fc2ブログ

Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。



 1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイに捧げた『ミッシング・ユー』
の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、イギリスでは引き続き安定した
人気を誇っていたほか、日本でも1990年に『イフ・ウィー・ホールド・オン・
トゥゲザー』がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌や、『とんねるずの
みなさんのおかげです』の挿入歌として起用され、洋楽では異例のヒットを記録し
ている。
1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドの
ブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。
1990年代以降は、公私に渡るトラブルもあり第一線からは退いている。
幼い頃から親交が深いマイケル・ジャクソンの、遺言書にマイケルの子供達の後見
人であるマイケルの母キャサリン亡き後の後見人に指名されているが、マイケルの
追悼式や埋葬式には出席しておらず、これを受けるかに関しても公に発言していない。
彼女には3人の娘と2人の息子がおり、夫々俳優や教師などになっている。
夫とも離婚している。
スポンサーサイト



テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC00996.jpg

この度、当バンドに専属ヴォーカルとして「沢ジュン」さんが入会されましたので
ご紹介申し上げます。
以前は某音楽事務所に所属していました。
声量のある甘い歌声、日本調の歌を得意としております。
これには女性もイチコロまちがいなし?

プロフィールとしては・・・
名前:沢ジュン
年齢:?
住所:千曲市在住
趣味:カラオケ

初ステージは7月14日(木)東急ライフビアガーデンライブとなります。
ご期待下さい。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC00944.jpg
DSC00939.jpg
DSC00949.jpg
DSC00946.jpg
DSC00936_20110628092752.jpg
DSC00967_20110628092751.jpg
DSC00951.jpg
DSC00950.jpg
DSC00958_20110628092846.jpg
DSC00959.jpg
DSC00978_20110628092845.jpg
DSC00980_20110628092845.jpg
DSC00938_20110628092939.jpg
DSC00986.jpg
DSC00987_20110628092933.jpg
DSC00982_20110628092933.jpg
DSC00983_20110628092932.jpg
DSC00985_20110628092932.jpg
DSC00990_20110628093030.jpg
DSC00991_20110628093030.jpg
DSC00992.jpg
DSC00994_20110628093028.jpg
DSC00993_20110628093029.jpg
DSC00995_20110628093028.jpg

 イズラエル・カマカヴィヴォオレ(Israel Kaʻanoʻi Kamakawiwoʻole、
1959年 - 1997年享)は、アメリカ合衆国、ハワイ州出身のシンガー。
通称イズ(IZ)。340kgを超える巨体から美しい歌声で魅了する、
ハワイ州を中心に死後の現在でも伝説的な人気がある歌手である。
ソロデビュー前ホノルル市近郊のカイムキで少年期を過ごし、11歳の時に
兄のスキッピーとともに音楽活動を開始し、その後1976年に兄とともに
バンド「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ(Makaha Sons of Niʻihau)」
に参加した。同バンドは1980年代にかけて活動し人気を博すものの、
1982年にスキッピーが心臓発作で亡くなってしまう。
その後ソロ活動で1990年に初のソロアルバムを出し、1993年に発表した
アルバム「Facing Future」のヒットでハワイ以外でも広く知られるようになった。
1997年に、肥満が原因で、妻と一人娘を残したまま38歳の若さで死亡した。
しかし、死後10年以上たった現在でもハワイ州のみならず世界各国で高い人気を持つ。
ハワイ州を代表するミュージシャンの死を悼んで、7月10日に行われた葬儀の日
にはハワイ州旗が半旗掲揚となった。
葬儀は散骨の形式で行われ、こよなく愛した海へと注がれた。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽


 ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、
1944年生まれの67歳 )は、アメリカ合衆国の歌手。
アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人であり、ブラックミュージック界
の大御所である。
ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に、女性4人組の
コーラス・グループ、プリメッツを結成。プリメッツは、1961年にモータ
ウンと契約、3人組となってシュープリームスとしてデビュー。
元々、ダイアナ一人が目立っていたスプリームスだったが、1967年には
メンバーチェンジを機に、ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスと正式に
グループ名が変わった。
スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。
ソロ歌手として活動を始める。

激動編へつづく。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC00548.jpg
DSC00546_20110626112350.jpg
DSC00545_20110626112350.jpg
DSC00544_20110626112349.jpg

今年発売されたコナ・レッド。
コーヒーの実の部分から作ったもので、滋養と強壮剤
として今静かなブーム。
抗酸化作用が高く、シナモンの風味がして、アメリカ版 
ユンケルという感じである。
1本5.8ドルと比較的リーズナブルなプライスも人気の理由だ。
最近は有名スポーツ選手も愛用とかこれから日本でもブームとなるか?

これにはバイアグラもまっ青?
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
おんぼら-2

 ホクト文化ホールから今年も恒例の「音楽ボランティア演奏会」が開催
されるとの通知を受け取る。
7月30日(土)pm1:30開演で、ホクト文化ホール(中ホール)
で開催される。入場無料である。
今年のテーマは・・・ほっと・おんがく「おんぼら」だと言う。

今年の出演者は出演順に・・・

・中野ローズフェスタ合唱団
 2003年中野市民講座にて学芸大学准教授でテノール歌手、小林大作氏
の指導を受けた人達が中心となり、2011年ローズフェスタ合唱団を結成。

・琴志華会:ことしかかい(日本大正琴音楽研究会)
今年は、大正琴生誕100年になります。私たち琴志華会は、アコーステック
大正琴でのアンサンブル演奏で癒しの音色を奏でます。

・はるうらら・・・オカリナアンサンブルグループ
「ハルウララ」113戦全敗の愛すべき競走馬。私たち4人、音楽会の
「はるうらら」であり続けます。

・村の音楽堂
サックス奏者。主に高齢者介護施設や病院祭、地区文化祭等で活動。
遠くて聴こえる潮騒のような、聞いていて心地よい音楽活動を目指しています。

・信州エレキの若大将ヴァイキー
モンマルトル長野駅前店でたまに演奏しています。超絶・ギターテクニックを
ご覧あれ!

皆様のご来場をお待ち致しております。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報
DSC00533_20110624092149.jpg
DSC00534_20110624092148.jpg
DSC00535.jpg
DSC00536_20110624092147.jpg
DSC00537_20110624092146.jpg
DSC00538_20110624092145.jpg
DSC00539_20110624092437.jpg
DSC00540_20110624092436.jpg
DSC00541_20110624092435.jpg

 マーク・トゥェイン(Mark Twain, 1835年- 1910年)こと
サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)は、
アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。『トム・ソーヤーの冒険』
の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を
行うなど、当時最も人気のある著名人であった。
新聞記者時代に2年間ハワイ島のコナで過ごし、記事をアメリカ本土へ配信して
いた。その時植樹した「モンキーポッド」の木が今も残っている。
また、彼が過ごしたスクェアも「マーク・トゥェイン広場」として残されている。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC00549.jpg
DSC00601_20110623084206.jpg
DSC00640.jpg

 クムフラ『エインズリー・ハレマヌ氏』のプロフィール
ビッキイ・ロドリゲスはじめ4人のフラマスターと、7人のクムフラに師事。
38年間クムフラとしてダンサーを指導している。
また、シンガー、NCと多彩な顔を持つクムとして有名でメリーモナークでは
27年間、ハウスミュージシャンを務めた、ベテランのエンターテイナーでもある。
植物にも大変詳しく、レイメイキング、デコレーション、薬草などの知識など
幅広い知識を持っている。その彼の独特のクムフラ理論とは・・・

 私はメリーモナークがシビック・オードトリアムで開催された年の25年前から、
ハウス・バンドにいました。
メリーモナークは、アンクル・ドッティ・トンプソンやアンクル・ジョージ・ナオペ
たちが最初にそこで始めました。
その頃入場無料であったが、あまり人は来なかった。
当時ぼくはハウス・バンドのオリジナルのメンバーだった。唯一生き残っている一人
なのだ。ぼくはベースとヴォーカルをやっていてファルセツトも得意だ。
アンクル・ジョージたちは、メリーモナークを大きくするために、フラを復活
させようとした。それは当時どん底だったヒロの経済を復興させようとする狙いも
あったのだ。人々を呼び集めるイベントを始めることにした。
当時ホノルルでとの意見もあったが全員が反対してヒロに決めた。
他でも開催しないか、との誘いもあったがこれを全て断った。
結局それがヒロの経済発展のカギになった。
さて、ぼくにとってクムとは生徒たちを自分の子供のように心の中、そして家の
中に迎えいれて世話をすることだと思っています。そうしながら、それは
とっても良いよ、あるいは駄目だと教えます。僕は今も伝統的なこのスタイル
で教えています。
おばさんも、若い人も、生徒はみんな僕の子供です。つまり生徒のことはいつも
気にかけています。心の中、そして家の中に迎え入れて世話をすることだと思っています。
フラアカデミーがあるので、家に帰らなくてはなりません。
生徒たちに、イプの演奏法やチャント、レイの作り方を教えています。
生徒が1週間ホームスティして、僕と一緒に生活するスタイルのフラスクール
をやっています。ハワイにある僕の家です。
「クムは生徒の為にある」これが僕の信条です。


テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC00279_20110622085718.jpg
DSC00270.jpg
DSC00271_20110622085717.jpg
DSC00272.jpg
DSC00273_20110622085716.jpg
DSC00280_20110622085715.jpg
DSC00274.jpg
DSC00275_20110622085755.jpg
DSC00276_20110622085755.jpg
DSC00277_20110622085754.jpg
DSC00278.jpg

 ハワイはオアフ島のワイキキから近い所に「サンディー・ビーチ」がある。
サーフィンの最も適しているビーチとも言われ上級者が多いと言われている。
ここは砂だらけのビーチであるが、なんとこの砂、溶岩が削りとられて出来
た砂と言われキラキラ輝いている。これは溶岩の鉄分が結晶されたものとし
ている。
さらに サンディー・ビーチがアルカリ度の非常に高い砂であることから、細胞膜中
に高純度のミネラルを蓄える可能性がある。
カルシウム、マグネシウム等の天然ミネラルが期待され、高ミネラルを含む
最初のマイクロアルジェとなることが考えられる。
波が荒い為岸壁の削りとられる頻度も高く、砂の量も多いとか。これが浅瀬
ゆえんと言う説もある。
ハワイではここだけと言う珍しいビーチでもある。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報


 ハワイアンフェスティバルが「ながの東急」で開催されました。
期間は6月17日(金)~22日(水)で土・日曜日は地元の
ハーラウでフラを披露しました。
とにかく99.9%が女性と言う異常な事態でした。

ゲストの紹介・・・

・古賀まみ奈&真木隆寿
 現役東大生のフラダンサー古賀まみ奈と米国バークリー音楽院で学んだ
 真木隆寿によるステージ。美しいハワイアンソングとフラダンスによる癒し
 のステージ。

・ミカ・ヒラオソレム
 フラ・ハラウ・オ・カムエラに所属しメインダンサーとして活躍。2010年
 メリーモナーク・フラフェスティバルではミスアロハフラの座に輝いた。

・クアナ・トレス
 ナホク・ハノハノ・アワード最多受賞グループであるナーパラパライの
 リーダー。今年6月には「カウナロア」を発表し・ソロデビューを果たす予定。

・Laula(ラウラ)
 湘南・藤沢出身の松井貴志(マツイタカシ)と来海 大(ライカイ ヒロシ)
 からなるハワイアンユニット。伝統的なハワイアントラッドにみならず、ポップ
 ソングまでこなす独自のスタイルは全国的にも人気を誇り、近年」ハワイでも支持
 を得ている実力派。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報


 プラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo,1941年生まれの70歳 )は、
スペイン生まれのテノール歌手で、指揮者、歌劇場芸術監督としても活動し
ている。
年上のルチアーノ・パヴァロッティ、年下であり同じくスペイン出身のホセ・
カレーラスと共に「三大テノール」としても広く知られる。
スペインのマドリード生まれ。両親はサルスエラ歌手。1949年、サルス
エラ劇団を経営する家族とともにメキシコに移住、両親の一座で子役として
舞台に立っていた。1955年にメキシコシティの国立音楽院に入学してピ
アノと指揮を学ぶ。
1959年に、メキシコシティのメキシコ国立歌劇場でテノール歌手として
デビューした。
1961年にテルアビブ歌劇場と契約し、イスラエルに移る。多くの役に挑
戦して実力を蓄えつつ、1965年までイスラエルで活躍。同年にニューヨ
ーク・シティオペラと契約してアメリカに移った。1967年には、ドン・
カルロ(タイトル・ロール)を歌ってウィーン国立歌劇場にデビューする。
妻はメキシコ人でメキシコを第2のふるさととしている。息子2人もメキシ
コ国籍である。
その後の活躍は順風満帆と言うべきか。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC00055_20110619085003.jpg
DSC00056_20110619085002.jpg
DSC00057.jpg
DSC00058_20110619085001.jpg
DSC00059_20110619085000.jpg
DSC00060_20110619085000.jpg
DSC00061.jpg
DSC00063.jpg
DSC00064_20110619085040.jpg
DSC00065_20110619085039.jpg
DSC00066.jpg
DSC00067_20110619085038.jpg
DSC00068_20110619085059.jpg

 5月1日はメイデーであるが、ハワイでは「レイデー」(Lei Day)
として親しまれている。レイはハワイの文化を語る上で欠かせない
大事な要素のひとつ。お祝いやお礼の気持ち、そしてたっぷりの愛情
をレイに込めて贈る習慣が生活にとけこんでいるのだ。
今から84年前に当時の知事が始めたとされる。
 毎年5月1日にカピオラニ公園で行われる「レイデー・セレブレーション」
で、バンドスタンドを中心に、レイ・クイーンやプリンセスの任命式、
レイ・コンテスト、レイ・メイキングのデモンストレーション、リボンレイ
などのクラフトブースなどがあり、多くの人が集まる。
レイ・デーはハワイにとって特別な日。ハワイ中のプリスクールをはじめ、
小学校や中学校、高校で各種イベントが開催される。
自由に踊ったり歌ったりでハワイの陽気な民族性が出ている。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報



 「北国の春」は、1977年に発売された千昌夫のシングルレコードである。
都会で暮らす男性が実家から届いた小包を受け取り、早春期の故郷や家族、
かつての恋心などを想う内容の歌詞で、ロング・ヒットを記録したシングル盤。
オリコンの週間ヒットチャートでは、100位以内初登場から通算92週目で
ミリオンセラー達成。
ヒットにより、『第28回NHK紅白歌合戦』に出演以来6回目の出場を果たした。

タイトルにもある「北国」がどこを指しているか、具体的な地名は歌詞中に登場し
ないが、作詞者のいではくが後に自身の故郷(長野県南牧村)がある信州の情景を
描いたと語っている。
中国語やタイ語など世界40ケ国での歌詞を付けたカヴァーバージョンが多数ある
など、アジア各国で歌われる、国際的なヒット曲となった。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC00041_20110617085107.jpg
DSC00043_20110617085106.jpg
DSC00044_20110617085106.jpg
DSC00045_20110617085105.jpg
DSC00046.jpg
DSC00047_20110617085103.jpg
DSC00048_20110617085148.jpg
DSC00049_20110617085147.jpg
DSC00050_20110617085147.jpg
DSC00051.jpg
DSC00052_20110617085145.jpg
DSC00053_20110617085145.jpg
DSC00054_20110617085204.jpg

クムフラから学ぶ本格的なフラレッスン。
神に捧げるために生まれたフラの精神。
その精神は時代を経ても変わることなく受け継がれている。
フラにまつわる神話や伝説が数多くあるハワイで、ハワイ独特の踊り=「フラ」
とその歴史をクムフラから学ぶ。
ハワイ旅行など短期滞在でも1日2時間~レッスン可能!ハワイアンのクムフラ
から本格的なフラレッスンが受けられる。また、最長12週間までの滞在であれ
ばビザ申請の必要がないため、ハワイ生活を楽しみながらじっくりとフラレッス
ンを受けられる。
ハワイアンは、大陸からこの島を発見した人達よりもずっと前からこの島に住み、
自然と調和して暮らし、大地とその恵みを崇拝して豊かな海や山の幸をわかちあ
ってきた。
ハワイアンは文字の変わりに、愛情や命、感謝への気持ちを表すときにフラを踊る。
フラはハワイ語で「踊り」という意味。

 高橋順子さん(20代)。豪華客船「飛鳥」の客室乗務員として3年間勤務していた。
しかし人生このままでいいのかと言う疑問を感じて、今までフラのフの字も知らな
かったのにハワイフラ留学を突然選んだ。気が付いたらハワイ島のヒロに来ていた。
そして1年が経とうとしている。
これからどうするか、将来はなどと考えたこともないと言う。また考えるのもイヤ
だと言う。毎日が充実しているのだ。
さあ!あなたもいかが。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC00001.jpg
DSC00002_20110616085710.jpg
DSC00004_20110616085710.jpg
DSC00003_20110616085709.jpg
DSC00005.jpg
DSC00006_20110616085707.jpg
DSC00007_20110616085802.jpg
DSC00009.jpg
DSC00010_20110616085800.jpg
DSC00011_20110616085800.jpg
DSC00012_20110616085759.jpg
DSC00013_20110616085759.jpg
DSC00014_20110616085841.jpg
DSC00015_20110616085840.jpg
DSC00016_20110616085840.jpg
DSC00017_20110616085839.jpg
DSC00018_20110616085838.jpg
DSC00019_20110616085837.jpg
DSC00020_20110616085944.jpg
DSC00021_20110616085943.jpg
DSC00022.jpg
DSC00023.jpg
DSC00024.jpg
DSC00025_20110616085940.jpg
DSC00026.jpg
DSC00027_20110616090041.jpg
DSC00028_20110616090040.jpg
DSC00029.jpg
DSC00030.jpg
DSC00031.jpg
DSC00032_20110616090133.jpg
DSC00034_20110616090132.jpg
DSC00035_20110616090132.jpg
DSC00036.jpg
DSC00037.jpg
DSC00038_20110616090206.jpg
DSC00039_20110616090205.jpg
DSC00040.jpg

 ハワイ大好き大集合!~
第2回 Love Hawaii Collection in YOKOHAMA 2011 が4月23日(土)
・24日(日)の2日間にわたって「横浜港大さん橋・国際客船ターミナル」
で入場無料で行われた。
今回は「ハワイの食」にこだわり、ハワイ各島で開かれている「ハワイアン・
ファーマーズマーケット」を展開。マウイゴールドのパイナップルなどのフル
ーツや、タロイモパウダーを使った加工品、ノースショアソープの石けんの
ハワイ雑貨などなど。ファーマーズマーケットさながらの雰囲気が味わえた。
もちろん、80ハーラウ参加のフラや、50店舗のハワイアンショップ、ワーク
ショップなどに加え、ハワイ旅行が当たる企画もありと、ハワイ好きには大いに
盛り上がったイベントであった。。
今回の主催者はデビット・スミスで東日本大災害のチャリティ・コンサートに
変更したと言う。

 主催者のデビット・スミス
HAWAIIのカイムキハイスクール卒業後、ニューヨークに3年勤務。日本に帰国し
芸能事務所に入社。芸能活動8年後に独立しモータースポーツに関する専門
マネージメント会社を経営。新たに湘南にプロダクション「レイランド」を設立。
代表主宰イベント「ウクレレピクニック」は日本最大のハワイアン野外フェステ
ィバルとして12年間継続。
さらにハワイに関する情報は誰よりも早いと自負する。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC09864_20110615090850.jpg
DSC09847_20110615090849.jpg
DSC09848.jpg
DSC09861.jpg
DSC09863.jpg
DSC09873.jpg
DSC09867_20110615090937.jpg
DSC09875_20110615090936.jpg
DSC09876_20110615090935.jpg
DSC09877.jpg
DSC09880_20110615090934.jpg
DSC09881_20110615090933.jpg
DSC09885.jpg
DSC09889_20110615091021.jpg
DSC09893_20110615091019.jpg

 オック語の話される地域オック語とはロマンス語のひとつで、フランスの南部、
正確にはロワール川以南から、現在のローヌ=アルプ地域圏一帯、バスク語圏、
カタルーニャ語圏を除いた地域で話されている諸言語の総称である。フランス
以外にもイタリアのピエモンテ州の一部、スペインのカタルーニャ州アラン谷
ではオック語の一つガスコーニュ語の方言アラン語が話され、公用語の一つと
されている。
フランスは近代国家による中央集権化の一環として言語の人為的操作を最も強硬に、
また早い段階で進めて来た国家であり、方言禁止政策や標準語という名の人工言語
の制定などは他の国家にとってのモデルケースとなった。
マスメディアの浸透もあってオック語は窮地に立たされており、600万を数える
オック語話者の高齢化も指摘され、これから如何にしてオック語を若い世代に継承
するかが重要なテーマとなりつつある。
そんな背景の中でオック語で詩を吟じている母娘がいる。帝政ローマ時代に
カタリ派が弾圧を受けて処刑される様子やそれに抗議する模様を吟じている。
粗末な家で電気も水道もない場所で母と娘がひっそりと暮らしている。
このオック語を絶やしてはいけないと言う願いからだと言う。
テーマ:パリ、フランス - ジャンル:海外情報
DSC09895.jpg
DSC09899.jpg
DSC09901_20110614085026.jpg
DSC09902_20110614085025.jpg
DSC09903_20110614085024.jpg
DSC09905_20110614085023.jpg
DSC09906_20110614085126.jpg
DSC09907.jpg
DSC09909_20110614085125.jpg
DSC09910_20110614085124.jpg
DSC09911_20110614085123.jpg
DSC09913.jpg
DSC09896_20110614085215.jpg
DSC09897.jpg
DSC09898_20110614085213.jpg
DSC09914.jpg
DSC09915.jpg
DSC09918_20110614085211.jpg
DSC09917.jpg

 タンゴが生まれたのは今から約100年前、19世紀の終わり頃に南米は
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでだと言われている。この頃,南米は
ヨーロッパから移住してきた白人たちと、アフリカから労働力として連れて
こられた黒人たち、そして原住民のインディオ系の人々とがごっちゃになって、
一種カオス(複雑)的な雰囲気を作り出していた。
 このような19世紀末の南米というカオス的状況の中で、タンゴは生まれた。
黒人たちの持ってきたアフリカ系音楽の強烈なリズムと、白人たちの持つヨー
ロッパ的クラシックの旋律が混じり合ってできた音楽だと言われている。
このことは、何もタンゴだけに当てはまる話ではなく、ブラジルのサンバや
ルンバ、キューバのサルサ、レゲエ、アメリカのジャズも同じような起源を持つ
音楽なのだ。アメリカ大陸には混血の人が多く、音楽もこれと同様にかなり
混血的なものが生まれた。
 タンゴの生まれたブエノスアイレスという街は南米でももっとも大きな都会
であり港町でもある。19世紀末のブエノスアイレスは,国際貿易港としてか
なり栄えた。アルゼンチンという国は、広大なパンパ(平原)を持った国であり、
穀物や牛肉などの大輸出国として栄えていた。穀物の収穫など仕事も山のようにあり、
ヨーロッパの貧しい国や地方から渡ってくる出稼ぎや移民も後を絶たなかった。
ブエノスアイレスの街は繁栄を極めていたので、表通りにはヨーロッパばりのき
らびやかなカフェや店が建ち並び「南米のパリ」とまで言われるようになった。
しかし、一方で貧富の差はどんどん広がっていき、貧しい小作や労働者は過酷な
労働を強いられた。その結果、裏通りの方は世界でももっとも危ない地域として
恐れられるようになったのだと言う。
 タンゴが生まれたのは,ブエノスアイレスのボカ地区と言われる一角だと
言われている。このボカ地区は、港町ブエノスアイレスの中でも,このような貧しい
「裏町」で、このボカ地区の、貧しい労働者や娼婦たちのたむろするカフェで、
ギターを伴奏に踊られていたのがタンゴ、まさにカオスの中から生まれた音楽なのだ。
テーマ:洋楽 - ジャンル:音楽
DSC05414.jpg
DSC05415.jpg
DSC05416.jpg
DSC05417.jpg
DSC05419_20110613083458.jpg
DSC05421.jpg
DSC05423.jpg
DSC05424.jpg
DSC05425_20110613083531.jpg

 シダの洞窟があるカウアイ島はオアフ島の隣にある島で人口は約57.000人、
面積は160平方キロメートル、ハワイ諸島で4番目の大きさの島で佐渡島より
少し小さい。
多くのツアー客が訪れるカウアイ島の名所。全面をシダに覆われた神秘的な洞窟。
かつて王族の結婚式が行われていたことから神聖な場所であるとされ、
2人でここを訪れると幸せになれるという言い伝えが生まれた。
日本人もここで結婚式挙げるカップルが多いと言う。
 洞窟はワイルア川をさかのぼったところにあり、河口から20分ほど船に乗って
いく。船を下りて5分ほど歩くと洞窟に着く。
洞窟では船会社のスタッフがハワイアン(ハワイ結婚の歌:ケカリネイ・アウ)を
奏でてくれる。なお、洞窟自体は浅くて小さい。
しかし、今年2006年3月にハワイ諸島を襲った豪雨と長雨の影響で、その後
大きな岩が「シダの洞窟」の前に落ち、周辺の岩盤も崩れている。
その為、州による工事が4月末から始まり、その時以来通常の「シダの洞窟」ボート
ツアーはできなくなっている。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報


 美空ひばりが亡くなって早23年。今でもひばりファンは数多くいる。
美空 ひばり(1937年- 1989年享年52歳)は、日本の歌手、女優。
数々のヒット曲を歌い、銀幕スターとして多数の映画に出演した。
昭和の歌謡界を代表する歌手、女優である。
横浜市磯子区出身。女性として初の国民栄誉賞を受賞した。本名は加藤 和枝。
愛称は御嬢(おじょう)。
魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれた。
妹は佐藤勢津子、弟はかとう哲也・香山武彦。家にはレコードがあり、
幼い頃より歌の好きな両親の影響を受けひばりは歌謡曲、流行歌を歌うことの
楽しさを知る。
1943年、第二次世界大戦の戦時中に父・増吉が出征となり壮行会が開かれ、
ひばりは父のために『九段の母』を歌った。壮行会に集まった者達がひばりの
歌に感銘し、涙する姿を目の当たりとした母・喜美枝はひばりの歌唱力に人を
引き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊からひばりの歌による慰問活動
を始める。
終戦間もない1945年、喜美枝がひばりを引き続き歌わせるために八方手を
尽くし、私財を投じて自前の「青空楽団」を設立。近所の公民館・銭湯に舞台
を作り、ひばり8歳のときに「美空」和枝(母の提案)の名で初舞台を踏む。
その後の活躍は周知の通り。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
DSC09709.jpg
DSC09651.jpg
DSC09706.jpg
DSC09707_20110611083445.jpg
DSC09708.jpg
DSC09661.jpg
DSC09704_20110611083520.jpg
DSC09705.jpg

クムフラ「ケアラ・チン」のアロハスピリッツはさらに続く。

 幼少の頃は、私の家庭ではフラをやることを許して貰えなかった。
当時テレビで見る男性のフラダンサーは、とても女性的に見えたからです。
それで父は私がフラをやることを認めてくれませんでした。
でも、私はフラを愛していて、本当に大好きでした。高校を出る17歳の時に、
学校もあったハーラウで踊ろうと決心しました。
そのときからこの団体の創設を始めました。そして屈指のクムフラ、
ダレル・ルペヌイに師事、メリーモナーク1986に出場しました。
その時、父はテレビでメリーモナークを見て、私達のパフォーマンスを見
てブッ飛びました。彼は感激して認めてくれたのです。
「クム」とはどうゆう意味なのか?「クム」には「源」と言う意味があります。
多くのクムは自分が源として、責任を背負い切れないと感じています。
しかし、そうであることを自覚する必要があります。
クムはそのコミュニティの源なのですから。
私の指導者である、カワイ・カプオ・カラニは「我々クムは人々を助ける責任
がある」と言っています。
もし誰かが過ちを犯していたら、それは彼ではなく、私達クムの責任なのだと。
最悪なのは、過ちを犯している人を黙って見過ごすことです。
このことはハワイだけではなく、国境はない(ボーダーレス)のだ。
フラの教えが人生の一部になるよう手助けしています。私は生徒さんに常日頃
言っている言葉それは「私の人生は、私の未来である」と。
つまり、いま私が言ったことも!1~2秒後には既に過去になってしまうことです。
未来のために意思がある。未来は今にある。さらに先のことよりこれから20分先
のことの方が大切だと思う。つまり今、このことを考え、変化すれば2012年を
変えられると思う。
そんな困難があろうと困難の向こうには行く道が見えています。
何が起ころうとも、思いやりと愛はどんな時にもあなたを導いてくれます。
そこから道を探してください。そうすれば行くべき正しい道がわかるでしよう。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC09645.jpg
DSC09622_20110610084810.jpg
DSC09603.jpg
DSC09602_20110610084809.jpg
DSC09615.jpg
DSC09601_20110610084807.jpg
DSC09604_20110610084920.jpg
DSC09606_20110610084919.jpg
DSC09646_20110610084919.jpg
DSC09647_20110610084918.jpg
DSC09648_20110610084917.jpg
DSC09649.jpg
DSC09650_20110610084944.jpg

 sig zane(シグ・ゼーン)はハワイ島ヒロにある店。
sig はチャイニーズハワイアンのテキスタイルデザイナーで、
シグマンとはドイツ語。
「ジェン」はアメリカ風に呼び方を変えた。それは中国語ではうまく
発音が出来ないからであった。
シルクスクリーンで作るシャツはハワイ島に自生する植物をモチーフ
にしているのが特徴。
ひとつのデザインで各サイズ5枚ほどしか作らないため、同じシャツ
を着ている人と出会うことはまずないのだ。
最近はネットでの販売もしているが、それは限られたデザインのみである。
基本的にヒロのダウンタウンの店とマウイの支店でしか手に入らないものが多く、
日本でSigを着ている人を余り見かけない。

シャツにはどれも物語があると言う。例えば「ワオケ」はクワの木から樹液
を取ったものでクワがカパになるデザインを表している。「オヘ・カパラ」
は凹凸ラインのデザインだ。
また「ウォーター・マーク」は水の紋と言うように、
このような植物はフラやチャントにとって重要な役割を果たしていると言う。
つまり自然を大切にしているのだ。


開業して25年、現在息子と2人で切り盛りしている。
フラダンサーの「ロパカ」は親戚に当たる。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC09598.jpg
DSC09600_20110609090524.jpg

 ユニフォームのアロハシャツについては、今まで海外へ行って調達していたが
昨年はヨーロッパだった為およそアロハシャツとは無縁のためあきらめた。
今回はインターネットで購入しました。
ブルーの下地に白抜きのハイビスカスのデザインがほどこしてある。
色も濃紺でなくマイルドな感じが気に入っている。
7月14日(木)の東急ライフビアガーデンライブが初おろしになるが、
はてさてどんな声が聞かれるか楽しみでもあり、今からぼんやりと期待している。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報
DSC09227_20110608084014.jpg
DSC09228_20110608084014.jpg
DSC09229.jpg
DSC09230.jpg
DSC09231_20110608084010.jpg

 カウマカイヴァ ”ロパカ” ケアリイカナカオレ。
1982年生まれの現在25歳。ハワイ島ヒロを本拠地とし、7世代にも
渡り火の女神であるペレに捧げる踊りを受け継いでいるハラウ・オ・ケクヒ
の主要ダンサー。
母はミュージシャンとしても有名であり、つい最近ハラウ・オ・ケクヒの
クム・フラとなったケクヒ・カナカオレ、祖母はハワイの文化教育者として
知られているハラウ・オ・ケクヒの前クム・フラ、プアラニ・カナカオレ、
そして曾祖母はハワイ文化の伝承者として著名なイーディス・カナカオレ。
ハワイのフラ、そして音楽界のサラブレッドである。
愛称の「ロパカ」の名前でも知られているカウマカイヴァは、5人兄弟姉妹
の長男として生まれ、代々ペレにまつわるフラの伝統や秘儀を受け継いできた
ハラウ・オ・ケクヒの次世代を担う子供の一人として潜在的に育てられてきたのだ。
初めて歌手になろう、と決心したのは、母であるケクヒ・ケアリイカナカオレの
ファーストアルバム「ハハニ・マイ」のコンサートツアーに同行している際、
ニューヨークが誇るカーネギーホールの舞台袖から観た、ステージ上の母親の
輝ける姿を目にしたときだと言う。
まだ若く、これからの活躍が楽しみだ。
テーマ:この人の音楽が好き♪ - ジャンル:音楽


 クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(1797年 -1856年)
は、ドイツの詩人、作家、ジャーナリスト。デュッセルドルフのユダヤ人の
家庭に生まれる。名門ゲッティンゲン大学卒業、法学士号取得。 当初は商人、
ついで法律家を目指したが、ボン大学で作家として出発。『歌の本』などの
抒情詩を初め、多くの旅行体験をもとにした紀行や文学評論、政治批評を
執筆した。1831年からはパリに移住して多数の芸術家と交流を持ち、
若き日のマルクスとも親交があった。特にローレライは現在でも歌われている。
ローレライ は、ライン川流域の町ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある、
水面から130m ほど突き出た岩山のことであり、スイスと北海をつなぐ
この河川でも一番狭いところにある。
ローレライ像流れが速く、水面下に多くの岩が潜んでいるため、かつては
航行中の多くの舟が事故を起こした場所である。現在は幾度にも渡る工事に
より大型船が航行できるまでに川幅が広げられている。
ローレライ伝説は、上述のようにローレライ付近が航行の難所であったことが、
ローレライにたたずむ金色の櫛を持った美しい少女に船頭が魅せられると船が
川の渦の中に飲み込まれてしまう、という魔女伝説に変化したものである。
テーマ:この人の音楽が好き♪ - ジャンル:音楽
DSC09573.jpg
DSC09534_20110606084502.jpg
DSC09535_20110606084501.jpg
DSC09536_20110606084500.jpg
DSC09537.jpg
DSC09538.jpg
DSC09539.jpg
DSC09541.jpg
DSC09542.jpg
DSC09544.jpg
DSC09545_20110606084551.jpg
DSC09546_20110606084550.jpg
DSC09547.jpg
DSC09548.jpg
DSC09551.jpg
DSC09552.jpg
DSC09553.jpg
DSC09568.jpg
DSC09569_20110606084735.jpg

■コアロハのサウンドホールについて
コアロハは、1966年の夏にアルヴィン・パパコアアロバ・オカミが本格的
にウクレレを作り出し、当初はラウンドホール(丸穴)であったが、
1999年の後期におむすび形の三角ホールに変更した。
■ヘッド形状について
ヘッドは、はじめの頃は突起が3つあったが、1998年それが今の原形に
なっているギザギザにチェンジした。
それをもう少し形を整え立体的になったのが2002年にはもっとシャープに
整えられた。
■ヘッドの工夫
コアロハのヘッドは、ナットから1弦・4弦のペグまでの間が長く出来ている。
これは、G7などを押さえる際、人差指の付け根がペグにぶつからないように
という工夫がされている為だ。
このロング・ヘッドは、コンサートとスタンダードボディに見られ、ロング
ネック・スタンダードでは見られない。
これは、ロングネックがスタンダードとケースを共有するためだと考えられている。
■指板の工夫
コアロハのネックは、指板のサイド面が45度に面取されている。
通常フレットの端が側面から見えているが、全く見えないように加工されている。
これは、ユーザーが使う環境によって木が痩せたりしてフレットの端が飛び出し、
手を傷つけないようにという配慮や、演奏の際、指の周りが良い様に工夫されている。
■ネックの工夫
ネックの厚みにも工夫が見られ、通常ヘッド側からヒール間でだんだん厚くなる
のが通常であるが、コアロハでは、ぼ均等、逆にヒール近くでは薄くなっている。
これは、Hiポジションでの演奏性の向上の為と考えらている。
現在ではマホガニー材で1ピースの一体加工品に変更された。
結果、マホガニー特有のメローな音質が加わった。
■ヒールの工夫
ヒールについては他のウクレレとは、加工の仕方が違います。
通常のウクレレやギターでは、ヒールと呼ばれるように、女性の履くハイヒールの
かかとの様な加工がされているが、コアロハでは、この部分が長く斜めに加工され
ている。
これは、サウンドホールに近いフレットボードを押さえるときに、親指のあたりが
良くスムーズで弾きやすくするためとの事だ。
もう一つの理由!形がナイスだからだと言う。
■ボディの工夫
コアロハのボディは全てふちが丸く加工されている。
これはデザインのためではなく、長時間演奏しても腕に跡がつかないようにするため。
■構造の違い
コアロハのボディは他のウクレレより薄い材で出来ている。
トップ材で平均で1.8~1.9mmしかなく、この薄さが鳴りに関係してくる。
また、内部にはサイドとトップ/バックの接合個所にライニング材がない。
ライニング材は元々サイド材との接着の強度を上げることが目的で使われているが、
その材の厚さや大きさによって内容 積が変化してくる。
コアロハでは、この音に影響する補強材の代わりに、力木をサイド材まで伸ばし接着
する事で強度を出している。
■ユニブレースの採用
2002年10月の製造品から、ボディ内の力木の作りが変更された。
これも創始者アルビン氏のアイディアで、ボディの強度を増すため、より良い音への
追求から発案された画期的な構造変更でユニブレースと命名された。
このユニブレースのおかげで、ボディの強度(ボディトップからバックにかかる力に
対して)を増したばかりか、製造過程においも簡略化することに成功している。
■ピカケの特徴と他のコアロハ製品との違い。
■ボディーの面取り処理通常のラインのコアロハは、ボディの角を丸く面取加工がさ
れている。
■指板エンド部分の加工コアロハの特徴1つである指板エンド部分の飾りが省略され
ている。
■ラッカーの仕上げ塗装も薄く仕上げられている。
コストを下げる事によって価格をおさえて提供できる、それによって、多くのユーザーに
コアロハを使って欲しいと言う願いから生まれた。
■製造年月の確認方法は?
サウンドホールからネックの付け根を覗き込むと、ネットブロックが見えるはずである。
そこに、スタンプで英字で月、数字で年が押されている。

さて、これであなたもコアロハファンだね。
テーマ:楽器 - ジャンル:音楽


 「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」! 
こんな掛け声をかけながら近所の家々を仮装した子供たちが訪れる
「ハロウィーン」が、10月31日に行われる。ハワイではチビッコだけ
でなく、大人も奇想天外な仮装姿を楽しみ、日本ではまず考えられないよ
うな格好のまま仕事するなど、こういう時の米国人は遊び心に溢れていて
国民性が出ている。夕暮れ迫る頃のワイキキ・カラカウア通りやマウイ島
ラハイナのフロント・ストリートはまるで仮装パーティー会場かカーニバル。
バットマンやスーパーマンをはじめ、魔女やドラキュラ、妖精、ゴリラなど
の仮装自慢で溢れ返る。見ているだけでも飽きない。
ハロウィーンはキリスト教の万聖節前夜祭で、10月31日に行われる行事。
夜には死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が現れると信じられていた
名残りで、くり抜いたカボチャの中にロウソクを立てたり、お化けや魔女に
仮装したチビッコ達が「トリック・オア・トリート」と唱えながら近所の家
を次々に訪問するようになった、とされている。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
DSC09232_20110604090310.jpg
DSC09233_20110604090310.jpg
DSC09234.jpg
DSC09235_20110604090308.jpg
DSC09236.jpg
DSC09237_20110604090307.jpg
DSC09239_20110604090443.jpg
DSC09240_20110604090442.jpg
DSC09241_20110604090441.jpg
DSC09242.jpg
DSC09243.jpg
DSC09244_20110604090439.jpg
DSC09245.jpg
DSC09246_20110604090535.jpg
DSC09248.jpg
DSC09249.jpg
DSC09250_20110604090532.jpg
DSC09252.jpg
DSC09254.jpg
DSC09255.jpg
DSC09256_20110604090626.jpg
DSC09257_20110604090626.jpg
DSC09258_20110604090625.jpg
DSC09259_20110604090624.jpg
DSC09260_20110604090711.jpg
DSC09261_20110604090710.jpg
DSC09262_20110604090709.jpg
DSC09263.jpg
DSC09264.jpg

 福岡県久留米市六角堂広場に於いてハワイアンフラ:「ハウオリの集い」
が5月7日(土)・8日(日)の2日間開催された。257団体、3500人
参加で大盛況だったと言う。
市民手作りのハワイアンフラの大会「ハウオリの集い」と言うもので入場無料。
両日で、九州各地と広島、山口県など遠方の団体もあったと言う。
8年前、同広場の落成式でハワイアンフラの公演をしたのがきっかけで始まった。
当初はわずか157人の出演だったが、口コミで年々参加者が増え、九州全域
に広がった。
「ハウオリ」はハワイの言葉で「幸せ」の意で、出演者は、ハワイアンフラの
「アウアナ(現代フラ)」や、激しい「タヒチアン」、「カヒコ(古典フラ)」
の踊りを披露した。
始めに主催者を代表し、小柳佐智子さん(77)が「一日ゆっくり、踊ったり、
ご覧になったりしていただければ」とあいさつ。出演者は赤やピンク、黄など色
鮮やかな衣装に身を包み、音楽やリズムに合わせて観客の前で舞い、歓声を浴びた。
テーマ:福岡県久留米市 - ジャンル:地域情報
DSC09219_20110603090538.jpg
DSC09154_20110603090538.jpg
DSC09156_20110603090537.jpg
DSC09162.jpg
DSC09163.jpg
DSC09164.jpg
DSC09222_20110603090610.jpg
DSC09223_20110603090609.jpg
DSC09220_20110603090609.jpg

 ハワイ島のコナの近くにカルコ・ホノコハウ公園にハワイの文化と伝統を
継承する団体がある。ナーバイ・イヴォ・オラが合宿生活して活動している。
世界各国から来ていてもちろん日本からも多数いる。
これを運営しているのがクムフラのケアラ・チンである。
彼のアロハスピリッツには定評がある。彼の理論はこうだ。
教育プログラムは子供から年配者まで全ての年代の人の為に作られています。
最大の課題はハワイの人やそうでない人もいかにして、全ての人がひとつに
なるかと言うことです。これは歴史が物語るように、王国の時代から抱え続けて
いる課題でもあります。それは全ての紛争です。
私は過去を知ることで同じ過ちを二度繰り返さないと言う考えを皆んなと分かち
合おうとしています。
「アロハ」と言う言葉には実に様々な意味があります。「アロハ」は広い意味の
ある言葉でただ「こんにちは、さようなら」だけではないです。
アロハのスペルを見てみると、最初の「A」はアカハイ(思いやり)、優しさ。
「L]はロカヒ(調和)、融合、つまり「全体」との繋がり。
「O]はオルオル(心地良)。「H]はハアハア(謙虚)。
最後の「A」はアホヌイ(忍耐、勤勉)です。
さらにアロハにはもっと深い意味があります。これは神霊(精神)との融合であり、
大地との繋がりであり、人々との調和です。ロカヒは全ての存在との結びつき
です。要はもっと大きいと言うことです。そしてオイヤイホは真実。これは語る
よりも実際にその通りに生きることが難しい。ひとつの挑戦です。
ハウハウは謙虚、アホヌイは忍耐、勤勉です。
こうしてみると「アロハ」と言う言葉には、偉大な意味や教えがあることがわかる。
アロハはアロハと言っただけで終わりではないんです。
生徒には「アロハとは、終わりを知る始まりであり、終わりに始まりではない」と
教えています。
フラを通じて、そうした精神世界や大地との繋がり、私たちはひとつであるとことを
教えています。自身の信念や確信といったものが、いかに周りの環境から影響
を受けているのか、と言ったことも教えています。
女性にはティーリーフを例に使って、ホオポノポノについて教えています。
ティーリーフが回りの環境から影響を受けているのと同じようにフラからも影響を
受けています。フラと共にあれば、よりフラの偉大さ素晴らしさを取り入れることが
出来ます。フラをちょっとかじるだけなら、フラの素晴らしさは余りわからないでしよう。
ティーリーフは森に自生していれば、自分自身で生きて行けます。
鳥を利用して栄養を得て、豚に根を掘らせ、雨で水分を蓄える。完璧に自立
している。ところが、私たちの畑にあると、依存してしまいます。
誰かに水を与えて貰わないと生きて行けません。そして自分で直接出来ない時は
一番力になることは、チャントや祈りを送ることなのです。つまりエネルギーを送り
続けることです。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
009-1.jpg

 ながの東急ライフ・ビアガーデンライブにつきましては、3月に起きた
東日本大震災の影響で当初中止としていましたが、社会情勢の変化で
実施することとなりました。
但し、期間を1ケ月短縮(7月中旬から8月末日迄)した形となっています。
我々の出演日は次の通りです。

                  記

○7月14日(木)①pm7:00~7:30 ②7:50~8:20
○8月19日(金)           〃
○8月28日(日)           〃

フラも入り楽しいステージを予定しております。皆様のご来店を心より
お待ち致しております。
尚、ビアガーデンの営業は例年通り6月下旬より開店致します。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報



 ブライアン・ハートマン25歳。ペンシルバニアからニューヨークへ
移住して2年になる。
5歳からピアノを始め、14歳でギターを習う。
IT企業でサラリーマンをしていたが音楽の世界が忘れられなくて一念
発起してニューヨークへ。
将来プロのミュージシャンを目指してストリート・ミュージシャンとして
活動を続けている。10代からオリジナル曲を作り始め、現在50曲ほどある。
彼は週に5日ほどワシントン・スクエア・パークやセントラル・パークで
歌っている。収入は平均して1日約50ドルほど。何んとかアパートの家賃を
払ってやっている。
将来の夢の為生活を切り詰め、プロになるためと歯を食いしばって頑張って
いる。誰も聞いてくれなくてもいい、精一杯歌うことが彼の信条なのだ。
彼の歌にほれ込んだ友人がレコーディングでCDを作ってくれた。これをライブ
ハウスに売り込んでさらに上を目指すと意気込んでいる。
これがアメリカンドリームの始まりなのかとふと思うことがあると言う。
逆に一夜にしてホームレスになることもある。それがアメリカなのだと。
そして座右の銘は Food for the Sool(音楽は魂の糧)。
テーマ:アメリカ生活 - ジャンル:海外情報