Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 佐藤 竹善(さとう ちくぜん、1963年生まれの48歳 )は、
日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
ロックバンドSing Like Talkingのフロントマンで、ボーカル・ギター・
キーボード担当しており、小田和正との共同ユニットPLUS ONEと塩谷哲との
ユニットSALT&SUGARのボーカルでもある。日本国内に於けるAORやカヴァー曲
のパイオニアである。
青森県生まれ。父・祖父・曾祖父に共通して「善」の文字が冠されていた事と
「竹の様にすくすくと育って欲しい」という願いから「竹善」の名が付いた。
幼少時は演歌一筋だったが、中学1年の時にタンカーの乗組員をしていた親戚の
影響でビートルズの赤盤に出会い、それ以降洋楽に傾倒。まもなくベースを購入し、
近所の友達とバンドを組み、市内で音楽活動を始める。
1985年に新バンドを結成。
翌年「ヤングジャンプ・サウンド・コンテスト '86」に出場する際にバンド名を
Sing Like Talking)とする。同年に「TRY AND TRY AGAIN」でグランプリを取り、
1988年にシングル「Dancin' With Your Lies」でデビュー。
1994年からSLTの活動の合間に断続的にソロ活動を行う。
2010年からは青森市観光大使も務める。

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テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽



テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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●サメツアー
 海に沈めた観覧用の檻(オリ)の中からサメを見るツアー。
自分の目と鼻の先で、サメが大きな口を開けて大歓迎。創業以来事故ゼロ。
サメと出会うためにオアフ島の北側、ハレイワのビーチ。
スタッフが、サメのエサ(魚)を海へ放り込むと…サメが集まる仕掛けだ。
檻の一部は、強化ガラスになっていて、そこには、鉄格子はなく、
サメが向かってきたときは、本当にドキドキすると言うことです。
水中カメラがあれば、サメとのツーショットも可能。
サメが見れないばあいは全額料金が返納される。
■人数:定員:10名
■時間:7時~11時の毎時発
■料金:【ケージ(おり)に入って一緒に泳ぐツアー】
大人 $120/1名・子供 $60/1名様
・ワイキキからの送迎付き
大人 $165/1名様・子供 $105/1名様
■持参するもの
水着は着用・タオル
■所要時間 :現地集合でシャークツアーのみ2時間

●イルカツアー
 ワイキキからオアフ島の西、ハレイワへ。
ビデオなどで海洋生物のプログラムを鑑賞しながら、ゆったり移動。
美しい西オアフの海でのイルカをはじめ、ウミガメなど、
自然そのままの姿で暮らす野生の生物たちとの出会いを楽しむ
ことが出来る。
船内ではハワイのイルカの生態など日本語アナウンスで説明。
お子様用にイルカの塗り絵やイルカクイズなどを楽しむことが出来る。
イルカが見れるまで挑戦できる再乗船チケットつき!!
おすすめプラン ワイキキ発(送迎付き) 大人・子供共通(12歳以上) US$89.50
子供(3~11歳) US$62・幼児(2歳以下) US$0
コオリナ発 (送迎付き) 大人・子供共通(12歳以上) US$63・
子供(3~11歳) US$42・幼児(2歳以下) US$0
現地集合(送迎無し) 大人・子供共通(12歳以上) US$53.5・
子供(3~11歳) US$32・幼児(2歳以下) US$0
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ラップ・ミュージック[rap music]とは・・・
1970年代にアメリカ、ニューヨークの低所得者層である黒人の
あいだで普及したダンス音楽。
今、何故かブルックリン地区で静かなブームとなっている。
ディスコ・ビートに乗せて、独特のイントネーションの早口の語りを
乗せていく音楽スタイルが特徴的だ。
レコード盤の回転を手で操作するスクラッチや電子機器を駆使した音作り
が加わって発展してきたと言われている。
ラップーミュージックはヒップ・ホップから生まれきた。
ではヒップホップとは、1960年代後半から1970年代のニューヨークで、
アフロ・アメリカンやヒスパニック系のコミュニティによって行われていた
ブロックパーティーから生まれた文化のことを言う。
ラップ(言葉遊びのような喋りのある歌のことや犯罪を犯した者が助長する
ような話)やスクラッチ(レコード・プレイヤーを逆回しをしたりして特殊な
効果を出すこと)、ブレイク・ダンス(床に背をつけてまわるダンスのこと)
などで独特のビートを出しいる。このヒップホップは、若者のストリート・
カルチャーの象徴であり、現在ではストリート・ミュージックの総称として
用いられることが多いと言う。
テーマ:ニューヨーク - ジャンル:海外情報



 エリック・アルフレッド・レスリ・サティ
(Erik Alfred Leslie Satie、1866年 - 1925年)は、
フランスの作曲家。
「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称され、西洋音楽に
大きな影響を与えたとみなされている。ドビュッシーもラヴェルも、
その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだと公言しており、
印象主義の作曲家たちにも影響を与えた。
パリ音楽院在学中にピアノ小品『オジーヴ』『ジムノペディ』
『グノシエンヌ』などを発表。カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の
1人となり、コクトーやピカソと交流。バレエ・リュスのために『パラード』
を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。
今日よく知られている『ジュ・トゥ・ヴー』はこの時の曲。
日本では「癒しのメロディ」として親しまれている。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 平原 まこと(本名:平原 智、1952年生まれの59歳 )は、
マルチサックスプレイヤー。サックスはもちろんの事、クラリネット、
フルートもこなす。大阪府出身。
近畿大学を卒業。天理高校では全国的強豪である吹奏楽部に所属し、
クラリネットを担当するとともに副キャプテンをつとめた。
大学ではPKUスイングジャズオーケストラに所属主将をつとめる。
1974年には自ら関西の大学のオールスターズを結成し、メイナード・
ファーガソンオーケストラとも共演した。
大学卒業後、1981年までゲイスターズにアルトサックス奏者として在籍。
以降、現在に至るまでスタジオ・ミュージシャンとして活躍。
父は、トランペット奏者の平原勉。歌手の平原愛花は長女、平原綾香は、次女。
2004年には、30周年記念コンサートを東京オペラシティーにて開催し
好評を得る。また、娘の平原綾香とのセッションも実現し好評であった。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 伊東 ゆかり(1947年生まれの64歳 )は、日本の歌手・女優。
本名:伊東 信子。東京都出身。1960年代から1970年代に掛けて一世
を風靡した和製ポップス歌手の一人。女性らしい、愛おしさを含んだ声質で
人気を博す。現在も歌手のコンサート活動のほか、女優としても活躍中。
幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき『クワイ河マーチ』
(映画「戦場に架ける橋」テーマソング)でキングレコード(後に移籍)
より本格デビュー。これは美空ひばりのデビュー年齡(12歳)よりも早い。
その後、渡辺プロダクションに移籍し活動を開始。ポップスを得意とした
中尾ミエ、園まりと三人で『スパーク3人娘』を結成。「シャボン玉ホリデー」
や「歌え!一億!」に出演し知名度を全国区にした。1967年にリリースした
「小指の想い出」は爆発的なヒットをし、現在でも歌い継がれている曲のひとつ。
その後も「恋のしずく」「朝のくちづけ」「知らなかったの」と立て続けに
ヒット曲をとばす。
1969年には「第20回NHK紅白歌合戦」の紅組司会を務める快挙も
成し遂げた。テレビでは単独での出演のほか、また最近では上記の三人娘の
トリオで出演することも多くなってきている。
前夫は歌手で俳優の佐川満男で、その間に生まれた実娘が歌手の宙美。
2010年「徹子の部屋」では、娘の宙美と共演し、さらに二人でデュエット
ソングも披露した。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽



 ベルギーは伝統的に人形劇が盛んであちこちに劇場がある。
しかし最近ではテレビの影響で客離れが起きていて昔に比べると
半数になったと言う。
一方では最近この人形劇が見直され若い人たちが参入してきている。
お客は子供だけではなく大人も多数いるのだ。
リエージュと言う小さな町にその人形劇場があった。ここがチャンチェ
人形劇場で博物館も併設されている。入場料は日本円で300円程度だ。
人形劇は土日などに頻繁に開催されている。
この人形劇の中に必ず登場する人物が「チャンチェ」である。
この人物はリエージュ市民の象徴的な存在で,実在の人物ではないと言う。
チャンチェが登場する時代はシャルルマーニュ(カール大帝)が活躍した
8世紀から9世紀で,チャンチェはシャルルマーニュとともにイスラム教国や
カトリック以外の宗教勢力と戦ったという話になっており,人形劇もその大枠
に基づいて話が作られているようだ。今回の話にも王族や教会が登場しており、
チャンチェとその仲間たちが兵士と戦うシーンがあり、これが見せ場になっている。
人形はすべて手作りで木を材料にした高さ1メートル位の大きさだ。
頭の上に金属製の棒が取り付けてある。
声やせりふも1~2名でマイクを使って行うのが一般的だ。
テーマ:異文化を楽しむ! - ジャンル:海外情報
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 吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年生まれの65歳 )は、
日本の男性シンガーソングライター。本名同じ。
旧芸名は平仮名の「よしだたくろう」。
鹿児島県生まれ、広島県広島市育ち。広島修道大学卒業。
夫人は四角佳子~浅田美代子~森下愛子。
日本のシンガーソングライターの草分け的存在である。
マイナーな存在だったフォークとロックを一気に日本の音楽シーンの
メインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、
ラジオの活性化、コンサートツアー、
プロデューサー、レコード会社設立など、さまざまな新しい道を開拓した
パイオニアとして日本ポピュラーミュージック史における最重要人物の一人である。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ファドは、ポルトガルで生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または
宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。
1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌
によって現在の地位を得た。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、
ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。
主にレストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギター(ギターラ)
と現地ではヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター、低音ギターで伴奏される。
日本では、ファドは女性が歌うものとの認識が強いようだが、実際には性別に
関係なく歌われる。また、ファドは暗く悲しいものだという誤解をもって紹介
されることも多いが、我が町を賛美したり、街のうわさ話などを題材とした陽気
なファドも数多くある。
アマリア・ロドリゲス(1920~1999)が国民的歌手として国内外で知られ、
その人気は死後も衰える兆しを見せない。
詳しくファド(Fado)について知りたい場合は、日本国内で活躍している
各ファド歌手(Fadista)達のHP等を参考にすると良い。
テーマ:心に沁みる曲 - ジャンル:音楽
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 昨日東急ライフから次のような連絡がありました。
「今年のビアガーデンについては営業はするものの、
ステージを使ったイベント等は全て中止する」と言うものでした。
東北関東大震災による自粛ムードが背景にあるものと思われます。
我々としては毎年楽しみにしており、また発表の場であっただけに
残念ではありますが受け入れざるを得ません。
今年の夏はゆっくり出来そうである。
いずれにしても早く復興され立ち直ってほしいと願う気持で
いっぱいであります。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 大震災復興支援コンサートがあると言うので出掛けてみた。
場所は市内の「旧上高井郡役所」で市の文化財の指定を受けて保存されている。

出演者は・・・
●蔵の杜(オカリナ・アンサンブル)
オカリナ(永山浩)、ギター(塩崎泰治)、平成19年にデュオとして結成された。
地元の蔵の街並みから「蔵」の字を木で出来た
ギターと土で出来たオカリナから「杜」の字を使いユニットとした。
クラシックから日本の歌まで幅広いレパートリーを持つ。
ゲスト:フルート(山中美保)。

●MO’RETURN(モー・リターン)
ピアノ、ヴァイオリン、パーカッションと言う変則的な編成。JAZZ/POPS
を基本に絶妙なアンサンブルを奏でる。

●Cozy Chord(コージー・コード:気持よい音階)
スタンダードなジャズ~J-POP、唱歌、ゴスペルとジャンルを超えた楽曲を
ジャズコーラス・アレンジを得意としている。
ゲスト:ピアノ(中田雅宏)、ベース(西沢三泰)

もちろん、復興支援に協力したことは言うまでもない。
テーマ:心に沁みる曲 - ジャンル:音楽
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 スガ シカオ(本名:菅 止戈男(読みは同じ)、1966年生まれの35歳 )
は、東京都出身の男性シンガーソングライター。
大学を卒業して4年間イベント会社で勤務していた。
その後は耐乏生活をしていたが、レコード会社にテープを送り認められる。
1995年、インディーズよりシングル「0101」を発売。
1997年、キティ・エンタープライズより1stシングル「ヒットチャートを
かけぬけろ」でメジャーデビュー。以後、ラジオ局のヘビーローテーション、
音楽専門誌を中心に、業界の注目を集める。同年9月、1stアルバム『Clover』発売。
1998年、SMAPのシングル「夜空ノムコウ」に詞を提供。
SMAP初のミリオンセラーとなり、スガシカオの名も一躍全国区に知れ渡る。
同年8月には初の全国ツアーを敢行。
1999年、杏子、山崎まさよしとのスペシャルユニット「福耳」名義
でのシングル「星のかけらを探しに行こう Again」が発売。
2001年、ベストアルバム『Sugarless』発売。オリコンアルバムチャート
初登場1位を獲得。
第57回NHK紅白歌合戦に初出場し、ソロ名義で「Progress」を演奏。
2009年、ロンドンICAで初の海外公演を行った。
翌年、02 Academy Islingtonにて再びイギリスでライブを行った。
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 カーペンターズ (Carpenters) は、アメリカの兄妹ポップス・デュオ。
楽器を兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカルを妹カレンが担当。
ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き、
大きな成功を収めた。1983年のカレンの死により活動を終えた。
代表曲に「トップ・オブ・ザ・ワールド」等がある。
1970年代を中心に、ソフト・ロックやイージー・リスニング、
アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける
主要なヒットメーカーとなった。カーペンターズのアルバムおよびシン
グルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている。
14年間の活動で、アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、
オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。
カレンは神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために
32歳で死去した。その結果、摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている。
カーペンター兄妹は、アメリカ合衆国コネチカット州で生まれた。
リチャード・リン・カーペンターは1946年、妹カレン・アン・カーペンター
は1950年生まれである。リチャードは父親の膨大なコレクションのレコード
を聴き、ピアノの練習に熱心だった。一方カレンは親しみやすく外向的でスポーツ
を好んだが、兄と一緒に音楽を聴くことも多かった。
その後はその才能を生かし、スーパースターへの道を歩む。
あまりのハードさにリチャードは麻薬に手を出し、薬物リハビリセンターでの経験も
ある。カレンも麻薬をやっていたとの説もあり、それが死因だとも言われている。
カレンは30歳で青年実業家と結婚したが1年余りで離婚している。
現在はリチャードの娘がヴォーカルをやりライブ活動を行っている。
テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽



 祖国オーストリアを追われアメリカに渡ったトラップ男爵一家は、
代理業者ザーミッシュと契約して地方巡業を行うことになった。
しかし、歌の先生であるワスナー神父が古典的な聖歌のみを歌わせた
ことから、音楽会はいずれも失敗し、ザーミッシュは契約を解消した。
ニューヨークに帰った一家には3ドル程度の財産しかなかった。
心配した子供たちはバーのパチンコでお金を増やそうとしたが、かえって
一文なしになってしまった。だが、酔った水兵にあわせて子供たちが美しい声で
「オールド・ブラック・ジョー」を歌ったことから、隣人の元歌手をしていた
ブロンクス・リリーという女性が、一家をハリスという大代理業者に
紹介してくれた。しかしこのテストも、神父の命による聖歌で失敗した。
その時、ウィーン生れのハンマーフィールド夫人という実業家の夫人が現れて、
自分のパーティの余興に一家をよんでくれた。300ドルのお礼と多くの人々の
拍手を得て、マリア(ルート・ロイヴェリック)は、これだけ喜ばれる自分達の歌が、
なぜ一般聴衆にはうけないのかと考えこんだ。パーティでの成功によってハリスは
一家と契約を結び、地方巡業は満員の盛況を迎えた。ところが、聴衆は評判の
トラップ一家の顔を見にくるだけで、余り歌に興味をもってはくれなかった。
ベルモントの音楽会に行った日、マリアは、故郷ザルツブルグに似たその土地に
気に入った家を見つけ、会場に行く時間を遅らせた。さわぐ聴衆の前で、
とっさにマリアは軽快な「狩の歌」と「おおスザンナ」を歌った。
万雷の拍手が起って、今度こそ一家は完全に成功した。心配していた移民局も、
一家の滞在延期を認めてくれた。買いとって改造した気に入ったベルモントの
家に向って、今は心もはればれと一家は、列車にのりこむのだった。
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 『菩提樹』(ぼだいじゅ、原題:Die Trapp-Familie)は、1956年の
西ドイツ映画である。
マリア・フォン・トラップ夫人による自叙伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』
の前編(オーストリア編)を原作としている。
トラップファミリーがアメリカに亡命するまでを描いており、
続編の『続・菩提樹』では亡命後のトラップファミリーが描かれている。
また本作は、ブロードウェイミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』
およびアメリカ映画『サウンド・オブ・ミュージック』の先行作品である。
オーストリア、ザルツブルグ近郊。第一次大戦当時Uボートの艦長として活躍した
トラップ男爵(ハンス・ホルト)は、不幸なことに七人の幼い子を残して妻に
先立たれた。男爵は、その軍隊経験から子供たちを厳しく育てた。余りの厳格さに
家庭教師は次々と去り、そんなところへ来たのがマリア(ルート・ロイヴェリック)
という見習修道女だった。家庭教師として彼女は暫く俗界に戻ることになったのだが、
その夜マリアは、子供たちが歌うことが大好きだということを発見した。
翌日、男爵が旅に出た留守、マリアは子供たちに野放しの自由教育を始めた。
マリアの弾くギターに合せて歌う子供たちの無心の声。帰城した男爵は我が家の革命
とばかり驚いたが、子供たちの希望に満ち溢れた顔に満足した。クリスマスが来た。
男爵はマリアに結婚を申込んだ。いつしか彼女を愛していたのだ。七人の子供を幸福
にするためなら、と物分りのいい修道院長は、二人の結婚を許した。やがてマリアと
七人の子供たちによるトラップ合唱隊はザルツブルク音楽祭で一等賞を得、
一躍有名になった。1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたとき、
ナチ反対を表明した男爵の身を案じ、マリアは亡命を勧めた。
一家はアメリカの興行主を頼って渡米した。が、亡命者として上陸は拒否され、
港の収容所に入れられた。頼りにした興行主が来たが、子供の合唱隊など商売に
ならぬと言い捨てた。ドアを蹴って出て行く興行主。と、その後から突如、
美しい歌声が湧き起った。興行主は思わず足を止めた。それは、子供たちが歌う、
人々に心の故郷を思わせる菩提樹の歌であった
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 この度の東日本巨大地震で被害に遭われた皆様方に謹んで
お見舞い申し上げます。
大変かと思いますが力強く生きてほしいと願っております。

いつもサウナでお世話になっている近くの入浴施設で文化祭があると言うので
出かけてみました。地震の直後と言うこともあって、もし開催中に揺れを生じた
場合はどうするのかなど細かい説明がありました。
準備体操、頭の体操、ハワイアンフラ、コカリナ、名曲を歌う会、太極拳、
ソーラン体操など各ジャンルの発表会が華やかに行われました。
それぞれの分野で一生懸命の姿が印象的でした。
ハワイアンフラは「ハナレイ・ムーン」「プア・カーネーション」の2曲でした。
華やかでいいですね。
このあとはサウナへ入ってリフレッシュしてきました。
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 オリビア・ニュートン・ジョン(Olivia Newton-John, 1948年生まれの63歳)
はイギリス生まれ、オーストラリア育ちの歌手、女優。
1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気
を博した。現在もレコーディング、コンサートなどで、多方面で活躍する。
母方の祖父はドイツのノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、
ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。5歳の時に父が
オーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを
組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。
その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。
1985年のシングル『ソウル・キッス』がミディアム・ヒットに終わってセールス
が一段落すると、結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。その後、出産、
乳癌手術などを経て、環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、
ユニセフ親善大使もつとめた。
娘のクロエも歌手を目指して音楽活動をしている。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽
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中尾 ミエ(1946年生まれの65歳 )は、日本の女性歌手、女優。
本名 中尾 美禰子(なかお みねこ)。福岡県出身。
実家は書店を経営していた。父親が事業に失敗し、1958年に一家で上京。
東京学芸大学付属中学校時代に、渡辺プロダクションにスカウトされ、
平岡精二に師事する。当時はスタンダード・ナンバーを歌っていた。
1961年に渡辺プロと契約。園まり・伊東ゆかりらとスパーク3人娘を
結成。ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の
『シャボン玉ホリデー』などに出演し、一時代を築く。確かな歌唱力で、
人気を博し、アメリカンポップス系を得意とする。
16歳にしてリリースした『可愛いベイビー』が大ヒット。一躍スターの座に。
20歳の若さで都内に一軒家を購入して両親へプレゼントした。その後、
両親の家の隣へ中尾の自宅を建てて現在もそこで暮らしている。
近年は水泳や料理サークル、ボランティア活動など、一個人として、地域と
絡んださまざまな社会活動にも参画している。各種トーク番組などのゲスト
として出演しているほか、女優として映画やドラマにも多数出演し、
現在も歌番組・バラエティ・トーク・ドラマなどで活躍している。
園や伊東とスパーク3人娘を再結成して全国コンサートやディナーショー、
チャリティー活動などを行っている。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽
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 ニーノ・ロータ(Nino Rota、1911年 - 1979年)は、
イタリアの作曲家。クラシック音楽と映画音楽で活躍した。
ロータ自身は「本業はあくまでクラシックの作曲であり、
映画音楽は趣味にすぎない」と言っていたが、映画音楽の分野で多大な業績を
上げており、死後クラシックの作品も注目を集めるようになった。
北イタリアのミラノ出身。11歳でオラトリオ、13歳でオペラを作曲し、
ミラノ音楽院、聖チェチーリア音楽院で学んだ。その後米国に渡り、
カーティス音楽学校に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を
並行して専攻。
大学卒業後音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。
1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。1951年、当時新進映画監督として
注目を集めたフェデリコ・フェリーニと出会い、その後フェリーニの映画の
殆んどの音楽を手がけることになった。
フェリーニ監督以外の映画音楽も多数手がけ、フランシス・フォード・コッポラ
監督の『ゴッドファーザー』の音楽はロータの代表作となり、『愛のテーマ』
は日本でも尾崎紀世彦によってカヴァーされ、多くの人々に親しまれた。

1979年心臓発作によりローマで死去、67歳。生涯独身だった。
テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽
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 プエルト・リコ(Puerto Rico) は、カリブ海北東に位置するアメリカ
合衆国の自治領である。ヴァージン海峡を隔てて東にヴァージン諸島が、
モナ海峡を隔てて西にドミニカ共和国が存在する。国土の面積は日本の
四国の約半分で、人口は約400万人。本国への選挙権はないが、
アメリカの市民権を得ることが出来る。産業としては観光がメインであるが
殆んどが米国本土の資本で国民は質素な生活を余議なくされている。
首都はサン・フアン。
当初はスペインの植民地であったが、戦争の結果アメリカが勝利しアメリカ領と
なった。従って国民の大半はスペイン語を話す。
この国の伝統音楽である「ボンバ」はサルサの前身とも言われ、現在復活させる
べくその活動に取り組んでいる。
ボンバとは情熱を意味する。ルーツは黒人奴隷が始めたとされる。
ラテンアメリカ諸国で広い人気を持つサルサはニューヨークに移住した
プエルト・リコ人が、キューバ音楽の伝統を受け継いで1970年代後半に
ニューヨークで完成させた音楽である。
1980年代にパナマで生まれたスパニッシュ・レゲエが、1990年代に
ヒップホップやボンバ等の影響を受けて成立したレゲトンもプエルト・リコの
音楽である。
テーマ:音楽を楽しもう! - ジャンル:音楽
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 竹内 正実(たけうち まさみ、1967年生まれの44歳 )は、
日本のテルミン奏者。埼玉県出身。大阪芸術大学音楽学科音楽工学専攻卒業。

1993年にロシアへ渡り、電子楽器テルミン発明者であるレフ・テルミン
血縁の弟子リディア・カヴィナより、レフ・テルミン直系の演奏法を学ぶ。
小型テルミン『マトリョミン』の販売も行っている。
小型のテルミン「マトリヨミン」を開発して販売している。
日本ではテルミン奏者の第一人者と言われている。
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 イルカ (1950年生まれの61歳 ) は、東京都出身のフォークシンガー、
絵本作家である。女子美術大学卒。本名は神部 としえ(かんべ としえ)、
旧姓は保坂 としえ(ほさか としえ)。
芸名の由来は、女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた当時、
皆がギターケースを持って帰る姿を見て「イルカの群れみたい」と言ったのが
きっかけで、周囲からイルカと呼ばれるようになった。
1970年、シュリークスのメンバーとしてデビュー。
1974年、「あの頃のぼくは」でソロデビュー。翌1975年、かぐや姫の
メンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」をカバーして大ヒットした。
1977年から1980年にかけて絵本『ちいさな空』全4巻を発表した。
父親はジャズバンド「スターダスターズ」の花形テナーサックス奏者だった保坂俊雄。
夫の神部和夫はシュリークスのメンバーだったが、イルカのソロデビューに伴い、
彼女の音楽プロデューサー及びマネージャー業に専念するようになった。
2007年にパーキンソン病で59歳で他界。
一人息子の神部冬馬もシンガーソングライターである。孫も誕生した。
2010年、女子美術大学客員教授に就任。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽
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 昨日まで雪がちらついていたが、3月5日(土)は雲ひとつない
晴天にめぐまれた。
古牧公民館が「古牧のつどい」なるステージ発表会を初めて行うと言うことで
参加させてもらった。出演者は次の通り・・・
・太極拳古牧(太極拳の実演)
・オカリナアンサンブル「フェリーチェ」
・ハワイアンバンド&フラ「ロイヤルハワイアンズ with ティアレ・フラ」
・アカペラコーラスグループ「ラフ・ダイヤモンズ」
・館長によるサックス・ソロ
以上5組であった。
いずれも日頃の実力をいかんなく発揮され、見ごたえのあるステージであった。
関係者の皆様にはいろいろお世話になりました。
テーマ:ライブ - ジャンル:音楽
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 五輪 真弓(いつわ まゆみ、1951年生まれの60歳 )は、
日本のシンガーソングライター。東京都出身。
1972年、CBS・ソニーより、シングル『少女』でデビュー。
ファーストアルバム『五輪真弓/少女』はアメリカ合衆国カリフォルニア州
のクリスタル・スタジオでレコーディングされた。このレコーディングには
キャロル・キング、チャールズ・ラーキーも参加し、
五輪自身もマスメディアで「和製キャロル・キング」と呼ばれた。
1977年、サルヴァトール・アダモの紹介によりフランスでも人気を博し、
現地にてアルバムを発表する。
1980年にリリースされたシングル『恋人よ』は当初はB面用の曲であったが、
歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。
『恋人よ』は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞
金賞を受賞した。その後美空ひばりや淡谷のり子の重要なステージ・レパートリー
にもなり、後世へと伝えられる曲となった。なお『恋人よ』のヒットにより五輪
は女性ニューミュージックシンガーの代表的アーティストとなった。
NHK紅白歌合戦には、通算5回出場を果たした。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽
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 「サンタ・ルチア」はナポリ民謡祭コンテストの歌が世界的にヒット
した一例である。
作詞者は Teodoro Cottrau(1827-1879), 作曲者については
Luigi Gordigiani(1806-1860)の1855年の作品という説と
A.Longoの1848年の作品という説とがある。
サンタ・ルチア(聖ルチア)「英語読みでは St.Lucy」はその名前が
光(lux)に関連していることから天の光を運ぶ聖女、暗闇に光を与える女神
と考えられている。
しかも12月13日という冬の最中にその祝日が来るため、いつしか冬至の祭
と合体して、その夏の気が衰えてしまった時期に新しい翌年の夏の気を誕
生させるお祭りとして、その聖ルチア祭は行われるようになってきた。
そのためこのクリスマスシーズンの中でこのお祭りは一定の地位を占めて
いる。
尚、この歌は、このお祭りにマッチして多くの人々に愛され、日本でも、
堀内敬三の有名な詩で、人気のあるイタリア民謡になっている。
「ナポリ(Napoli)」は、ラテン語で「新市」を意味するネアポリスという語
からきているといわれ、英語でも「ナポリ市」は Naples (ネイプルズ)
であるが、形容詞は Neapolitan (ニアポリタン)で、元の音が残っている。
美しい港で有名で、「ナポリを見てから死ね
(See Naples and die. Vedi Napoli,e poi muori.(It.) )」という
ことわざまである。

聖ルチア(サンタ・ルチア)

輝く海の上に銀の星があり
波は穏やかで、風は順風に吹く
私の小舟よ、軽快に行こう
聖ルチアへ!聖ルチアへ!
こんなに柔らかい西風と一緒に
ああなんて美しい、船の上にあるものは
乗り人よ、あちらへ行こう
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

テントの間に食事の用意を
夕方には小雨が降るから
誰も頼まず誰も望まないが
聖ルチアへ!聖ルチアへ!
海はとても穏やかで、風はとても優しく
その前には海の辛さも忘れてしまう
喜びとともに大きな声で唱えて行こう
聖ルチアへ!聖ルチアへ!

ああ美しいナポリ、幸せな土地
そこでは創造主が望み微笑む
そなた(ナポリ)は調和の帝国だ
聖ルチアへ!聖ルチアへ!
おぉ、何を待ち望むのか?夕暮れの乙女よ 
涼しく軽いそよ風が舞う中で
私の小舟よ、軽快に行こう
聖ルチアへ!聖ルチアへ!
テーマ:心に沁みる曲 - ジャンル:音楽
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 天童 よしみ(本名:吉田 芳美、1957年生まれの54歳 )は、
和歌山県出身の演歌歌手である。
1972年、読売テレビ「全日本歌謡選手権」で10週連続勝ち抜き、
7代目グランドチャンピオンに輝く。
しかしその後、10年に亘る長い低迷を経験、一旦は引退も決意するが、
両親の説得で思いとどまる。その後、1986年にテイチクレコード移籍
第一号として『道頓堀(とんぼり)人情』を発売するにあたり、北は北海道
から南は福岡県まで1ヶ月で300件もの営業をこなし、有線からじわじわと
人気が出、結果ヒット作となった。
紅白歌合戦初出場、1996年に発売した『珍島物語』はロングヒットで
130万枚を超える売上を記録。自身初のミリオンセラーとなり、
天性のキャラクターと相まって不動の人気を誇っている。
上沼恵美子とは子供時代、数々ののど自慢に出ていた頃ライバルであった。
出たのど自慢では常に天童が優勝で、上沼が準優勝だったと言う。
座右の銘は「負けたらあかん!」だと言う。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽
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 ハワイはオアフ島のホノルルからハイウェイを通りノースショアの
ハレイワ地区、ハレイワショッピングセンターの中に「ソープセラー」があった。
ここのセーリングポイントは自然の素材を使用していること、ハンドメイドの
ためその場で見て購入することが出来る。特にパイナップルの入ったソープは
香りも良く人気商品だ。キャンドルも灯すと香りがすると言う。
さらに「ソープセラー」は、BDBの隣にあり新生児を抱いたまま二人で
お店を切り盛りする働くママのお店。お魚のミニフィギュアが埋まっている
キッズソープなんかも、勿論、手づくり。小さいながらもお店の奥がファク
トリーなのだ。石鹸の他にもステキな雑貨がいっぱい。ヘアスタイルの
ラバーダッキーちゃんがバスタブに一つ。お土産やギフトにもちょうど良い
ソープや、キャンドルなんかもあって、とっても素敵で見てるだけ飽きない。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 石井 好子(1922年 - 2010年 )は、日本のシャンソン歌手。
日本シャンソン界の草分けであり中心人物として知られている。
日本シャンソン協会初代会長。東京都出身。東京芸術大学声楽専科卒業。
母の勧めにより6歳からピアノを習う。大学では主としてドイツ歌曲を学んだ。
大学卒業後、渡辺弘とスターダスターズの専属歌手などを務めたのち、
サンフランシスコでの留学を経て1952年に渡仏し、パリでシャンソン歌手
としてデビュー。サンフランシスコ時代に、遊びにいったホテルのバーで偶然
ジャズ界の重鎮ルイ・アームストロングと出会い共演をした。
1961年、石井音楽事務所を設立し、裏方に回る。岸洋子、芦野宏、加藤登紀子、
田代美代子などのマネージメントを担当し、隆盛を極めたが外国人歌手の
招聘公演の失敗などから赤字がかさみ、1977年に閉鎖。その後は本格的に
歌手としての活動を再開させる。1991年には日本シャンソン協会を設立し
会長に就任。2002年より神戸大使を務めている。
エッセイストとしても知られ、「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」は
現在でも発行されているベストセラーである。食通として知られ、
「料理の鉄人」にはたびたび審査員として出演した。
晩年まで歌手・エッセイストとして活躍し、2010年肝不全のため死去。87歳没。
テーマ:女性ボーカル - ジャンル:音楽