Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。



 ザ・タイガース(The Tigers)は、日本のグループ・サウンズ。
1967年に『僕のマリー』でデビュー、『モナリザの微笑』、『君だけに愛を』
など数多くのヒット曲を放ち、グループサウンズ(GS)の神として君臨し、
ブームの最盛期を支え、デビューから解散までの4年間、ビジネスとして
成り立った唯一のグループサウンズである。
1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。その後1981年に同窓会
と銘打って再結成した。
沢田研二(ジュリー)(1948年生)ヴォーカル、タンバリン、パーカッション
岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名)(1947年生)リーダー、ベース、
               低音コーラスヴォーカル
加橋かつみ(トッポ)(1948年生)リードギター、高音コーラスヴォーカル
森本太郎(タロー)(1947年生)ギター、キーボード
瞳みのる(ピー)(1946年生)ドラムス
岸部シロー(シロー)(1949年生)ギター、タンバリン、マラカス、ヴォーカル
1969年3月に脱退した加橋かつみに代わって参加。岸部修三の実弟。
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テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 2011年7月30日(土)に芹田上神社で行なわれた「芹田町夏祭り」の
写真がようやく届きました。
当日はライブが終了した時点で雨が降り出し大変な日でもありました。
それでも人出も多くあり、出店もあってかなりのにぎわいでもありました。
写真を撮影してくれた幹事の小林様には厚くお礼申しあげます。
テーマ:思い出の音楽 - ジャンル:音楽
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横山正ギター。
 1975年にモーリス楽器製造株式会社に入社、塗装工程に配属。
1980年、約5年の一般工程を経て、現在の方向性を決定付ける手工班に配属。
ギター以外にもフラットマンドリンやバンジョー等、多種多様の手工品製作を行なう。
1984年、手工品製作の殆どを一人で担い、多くのプロミュージシャンの楽器を製作。
そのクオリティの高さで徐々に知名度が高まる。また、アコースティックギターの
みならず、エレキギターの製作にもその才能を発揮し、エレキギターブラン
ドAIR CRAFTを手掛け、多くのアーティストが横山製のギターを使用している。
2005年、約29年勤務したモーリス楽器製造株式会社を退社。
長野県松本市波田にワンダートーンを設立。ギターを作り始める。
2006年、自身の足跡を残す為、ギター製作工房を設置。横山ブランドのギター製作を開始する。
2010年、オリジナルエレキギターの製作を開始。
テーマ:信州 - ジャンル:地域情報
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 財津 和夫(1948年生まれの64歳)は、福岡県出身の日本のポップスシンガー、
作曲家、俳優。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。2004年から大阪芸術
大学芸術学部音楽学科教授。
1970年代からに活躍しているニューミュージック系ポップスグループ「チューリップ」
の中心的人物。チューリップのほとんどの楽曲の作詞、作曲を手がけている。
1989年のチューリップの一時解散以降はソロ音楽活動を中心に活躍。1997年の
チューリップ再結成後は、2~3年に1回の頻度でツアー活動を軸にチューリップとし
ての活動も展開中。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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ハワイ大神宮(Daijingu temple of Hawaii)は、アメリカ合衆国
ハワイ州オアフ島に鎮座する神社。
明治36年(1903年)、高知の移民千屋松恵がホノルルのアアラ・レーンに創祀。
明治40年(1907年)、日本から川崎正郷師を宮司として迎える。
昭和21年(1946年)生熊記内・田原亀雄がアメリカ本土抑留から帰還し、
布哇大神宮神教院として再出発。
昭和22年(1947年)ヤング街の新社殿に移転し、遷座祭を斎行。
昭和26年(1951)、注連柱・常夜燈を復旧。
昭和29年(1954年)、サンフランシスコ講和条約締結により、ホノルル
敵国人財産管理局よりハワイ大神宮とウヒアワ分院の土地建物代金が返還される。
昭和32年(1957年)新境内地を購入し、翌年9月新社殿完成。
テーマ:ハワイ - ジャンル:海外情報
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 由紀 さおり(本名: 安田 章子、1948年生まれの63歳)は、群馬県出身の歌手
及びタレント・女優・ナレーター。洗足学園短期大学 英文科 卒業。姉は歌手の
安田祥子。姉とシンガー・ソングを組んでいる。
群馬県桐生市に生まれ、3歳時に横浜市へ移る。少女時代から姉の安田祥子と共に、
本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから「ヒッチ
ハイク娘」で歌手デビューを果たすも、ヒットに恵まれず停滞の時代に入り、童謡歌手
時代から行っていたCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、「大人の世界を歌
えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの出演を行いな
がら過ごす。
1969年、再起をかけた「夜明けのスキャット」(TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバ
ラード」のOPとして制作。これがヒットにつながる。
ピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』が海外で高く評価された。2011年に
世界20ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、2011年11月2日付のiTunesジャズ
・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位、ギリシャのIFPI
総合アルバム・チャートで6位、シンガポールのHMVインターナショナル・チャートでは
18位を獲得した。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 「マカナ」(32歳)はハワイのシンガーソング・ライターとして、スラック・キー・ギター
の若き名手であり、透明感のある声、そのルックス、ギター・テクニックで、ハワイの
若手男性ミュージシャンの中で際立ったその存在感を放っている。
サニー・チリングワースを恩師として敬い、ハワイの伝統音楽を継承するように
言われ、その為彼の影響が出ているのが特徴だ。
彼のトレーニングは実にユニークだ。早朝から山に登り、日の出に合わせて
太陽に向かってパワーを貰うのが日課となっている。そして発声練習も忘れない。
そして毎日のように仲間ともセッションに余念がない。


 ブラジルサンパウロ育ち、高校までブラジルのアメリカンスクールで過ごし、
大学進学の為、日本に渡ってきたフーリア。
早稲田大学大学院理工学研究科修了後、オリエンタルダンサーとしてプロの
道を歩んだ。
フーリアが、オリエンタルダンスの虜になったきっかけは、アメリカ人ベリー
ダンサーMishaalとの出会いだった。友人の誘いで何気なく始めたオリエンタル
ダンスだったが、初めてMishaalがステージで踊る姿を見た時、Mishaalの
表現力に「かっこいいな。私もあんな風に踊ってみたい。」と感銘を受け、
プロへの道を歩むことを決意した。
ブラジル育ち、アメリカンスクールと日本の大学で学生生活を過ごしたフーリア
のバックグランドは国際的である。
大学院卒業と同時に、企業に務めるという道もあったはずだが、フーリアは、
自らのバックグラウンドから、外国と日本を繋ぐ架け橋になりたいと思ったそうだ。
世界を舞台に活躍するブラジルのオリエンタルダンサー ルル サボンギと日本を
繋ぐ架け橋となったフーリア。そして、今後も日本を拠点にオリエンタルダンスを
通してアラブの心を表現し伝えてゆく決意だ。
3年前にレバノンで行われたベリーダンス国際大会で2位に入る。この時1位も
日本人でワン・ツーと日本人が占めた。

フラダンスの次はベリーダンスブーム到来か?
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ワイキキビーチのダイアモンドヘッドサイドに広がるクヒオビーチの片隅、
ワイキキ交番のすぐ隣りに置かれている数個の石、それが「魔法の石」。
ハワイの伝説によると、これらの石には16世紀にタヒチから来たカパエマフ 、
カハロア 、カプニそして、キノヒら4人のカフナによって、癒しのパワーが
吹き込まれていると言う。4人のカフナたちの外見は、背が高く男らしい体格
であったようだが、立ち居振る舞いはとても女性的であったと言われている。
彼らはオアフ島の人々にヒーリング(癒しの)技術を教え、島を離れる際、
これらの石に1ケ月以上もかけて治癒力と癒しのパワーを吹き込んでいったのだ。

   Lani Creates, All right reserved.(魔法の石)

「魔法の石」は、もともとワイキキの山側3キロ以上離れたカイムキ地区の
ワイアラエ通りにあった。伝説によれば、人々は台車や動物を使わず、
人力だけでワイキキまでの距離をたった一夜にして運んだと言われている。
かつて湿地帯だったワイキキに、8トンもあると言うこれらの石をどのようにして
運んだかは未だ謎だ・・・。
石に直接手を触れることは出来ないが、天に向かって両手を掲げ「アロハ」を
3回叫ぶと願い事が叶うとも言われている。
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 寺井 尚子(1967年生まれの46歳 )は日本のジャズ・ヴァイオリニスト。
神奈川県藤沢市出身。1988年プロ・デビュー。1995年に来日中のケニー・バロン
と共演し、その縁で彼のアルバム録音に招かれニューヨークへ。1998年に初の
リーダー・アルバム(Thinking of You)を発表。
もともとはクラシックを専攻していたが、腱鞘(けんしょう)炎にかかり練習中断を
余儀なくされた時にビル・エヴァンスに触発されジャズに目覚める。
ジャズバイオリンの世界ではステファン・グラッペリ、レイ・ナンスなど、スウィンギー、
かつグリッサンドを生かした演奏が多い中で、寺井はバップの基本スタイルを徹底
的にマスターしたと思われるアドリブを展開しジャズ・バイオリン奏法に新しい解釈
を与えた。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 佐野 元春 (1956年生まれの56歳 )は、日本のロックミュージシャン・ギタリスト・
作詞家・作曲家・音楽プロデューサー・ラジオDJ・詩人。
1980年、シングル『アンジェリーナ』で歌手デビュー。詩人としてのメッセージを内包
した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップやスポークン・ワードなどの新しい手法を
実践し、さまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的
ヒットに関係なく高い評価を得ている。現在は独立系レーベル「デイジーミュージック」
を主催し、インターネットを通じた音楽活動などでも先駆的な試みを続けている。
今年でデビュー30周年、精力的に活動している。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 デイヴィッド・サンボーン (David Sanborn、1945年生まれの66歳) は
ジャズ・フュージョン界で活躍するサックス白人奏者であり、彼の活躍はスム
ーズ・ジャズへの影響も深い。ユニークで渋みのあるファンキーなプレイが特徴。
歌うように奏でるその音色は「泣きのサンボーン」とも呼ばれる。
アメリカはフロリダ州出身。幼少より小児麻痺にかかり、医師の勧めでリハビリを
兼ねてサックスをやり始めた。ブルースやジャズ(レイ・チャールズ)に影響され
才覚を育てたサンボーンは、10代半ばにはアルバート・キングとも競演した。
様々なミュージシャンとセッションをこなし、1975年、ワーナー・ブラザーズと
契約し、『Taking Off』でデビューした。
1978年、ピアニスト深町純が中心となり、マイク・マイニエリ、ブレッカー・ブラザ
ーズ、スティーヴ・ガッド、リチャード・ティー等が参加した「ニューヨーク・オール
スターズ」にも参加した。
1991年にエレクトラに移籍、1996年にはNHKの連続テレビ小説「ひまわり」の
主題歌、山下達郎の「DREAMING GIRL」を演奏したこともある
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 ザ・ベンチャーズ (The Ventures) は、1959年に結成された、アメリカ合衆国
のエレクトリックギターを主軸としたインストゥルメンタル(歌なし)・バンド。
特に、日本に於いてはビートルズと並び、日本の音楽業界に影響を与えたバンドとさ
れている。ロックの殿堂入り受賞者に名を連ねている。
1959年ドンとボブにより結成。結成時は「インパクツ」を経て「ヴァーサトーンズ」と名
乗っていたが、すでに使われていたため、ドンの母親であるジョシーからの提案に
よって「ザ・ベンチャーズ」と名乗るようになる。当初の演奏スタイルは、リードギター
とリズムギターを曲によって交代し、正式なベースとドラムスは不在だった。フェンダー
社製のストラトキャスターやジャズマスターを主に使用していた。2人は昼間に建築業
をしていたが、夜にはクラブに出演してキャリアを積み、音楽関係の人脈を作る中で、
ノーキー、ホーウィーをメンバーとしてスカウトする。

デビュー曲は「ブルー・ホライズン」からリリースした「ザ・リアル・マッコイ/クッキーズ&
コーク」であるが、続く全米メジャーデビューは1960年発売の「ウォーク・ドント・ラン
(邦題:急がば廻れ)」で、地元シアトルのラジオ局がニュース番組のテーマ曲とし
て起用したことから火が付き、瞬く間にビルボード誌のヒットチャート第2位を記録した。
その後は世界に影響を与え、今なお精力的に活動している。
テーマ:思い出の音楽 - ジャンル:音楽
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 エイミー・ハナイアリー・ギリオムのプロフィール
雨の音を感じる歌声がトレードマーク。
エンターテイナーの一家に生まれ、アメリカの音楽学校で伝統的な訓練を受けた
歌手でありソングライター。幼い頃にファルセット・シンガーの第一人者ジェノア・
ケアヴェに弟子入りをしたことが今日の、彼女の特徴であるファルセット唱法の
基礎となっている。
大学ではショービジネスを学んだが、最終的にはハワイへ帰ってくることに。
祖母も歌手でその影響を受けている。
1995年にデビューし、ハワイでの大ヒット、ビルボード誌のヒット・チャート入りも
果たした。「最初のハワイ語のみで歌われたアルバム」としても有名。04年から
新設されたグラミー賞のハワイアン部門にノミネートされ、通算7作目もグラミー賞
にノミネート。07年にはハワイ州観光局のテーマソング『Discover Aloha』を歌
っている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


 筒美 京平(1940年生まれの72歳 )は、東京都出身の作曲家。
本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。青山学院大学経済学部卒業。
小学から大学まですべて青山学院だった。弟はコブクロの生みの親で
音楽プロデューサーの渡辺忠孝。
幼稚園児のころからピアノを始める。大学在学時はジャズに打ち込み、
大野雄二とも面識があった。大学卒業後の1963年にポリドール・レコード→
ユニバーサルミュージックに入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、
大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ作曲を始める。のちにすぎやま
こういちに師事。1967年から専業作家となる。
1960年代後半のグループ・サウンズを初め、1970年代では麻丘めぐみ・
岩崎宏美・太田裕美・郷ひろみ・野口五郎・南沙織、1980年代では河合奈保子・
小泉今日子・近藤真彦・C-C-B・少年隊・田原俊彦・中山美穂・早見優・本田美奈子・
松本伊代、1990年代・2000年代に入ってからも安倍麻美・KinKi Kids・SMAP・
TOKIO・中川翔子・パク・ヨンハなど、今日に至るまで長年にわたって主に日本の
アイドル歌手を通じて、多数のヒット曲を世に送り出している。非常に膨大な作曲を
しながら、演歌歌手への楽曲はあまりないものの、五木ひろし・香西かおり・橋幸夫・
前川清・森進一などにも時折提供している。
1968年12月に発売の「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)が、筒美の作曲
では自身初のオリコン週間1位を獲得。また、自身が作曲・編曲で日本レコード大賞
を受賞した曲は、第13回(1971年)の「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、
第21回(1979年)の「魅せられて」(ジュディ・オング)の2曲である。
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 クムフラ ナプア・マクア(旧姓グレイグ)のプロフィール
マウイ島でハラウ・ナ・レイ・カウマカ・オ・ウカを主宰。
クムは昨年結婚し、ナプア・グレッグ→ナプア・マクアと名前が変わった♪
現在2人の娘にも恵まれ幸せな生活をエンジョイしている。
メリーモナーク、キングカメハメハ、クイーンリリウオカラニなど、
数々のコンペティションで優勝、上位入賞などを果たしている。
また、シンガーとして活動もしており、ナホクハノハノアワードで、
2008年度、女性ボーカリストの最優秀賞を受賞。
ファーストアルバム「Pihana」は大ヒット!!
クム:ナプア・マクア/ハーラウ・ナー・レイ・カウマカ・オ・ウカ
2009年ワヒネ・アウアナ5位 2007年ワヒネ・カヒコ2位
彼女のデビューアルバムは、2008年のナ・ホク・ハノハノ・アワードで
最優秀女性ボーカリスト賞を受賞!
彼女の母は歌手で、毎日昼も夜もリゾートホテルのステージで歌いながら
3人の子供を育てあげた。姉もクムフラで一緒にハラウを開催している。
生まれたマウイ島が好きでタロイモ、ティの茂る自然豊かな環境で暮らしている。
癒しのファルセットと優雅なフラの共演がトレードマーク♪
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 ハワイ(モロカイ)の歌姫と言えばRaiatea Helm(ライアティア・ヘルム)
をあげることが出来る。
モロカイ島のカラマウラは手つかずの自然と素朴な暮らしが残るハワイアンの郷愁
を誘う場所で彼女はここを気に入っているのだ。
彼女が、1950年代と1960年代初頭にワイキキで歌われていた音楽スタイルを取り
入れて、古きよき時代の忘れ去られたハワイの名曲を現代に蘇らせてきた。
尊敬するのは往年の名歌手「レナ・マシャード」。
3年のナ・ホク・ハノハノ賞の4部門を取ったことでも知られている。
2004年に日本にも来日を果たし、その天使のような歌声で人々を魅了し、
彼女はハワイアン・ミュージック界の大御所George Helmの姪っ子にあたる。
まさにハワイアン音楽のルーツ、血をひいたサラブレットとも言える。
ライアティアとはハワイの島の名前であると言う。
代表曲には
 ☆Where I Belong
 ☆Maile Swing
 ☆Poi Awaawa
などがあげられる。
オバマ大統領の就任式に彼女が歌ったことでも知られる。
と言うのもオバマ大統領のふるさとはハワイだからだ。

ハワイアン・ミュージックには伝統的な歌唱法が2種類あると言う。
・Leo Kiekie(レオ・キエキエ)
 ファルセットみたいに高い声のこと。キエキエとは高いと言う意味。
・Leo Hai(レオ・ハイ)
 音程が変わるときに声を変化させる。
彼女はこの2つを上手に使い分けて歌っているのだ。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


 キャンディーズ(Candies)は、1970年代に活躍した日本のアイドルグループである。
所属事務所は渡辺プロダクション。多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員である
松崎澄夫(元・アミューズソフトエンタテインメント代表取締役社長)のプロデュースに
よるものであった。
解散当時のメンバーは、
 ラン(伊藤蘭、1955年(昭和30年) - )
スー(田中好子、1956年(昭和31年)- 2011年(平成23年)
ミキ(藤村美樹、1956年(昭和31年) - )の3人。

 キャンディーズのメンバーは、3人とも東京音楽学院のスクールメイツ出身。
最終選抜で3人が選ばれた。
1972年4月に、NHKの新番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールとして3人
揃って抜擢され、番組プロデューサーから「食べてしまいたいほどかわいい女の子
たち」を意味して「キャンディーズ」と名付けられた。3人ともスクールメイツの中でも
特に目立つ存在ではなく、歌謡グランドショーでもマスコットガール兼アシスタント
に過ぎず、歌手デビューの予定はなかった。しかし歌謡グランドショーに出てしばらくたっ
た頃、東京音楽学院をたまたま訪れた松崎澄夫が、教室に入ってきたキャンディーズの
3人を見て「かわいい子がいるなあ」と目を止めた。松崎はそのままキャンディーズの
歌手デビューを決定した。
1973年(昭和48年)に「あなたに夢中」で歌手デビュー。またデビュー前からは、人気
バラエティ番組「8時だョ!全員集合」にもレギュラー出演していたが、デビュー後しばらく
はヒット曲に恵まれなかった。デビュー当時のメインボーカルは、当時最も歌唱力が高か
ったスーが起用されていた。
その後は周知の通り、トップアイドルに成長した。
1978年「普通の女の子」になりたいとして解散となった。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 雄大な自然景観を誇るハワイ・カウアイ島のナパリコースト。
先住民が神をまつり、かつてヒッピーたちが愛した地上の楽園だ。
ここナパリコーストは、シャングリラのような幻の桃源郷ではない。
カウアイ島のどの地図にも載っている、よく知られた観光名所だ。
絶景を誇るこの海岸は、これまで数多くの出版物や映画で“地上の楽園”として紹介され、
今も多くの観光客を集めている。切り立った断崖、海辺の洞窟、ひそやかなビーチが
連なる全長約25キロの海岸を、海が穏やかな夏にシーカヤックで訪れる人もいれば、
船外機付きの頑丈なゴムボートでやって来る人々もいる。ヘリコプターに乗って映画
「ジュラシック・パーク」の冒頭シーンさながらの眺めを楽しむ1時間のツアーまである。
ナパリコーストは、この恐竜スペクタクル映画や「南太平洋」など、多くのハリウッド映画
のロケ地として使われてきた。
 この景観は、数百万年に及ぶ地形の変貌という、壮大な太古のドラマの産物だ。
海底から頂上まで高低差が8000メートルもあった古代の楯状火山の山頂周辺が、
長い時を経てナパリコーストになった。ハワイの島々はみなそうだが、カウアイ島も
ホット・スポットと呼ばれるマグマの噴出口の上に形成された。やがて地殻の運動により
ホット・スポットから遠ざかり、冷え固まった島は、雨の力で浸食された。ところによっては
年間降水量が2500ミリにも達するこの地で、雨は深い谷を刻み、断崖から幾筋もの滝と
なって流れ落ちた。玄武岩の断崖が冬の荒波に削られ、海水面の上昇と下降にさらされて、
急勾配の斜面が生まれた。
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 シャンティは、1981年生まれの30歳。神奈川県逗子市生まれ。
小学3年生頃から賛美歌を歌い始め、学校内のミュージカルに出演。
16歳の夏 (1997年)バークリー音楽院サマースクール入学。
そのころよりすでに音楽プロ活動を開始。帰国後日本の音楽業界で
CMの作詞作曲、ナレーション、ライヴ活動などを開始。その数今では100以上。
スタジオシンガーとしては今年が12年目となる。
1998年『天空のエスカフローネ』O.S.T「SORA」でフィーチャリングされた。
2000年から、自作曲中心のライヴを開始。2003年、フル・ソロ・ライヴを渋谷
クロコダイルで敢行。その後もコンスタントにシンガーとして、また他のアーティス
トに楽曲、作詞提供など積極的に活動。小林桂、フランスのポップ・アイドル、
ロリ(LORI)、エイミーの「ルッキン・フォー・ラヴ・イン・ユー」(作詞、オリコン・
トップ100入り)、アメリカの人気アカペラ・グループ、テイク6の「フローイング・
ウィズ・タイム」(訳詩)、ジャズ・シンガー、TOKU(トク)、マーリーン、
おなじくジャズ系ユニット、TKYのアルバム中の作詞などを多数てがけている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


 「虹と雪のバラード」は1972年2月に開催された第11回冬期五輪オリンピック
札幌大会のテーマソングである。
作詞は河邨文一郎、作曲は村井邦彦。
1971年3月からNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流された。
レコードはトワ・エ・モワ、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、
トワ・エ・モワと同一の芸能事務所に所属していたジャッキー吉川とブルーコメッツ
やスクールメイツなどの競作で発売されたが、人気と売上はトワ・エ・モワの一人
勝ちでこの年の『第22回NHK紅白歌合戦』でもトワ・エ・モワがこの曲を歌った。
人が集まるイメージと、町ができあがるイメージなどを盛り込んだ歌としてオリン
ピック後も人々に親しまれ、時々CMソングとしても流れる事がある。札幌を代表
する歌のひとつとしてさっぽろ雪まつりの会場内でも頻繁に流され、ご当地ソング
の代表的な例であるといえる。
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 ボラ・デ・ニエベ
1950~60年代にラテン諸国やヨーロッパで大もてだったキューバの伝説的な
ピアノ弾き語り歌手のボラ・デ・ニエベ。無声映画の伴奏ピアニストとしてデビューした。
大物女性歌手の代役で歌ったのがきっかけで、その独特の歌唱法を開花させていった。
キューバ革命後は中国、ソ連などの共産圏の国でも精力的に活動を続けた。
その独特でウニコ(唯一)なピアノ弾き語りによって国境を越え、音楽というジャンルさえ
越え愛された彼には、ノーベル賞詩人パブロ・ネルーダ、同じくノーベル賞作家ニコラス・
ギリェンやカミーロ・ホセ・セラ、クラシック・ギターの神様といわれたアンドレス・セゴビア
などの巨匠たちが賛辞の言葉を述べている。キューバ音楽のエッセンスを強烈に内在
しながらも、それだけではとらえきれない彼の個性溢れる音楽は、キューバ音楽ファン
のみならず全てのワールド・ファン、ヴォーカル音楽ファンも認めるところ。
1971年演奏旅行中に心臓発作で死去。60歳であった。
テーマ:お気に入りアーティスト - ジャンル:音楽
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 欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー(ŌuYáng FēiFēi) 本名:式場欧陽菲菲
1949年生まれの62歳)は、台湾出身の歌手。
1967年に台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビューした。
その後国内で高い人気を誇ったことから日本のプロダクションより日本での歌手
活動が打診されたが、本国での人気をご破算にしての日本行きに周囲は難色を示した。
しかしその後観光ビザで来日し、1971年9月に『雨の御堂筋』で日本デビュー。
同曲が約136万枚の大ヒットになり一躍人気歌手の座に駆け上がり、同年の
第13回日本レコード大賞で新人賞を受賞。翌1972年には「第23回NHK紅白歌合戦」
に外国人ソロ歌手として初めての出場を果たした。
その後も『ラヴ・イズ・オーヴァー』(1984年)など数々のヒット曲を飛ばしたことや、
その気さくな人柄や片言の日本語で日本のバラエティ番組でも人気が高い。また、
ソウルフルな歌唱が日本や中華民国だけでなく、アジア各地でも高い人気を誇る。
1978年に、日本のモータースポーツ黎明期の伝説的レーシングドライバーで、病院
経営者の式場壮吉と結婚し、現在もミッレミリアなどのレースイベントにしばしば夫婦で
顔を出す。
 妹の欧陽ベベ(BeiBei)は渋谷区代官山で高級中華料理店を営む実業家。
また、弟の欧陽龍は元俳優で現在は台北市議会議員(中国国民党)。
父親は元パイロットであり、名前の「フェイフェイ」には空を「飛」ぶというニュアンスが
込められている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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井筒信一 プロフィール
1936年 長野生まれ。木地師の父のもとで修行、20歳でヴァイオリン制作者の道へ。
ひたすら木を削る。長野県松本に工房をかまえるヴァイオリン職人、井筒信一。ヴァイオ
リンの音の善し悪しは、板の微妙な膨らみとその厚さで決まると言う。ヴァイオリンが生
まれたのは16世紀のイタリア。今でも、一流の演奏家が日本人の作ったヴァイオリンを
使うことはほとんどない。ところが、天才ヴァイオリニスト五嶋龍のデビューコンサートで、
井筒さんのヴァイオリンに白羽の矢がたった。

ヴァイオリン製作に使う木は、100年近く乾燥させたヨーロッパのカエデとマツ、というの
がセオリー。
日本人の職人として誇りをもつなら、日本の木を使ったっていいじゃないか。素材の木に
人一倍こだわる井筒さんは、今、北海道のカエデとマツに挑戦している。井筒さんにとって
最も大切な製作過程。寸法にたよらず、木を叩いて、その音で最終的な曲線と厚みを決め
てゆく、タッピングという技。いつも素材の木と語り合う日々だ。
テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽
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 オンキヨーは2012年1月4日、米ギブソンギターに対する約8億2400万円の第三者割当増資
を実施すると発表した。ギブソン社は1株100円でオンキヨーの新規発行株824万200株を取得
する。両社はコンシューマー・エレクトロニクス製品を展開し、海外の合弁会社設立も計画している。
発行済株式総数に対するギブソン社の取得株式の割合は17.2%。また、ギブソン社はオンキヨー
の5000個の新株予約権も取得。さらに米子会社ONKYO USAの株式の51%を取得して子会社とする。
同時にオンキヨーもギブソン社の株式1.0%を取得する。
ギブソン社は1894年創業の世界的な楽器メーカー。「レスポール」などの製品でプロミュージシャン
にも愛好家が多い。直近期の売上高は2億8993万ドル。両社はギブソン社の楽器技術とオンキヨーの
オーディオ技術による音作りを合わせたコンシューマーエレクトロニクス製品を開発・販売する。
またマーケティングでは、双方のブランドを両社で使用するなどして密に協力。アジア市場では合弁
会社を設立し、オンキヨーが主導して市場開拓を進める。将来的には、共同ブランドも立ち上げ、
共同ブランドでのシナジー効果を追求する。

今後はどんな新商品が出てくるか楽しみでもある。
テーマ:最新音楽ニュース - ジャンル:音楽


2011.11.19 長野駅コンコースでのOPEN MIC at NS-Free st.「街角コンサート」に
出演したウクレレ・ラヴァーズの皆さんです。

長野市教育委員会生涯学習課の情報として・・・
9月から始まりました、OPEN MIC及び街角コンサートにつきましては、これまで無事
に開催することができました。
皆様には、たくさんの元気を長野市に広めていただき、本当にありがとうございました。
平成24年度も長野駅でのステージを予定していますが、12月からは長野駅の改修
工事が始まり、平成25年以降は、会場の見直しが迫られています。
駅に変わる会場の確保など課題は多いですが、街中での開催ができるよう検討し
ていますので、来年以降も皆様のお力添えを賜りますよう、よろしくお願いします。
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 ハワイ島のハワイ火山国立公園(キラウエア火山)の近くにサーストン・ラバ・
チューブがある。
ラバチューブとは溶岩トンネルのこと。サーストン・ラバ・チューブは約500年前
に出来たと言われている。熱くてドロドロした溶岩が流れると、その表面は空気
に触れることによって冷やされ、固まり始める。この固まった部分がトンネルの
壁となり、中の熱いドロドロ溶岩は全部流れ去ってしまうのだ。溶岩トンネルは
こうして作られる。ハワイ島には無数のラバチューブがあるが、サーストン・ラバ・
チューブは一番有名な溶岩トンネル。
入口には展望台が設けられている。ここは元はクレーターだった場所で、今は
オヒアやシダなどが茂り、熱帯雨林のしっとりした空気が流れている。この森には
アパパネなどハワイ固有種の貴重な鳥たちが飛び交い、特に朝や夕方は沢山
見ることが出来る。
ラバチューブの中に入ると、天井が高くなっている所がいくつか見つけられるが、
これは火山ガスによって持ち上げられた跡だと言う。
全長はなんと334m!強力なライトを持っていれば、簡単に進むことができる。
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 美空ひばり歌の里資料館のご案内 
開園時間
 9時30分~18時
 (12月-2月末 : 10時~17時)
入場料
  500円
 中学生以下無料
 (団体はご相談)


主な資料のご紹介
・映画、公演ポスター、パンフレット、チケット
・映画、舞台での衣裳
・各種レコードとジャケット
・CD、DVD、ビデオ
・各種写真
・後援会機関紙(全巻)、後援会関連資料
・関連の新聞、雑誌、単行本など
・直筆の原稿、書簡など
・ファンとひばりさんとの関連を示す各種資料
・懐かしい楽譜帳
・ひばりさんの肖像画
・公演の旗など

当館は写真パネル、レコードをはじめ、各地のひばりさんファンの皆さんより贈られた
公演パンフレット、機関紙や多くの資料を展示しています。
ファンの皆さんの心こもった手作りの資料館には、1万点を越える貴重な展示品を見るこ
とができます。  資料館展示品の紹介ページへ
お問い合わせは・・・・
美空ひばり歌の里資料館までお電話・FAX・郵便にてご連絡ください。
[美空ひばり歌の里]
〒399-4603 長野県上伊那郡箕輪町三日町2243
Tel 0265-79-1601 Fax 0265-79-9818
テーマ:思い出の音楽 - ジャンル:音楽
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アロハ!
新年あけましておめでとうございます。皆様方におかれましては輝かしき新年を
お迎えのこととお慶び申し上げます。
「人生五十年、化転のうちにくらぶれば夢まぼろしの如くなり。一度この世に
生を受け滅せぬもののあるべきや」家康。・・・ボクはこの言葉が好きです。
これは人生五十年と言われているが、本人の努力次第で長く仕事も出来、長生きも
出来ると諭している。
もちろん当時は戦国の世の中だから寿命は今と比べれば比較にはならないが、
説得力のある格言でもある。
さて、我々ロイヤルハワイアンズも今年で9年目に突入する。当初は手探りで始め、
多くのメンバーの出入りはあったものの「継続は金(力)」と言う言葉は常に忘れなかった。
地道にやっていれば必ず報われると。
我々は「夢を売る」のが仕事、いい加減なことはできません。ようやく本年は
人材もバッチリ揃いこれから良い音楽を提供していきたいと考えております。
どうか応援の程よろしくお願い致します。
テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽