音楽
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 秋吉敏子(1929年生まれの80歳 )は、ニューヨーク在住の日本人
ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。
満州の日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く
『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。
後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、
大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、
別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。
1948年夏に上京して、コージー・カルテットを結成。1953年に来日した
オスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。
1954年伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた
伝説的なジャム・セッションに参加。
1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院
(現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1963年、
最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。
2年後に離婚。
1967年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキン
と出会い結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド
を結成し、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。
その後ニューヨークへ戻り、秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・
タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。
その評価と人気を示すものとしてアメリカのジャズ専門誌ダウンビートでは秋吉とルー
のビッグバンドは批評家投票で5年連続、1位を獲得している。
2006年に米国ジャズマスターズ賞を受賞している。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 偶然見つけた台湾でのハワイアンバンドがYou Tubeで見つける。
いろいろ調べたが想像している以上にハワイアンファンが多いようだ。
そして抜群のコストパフォーマンスを誇る台湾発のウクレレブランド「aNueNue(アヌエ・ヌエ)」もかなり評判はいい。ウクレレはハワイコアと思っている人は多いがなんのなんのバツグンにいい感じだ。
ライブもあちこちで行われていて、夫々持ち味を出している。ハワイアン
以外ではテレサ・テンの曲やら日本のナツメロ、軍歌が多いのも事実である。
台湾には数回行ってはいるがハワイアンに関して調べたことはなく今後の
課題でもある。あと韓国などもどうなのか興味深い。
どなた様か、情報をお寄せ下さいますか。



テーマ:台湾 - ジャンル:海外情報
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 前川 清(本名同じ、1948年生まれの62歳)は演歌、ムード歌謡、
バラード歌手、俳優である。長崎県佐世保市松山町出身。長崎南山高等学校中退。
長男は歌手の前川紘毅。
1968年、高校中退後セールスマンなどを経て、佐世保のキャバレーで歌って
いたところを内山田洋にスカウトされ、「内山田洋とクール・ファイブ」に
リード・ヴォーカリストとして参加。
1969年『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の紅白歌合戦に
初出場。「噂の女」、「そして、神戸」、「中の島ブルース」、「東京砂漠」など、
全国レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。
1971年に藤圭子と結婚したが翌年に離婚している。
その後1982年に朝美さんという方と再婚。芸能人ではなく一般の方で3人の子供がいる。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ベルストーン
ハワイは西マウイにベルストーンという、叩くと金属質の鐘の音がする石
というか岩がある。火山が噴火の時に溶岩同士がぶつかって出来たと言われている。
中は空洞で石で叩くとベルのような音がすることからその名がついた。
その昔はこれを叩いてコミュニケーションの道具にしたとも言われている。
一度聞いて見たいなあ。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 菅原 都々子(1927年生まれの83歳 )は歌手である。本名は永松 都々子。
通称「エレジーの女王」。非常に個性的なビブラート唱法が特徴。「NHK紅白歌合戦」
の記念すべき歌唱者第一号として広く知られる。名曲慰問団 名誉顧問として老人
福祉施設にボランティア活動を行っている。
青森県出身。父は浅草オペラ歌手の河合丸目郎(まるめろう)で、後に作曲家となる陸奥明。
9歳の時にオーディションのために1人で上京させられて、その際に古賀政男
に認められたことから「古賀久子」の名をもらい養女となる。
1937年古賀政男が作曲した『お父さんの歌時計』でデビュー、同時に実父の陸奥も
作曲家として上京。
1940年養子縁組は解消。父・陸奥のもとにもどって「菅原都々子」として再デビュー、
1945年父の母校である東洋音楽学校を卒業。
戦後は田端義夫の前座を努めながら独特のビブラートの高音で少しずつ人気を得ていく。
1955年『月がとっても青いから』
これはエレジーものが飽きられ始めたため、父・陸奥がイメージチェンジを賭けて
売り出した曲。100万枚を超える大ヒットとなり、この曲で歌手としての地位を
不動のものに。その後の活躍は周知の通り。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 現在使用しているPAミキサー(ベーリンガーミキサーPMP1000)が
一部焼けてしまい新しいミキサーを導入した。
ベーリンガー社は日本撤退を決めたが、その後日本との新たな合弁会社を設立して
代理店のみ販売している状況だと言う。従って一般の楽器店には納入されないと
言うのだ。代理店になっているのは島村楽器でここではオンラインショップを
始めあらゆるベーリンガー商品を購入することが出来る。
今回導入したのは「ベーリンガー・パワードミキサーPMP1680S」と言う
縦型のミキサーである。
平型より軽く持ち運びにも便利、ヤマハに比べると値段もリーズナブルだ。
従来はホテルのスピーカーを使用していたが、容量が小さく、音が割れたりして
トラブルが絶えなかったのでこれでひとまず安心だと思う。
ハードケースはプラスチックの容器をホームセンターなどで探そうと思う。

性能的には次の通り・・・
○1600W10チャンネルパワードミキサー。デュアルマルチエフェクトプロ
 セッサー、およびFBQフィードバック検知機能搭載。
○ 非常にコンパクトな2x800Wステレオパワードミキサー。
○ 革新的なアンプテクノロジーが巨大なパワー、際立ったソニックパフォーマンス、
 そして驚きの軽さを実現。
○ 慣例的なパワードミキサーの約半分のコンパクトサイズによって容易な運搬作業が可能。
○6モノチャンネル、2ステレオチャンネル、および独立テープリターンから成る
 10チャンネルミキサーセクション。
○ リバーブ、コーラス、フランジャー、ディレイ、ピッチシフターなど100種の
 プリセットをもつスタジオクラス24-bit ステレオFXプロセッサー2基内蔵。
○FBQフィードバック検知システムが問題となる周波数を即座に検出し、フィード
 バックを抑制。
○ コンデンサーマイク用切替可能+48Vファンタム電源を備えた8つの高性能マイクプ
 リアンプ。
○ 全てのチャンネルに効果的かつ非常に音楽的な3バンドEQ 、切替可能パッドおよび
 クリップLEDを装備。
○ ステレオ7バンドグラフィックEQでモニター出力またはメイン出力の精確な周波数
 補正が可能。
○ ボイスキャンセラー機能が音源からヴォーカルパートをカット、カラオケ再生が可能。
○ 選択可能ステレオ(メインL/R)、ダブルモノ(メイン/モニター)、
 もしくはブリッジモノモードでの操作可能。
○ スピーカープロセッシング機能が周波数レスポンスを調節するため、プロ仕様
 スピーカーシステムとのマッチングが可能。
○ スタンバイスイッチが全ての入力チャンネルをミュート、テープ入力を使用した
 BGM再生時に便利。
○ 外部音源の接続を可能とする調節可能AUX入力。
○ 最大の柔軟性を提供するインターナルスイッチモードパワーサプライ、ノイズのない
 オーディオ、優れたトランジェントレスポンス、低い消費電力。
○ ラックマウントキット付属。
○ 長年に渡る確かな操作を保証する高品質なパーツ類と非常に堅牢な構造。
○ BEHRINGER Germany による設計と開発。

あとほしいのはモニターアンプに接続する「パワーアンプ」かな。
しかしこれも一度やってみてと思っている。
どうなるか楽しみでもある。
テーマ:バンド - ジャンル:音楽
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 ハワイで飲むノニジュースは一般にまずいと言われている。
がしかし、健康に良いと言われればがまんして飲んでいる。それが日本人だ。

●ノニとは?
 ノニ(Noni)はアカネ科(Rubiaceae)の植物で、学名はモリンダ・
シトリフォリア〔Morinda citrifolia〕です。ノニはハワイで呼ばれている
植物の名称である。
 ノニはポリネシアから東南アジア、沖縄など、熱帯から亜熱帯の広い地域
に自生し、5-8m程になる常緑の灌木で、表面がゴツゴツした果実を付ける。
果実は最初は緑色で、熟すと黄色になり中鎖脂肪酸による発酵臭を出す。
古くから民間薬、赤色染料として利用されてきた。健康食品として販売
されているノニジュースは、ノニの果実から調製した果汁に、少量のグレープ
ジュースやブルーベリージュースまたは香料を添加して飲みやすくしたものだ。
●ノニジュースの有効性と安全性
 ノニジュースは、俗に糖尿病、高血圧、免疫力の強化、心臓病、ガンの予防、
美容や健康に効果があるといわれているが、人におけるそのような効果に対する
科学的根拠は現時点では見当らないと言う。動物や細胞の実験において抗ガン
作用を示した報告はあるが、その作用についてはさらなる検討が必要とされている。
テーマ:海外生活 - ジャンル:海外情報
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 バンドのメンバーからドン・キ・ホーテ(旧長崎屋)に長野楽器(G-House)
がオープンしたと言う情報を得て出向く。
大きさは10坪位でしようか。いろいろな楽器が所狭しと並んでいる。
本店は確か鶴賀だったような気がする。店主に聞いたところ開店して1週間
だと言う。若い人に代がかわり出店したのだと言う。従来は学校などへの
納品が主なのだ。本格的にはこれからだと言う。
市内の楽器屋と言われるものは少ないのではないかな。島村、ウィンナー楽器、
音楽堂、みすず楽器などかな。
いずれにしても我々にとってはありがたいことでもある。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 井上 陽水(いのうえ ようすい1948年生まれの62歳 、
(本名:井上陽水(いのうえあきみ))は、日本のシンガーソングライター。
福岡県出身。1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界
あるいはニューミュージック界を牽引した。1973年発売のアルバム
『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。
その後のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年の
ベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、
長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の
最重要人物の一人として活躍し続けている。
デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートやテレビ
番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲
の随所に見られる。
2人目の妻である石川セリとの間に二男二女がおり、長女は作詞家・歌手の
依布サラサ、次男は俳優のTAKITAである。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 1970年代にヒットしたガロの「学生街の喫茶店」と言う歌詞の中に
「ボブ・デュラン」が出てくる。それではボブ・デュランとは・・・
ボブ・ディランこと、ロバート・ジママンが生まれたのは、1941年。
ミネソタ州のヒビングはアメリカ中西部の鉄鉱の町として名をはせていた。
彼の父親は、その街で電気技師として働き、彼には弟がいた。
そんなロバート少年には、本名以外にもうひとつシャブタイ・ベン・
アブラハムという名前があsつた。それはユダヤ教徒がもつ宗教的な名前で、
彼の家は当時その街では珍しいユダヤ系の一族だったのだ。
音楽の出会いは、ハンク・ウィリアムスやジミー・リードなど、カントリー
音楽を聞くことから始まり、その後ロックン・ロールへとその好みは変わって
いった。多くの人は、ボブ・ディラン=フォークの神様であったと信じているが、
彼は高校時代に仲間たちとロックン・ロール・バンドをつくり、リトル・
リチャードやエルヴィス・プレスリー、バディー・ホリーらの曲を演奏すること
から音楽活動をスタートさせた。
その後大学を中退しミュージシャンになる道を選ぶ。そして、単身ニューヨーク
に渡り、フォーク・ミュージシャンたちが集まる学生街、グリニッチビレッジ
周辺のライブハウスを舞台に歌い始めた。ここから人とのつきあいが始まり名声を
高めていった。
 1961年。デビュー・アルバム「ボブ・ディラン」を発売。しかしさっぱり
売れず出鼻をくじかれた格好であった。
 その後は順調に音楽活動に従事し、彼はウッドストックの住人となり、
そこで結婚、子育てと良き父親としてのプライベートな一時を過ごした。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 12月15日(水)長野東ロータリークラブのクリスマスパーティが
ホテル国際21(弥生の間)で開催され我々が招待されました。
朝から雪がちらつき、あわやホワイトクリスマス?かと思いましたが、
何んとか積雪には至らずホッとしました。バンド、フラ総勢18名の大所帯でした。
今回フラを担当してくれたのがフラスタジオ¨ウルプア¨さんで寺沢久美子先生
が我々のバンドで踊るのは初めてで一味違いました。
特に彼女のフラの恩師であるフランク・ヒューエット先生のオリジナル曲
「ヘ・ミリミリ・オエ」と言うフラソロは圧巻で拍手喝采でした。
この曲はマスター・クムフラのジョージ・ナオペ氏に贈ったとされております。
フィナーレはお客様と一緒に「月の夜は」を踊りお開きとしました。
また音響設置、デジカメの撮影などホテル国際21のスタッフの皆様に大変
お世話に相成り厚くお礼申しあげます。
その他関係者の皆様ありがとうございました。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 長渕 剛(本名同じ、1956年生まれの54歳 )は、日本のシンガーソング
ライター、俳優。鹿児島県鹿児島市出身。妻は元女優の志穂美悦子。
1977年、シングル『雨の嵐山』で歌手としてデビュー。『順子』、『乾杯』、
『とんぼ』、『しゃぼん玉』、『しあわせになろうよ』などのヒット曲を持ち、
また、俳優としては、『親子ゲーム』、『とんぼ』、『オルゴール』などの
ドラマや映画出演で知られる。 ソロアーティストとしてアルバム初登場一位
獲得数12作品という記録をもっている。またソロアーティストでは井上陽水、
槇原敬之、福山雅治とともにト-タル売り上げ2000万枚を突破している。
九州産業大学芸術学部写真学科中退。 1981年、石野真子と結婚。結婚式は
ハワイの教会で、仲人は吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。しかし、
石野の芸能活動をめぐり二人の意見が合わず離婚。1987年、元女優の
志穂美悦子と再婚。 志穂美との間に娘と息子がいる。長女の長渕文音が、
映画「三本木農業高校、馬術部」の主役で女優デビューした。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 辛島 美登里(からしま みどり、1961年生まれの49歳 )は
日本のシンガーソングライター、作曲家。鹿児島県鹿児島市生まれ。
奈良女子大学家政学部卒業。独身。愛称は「ミリちゃん」。
大学在学中に、自作の「雨の日」で第26回ヤマハ・ポピュラーソング
コンテストに近畿地区代表で出場、グランプリを獲得。その年の世界
歌謡祭にも出場した。この「雨の日」はビクター音楽産業からシングル
として発売されており、厳密にはこの曲がデビュー曲である。
また、同じく在学中に高校の家庭科教員免許を取得している。
卒業後は上京し、アルバイトをしながら本格的にソングライティングの
勉強をする。
その後は精力的に曲を作りコンサートを開いている。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 太田 裕美(1955年生まれの55歳 )は歌手、シンガーソングライター。
本名は福岡 弘美。東京都荒川区生まれ。
歌手であるが、ハイトーンの独特な声質や、ルックスの良さ(可愛さ)から
アイドル視される事もしばしばあった。事実、当初はキャンディーズの一員として
デビューする予定だったが、田中好子と交代している。歌謡曲を歌う庶民的な
アイドル歌手と、1970年代に台頭してきたフォーク系歌手との中間的な
イメージがあり、独特な位置づけの人気歌手になった。
8歳からピアノを習い始める。
中学3年のときに友人のかわりにスクールメイツのオーディションをうけ、
合格する。『ヤング101』終了後、オーディション番組に出て優勝、
渡辺プロと新人養成契約を結び、ライブハウス等でピアノの弾き語りで歌い始める。
1982年に歌手活動を一時休業、8ヶ月間アメリカ合衆国・ニューヨークに
単身留学。帰国後には『ニューヨークなんて怖くない』を執筆。また帰国後は
ディレクターがデビュー時からの白川隆三から、後に夫となる福岡智彦に変わり、
テクノポップ調の曲を多く手がける。
1998年に子育て(男の子2人)が一段落したため活動を再開、ミニアルバム
『魂のピリオド』をリリース、松本隆、筒美京平とのゴールデントリオを復活させた。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 井上憲司(いのうえけんじ)シタール奏者。
ある日突然インドの民族楽器「シタール」のとりこになる。
そしてインドに渡り修行を重ねる。インドでもその実力はお墨付き。
自身のオリジナル音楽では’90年代から自らのグループ「JAZICO」
や「FOOJEAN」を率いる他、多彩なジャンルの音楽家、ダンサー、
クリエーターとのコラボレーションも数多く、作曲や編曲を様々な
分野に提供し、独自の音楽の可能性を追求し続けている。
舞踏「古舞族アルタイ」パリ公演の作曲・演奏、「FOOJEAN」の
デリー公演など、海外プレスからも注目される。
テレビ・ラジオなど多数出演、様々なジャンルのCDにゲスト参加。
ライブ・セッションを通し、新しい音楽の可能性を広げ、伝統音楽と
現代音楽との高いレベルでの融合を模索している。
エレクトロニクスとアコースティック楽器の融合を目指す「DRACO」に参加し、
ファーストアルバム「Zero」を発表、各地のコンサートやイベントで活動を
続けている。
また最新のオリジナル曲では、音階へのより深い洞察を求めるべく、
邦楽器との活動なども精力的に行っている。

既発売CDに『水琴窟とタンプーラ』、『JAZICAL WORLD』、『FOOJEAN』があり、
2008年に北インド古典音楽のアルバム第一弾『KIRWANI』、2009年に
JAZICOの2枚目のアルバム『LIVE AND THEN/ JAZICO at 音や金時』 をリリース。
卓越したテクニックに裏付けられた艶やかで美しい音色、豊かな表現力、
奔放でありながら、かつ繊細な音楽性は高く評価されている。

現在神奈川県逗子市在住。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 渡辺 真知子(本名:同じ、1956年生まれの54歳)は、日本の歌手、
シンガーソングライター。神奈川県横須賀市出身。洗足学園短期大学卒業。
1975年、高校生のころにヤマハポピュラーソングコンテストに「PIA」
というグループで参加したが、エントリー時はすでにソロになっていた。
『オルゴールの恋唄』で審査員特別賞(川上賞)を受賞。
1977年にデビュー。松任谷由実や中島みゆきなどの次の世代のニュー
ミュージックシンガーとして、声楽出身の豊かな声量で人気を博し、
数々のヒットを生んでいる。
天真爛漫な人柄で知られ、テレビ出演時などの愉快なトークで人気を集めている。
書道は八段の腕前で、自身のブログで、2010年個人事務所を設立する」
旨の発表を行った。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 武田 鉄矢(本名=同じ、1949年生まれの61歳 )は、日本の歌手、俳優、
タレント、作詞家である。フォークグループ「海援隊」のヴォーカル、リーダー。
称号は名誉学士(福岡教育大学)。武田鉄矢商店代表取締役社長。
代表曲に「母に捧げるバラード」、「贈る言葉」、「あんたが大将」、
「思えば遠くへ来たもんだ」(いずれも海援隊)などがある。
福岡県福岡市博多区生まれ。坂本龍馬の研究を志して当時一期校だった高知大学
文理学部に2年間挑戦するも失敗に終わる。一浪後、二期校で合格した福岡教育
大学教育学部障害児教育教員養成課程に入学。しかし、7年在籍するも中退。
芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母・イクが学費を払い続けていたという。
1972年に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れな
かったが、武田が母・イクに向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」
がヒットし、翌年の第25回NHK紅白歌合戦に出場。
その後はしばらく低迷したが、映画『幸福の黄色いハンカチ』でのさえない青年役
が高い評価を得て、俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、
ドラマ『3年B組金八先生』のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。
1982年の海援隊解散後は、ソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、
「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)、「声援」
などのヒット曲がある。海援隊は1994年に本格的にグループとしての活動を
再開し、現在に至る。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 伍代夏子( 本名:山田 輝美(旧姓:中川)、1961年生まれの49歳)は、
東京都渋谷区出身の演歌歌手。夫は、杉良太郎。
1985年、加川有希として『夜明けまでヨコハマ』(平松政次とのデュエット、
発売元センチュリーレコード)でデビュー。1986年、本名の中川輝美に改名、
『夢きずな』発売。
1987年、伍代夏子として『戻り川』で再デビュー。
1999年、杉良太郎と結婚。
2010年にC型肝炎を患っていることを公表した。
感染が判明したのは33歳の時で、感染ルートは不明とのこと
(輸血の経験などもないため、小学校あたりの予防注射ぐらいしか思い当たる節が
ないという)。その後インターフェロン投与による治療を行っており、
感染を公表したのは同じC型肝炎患者への支援が主な目的とのこと。
夫の杉良太郎は、「性格は男性的」・「情に厚い」・「親孝行」・
「相手に細やかな神経が使える人」などと評している。
夏っちゃん!がんばってネ。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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藤原道山(1972年生まれの38歳)。尺八界の貴公子。
10才より尺八を始める。人間国宝・山本邦山に師事。
東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。在学中、安宅賞を受ける。
桃華楽堂において御前演奏(宮内庁主催)。
同大学院音楽研究科修了。NHK邦楽オーディション合格。
1999年東京紀尾井小ホールにて「藤原道山尺八演奏會」を開催。
江戸川区文化功績賞を受賞。

コロムビアエンタテインメント(株)より8枚のCDソロアルバムを発表
「UTA」,
「yume」(一ノ瀬響プロデュース),
「EAST CURRENT」,
「空-ku-」(千住明プロデュース),
「壱」(古典アルバム),
「かざうた」(武部聡志プロデュース),
「響-kyo-」(冨田勲プロデュース)、
「故郷~日本の四季」(カバーアルバム)
2004年よりホリプロの所属となり、さらに活動の幅を広げる。
2006年封切の映画「武士の一分」(山田洋次監督/冨田勲音楽)では
ゲストミュージシャンとして参加。
2007年、古川展生(チェロ),妹尾武(ピアノ)とともにユニット「古武道」を結成。
1stアルバム「KOBUDO-古武道-」,
翌2008年に2ndアルバム「風の都」を制作・コンサートツアーを行う。
現在、様々な可能性を求め、様々な楽器とのコラボレートを積極的に行う
などソロ以外にも活動。
これまでに坂本龍一、ケニー・G、冨田勲、野村萬斎、カールジェンキンス
&アディエマス、ジョン・ケアード(演出家)、ウィーンフィルメンバーなど
各界の頂点を極めているアーティストとの共演も実現させる。
既成の尺八のイメージを変える自由な発想で、アルバム制作や、
コンサート(「古武道」「古典ライブ」「ソロコンサート」
「現代音楽コンサート」等)を計画。原点とオリジナリティを追求する
音楽活動を展開。
都山流尺八楽会大師範。都山流邦山会、竹の会、日本三曲協会、
江戸川邦楽邦舞の会会員。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 2010年8月(南米ではこの時期冬にあたる)にアルゼンチンの首都
ブエノスアイレス(Buenos Aires)で第8回タンゴダンス世界選手権
(Tango Dance World Championship)ステージ部門の決勝が行われ、
日本人の鍬本知津子(旧姓:丸山41歳)(Chizuko Kuwamoto)さんと
アルゼンチン人ディエゴ・オルテガさん(Diego Ortega)さんのペアが優勝した。
同部門の決勝では、日本人の堤崎尚子(Naoko Tsutsumizaki)さんと
アルゼンチン人クリスティアン・ロペスさん(Cristian Lopez)さんの
ペアも3位に入った。
2位は、アルゼンチン人ペア、マヌエラ・ロッシ(Manuela Rossi)さんと
クリスティアン・コレア(Cristian Correa)さんだった。
同選手権サロン部門では昨年、日本人ペアの山尾洋史さん、恭子さん夫妻が
優勝しており、 日本人として2年連続の快挙になった。
ことしのステージ部門では、堤崎尚子さんとアルゼンチン人クリスティアン・
ロペスさんのペアも 3位に入った。
同ペアは8月30日のサロン部門決勝でも3位となっていた。
関係者によると、鍬本さんとオルテガさんは日本在住で、
東京都内でタンゴを教えたり、 ショーを開いたりしているという。
普通のOLであったが、ある日タンゴの靴に見せられタンゴの世界へ。
単身アルゼンチンに渡り腕を磨いたと言う。
今年の選手権には18カ国から405組のペアが参加した。
テーマ:中米 - ジャンル:海外情報
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 クリスマスコンサートがあると言うので近くの入浴施設へ出向く。
ここはサウナがあるのでありがたい。今回の演奏者は前回と同じ
「アンサンブル・カラー」で年齢、性格、考え方の違うあつまりなので
この名前にしたのだと言う。
いずれも教室を持っていて新人の育成に尽力しております。
クリスマスソングを中心にたっぷり1時間の生演奏であった。

アンサンブル・カラー・・・プロフィール

◎中川真由美(ピアノ)
 日本大学芸術学部音楽学科卒。
 優等賞受賞、読売新人演奏会、長野県新人演奏会に出演。
 第2回日本クラシック音楽コンクール全国大会にて特別賞受賞。

◎笠井美智子(ヴォイオリン)
 武蔵野音楽大学弦楽科卒。
 東京、千葉で演奏活動ののち地元に戻り、SBC室内合奏団、
 長野市交響楽団に所属、トリオ・ソロで活動。
 本年より国家公務員?(年金受給者となる)

◎西沢章予(フルート)
 武蔵野音楽大学器楽学科卒。
 イタリアアオスタ高等音楽院マスタークラス終了。
 第33回国際芸術連盟新人オーデション合格。
 すみだトリフォニーホール東京文化会館でのコンサートに出演。
 国際芸術連盟専門家会員。

(ライブ情報)
クリスマスコンサートのお知らせ
日時:12月17日(金) 午後6時30分。
場所:小布施 北斉ホール
出演:アンサンブル・カラー
入場無料
問い合わせ:小布施公民館(tel 026-247-3111)
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 2010年11月3日
ニール・アバクロンビー氏が知事選で勝利。
全米で中間選挙が行われた翌日、ハワイ州内でも選挙が行われ、
ハワイ州知事に民主党選出のニール・アバクロンビー氏が選出された。
アバクロンビー氏の当選によって、ハワイ州では8年ぶりに
民主党の知事が誕生する。
今回の知事選挙で、アバクロンビー氏は得票数207.640、
得票率58%を獲得。得票数146.587、得票率41%を獲得した
共和党選出のデューク・アイオナ氏を大きく引き離して当選した。
アバクロンビー氏は「今後、我々はアメリカ本土での選挙で多くの対立
を見ました。しかしハワイでは人々の団結を見る事ができました」と語り、
「一致団結してハワイ州内の変革を行っていきましょう!」と有権者に呼びかけた。
一方のデューク・アイオナ氏は、選挙期間中にアイオナ氏を支えてきた多くの
サポーターに対し「あなたがたのサポートには心から感謝しています」と語りかけ、
何度か声を詰まらせながら涙の敗北宣言を行った。
新ハワイ州知事は12月6日に就任宣言をする予定となっている。

ロイヤル・ハワイアンセンターでは現在「ポリネシアン・カルチャー・センター・
パフォーマンス」と題して、毎週木曜日$土曜日am11:00~11:45まで
無料のフラレッスンを行っている。
このことをアピールすることも忘れなかった。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 小林 幸子(本名同じ、1953年生まれの57歳 )は、新潟県新潟市
中央区出身の演歌歌手、タレント、女優。独身。
1963年、小学4年生の時にTRS『歌まね読本』でグランドチャンピ
オンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。翌年小学5年の時
にデビュー。当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、この9歳の少女
ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」の物まねも他の
大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ている歌まねの出来で、
後に「第二のひばり」といわせるものであった。
1964年、古賀事務所所属で古賀作曲の『ウソツキ鴎』で華々しくデビュー。
20万枚のヒット曲となる。天才少女歌手・「ひばり二世」として、
華々しくデビュー。
低迷期には15年間に渡って一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に
言われぬ苦労を経験した。昼間は各地の興行を行いながらも地元のレコード店
やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをしていた。
夜には毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれた
りしながらも歌い続けた。
1983年、にはロサンゼルス、ブラジルなどで初めての海外公演を行い、
新宿コマ劇場で初の単独座長公演を行った。
1987年には、第一プロダクションから独立して、個人事務所の幸子プロ
モーションを設立する。
1988年、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務める。
1993年、歌手生活30周年を迎えNHKホールにて記念リサイタルを行う。
紅白に15回連続出場を果たす。
その後の活躍は周知の通り。
今年の紅白もド派手衣装で楽しませてくれることと思う。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 菅原 淳 (すがわら あつし:ティンパニー・パーカッション奏者)
大阪府出身。東京藝術大学卒業。フランス政府給費留学生として、
パリ音楽院留学。J.ドレクリューズ、S.グァルダの両氏に師事。
1974年、ラ・ロッシェル国際打楽器コンクール第1位。
グループ「3マリンバ」、アンサンブル「ヴァン・ドリアン」を結成。
作曲家に曲を委嘱し、数多くの日本初演をする。
1996年、打楽器・マリンバオーケストラ“パーカッション・
ミュージアム”結成。2006年には若手打楽器奏者のために新たに
“パーカッション・ギャラリー”を組織し演奏活動を始めた。
1980年、パリ国際打楽器コンクールの審査員を務める。
1983年、中島健蔵賞受賞。1996年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。
1999年、第8回朝日現代音楽賞受賞。
2000年、カナリア諸島音楽祭において、石井眞木作曲「アフロ・コンチェルト」
をアルブレヒト指揮、読売日響と共演。読売日本交響楽団奏者を38年務め
2007年に退団。東京音楽大学准教授。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster、
1826年 - 1864年)は、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する
歌曲作曲家。ペンシルバニア州ピッツバーグで誕生した。
20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと
28曲のミンストレル歌曲である。多くはメロディの親しみやすい黒人歌、
農園歌、ラブソングや郷愁歌である。「アメリカ音楽の父」とも称される。
生家はあまり裕福な家庭ではなかった。幼少から歌を歌うことが好きで教会
などで歌ってうたが、それに飽き足らず自分で曲を作るようになり、
譜面を覚え本格的な曲づくりに入った。両親は彼が小学校の頃に他界している。
1850年ジェーンと結婚(金髪のジョニーは妻のこと)、娘も誕生。
しかしスランプに陥り、ニューヨークに単身渡るもうまくいかず、酒におぼれる。
1864年マンハッタンのノース・アメリカン・ホテルに滞在中であった
フォスターは、粉々に割れた洗面台のそばで頭部および頚部から大量に出血した
状態で倒れているところを作詞家クーパーによって発見され、病院に搬送された
ものの発熱と出血多量で死亡した。その破片で頚動脈を切断されたことが致命傷
になったものと推測されている。37歳没。この時のフォスターの所持品はわずか
38セントの小銭と、「親愛なる友だちとやさしき心よ」
(dear friends and gentle hearts)と走り書きされた紙片だけであった。
1862年の作品「夢路より」が発表されたのは死後2ヶ月後のことである。
亡骸はペンシルベニア州ピッツバーグの両親の隣りの墓地に埋葬されている。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 おおたか静流(しずる)
東京都出身。1953年生まれの57歳。
7歳よりクラシックの声楽家に師事。
その後、Jazz、民族音楽の洗礼を受け現在のノンジャンルに至る。
これまでにオリジナルアルバムを21枚リリース。
数百曲におよぶ、テレビCMの歌唱や、映像、絵画、朗読、ダンス
とのコラボレーション等、
ジャンルや国境を越えた音楽活動を展開している。
即興のワークショップ「声のお絵描き」を主宰。
NHK教育テレビ番組「にほんごであそぼ」にレギュラー出演中。



テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽