Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。




 ナイトレインボーとは夜に現れる虹のこと。
ハワイはカウアイ島に出現する。
太陽がないのにどうして虹が出るのか、それは夜の虹は月の光で現れるの
だと言う。
月が満月のように大きくて光が強く、そこに昼間でいう天気雨が降った時、
ごく控えめに、見た目には昼間の虹よりも白っぽく、暗闇に静かに現れる。

夜の虹は、満月かその前後でないと見られないし、また明るい場所でも見
られないので、昼間の虹と比べて見られる確率はとても低い。ところが、
“虹の州”と呼ばれるほど虹がよく見られるハワイでは、夜の虹も稀に現れる。
これは雨や月が満月でないといけないとかいろいろな条件をクリアして初めて
見ることが出来る。
昔からネイティブ・ハワイアンたちは、「夜の虹はこの世で最高の祝福」
であるとし、この虹は先祖の霊が癒しや智恵を与えるために現れていると考え
られてきた。
今日も虹を求めてレインボー・ファンは世界中から駆け付けている。
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テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報



 ビージーズ(The Bee Gees)は、英国王領マン島生まれのイギリス人の
三人兄弟を中心に構成された、男性ボーカルグループ。
1963年にオーストラリアよりレコードデビューし、1973年からは
米国を中心に活動。1955年から2003年まで息の長い活動を続け、
「Massachusetts」「Holiday」「How Deep Is Your Love」「Stayin' Alive」
「Night Fever」など、数多くのヒット曲を発表した。2003年、
メンバーのモーリス・ギブが急逝し、グループとしての活動に終止符を
打ったが、2009年から活動を再開した。
ギブ兄弟は、1946年バリー、1949年にロビンとモーリスが二卵性
双生児として誕生。1950年に父の故郷、イングランド、マンチェスターに移る。
1955年、ギブ兄弟は教会の合唱団に所属しキャリアをスタートさせる。
ここで兄弟は、小遣い稼ぎに唄うようになる。
そして3人はラジオのDJを始める。紹介者は、レーサーのビル・グード、
ビルは、自分とグードのイニシャル(BG)から彼らのグループ名をBee Geesと
つける。1960年に入るとテレビとラジオのレギュラー番組を持つようになり、
1963年にフェスティバル・レコードより『三つのキッス』でレコード
デビューする運びとなり、以後は国民的規模の人気を博すこととなる。
英米ミュージシャンの多くは黒人音楽に少なからずも影響を受けたが、
ビージーズはエヴァリー・ブラザースからの影響を強く受けた。
日本でも映画でヒットした「小さな恋のメロディ」の主題歌「Melody Fair」は
今でもファンが多い
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 コナコーヒーで有名なハワイ島カイルア。
「クニタケコーヒー」といえば、カイルアコナの
「カントリーサムライ、国武コーヒー」。
コナコーヒーの農園がひしめくホルアロアには、クニタケ(国武)さんの
農園もあるが、従兄弟にあたるジョン・クニタケさんもまたコーヒー農園を
持っている。
クニタケさんは日系三世で祖父母がコナでコーヒー園を始めたと言う。
コナコーヒーが世界で知られるようになったのは19世紀後半から20世紀
前半のこと。
ハワイに初めてコーヒーの木が植えられたのは1825年、ロンドンを訪問中
に病気によりこの世を去ったカメハメハ2世夫妻の遺体を運ぶとき、
ブラジルから持ち込まれ、3年後、オアフ島からハワイ島へコナを中心に
瞬く間にコーヒーの木が育っていったと言う。

ここのコーヒーの木は高くしてある。木を低くしておくより手間はかかるが、
無農薬で高く育てられた木には、自然が導いてくれる。
これは昔ながらの方法なのだ。それは日系人のノウハウでもあるのだ。
何故ここはコーヒーに適していたのか。先ず土がすばらしい。火山灰で天候もいい、
雨量も申し分ないと言う。その太陽光が違いを生み出してくれるのだ。
つまり午前の温かい日差しと午後の曇った気候がコナコーヒーに適していたとされる。
これらが非常に良く組み合わさっている。
これら日系人の汗と涙の結晶でもある。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報



 カウアイ島はハワイ主要8島のなかではもっとも古い島で、
地質年代は550万年から600万年と言われている。
かつて溶岩の不毛地帯だったこの島は、長い歳月をかけて風雨が島を
浸食した結果、豊かな土壌が出現し島全体が緑に覆われて、ガーデン
アイランド(庭園の島)と呼ばれる。
ここには「ワイメア渓谷」がある。ハワイ語で「赤い水」と言う意味で
それだけに国土は赤い土で覆われている。
年間350日は雨と言う。これは世界一でもある。
その影響で虹もすばらしく条件が合えばよく見ることが出来る。
浸食の激しさは北西海岸のナパリコーストと、その南に位置するワイメア渓谷
でとくにはっきりと表れている。
ハイキングコースもあり、ほとんどは往復2~3時間程度のもので、
コースの途中にはパッションフルーツやバナナポカ、グァバなどの
果実がたわわに実をつけている。野鳥観察にも最適な場所で、州鳥のネネ
のほか、イイヴィやアパパネ、アマキヒ、アニアニアウといったハワイ
ミツスイたちと遭遇できる場所としてよく知られている。
 ここではオヒアの木が目立ちはじめる。そして赤土の先にワイメア渓谷の
大景観が現れる。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ハワイは「コナの空港に降り立つとカヴァのにおいがする」とまで
言われるくらいここコナはカヴァの産地でもあるのだ。
カバ(kava)はコショウ科の潅木、またそれから作られる南太平洋の
ポリネシアにまたがる地域――ハワイ、フィジー、トンガ、サモアなどで
常用される嗜好品。向精神性薬物。カバカバとも言い、またカバを使った
儀式もその名で呼ばれることがある。
根を乾燥させ、粉状にして水に混ぜるか、あるいはそのまま水で揉み出した
ものを漉した泥水様の液体がカバで、これを飲用する。
カバの効果は鎮静作用を主とする。アルコールは含有しないが、酒に酔った
時のような酩酊感がある。
カバは現在のところ南太平洋諸島域、ハワイ、その他の多くの国々で規制
されておらず合法である。
ハワイ語では'AWA(アヴァ)という。儀式として用いることもあるが、
現在ではハワイで二日酔い止めの薬として使用されているようである。
飲む時にカヴァを指先につけて左右前後にまき散らす習慣がある。
これは神への感謝の印と自然への敬意の儀式だと言う。
ドリンクとしては1杯3ドル程度で売られている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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古賀政男音楽博物館(コガ・ミュージアム)
〒151-0064 東京都渋谷区上原三丁目6-12
Tel:03-3460-9051 / Fax:03-3460-9052
入館料
一般 525円  学生 420円  小中学生 210円
※20名以上で団体割引あり
休館日
•毎週月曜日(月曜日が祝祭日・振替休日の場合は翌火曜日)
•年末年始
•展示替期間(お問い合わせください)
開館時間
•10時から17時(入館受付は16時30分まで)
※駐車場の準備はございません。電車でご来館ください。

古賀政男プロフィール
1904年(明治37年)福岡県田口村(現在の大川市)に生まれる。
明治大学在学中にマンドリン倶楽部創設の一翼を担う。在学中に音楽家を目指す。
明治大学マンドリン倶楽部演奏会にて『影を慕いて』を発表。
レコード会社の専属の作曲家として数々の作品を発表しヒット曲を生み出す。
これらは『古賀メロディー』と呼ばれ今もなお愛唱されつづけている。
作曲活動のかたわら、音楽親善大使として世界各地をまわり、戦後には広島平和
音楽祭を開催し、音楽で平和を訴えた。
日本作曲家協会初代会長として日本レコード大賞を制定し、音楽界の発展に尽力。
1978年(昭和53年)に永眠。享年74歳。
没後国民栄誉賞を受賞、生前も多大なる音楽文化活動の功績に対し数々の賞を
受賞している。
その作品数は生涯4.000曲を超える。

主な作品
「影を慕いて」
「酒は涙か溜息か」
「丘を越えて」
「サーカスの唄」
「東京ラプソディ」
「人生の並木路」
「人生劇場」
「誰か故郷を想わざる」
「湯の町エレジー」
「無法松の一生」
「柔」
「悲しい酒」
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 マカダミア(Macadamia integrifolia)とはヤマモガシ科の常緑樹である。
直径2cm程のナッツはマカダミアナッツと呼ばれ食用となる。
日本語では通常マカデミアと呼ばれている。原産地はオーストラリア。
近年、主生産地のハワイでは世界で3番目に生産されている。
特にハワイ産は高品質との評価を受けている。
マカダミアナッツの歯ごたえはもろめでややしっとりとしており、味は淡白。
パーム油と食塩で味付けしたりチョコレートで包んだり、砕いてクッキーや
ケーキの材料の一部とする。最近では和菓子のおかきにも取り入れられて
需要が増えている。

コレステロールをまったく含まず、健康的なダイエットにも効果を見込める。
またマカダミアナッツを圧搾して採った油は食材として使われるほか、
アロマセラピーで希釈油やマッサージオイルとしても用いられている。
なお含有脂質率が高いため、主生産地のハワイ島ハレイワでは砕いたマカダミ
アナッツを非常用の照明に使う場合もある。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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レノックス・ラウンジはハーレムのレノックス・アベニュー
(マルコムXアベニュー)、124丁目~125丁目間にあるジャズ・
クラブで場所柄古き良き時代のハーレム・ジャズを伝えるジャズ・クラブでもある。
ここではビリー・ホリディなどの有名アーチストもホームステージにしている。
ハーレムとはオランダ語で「楽園」を意味する。
ジャズメンたちはここハーレムで演奏するのは一味違うと言う。
ジャズの原点を通して人生経験を伝えるのが使命だと考えている。

ロケーション・住所 : ハーレム、288 Lenox Ave MAP
地下鉄 : 2/3線 125th St
チャージ : カバー・チャージ $10-$20

 ジャズは19世紀末にルイジアナ州のニューオリンズで誕生。ニューオリンズは
多民族・異文化が交流する街で、アフリカ系の音楽にヨーロッパの伝統的な旋律が
うまく融合していき全く新しいジャンルの「ジャズ」が生まれた。
1920年代にはジャズの本拠地がルイ・アームストロングとともにシカゴに移る。
この時代はまた新たに白人主体のいわゆる「シカゴ・ジャズ」が興隆した時代で、
黒人ジャズはニューヨークのハーレムに舞台を移しつつあったのがこの時代となる。
1940年代はジャズの黄金時代でチャーリー・パーカーたちが活躍した時代で
ここから生まれた音楽がビバップリズムであると言う。
1950年代後半から今度はモダン・ジャズが台頭してくることになる。
テーマ:アメリカ生活 - ジャンル:海外情報



 ハワイ島はヒロの郊外にあるウクレレ工房。
電気、水道、ガスなどいわゆるライフラインと呼ばれるものは何もない。
電気は屋根の上のソーラー発電で全てまかなえると言う。
水道は雨水を利用している。あるもは自然だけだ。
ここのオーナー「チャック・モーレ」さん。
サンフランシスコ出身で2004年にこのハワイへ来てウクレレ造りを始めた。
ハワイコアを主力に年間50丁位作っている。
ここの特徴は「インカレ」と言って埋め込み細工のノウハウが優れていること。
貝や象牙、石などが用いられる。日本で言う「らでん」とも言うべきか。
完全ハンドメイドで値段は2.000ドル前後だ。
この近くでは観光用の乗馬、サーフィン、カヌー、フラなども盛んであると言う。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ハワイ島のヒロ大神宮は1898年に設立。
ここは日本人が多く住んでいたとされる。
ヒロは1963年に津波による被害を受け1966年に今あるアーネラ通り
(Anela St.)に移された。
アーネラ('ānela)とはハワイ語で天使と言う意味である。
日本の神社としては海外ではここハワイが初めてと言われている。

参拝の仕方・・・

・必ず、神社の鳥居をくぐって、参道へと入る。
  両手を胸の前で合わせ軽く一礼する。これを「一揖(いちゆう)」と言う。
・参道を進むときは参道の中央を通らないこと。
 参道の中央は「正中」といって、神様が通る道なので、中央をさけて通る。
・参道の脇にある手水舎(てみずや)という場所で、身を清める。
・実際に神様に参拝する。
・まず、一礼する。
・鈴を力強く鳴らす。神様に自分が来たことをこれで知らせることになる。
・お賽銭を静かに入れる。
・「二礼二拍手一礼を行う。
・「一礼」再び深くおじぎをする。
・帰りは鳥居を出てから一礼をし、帰る。

おみくじもあり、自分のひいたおみくじに納得いかない場合、外にある木に
結びつけるといいらしい。木におみくじを結びつけることで、神様に見て
もらうとそのおみくじは良い意味のおみくじになると言う。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ウクレレ界のサラブレッドと呼ばれるハーブ・オオタ・ジュニア。
スタイリッシュなウクレレ奏者として世界的に高い評価を受けている。
ホノルル生まれホノルル育ち。3才で初めてウクレレを手にし、
祖母の手ほどきでウクレレを弾き始める。父である「ウクレレの神様」
と呼ばれるハーブ・オータサンから正式なレッスンを受けて育ち、
11才になる頃には父の代理講師を務めるまでに成長。
1990年、レコーディング・アーティストとしてプロデビュー。
レコーディング・アーティストとして数多くのアルバムに参加後、
1997年には念願のソロアルバムをリリース。以降、コンスタントに
ソロ・アルバムをリリース、ソロ・アーティストとして、新世代プレイヤー
の先駆者的存在となる。レコーディングやパフォーマンスを積極的に
こなす一方、ウクレレとその音楽の普及にも力を入れ、講師としても多忙な
日々を送る。ハワイだけでなく、アメリカ本土や日本にも遠征し、
ウクレレの素晴らしさを多くの人に伝えている。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 南アフリカのケープタウン、1994年にアパルトヘイト
(人種隔離政策)が撤廃されたが、依然として黒人への差別は続いている。
タウンシップと呼ばれている貧困地区へ集められているのだ。
ここは失業率は80%、犯罪は日常茶飯事でもある。粗末なバラックには
300世帯に共同トイレが一つしかない劣悪な環境だ。
皆んなここから抜け出たいと考えているのだ。
ここへ白人が行こうものなら生きては帰ってこれないと言うジンクスまである。
しかし最近は黒人がオペラ歌手へチャレンジしている。もともとオペラは白人
のものと相場が決まっていたが最近はオペラ学校への入学も許されている。
黒人の場合、声質も多少の違いはあるが一般的に黒人の声はハスキーだ。
しかし、何といってもルックスだと言う。オペラの役柄、殊に主役は皆「白人」
なのだから、有色人種が「白人」を演じることに視覚上の違和感がある。
有名な黒人歌手たちも、どちらかといえばレコーディングで名を馳せていた。
(顔が見えない為、ルクスは関係ないのだ)
海外の歌劇場の公演の「カルメン」で、日本人が演じたミカエラ役では不自然だと
言うことで不評であったと言う。そんな中で
黒人居住区の合唱団で歌声を見いだされたフィキレ(36歳)は7年前、黒人
オペラ歌手を養成するために設立された「ケープタウン・オペラ・スタジオ」
のメンバーに選ばれた。たゆまぬ努力で才能を開花させているフィキレは、
今も時折、黒人居住区を訪れ、子どもたちに頑張ればいつか貧しい生活から抜け
出すことができると語りかける。やがてフィキレはニューヨークのメトロポリタン・
オペラのオーディションに合格。夢の舞台にまた一歩近づいた。また、
黒人居住区で貧しい暮らしをしていたタムサンカは、歌への人並み外れた情熱と
才能に恵まれていた。家族を養えるようなオペラ歌手になりたいと、オーディション
に挑戦する。更に高校生のマンデラキは子どもを学校に送るために苦労している
母を手伝い、兄弟の子守や食事の準備をしながら、いつかはオペラ歌手になりたい
と練習に励む。
人種隔離政策には、反対してきたイタリア出身のアンジェロ・ゴバードは、教鞭を取って
いるケープタウン大学のオペラコースに、黒人も奨学金で授業を受けられるようにした。
そうした街では、白人の音楽を歌うなんて、もっての他だった。 石を投げられたことも
あったという。 しかし今は違う黒人の間にも確実にオペラの理解が広まっているのだ。
テーマ:音楽を感じさせる音楽 - ジャンル:音楽
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 衰退したと言われるハワイの砂糖産業、マウイ島では今でもサトウキビの
栽培が今でも続けられている。
透明なプラスチックボトルに入った「マウイブランド」のブラウンシュガーは、
ミネラル豊富でこくがありコーヒーによく合う。
かつては日本人が入植して栽培した場所でもある。
この「マウイシュガー」は糖蜜の香りが豊かで、天然の琥珀色と光沢を持った
やさしい味わいはコーヒーや紅茶の美味しさを引き出すことで有名。
香料や着色料を使っていないので身体にも優しい砂糖と言われている。。
カフェ等のテーブルにもインテリアとしても最適。
1本6~7ドル程度で購入できる。
現在の製造工程はオートメーション化され効率の良い作業となっている。
また当時を記念して「シュガー・ミュージアムも併設されている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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毎年ハワイで行われる第48回メリーモナーク フェスティバルは4月24日
から1週間にわたり行われ、イースターサンディのHoulauleaから始まる。
今年のコンペティションにエントリーしたハラウの一部をご紹介しましよう。

1. Halau Na Pua O Uluhaimalama (Wahine)
Emery Aceret
Hilo, Hawaii

2. Halau Hula O Kahikilaulani (Kane & Wahine)
Nahoku Gaspang
Hilo, Hawaii

3. Halau O Ke Anuenue (Wahine)
Glenn Kelena Vasconcellos
Hilo, Hawaii/Oahu Island

4. Halau Hula Olana (Wahine)
Olana and Howard Ai
Aiea, Hawaii

5. Halau I Ka Wekiu (Kane & Wahine)
Karl Veto Baker and Michael Casupang
Honolulu, Hawaii

6. Ka Pa Hula O Ka Lei Lehua (Kane)
Snowbird Bento
Waianae, Hawaii

7. Halau O Ke Aalii Ku Makani (Wahine)
Manu Boyd
Honolulu, Hawaii

8. Ka Pa Hula O Kauanoe O Waahila (Wahine)
Maelia Carter
Honolulu, Hawaii

9. Halau Na Pua Kukui (Kane)
Ed Collier
Honolulu, Hawaii

10. Keolalaulani Halau Olapa O Laka (Wahine)
Aloha Dalire
Heeia and Kaneohe, Hawaii

11. Halau Ka Liko Pua O Kalaniakea (Wahine)
Kapua Dalire-Moe
Kaneohe, Hawaii

12. Halau Hula O Hokulani (Wahine)
Hokulani De Rego
Waipahu, Hawaii

13. Halau Mohala Ilima (Wahine)
Mapuana de Silva
Kaohao, Hawaii

14. Ke Kai O Kahiki (Kane)
O'Brian Eselu
Aiea, Hawaii

15. Halau Ke Kiai A O Hula (Wahine)
Kapiolani Hao
Honolulu, Hawaii

16. Hula Halau O Kamuela (Wahine)
Kauionalani Kamanao and Kunewa Mook
Kalihi & Waimanalo, Hawaii大好きなカムエラ、がんばって~

17. Ka La Onohi Mai O Haehae (Wahine)
Tracie and Keawe Lopes
Honolulu, Hawaii

18. Kawailiula (Kane)
Chinky Mahoe
Kailua, Hawaii

19. Ka Leo O Laka I Ka Hikina O Ka La (Kane & Wahine)
Kaleo Trinidad
Honolulu, Hawaii

20. Halau Na Lei Kaumaka O Uka (Wahine)
Napua Makua and Kahulu Maluo-Huber
Pukalani, Hawaii

21. Halau Kealaokamaile (Wahine)
Kealii Reichel
Wailuku, Hawaii

22. Na Hula O Kaohikukapulani (Wahine)
Kapu Kinimaka-Alquiza
Hanapepe, Hawaii

23. Halau Kealii O Nalani (Kane & Wahine)
Kealii Ceballos
Los Angeles, California

24. Na Kane O Na Pua Me Ke Aloha (Kane)
Sissy Kaio
Carson, California

中継は下記サイトにアクセスして下さい。

http://www.k5thehometeam.com/category/184055/merrie-monarch-festival?redirected=true
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 ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ
(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813年 - 1901年)は、
19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家であり、主にオペラ
を制作した。
代表曲には、「女ごころの唄(en)」/『リゴレット』、「行け我が想いよ
金色の翼に乗って」/『ナブッコ』、「乾杯の歌」/『椿姫』、
「凱旋行進曲 (en)」/『アイーダ』などがある。彼の作品は世界中の
オペラハウスで演じられ、またジャンルを超えた展開を見せつつ大衆文化に
広く根付いている。
ヴェルディの活動はイタリア・オペラに変革をもたらし、現代に至る最も
重要な人物と評される。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイ火山国立公園(Hawaii Volcanoes National Park、略称:HAVO)は、
アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島の南に広がる火山地帯を中心とした
国立公園である。
ハワイでは最初の世界遺産に登録された。
ハワイ火山国立公園は、133,200haの保護区内に二つの活火山を有する。
キラウエア火山から流れ出た熔岩は18.8億㎥に達しており、周辺施設にも
その影響が及んでいる。1987年にプナへ続く海岸沿いの道路が、
1988年に南海岸にあったワハウラ・ビジターセンターが、1990年には
カラパナの町が、1994年にはカモアモア・ビーチとワハウラ・ヘイアウが
それぞれ熔岩によって飲み込まれた。
火山活動の中心部は公園北東部に位置するプウ・オオ火口で、流れ出る熔岩を
見ることができる。
火の女神ペレが住むと言うハレマウマウ火口で、1924年の大規模な水蒸気
爆発以来の小規模な爆発が起こった。この爆発で、火口の底が崩落し410m
の深さになったハレマウマウも、何度も溶岩を噴出し、1952年には92m
もの深さの溶岩の池を作り、徐々に浅くなったハレマウマウは現在87mの深さ
になっている。その南側壁面に新しい噴出孔ができ、白い蒸気とガスを出して
いると言う。
この噴火はペレの怒りの表れと言うことでお供えをすると習慣がある。
またここは連邦政府の管理下にあり、たとえ石1個でも持ち帰ったりすると
違法になると言う。ハワイの文化では石1つにしても女神ペレの一部だと
信じられているのだ。珍しいと言えば細いガラス繊維の岩もある。
特に圧巻は「チェーン・オブ・クレーター・ロード」と呼ばれる溶岩の大地
を縫うように走る道路が目を引く。
このキラウェア火山が住民に勇気と活力を与えてくれる。
そして今日もフラを捧げて女神ペレに感謝の意を伝えている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ホレホレ節は、ハワイの日本人一世が生み出した労働歌である。
19世紀末に日本人労働移民が組織的にハワイに送り込まれ、
ハワイ各地の砂糖耕地で重労働についた。ホレホレ節は、その砂糖耕地
での労働の中から生まれてきた民謡である。
作詞、作曲者は不明である。 
「ホレホレ」とは、砂糖黍の枯れ葉を手作業で掻き落としていく作業を指す。 
他の耕地労働に比べ比較的力がいらなかったため、これは主に女性の仕事だった。
炎天下での「ホレホレ」の作業の中で、ともに励ましあい、力を合わせるために、
また少しでも気を紛らわせるために、即興的にいろいろな歌詞をつけて
歌いこんでいったものと思われる 。

    ホレホレ節

ハワイ、ハワイと夢見てきたが
流す涙は甘庶(きび)の中
行こか メリケン(アメリカ)帰ろか 日本
ここが試案の ハワイ国

今日のホレホレ 辛くはないよ
昨日届いた 里便り
横浜出るときゃ 涙ででたが
今は子もある 孫もある

日本人労働移民は、横浜を出航する船でハワイへ旅立った。
条約切れても 帰れぬやつは
末はハワイの ポイ(ハワイ原住民の主食)の肥
ハワイ ハワイと 来てみりゃ地獄

ボース(ボス)は悪魔で ルナは鬼
カネ(男)はカチケン ワヒネ(女)はハッパイコウ(運搬作業)
夫婦仲良く 共稼ぎ
条約切れるし 未練は残る
ダンブロウ(労働契約が満期)のワヒネにゃ 気が残る

 ホレホレ節の旋律は、移民の出身地であった広島、山口、熊本などの
各地方の民謡が混ざり合ってできたものではないかと思われる。

「ホレホレ節」は、1967年に民謡歌手、佐藤松子によって日本でも
録音され、キングレコードから発売されている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 日本最初の集団移民となったのは、1868年(明治元年)横浜を出港した
イギリス船籍の「サイオト号」に乗った153人であった。この移民は、
ハワイ政府の強い要請に基づいて準備されていたが、移民許可を出した
徳川幕府が瓦解し、明治新政府はこの移民を認めなかったため、無断で出港
してしまうという事態であった。
ハワイ政府は1864年、移住民局を設置し、労働力不足を解決するため外国
からの労働力を導入しようとしていた。しかし、それまでの外国人労働力として
受け入れていた中国人に対しては、アメリカで中国人排斥運動が起きていたこと
もあって、中国人の代わりとして日本人移民の導入を計画していたのだ。
労働力導入だけにとどまらず、ハワイアンと同じ非白人種の日本人をハワイ社会
に同化させ、そのことによってハワイ人の人口増加をも期待していたようだ。
徳川幕府はハワイとの通商条約の締結もないまま、幕府は350名の渡航許可と
180名分の印章(旅券)の交付を行った。

 そうした期待の中で、彼らは二十数人ずつに分けられて、プランテーションに
就労することになった。現実はそんなに甘くなかったようだ。炎天下の耕作地での
1日10時間以上もの労働は過酷をきわめた。何ヵ月もしないうちに、
彼らの中から不満の声が上がり始め、生活習慣が異なり、しかも言葉が全く分から
ないという不慣れな生活環境のなかで、ストレスが急速に蓄積されていったことも
あったようだ。実は、後に元年者と言われるようになる彼らの多くは、農業の経験
が全くない、都市生活者であったのだ。
元年者の移民はスタート最初からトラブルが続き、その対策に苦慮した明治政府は
海外への移民については慎重な態度をとるようになったのだ。
明治政府は、この後、20年近くにわたって、海外移住を許さず、その代わりとして
北海道開拓を推進するようになった。
しかし、ハワイ側から見ると、日本人移民に対する評価はけっして下がってはいな
かった。むしろ、ますます日本人移民を必要とするように感じていた。それが後の
官約移民へとつながっていく。
その後1871年、日本ハワイ修好条約が結ばれ、バンリードは条約締結に奔走した
功績が認められ、日本政府の公認のもと、正式なハワイ総領事に就任することになった。
1885年から10年間で約21万人の日本人がハワイに渡り、さとうきび栽培に従事
したことになる。
日系移民はその勤勉さからハワイ経済発展の一翼を担ったといっても過言ではない。
アロハシャツも日本の着物がルーツと言う説もある。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 みやざき みえこは、箏奏者、シンガーソングライター。
東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。
9歳より琴を始める。東京芸術大学在学中に、皇居にて皇后・皇太子の前
で演奏する。卒業後は、NHK邦楽オーディションに合格し、プロの道を
歩み始める。
古典のみならず、J.S.バッハ、ショパンなどの洋楽も琴で演奏し、
ヨーロッパの音楽家とコラボレーションを試み、自ら作詞、作曲、ヴォーカル
を担当するなど、幅広く活躍している。尺八奏者藤原道山とのユニット
「EAST CURRENT」も立ち上げる。
2005年よりフランスのボルドーに活動の拠点を移し、ヨーロッパを中心に
ソロ活動を行っている。Michel Torr、Les Primitifs du Futur、鬼太鼓座など、
国際色豊かなアーティストとの共演も多数。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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キャプテン・クック

 ジェームズ・クック(James Cook, 1728年 - 1779年)は、
イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。キャプテン・クック。
庶民からイギリス海軍の大佐に昇りつめ、太平洋に3回の航海を行い、
オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見した。
10代を石炭運搬の商船隊員として過ごした後、1755年にイギリス
海軍に入隊、7年戦争に加わった。ケベック包囲戦では、戦艦の航海長
としてセントローレンス川の河口域を綿密に測量し海図を作成した。
海図はウルフ将軍の奇襲上陸作戦の成功を導き、クックの存在はイギリス
海軍省と王立協会に注目されることとなった。クックは南方大陸探索の命
を受けて、三檣帆船エンデバー号を指揮し、11766年に第1回航海に出帆した。
クックは多数の地域を正確に測量し、いくつかの島や海岸線をヨーロッパ
に初めて報告した。クックの幾多の偉大な功績をもたらしたのは、
卓越した航海術、すぐれた調査と地図作成技術、真実を確かめるためには危険
な地域も探検する勇気、逆境での統率力、海軍省の指令の枠に納まらない探検
範囲と気宇の壮大さ、これらのすべてであったと言えよう。また壊血病の予防
に尽力し表彰されている。
第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。
理由としては当初クックは神の子として崇められていたが、それが人間である
ことがわかり、船上から海へ突き落されて死亡。享年51歳。
しかしその後名誉が回復され、ハワイ島にモニュメントが建立されている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
カタログ-1
カタログ-2
カタログ-3
カタログ-4

 「長野県健康生きがいづくりアドバイザー協議会」なるところから
登録要請があり登録することとした。
要請があればハワイアンバンドの演奏をすると言うものである。
加盟金、会費などは全て無料で演奏すると謝礼も出ると言うからいい話である。
ここは「生きがい」をテーマに活動している団体で各方面の学識経験者等が
サポートしている。県もバックアップしていると言う。
つまり地域や企業のサラリーマン、自営業者、OBを中心に健康と生きがい
づくり活動を支援すると言うものである。

次の5つの活動内容をあげている。

1.啓発活動・・・健康生きがいづくりの理解を深める。
2.仲間づくり・・・仲間づくりや組織活動をコーディネート。
3.機会・情報の提供・・・健康・生きがいづくりに関する機会・情報を提供。
4.相談・助言・・・ケースワークなどの手法を使い、実際の行動へとつながる助言
         を行う。
5.能力発見・開発・・・生きがいを見つけたり、その生きがいを更に発展
         させるよう支援。

詳細は公式サイト
http://www3.ocn.ne.jp/~ken-iki2/reader_N/top.html

事務局TEL026-296-8040(浅井)
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報



 スコット・フルシマ(Scott Hulushima)
ハワイ生まれの日系3世。中学生からブラスバンドでトロンボーンを吹いていた。
それが音楽人生の始まりで高校生まで吹いていた。
大学卒業後サンフランシズコでさらに音楽の勉強をしようかと思ったが
その時にロイヤルハワイアンバンドから加入の誘いを受けた。
この時にアメリカ本土に行くか、ハワイへ残るか考えた。しかし結論は出ていた。
17年後の今もロイヤルハワイアンバンドのメンバーとして活動している。
バンドではトロンボーンの他にヴォーカルとしても活躍している。
夜は別の顔も見せる。毎晩ワイキキのどこかでベース、ウクレレ、スチールギター
を演奏している。
当時はサニー・カマヘレ、ピター・ムーン、ハワイ・コールズを始めとする
名プレイヤーたちの演奏を聴き覚えた。
ここで初めてスチールギターの音色を聞いたと言う。それが自分のやりたいスタイル
だと決心した。
今日もワイキキのどこかでスコット・フルシマのスチールの音色が響く。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 薬師丸 ひろ子(本名:薬師丸 博子、1964年生まれの57歳 )は、
東京都出身の女優、歌手。玉川大学文学部英米文学科卒業。
1978年角川映画『野性の証明』のヒロイン「長井頼子」役オーディション
に合格、高倉健と共演。以後、『ねらわれた学園』『セーラー服と機関銃』
『探偵物語』『翔んだカップル(東宝映画)』などに出演。「お父さん怖いよ」、
「カイカン」、「顔はぶたないで。私、女優なんだから」
「ああー!!私、お爺さまを殺してしまった!」など多くの流行語も生み出すなど
話題になった。『セーラー服と機関銃』の中で機関銃を乱射するシーンで有名な
「カ・イ・カ・ン」のセリフは薬師丸のアドリブである。
1991年玉置浩二とハワイで挙式。1993年離婚。
2011年主演映画『わさお』が公開され、主題歌「僕の宝物」も自らが担当。
主演映画の主題歌を歌うのは22年ぶりとなる。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイ島のオピヒカオと言う小さな町にその民芸品ラウハラ細工があった。 
「ラウ」とはハワイ語で「葉」を意味し、「ラウハラ」とは「ハラの葉」の意味。
ハラは、タコノキ科。和名をシマタコノキといい、主にハワイ海岸付近の乾燥
した土壌でよく見かける。
タコの足のように広がった根、とげのある細く尖った葉、パイナップルに似た
3色の果実をつける。
細長い葉は横方向にとても強く、耐久性、柔軟性に富んでおり、編み細工に
使われる。
葉の両端にはとげがあるが、とげを剥ぎ、1日以上水につけた後で陰干しし、
適当な幅に縦に裂いてから使用する。
ラウハラを編む作業は伝統的に女性の仕事とされてきており、
ラウハラ編みでは、ブレスレット、敷物やバスケット、カヌーの帆など様々な
ものを作る。ハワイのお民芸品としても定着しいる。
ラウハラの網目模様は、ハワイアンファブリックのデザインにもよく取り入れ
られている。
この制作者として知られる「ミシェル・ザーネ」さん。ハワイを代表する作品
づくりに余念がない。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 市内の世界人形博物館で開催されている「三十段飾り千体の雛祭り」に
行ってきました。
とにかくすごい、圧巻は高さ6m、30段の雛人形と「つり雛」約100本。
よくぞこれだけ集めたものと感心しました。
見ているだけで何かいいことありそうな気がします。
尚、お雛様の表情も「日本頑張れ」とでも言いたげな顔をしていました。
このイベントは4月10日(日)まで、お問い合わせ026-245-2340
です。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報
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 平尾勇気(作曲家:平尾昌晃の長男)。
2004年ポニーキャニオンレコードからアーティストとしてデビュー。
自ら作詞作曲した『ハダカの楽園』はTBS番組『サンデージャポン』の
エンディングテーマ曲になり有線チャート3位を獲得。日本レコード大賞
新人賞候補にノミネートされるなどミュージシャンとして実績を残している。
そういえばイメージが良く似てる。やはり蛙の子は蛙かな?
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 アイルランドの民族楽器と言えば「フィドル(ヴォイオリン)」だ。
それを奏でる人々をフィドラーと呼んでいる。
「人間の精神に近い音」として生活の中に入り込んでいる。
フィドルは弓を用いて演奏する擦弦楽器のうち、ヴァイオリンを指す。
主にフォークミュージック、民族音楽で使われるヴァイオリンを指す。
一方、英語のViolinの俗語でFiddleが使われることがあり、この場合、
クラシックで使われるヴァイオリンにも使われる。
元々イタリアで生まれたとされるヴァイオリンという言葉は、イタリア語
から派生した言葉であり、フィドルは英語である。
ヴァイオリンとフィドルの構造はまったく一緒だが、次の言葉が両者の違い
を良く示している。
このフィドラーで国民的な演奏家として知られる「マイケル・コールマン」
をあげることが出来る。多くのフィドラーが目標にしている。
彼の演奏はシンプルではあるがそれがなかなか真似が出来ないと言う独特のものだ。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽



 ダ-クダックスがデビューして60年が過ぎた。
この度ダークダックスとしての活動は終焉する。
1997年にセカンドテナーの佐々木行(とおる)が脳梗塞の為倒れ、
その後遺症で話すことが出来なくなった。2008年には愛妻にも先立たれている。
その為女性を入れてとの検討もしたが、彼の席を空けておくと言うことで3人で
再スタートを切った。
佐々木行は2年前に一度挨拶がわりにステージに立ったのが4人での最後の姿となった。
しかし2011年1月にトップテナーの高見沢宏(ひろむ)が心不全の為死去。
(享年77歳)
残った2人もすでに80歳を超え齢(よわい)時期を迎え、これを機会に解散
することとなった。但し個々には活動は続けていくと言う。
我々の青春時代を潤してくれたダークダックスに感謝、そして振り返って見よう。
ダークありがとう!
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽