Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 小沼 ようすけ(1974年生まれの37歳 )は秋田県出身のジャズギタリスト。
ピックを使わないフィンガーピッカーである。ギブソン・ES-335を愛用。
14歳で父の影響によりギターをはじめ、ロック・バンドを組み活動開始。
その後本格的にジャズ・ギターを学ぶ。
1995年、ヘリテージ・ジャズギター・コンペにて日本代表、世界3位の後、1999年、
ギブソン主催のギブソン・ジャズ・ギター・コンテストにて優勝。 その後、リーダーの
金子雄太(Org)、大槻”KALTA”英宣(Ds)とともにジャズ系ジャムバンド
AQUAPIT”LIVE AT THE ONIX”を インディーズレーベルからリリースし、CLUB、
ジャズ系ライブハウスを中心に精力的に活動。
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テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 レインスティックとは、スペイン語で「PALO DE LLUVIA(パロデジュビア)」と言う。
雨の音がする棒といった意味で、レインスティックそのものなのだ。
その昔、枯れて乾燥したサボテンを拾い上げたところ、雨音のような音が聞こえたという
偶然から生まれた。つまり自然の恵みから生まれたといっても良い。
古代より多くの種族によって,音楽や式典などに使われている楽器でもある。
実際に、インディオの雨乞いの儀式にも使われていたと言うことで、名前の由来になった
ものと考えられる。
レインスティックの素材はサボテン。 砂漠で育った太いサボテンが長い歳月を経て、
外側の刺や植肉が枯れ落ちて内部の組織だけが残る。
中は空洞になっているため、その刺を、らせん状や十字に差し込んでいく。
 その中に2~5mmほどの小さな小石を入れるので、 小石がトゲに引っかかりながら
筒の中を落下していくことで、きれいな音が出るのだと言われている。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽


 佐渡おけさは、新潟県佐渡市に伝わる「おけさ節」の1つである。
現在では佐渡を代表する民謡として全国に知られている。
おけさの歴史は、熊本県天草市の牛深港に伝わる酒席の騒ぎ唄である牛深ハイヤ節が、
北前船の船乗り達によって小木港に伝わり、「小木おけさ」として広まり、それが相川の
佐渡金山の鉱夫達に広まって、「選鉱場節」として哀愁漂うメロディとなったとされている。
また、赤泊港の「山田のハンヤ」が小木に伝わったとの説もある。
「選鉱節」が1906年(明治39年)「相川おけさ」となり、1921年(大正10年)に開催された
「第二回全国民謡大会」において初めて「佐渡おけさ」として発表された。
1926年(大正15年)「青化選鉱場」に勤務していた村田文三が日蓄レコードより「佐渡おけさ」
を発売し、山田耕筰・藤原義江に絶賛され、ビクターレコードの専属歌手に転職、全国はもとより、
南樺太、満州国、台湾、朝鮮などでコンサートを開催し、佐渡おけさを普及させた。
1931年(昭和6年)、浪曲師の寿々木米若が民話「佐渡情話」をアレンジし中に「佐渡おけさ」を
取り入れ発売し、大ヒットとなり、再び「佐渡おけさ」が脚光を浴びた。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽
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 大城美佐子、大阪市大正区北恩加島生まれ、名護市辺野古育ち。幼少期の一時は内地でも暮らす。
祖父や親戚に古典音楽の名人を持ち、20歳頃から古典や舞踊を習う。
普久原恒勇や上原直彦らに強く勧められ、知名定男の父、知名定繁に弟子入りして民謡の道に進む。
1962年シングル「片思い」でデビュー。その伸びやかな高音が「絹糸の声」と評され大ヒットとなる。
やがて三線1本を抱えて東京、神奈川、大阪など内地を長らく彷徨の後、沖縄に戻り、民謡界の至宝、
嘉手苅林昌とデュオを組む。林昌をして「コンビ唄はミサーに限る」と言わしめたほどの名コンビとして
活躍。数々のライブやレコーディングに伝説を残す。
林昌の物故後もCD、海外・国内の公演、映画、テレビなどで疲れを知らずに活躍。
2007年に芸能生活50周年を迎えるもなお、変わらず多方面での活動を続けている。
沖縄で民謡酒場「島思い(しまうむい)」のオーナーでもある。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 サウスポイント(South Point)はハワイ語でカ・ラエ(Ka Lae、「岬」の意味)とも呼ばれ、
アメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島の最南端の岬で、またアメリカ合衆国50州(グアム、プエル
トリコ自治領などを除く)の最南端でもある。まわりは大きな岩海岸で、風も強い。
ハワイ島の州道11号線(ヒロ~ハワイ火山国立公園ビジターセンター~カイルア・コナ)の途
中からサウスポイント・ロードで南に下ったところにあり、この道路はほぼ未舗装である。
近くに大型の風力発電施設もある。国定史跡に指定されている。
サウスポイントロードサウス・ポイントへ行くには、サウス・ポイント・ロードを通らならないが、
残念なことにこの道は舗装されているのにも関わらずレンタカーの保険が適用外となっている。
道は一車線と細く、サウス・ポイントに近づくにつれガタガタする箇所もでてくるが、普通のレンタ
カーでも走れる程度なので自力で運転してしまう人も結構いると言う。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ゴスペルグループ「ヘゼカイア・ウォーカー&ラブフェローシップ・クワイア」。
ヘゼカイア・ウォーカーは牧師にしてゴスペル・ヴォーカリスト。
1962年NY生まれの49歳。ウォーカーを中心に、十数人のヴォーカル。格好は、みんな汚くはない
普段着。演奏陣はキーボード奏者2人、それからベースとドラマーなど。アクリル板でしきられた中に
いるドラマーは、とにかく力づくでドカスカ叩く。だが、そこにあるのは十数人の喉自慢の人たちの肉声
の重なり、それをきっちり乗せるためにはデカい音が必要とされるのはよく判る。
とにかく顔の半分は口と言えるほどの大きなスタイルになる。
彼は米国コンテンポラリー・ゴスペル界の雄で、グラミー賞も受賞している。歌われる曲は歌詞は神を
称えつつR&B調の曲が多いが、純粋にゴスペル濃度が高い。それは、有機的にして重厚な歌声の重
なりがしかとあったためでもあるのだろうか。ウォーカーはリードを取り合唱団と対峙したり導いたり、
客に両手を広げて働きかけもし、そういう様を見ていると、彼は牧師でもある一面を見せる。
観客の反応も、もちろん熱烈。ゴスペル教室に通っている人が多いのだろう、一緒に歌う人が多い。
そうした客席側の様が興味深い。しかしステージに上がれる人はオーデションに合格した人に限られ
ている。
さてゴスペルが最高潮に達した時、突如「プレイズ・ブレイクPraise Break)」
があちこちで表情が見られる。このプレイズ・ブレイクとはリズムが独特な黒人教会の伝統ある信仰
表現とされている。つまり肩を組んだり、足を床につけ鳴らしたり、抱き合ったり思い思いにステータス
に酔いしれる。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽
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 レインズの軌跡・・・
個性的で高品質、そしてロコのビジネスパーソンが「プロフェッショナルにもカジュアルにも着られる
アロハシャツが欲しい」という思いのもと、レイン・マッカラーは1961年、独自でシャツを作る決意をした。
翌62年、カスタムサーフトランクスを作り、評価を得ていた「ルース・スプーナー」社を買い取り、自社と
合併させ、アラモアナ店地下の4台のミシンとともに「レイン・スプーナー」を設立した。
レイン・マッカラーの成功はすでに1950年代初期、カリフォルニアのカタリナ島で始まっていたのだ。
経営する紳士洋品店の人気と、州としての地位を確立しつつあったハワイの勢いにのって、家族ととも
にハワイへ移住。59年にオープンさせたアラモアナ店はすぐに「太平洋のブルックスブラザーズ」として
知れわたるようになる。カタリナ店舗の売却を機に、環太平洋にビジネスの拠点を置き、66年には地元
企業に「金曜日のアロハウェア着用許可」を説得し、「アロハフライデー」をスタートさせた。
ダウンタウンを歩いていると、どれだけアロハシャツがビジネスウェアとしてハワイのプロフェッショナル
に浸透しているかは一目瞭然。ビジネスシーンに限らず、ちょっとしたお出掛けやセレモニーにもアロハ
ウェアはハワイの正装として幅広く受け入れられている。月ごとに新しいプリントがデザインされ、
35年たった今でも、ワイキキビーチからすぐの製作所で裁断から縫製まで、本物の
「レイン・スプーナー・アロハシャツ」を生産し続けている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 リチャード・ボナ(Richard Bona 1967年生まれの48歳)は、西アフリカカメルーン出身の
ジャズ・フュージョンベーシスト。その才能から「ジャコ・パストリアスの再来」と言われている。
カメルーン東部にある未開の土地、ミンタ村に生まれる。音楽一家の元で育ち、幼い頃から
バラフォン(アフリカの木琴)等の楽器に親しみ、5歳になると家族と共に村の教会で歌い演奏した。
その後ジャズ・クラブで演奏するようになった。主楽器はギターであったが、そこでフュージョン
ミュージシャンでベーシスト、ジャコ・パストリアスのアルバムJaco Pastorius
(ジャコ・パストリアスの肖像)に出会い、ギターからベースに持ち替えた。
2000年はデイヴィッド・サンボーンやジョー・サンプルらと「S.S.B.B.バンド」を組みワールド・ツアー。
2001年にはNHKテレビ「みんなのうた」用にギタリストの中村善郎と共作、「風がくれたメロディ」を発表。
この作品でボナは日本語詞に挑戦した。同年にセカンド・アルバムReverenceを発表。
この頃にはポスト・ジャコ・パストリアスといわれるほど、人気を高めていた。
歌もうまい。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 大自然とそこに生きる生物たちを守りたいという想いから、ハワイのボランティア団体。
ウミガメ保護団体「Malama na Honu」(マラマ・ナ・ホヌ)
(Malama na Honuとはハワイ語で『ホヌを守ろう!』の意)。
2007年に設立された非営利的団体で、ウミガメを見られるということで多くの観光客が訪れる
ノースショアのLaniakeaの浜辺(ラニアケアビーチ)で活動している。
ウミガメの行動をモニタリングし、研究を重ね、様々な保護活動を行っているのが特徴だ。
代表はパトリック・ドイルさん。
彼はニューヨ-ク出身で、ある日ハワイに来てウミガメが釣り針にからんでいる所に偶然通りか
かりそれを助けたことがこの道に入るきっかけだと言う。
それ以来ウミガメの保護にボランティアで取り組んでいる。
4m以内接近禁止は今でも厳しく制限している。
アクセサリーなどをを販売しながら寄付を募っている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 世界中のパーカッションプレイヤーから支持を集めている陶器製の「ウドゥ・ドラム」。
壺のようなルックスで、アフリカのナイジェリアのイボ民族が壺を叩いて興じていたもの
がそのまま打楽器になったと言う。胴を叩くと甲高い音、そして横の穴を叩くことによって出る、
味わい深い「ボワン」という低音を組み合わせ演奏する、不思議な魅力の打楽器だ。
今世界中のバンドが導入を検討していると言う。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽


 長野市中心市街地に位置する「もんぜんプラザ」(旧ダイエー跡)の地下で
毎年開かれている「フェスタもんぷら文化祭」、今年も盛大に行われた。
毎年出ているウクレレ・サークル「ハイビスカス」が好評だ。
講師はIMS(アイミュージック・スクール)代表の関昌夫さん。
フラはラウアエ・フラスタジオの清水真輝子さん。
これからのご発展とご活躍をお祈り致します。
テーマ:LIVE、イベント - ジャンル:音楽
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 藤木 孝(ふじき たかし、1940年生まれの71歳 )は、静岡県出身の俳優、歌手。
旧芸名は藤木 敬士(読みは同じ)。本名は遠藤 興士彦。
東宝芸能学校卒業後の1959年、歌手として渡辺プロダクションと契約。歌唱力と
ダンスの才を活かし、“ツイスト男”の異名で当時のツイスト・ブームを牽引した。
その後、文芸プロダクションにんじんくらぶに入り、俳優へ転身。文学座の研究生を経て、
劇団雲から枝分かれした劇団欅に参加。その後は両劇団の残党の統合により誕生した劇団
昴に所属し、主に翻訳劇などで活躍したが、2006年に退団。
ミュージカルなどの舞台に立つ一方、爬虫類的な個性を持つ粘着系の悪役俳優として、
映画やテレビドラマでも数多くの作品で活躍した。その特異な存在感で怪優としての再評価
も高く、1986年には第12回菊田一夫演劇賞、2003年には第38回紀伊國屋演劇賞
個人賞を、2005年には第45回ACC CMフェスティバル演技賞を受賞している。

プレスリーにあこがれたイケメン・ツイスト王も今じゃ悪役俳優とは!
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイ島のグリーン・サンド・ビーチ。
ハワイ島の最南端。11号線を走り、サウスポイント・ロード(カ・ラエ岬)に入る。
この道路は舗装されているのにも関わらず、レンタカーの補償対象外になるほど風が強く、
砂あらしも多いと言う。

ここはハワイ島だけでなくアメリカ合衆国の最南端であることでも知られている。
ちなみに「Ka Lae (カ・ラエ)」とはハワイ語で「先端」という意味だ。
サウス・ポイントから海岸線を北東へ進んで行くと、オリーブ色の砂のビーチ
「グリーン・サンド・ビーチ」が忽然と現れる。断崖に囲まれたこのビーチは辿り着くまでに
1時間ほど歩かねばならず、それ故に訪れる人も少ない、まさに幻のビーチとも
呼ばれている。

このビーチはまさにその名の通り、グリーンの砂から出来ており、
元々ここは火口であった為、地面を見ると、土に混じってカンラン石の結晶が見られる。
大きさは5mmくらい。尚、カンラン石は宝石のペリドットの原石。8月の誕生石でもあるのだ。
火口が海に呑まれビーチとなり、カンラン石が砕けたものが緑の砂となり
グリーン・サンド・ビーチが形成されたと言う。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 スキマスイッチは、大橋卓弥と常田真太郎による日本の音楽ユニット。略称はスキマ。
スキマスイッチという名称に深い意味は無く、響きを重視して付けられた。
名前を決める際、常田の部屋で偶然目に入った窓の「隙間」、電気の「スイッチ」から
ユニット名が誕生。カッコイイと思う名前にすると後々ダサくなるから、あえて初めから
ダサくしてしまおうという2人の考えで「スキマスイッチ」となった。

大橋卓弥(おおはし たくや、1978年生まれの33歳 )
愛知県出身、1児の父。
ボーカル、ギター、ハーモニカ担当。

常田真太郎(ときた しんたろう、1978年生まれの33歳 )
愛知県名古屋市緑区出身、1児の父。
鍵盤、コーラス、トータルアレンジ&プロデュース担当。
トレードマークはアフロだったが、アフロを切った。本人はひげをチャームポイントに
推している。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ドール・プランテーション。
ワイキキから車で約40分。オアフ島一周やノースショアへのドライブの途中、格好の休憩
ポイントとして知られる「ドール・プランテーション」。有名な「パイナップル・ソフトクリーム」
を目当てに、年間100万人が訪れる。
●パイナップル・エクスプレス
このパイナップル・エクスプレスは4両編成の蒸気機関車型ディーゼル機関車で、80人乗り。
ゆっくりとしたスピードで、パイナップル畑の真ん中を進んでいく。
●世界一の巨大迷路「ガーデン迷路」
人気アトラクション「ガーデン迷路」。約10000平方メートル もの広大な敷地に、ハイビス
カスやヘリコニアなど1万本以上のハワイの植物で迷路が造られ、全長はなんと約2800メートル。
ギネスブックからも世界最大と認定されたハワイが誇る巨大迷路。
●パイナップル・デザートなどが楽しみなギフトショップ
名物のパイナップル・ソフトクリームをはじめ、パイナップルジュース、カット・パイナップル、
チョコレート包みのパイナップルなど、本場のパイナップルを心ゆくまで堪能できます。
パイナップル・シュークリーム、パイナップル・チーズケーキなど、パイナップル入りのデザートも
10種類以上。
●パイナップルをテーマにした商品が勢揃い
ドール・オリジナルのサンリオTシャツ。ハローキティーやポチャコとパイナップル、またそのソフト
クリームを組み合わせた絵柄がなんともキュート。しかも「ワヒアワ・ハワイ」の文字入りです。
ハワイでもドール・プランテーション以外では絶対に手に入らない。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 天才ヴァイオリニスト千住真理子。
幻の名器ストラディバリウス「デュランティ」の所有者でもある。
 バイオリンは湿気を嫌う楽器。湿度が高いと楽器そのものに悪影響があると同時に、音自体も
よく鳴ってくれない。
演奏ホールは楽器のために空調を調整し湿度が40~50%になるようにセッティングしてある。
この幻の名器"デュランティ"。ストラディバリウスが72歳の円熟期を迎えたときの作品だそ
うで、もともとローマ法王への献上品。
そこからフランス豪族・スイス貴族の手を渡り300年の時を経て彼女の手に渡った。
所有者のスイスの貴族が手放すに当たり、誰でも良いのではなく、どうしても名手"千住真理子
"に譲りたい、と彼女に白羽の矢を立てた。この貴族もオークションに出せば数億手に入ったのは
間違いないであろうに、彼女に渡すというのはほんとにリッチで芸術を愛している人だと感心せ
ざるをえない。
このデュランティーは千住真理子自身が3億とも5億とも言われる金額で買い取ったものだと言う。
300年間ほとんど誰にも弾かれることなかったということだから、この楽器ははじめて本当に音
を出せるようになって本望といったところだろうか。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


 サトウ・ハチロー(1903年 - 1973年77歳没)は詩人、童謡作詞家、作家。本名は佐藤 八郎。
別名に、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、並木せんざなどがある。
早稲田高等学校中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。
作家の佐藤紅緑の長男として、東京都に生まれる。中学に入学後、父が舞台女優の三笠万里子と
同棲するようになり離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。
感化院のあった小笠原島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響を受ける。
1919年福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに
掲載される。
母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母の関する詩
である反面、私生活は放漫でハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしき
ものは示したことはなかった。一方で「木曜会」を結成し、後進の育成にも努めた。自分の詞の
作曲に、必ず中田喜直を指名したのは有名である。父の故郷・青森には一度しか訪れていない。
昭和30年「ちいさい秋みつけた」を作詞、1962年(昭和37年)レコード大賞童謡賞を受賞。
1963年(昭和38年)NHK放送文化賞受賞。1966年(昭和41年)紫綬褒章受章。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハウピア(Haupia)は、ココナッツミルクからできたハワイの伝統的なデザートで、
ルアウの際によく食べられる。ウエディングケーキなどのケーキの飾りとしてもしばしば
用いられる。
カリウム、マグネシウム、ナトリウム、などが豊富。体内吸収力が高く、スポーツ飲料の
5~6倍とも言われている。
製法的には胡麻豆腐などと同じで、脂質を多く含むココナツの果汁をデンプンで固める
ことによって作られる。 伝統的なハワイのレシピでは、温めたココナッツミルクにすり
つぶしたタシロイモを加え、固まるまで混ぜる。タシロイモのデンプンは手に入りにくい
ため、コーンスターチで代用されることもある。他のココナッツデザートでは、デンプン
の代わりにゼラチンを用いるものも多いが、ハウピアではゼラチンは用いない。
ハウピアの味をつけた菓子も多く、Meadow Goldのハウピア味のヨーグルトはとても人気がある。
最近は「飲むハウピア」が登場して話題を呼んでいる。
カメハメハ大王は「ミスター・ココナッツ」の愛称があるほど入れ込んでいたし、自分の
ココナッツ農場も持っていたと言う。
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 朝丘 雪路(1935年生まれの76歳 )は、日本の女優・タレント・歌手。
本名;加藤 雪会(かとう ゆきえ)。
東京都京橋区築地生まれ。元宝塚歌劇団月組娘役。父は日本画家の伊東深水。
夫は津川雅彦、娘は真由子。義兄は長門裕之、義姉は南田洋子。日舞の深水流家元として、
深水 美智雪の名も持つ。

料亭「勝田」女将の勝田麻起子の娘として生まれる。芸事を好んだ母の勧めで3歳より
日本舞踊を花柳三之輔に師事。
父に溺愛され、小学校の通学にも養育係とともに人力車で通っていた。山脇学園卒業後、
1952年宝塚歌劇団に入団、同期の39期生には女優の真帆志ぶき、東千代之介夫人の
千之赫子がいる。月組に在籍し娘役として活躍。
1960年代に人気テレビ番組『11PM』のアシスタントとなって人気を集める。
1967年青森県八戸市の内科医師と結婚、男児をもうける。その後離婚。
1973年津川雅彦と再婚。1974年真由子を出産。

現在では深水流家元として、青二塾で日舞の講師を勤めている。
1981年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。
2003年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2011年、旭日小綬章受章。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


「椰子の実」(やしのみ)は島崎藤村が執筆した詩である。

 1898年(明治31年)夏、東京帝国大学2年だった柳田國男が愛知県の伊良湖岬の
突端で1か月滞在した時、「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、
椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」といった話を
親友だった藤村にし、藤村はその話にヒントを得て「椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を
離れてさまよう憂い」を重ね、この詩を書いた。
1936年日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった『国民歌謡』の担当者が作曲家の
大中寅二を訪問しこの詩に曲を付すよう依頼して出来上がった。
東海林太郎の唄でポリドールレコードから発売された。
現在でも広く愛唱されている、エキゾチックな叙情歌である。
テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽
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シルバーソード(銀剣草) 【Silversword】

 ハワイとヒマラヤでしか見られないとされる貴重な高山植物(キク科)で、
銀色の鋭い葉先が剣に似ていることから「銀剣草」と呼ばれている。
マウイ島のハレアカラ山頂付近(標高約3,000m)やハワイ島マウナケア山頂
(標高約4,000m)付近などの高山に生育しており、成長すると茎の高さは
2mにもなる。春から秋にかけて茎のまわりにたくさんの花をつけるものもあるが、
花が咲くまでには数十年かかると言われている。
一度花を咲かせて種を残すと枯れてしまう。手を触れると、法律で罰せられる。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 スカ (Ska) は、1950年代にジャマイカで発祥したポピュラー音楽のジャンル。
2、4拍目を強調したリズムが特徴。
スカの発祥については諸説ある。感度の悪いラジオで、ニューオーリンズなどアメリカ
南部の都市のラジオ放送局からのジャズの2・4拍目が強調されて聞こえたため、誤って
コピーされたという説もある。直接的には1950年代からのアメリカのリズム・アンド・
ブルースと、ジャマイカの音楽文化には欠かせないサウンド・システムの影響が大きいが、
それ以前にジャマイカにはジャズの下地があり、スカ以前のメント、ラスタファリアニズム
の影響があった。
現在ジャマイカを代表するジャズプレイヤーは4人いる。
いずれも国民的英雄なみの人気がある。

・アーネスト・ラングリン(ギター)
 スカの創始者の一人、ジャマイカの国宝級ギタリスト。
・モンティ・アレキサンダー(ピアノ)
 世界が称賛するジャマイカ生まれのジャズピアニストの巨匠。
・スライ・ダンバー(ドラム)
 独特のドラム奏法でジャズの魅力を一層引き出している天才ドラマー。
 数年前からヘルメットをかぶって演奏するユニークな面もある。
・ロビー・シェイクスピア(ベース)
 ジャマイカのリディム・ツインズ。彼らのリズムが数々の世界アーチスト
 を支えてきた。
テーマ:おすすめ音楽♪ - ジャンル:音楽
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「虚無僧の吹く尺八はお経」と新説を打ち出したアメリカ人尺八奏者
ブルース・ヒューバナーである。

Bruce Huebner(50歳) プロフィール。
カリフォルニア州サンタモニカ出身。
1983年、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校音楽学部卒業
1989年、カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校東洋学修士課程修了
同年、文部省給費留学生として来日。東京芸術大学邦楽科修士課程入学、故・人間国宝
山口五郎氏に師事。
1994年、同大学を首席にて修士課程修了(外国人初)
1994年より福島学院大学助教授
1995年、琴古流尺八リサイタルを開催、師範となる。
1998年、英語による『ビデオ尺八指南』全3巻を制作、海外で好評を得る
1999年、国際交流基金の助成でアメリカ各地の音楽祭、及び大学にて演奏
ジャズワールドミュージックのグループ「カンデラ」を設立
2002年リリースの初CD ”MOGAMI” は同年のステレオ誌ベスト5に選ばれ絶賛を浴びた。
「カンデラ」は日本国内はもとより、ヨーロッパ、北アメリカでツア―を展開。
2003年、トロント・ジャズフェステイバルには、日本から唯一の参加を果たし、翌2004年、
八ヶ岳ジャズフェステイバルにも出演。

日本人への教育にも熱心で、福島県立医科大学で教鞭を取っている。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 小野リサ(1962年生まれの49歳 )は、ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手。
本名は小野里沙。
ブラジル音楽が好きな父がライブハウスを経営しようとブラジルに渡る。
サンパウロで「クラブ一番」という店を営んでいた両親の下、ブラジルで生まれ、
その後10歳の時に日本に帰って来た。
日本に帰って来てから、父が四谷に「サッシペレレ」というブラジル料理とライブ演奏の
店を開いた。15歳からギターを弾きながら歌い始め、1987年ごろに曲を作り始めた。
ブラジル人ピアニストのエリオ・セルソと結婚したが後に離婚。
現在は6歳年下のパーカッショニストの石川智と再婚。3人の子供がいる。
アジアの音楽に惹かれ・アジア各地を回ってその国の民族音楽を歌いながらライブ活動を続けている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイはマウイ島のハレアカラ国立公園にしか生息していない鳥「チューカー(Chuker)」。
日本で言えば「ライチョウ」にあたる。
季節ごとに羽の色が変わり保護色になる。絶滅危惧種に指定されていて勝手に触れることは禁止
されている。
夫婦仲が良く、常に2羽で行動していることが多い。
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 ウェイウェイ・ウー(中国語: 巫 謝慧、1968年生まれの43歳 )は中国、
上海出身の二胡奏者。
本来座って演奏する二胡のスタンディング奏法を考案し、古典曲に限らず、ジャズ、
ポップス、クラシック、からロックに至るまでのあらゆるジャンルの音楽に二胡を
参加させた、その第一人者。
作曲家である父の勧めで、5歳からバイオリンをはじめる。文化大革命終了直後の
バイオリン科第1期生として学ぶ。
1991年に来日。伝統的な二胡の音楽に留まらず、新たな二胡の可能性を開拓すべく、
さまざまなジャンルの音楽家との共演を精力的に行う。ファンキー末吉(元爆風スランプ)
率いる、二胡をメインとしたロックバンド『五星旗』に参加。その過程で自ら、世界初の
エレクトリック二胡の開発や、従来座って演奏する二胡のスタンディング奏法の考案など、
独自の演奏スタイルを確立。伝統音楽、クラシック、ロック、ジャズ、フュージョンとの
共演を可能にした。
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 マヒナ・ヒナとは・・・
月の明りがとても美しい様子を唄った唄である。
つまり「淡い月の光」となる。


    “Mahinahina”

Po’ina ‘oe I ka pa’ana a kala
A ia kahi mea no ka mahina a me na hoku, ea
陽差しを忘れた
月と星には何かがある

Makemake ia ‘u ho’oulupuni no ‘oe
‘a, ‘oia I ka mahinahina, ‘ike ‘oe, ea
私の胸をふるわせる何か
それは淡い月の光、知っているでしょ

chorus:
Makemake au e honi ia ‘oe
I ke au (i ka) mahinahina
あなたとの口づけしか頭にありません
淡い月の光の下で

Ka pa konane a ka mahina la
ke ala hula o ke kai malie, ea
月は鮮やかに照らします
静かな海沿いの通り道を

Ka mea ho’okahi e ha’o wale ana ia ‘oe
I lalo ma ka mahinahina pili kaua, ea
見つからないあなたを探して
二人一緒に、淡い月ひかりの下で

Puana ka inoa o ka mahinahina
eia ho’i i ha’i mai keia la, ea
淡い月ひかりの物語
今日まで語られてきました

A’ole hui ia ‘u no ke aha mai la
I lalo ma ka mahinahina pili kaua, ea
どうして会えないの?
淡い月ひかりの下に佇む二人の物語
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 フラソングとしてもお馴染の曲「ワイカプ(Forbidden Waters)」。
直訳すると「禁じられた海域」となる。つまり広い意味で自然を大切にと解釈することが出来る。
これはマウイ島にある4つの水源「ワイカプ、ワイヘエ、ワイルク、ワイエフ」のそれぞれの場所
に吹く風の様子を唄っている。唄の歌詞にも出てくる。
つまりイアオ渓谷の唄でもあるのだ。
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