Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 早いもので大晦日を迎える。
今年のライブは予想をはるかに超えて過去最高の回数であった。3日連続なんてのもあった。
やはり好きなんですね。メンバーの諸君はグチひとつこぼさず黙々とやってくれた。
一度ステージに立つと簡単には降りられない、これが本音のようだ。
ライブ内容もメンバーの都合やらで差はあったがまずまずではなかったかと思う。
アマチュアの場合は集まった人でやるしかなく、それが泣き所でもある。
そのメンバーをいかに最大限の力を発揮させるのがバンマスの仕事なのかも知れない。
また、フラの皆様との交流もステージを盛り上げたと思う。ハワイアンを目でも楽しむと言う
方針は間違っていなかった。
本年も関係者の皆様方にはお世話に相成り厚くお礼申し上げます。
来年もよろしくご支援の程お願い申し上げます。

「夏草や強者どもが夢のあと」なんて有名な俳句が浮かんできました。
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テーマ:今年一年を振り返る - ジャンル:日記
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 沢知恵(さわ ともえ、1971年生まれの43歳 )は、神奈川県出身のシンガーソングライター。
ピアノ弾き語り歌手。日本人牧師の父と韓国人牧師の母の間に生まれる。
幼い頃より両親の仕事のため日本、韓国、アメリカを中心に移り住み、3ヶ国語を身につける。
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。
1998年、日本国籍を持つ歌手として戦後初めて韓国政府の許可を得て日本語で歌い、同年
第40回日本レコード大賞アジア音楽賞受賞。
2001年より毎年香川県ハンセン病療養所大島青松園で無料コンサートを開いている。
東京下北沢ラカーニャにて季節公演を行っている。現在までに19枚のアルバムを発表している。
一男一女の母。ミュージシャンの夫と離婚している。

テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ジョージ・チャキリス(George Chakiris, 1933年生まれの80歳)は、アメリカ合衆国のダンサー、
歌手、俳優。
オハイオ州でギリシャ系の両親の間に生まれ、カリフォルニア州ロングビーチで育つ。
ダンサーとしてミュージカル映画などで小さな役をつかみ、ロンドンで『ウエスト・サイド物語』の舞台版
に出演。同作品の映画版でプエルトリコ系の不良グループのリーダーを演じ、その演技とダンスで
鮮烈な印象を与え、アカデミー助演男優賞及びゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞した。
1960年代はヨーロッパ映画界にも進出し、クラウディア・カルディナーレ、カトリーヌ・ドヌーヴ、
ジャック・ペランらと共演。1960年代終わり以降は映画からテレビや舞台に活躍の場を転じた。
日本での来日公演も数回あり、親日家でもある。

テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽



 日野てる子さんが2008年9月に肺炎の為63歳の若さで亡くなって早4年が過ぎた。
高校2年生でアマチュア・ハワイアンコンテストで優勝、そしてデビュー。
「夏の日の想い出」が大ヒット、ハワイアン歌手としての地位を築いた。
結婚して長男、長女を授かり、現在二人ともミュージシャンの道を歩んでいる。
デビューも間もないことと思う。
もう日野さんの歌が聴けないのは残念でもある。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ボビー長尾。
カウアイ島生まれのカウアイ育ち。カウアイの人と自然をこよなく愛する
日系3世の「カウアイのターザン」と呼ばれている。
カウアイのことなら何んでも知っていると言うからおどろきだ。
ここでの目玉はワイメア・キャニオンと冒険家「キャプテン・クック」の銅像である。

テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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アヨーシ・バトエルデネ(A.Baterdene)。
WMA(世界馬頭琴協会)理事長。馬頭琴演奏家。
モンル国ゴビアルタイ県生まれ。4歳より父について馬頭琴を習い始め、5歳のとき初めて舞台で演奏。
モンゴル国立音楽舞踏中学、 モンゴル国立大学院修士課程卒業。
大学院在学中より、同大学で教鞭をとる。
・2000年 アメリカ・マサチューセッツにて、ヨーヨーマのシルクロード・アンサンブルで演奏。
 そのほか、中国、ロシア、ウクライナ、北朝鮮、韓国等で演奏活動をする。
・2001年より東京に在住。
・2002年5月  いちょう小ホールにて日本でのデビューリサイタルを行う。作曲家三木稔氏に演奏を
 高く評価され、「オーラJ」(アジアの民族楽器アンサンブル)にメンバーとして参加。
・2004年秋より モリンホール(モンゴル語で馬の楽器)クラブの指導にあたる。
・2007年秋 「馬頭琴四重奏チャリティーコンサート 」で、モンゴルの民族音楽を古典楽器を蘇らせた
 現代屈指の若きミュージシャンたち、 B オヤンガ(馬頭琴)  L ポロルマー(チェロ)A ムングン(馬頭琴)
とともに全国ツアー大成功!日本ではほとんど演奏されたことがない珍しい馬頭琴四重奏の演奏会を、
 日本全国各地で行う。
・2008年5月 かねてよりバトエルデネの提案で始まった企画「第一回国際馬頭琴フェスティバル
 &シンポジウム2008」をウランバートルにて開催!好評を博した。
・2008年11月に第1回WMA国際会議を主催し、WMA理事長に就任。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイのコーヒーと言えば、ハワイ島の「コナ」が有名だが、ハワイ諸島のそれぞれのアイランドでも
特徴を持ち、希少価値の高いコーヒーが生産されている。中でも、ハワイ島の東、カウ地区で、
1990年代から生産が始まったカウコーヒー(Kana'u Cafe)は近年評判が高く、世界的なコーヒー
コンテストや国内のコンテストで多くの賞を受賞している。あのオバマ大統領の就任式でも出された
そうである。コーヒ-の味は、ロースト法にもよるが、独特な香りとクリアな味で本来の豆の味を感じる
ことができる。
カウコーヒー(Ka'u Coffee)は現在日本での取り扱い店が限定されている。
特に日本では2,3店に限られ、アメリカ本土でも入手困難なコーヒーとなっていいる。
カウコーヒーは同じハワイ島のコナ地区と比較して1/4の生産量のため世界でも極わずかしか流通して
いない。
また、ハワイ諸島で収穫されたコーヒーのカッピングコンテストでは上位入賞がカウ地区の農園が占める
ようになり、またSCAA(スペシャルティコーヒーアソシエーションオブアメリカ)開催の世界的なカッピング
コンテストでも優秀な農園と肩を並べトップ10に入賞するなど輝かしい実績を残していますので名実とも
にハワイ産No.1のコーヒーブランドになりつつあるのだ。
カウ地区のコーヒー農園は歴史が浅い。しかしフランスの一流ワイナリーのように気象・土壌・地形を元に
徹底した栽培技術と品質管理がこのような世界的な評価を受ける農園へと成長した。
コナコーヒーとの香味比較がされるが、マウナロア火山を挟んで両者の気象特性に大きな違いがある
為に自然と香味も異なる。

テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 ハワイはヒロ空港から15分の所にある「大正寺」。
1915年、永平寺66世日置黙仙禅師が、サンフランシスコで開かれた世界仏教徒会議に
日本代表として出席。帰途、幼友達のいたヒロに立ち寄り歓迎される。住民の要望があり、
後日優秀な布教師を派遣することを約束。1916年、江沢白道師がヒロのココナッツ湾近くに、
新町仮布教所を設立。1917年、ダウンタウンにある現在の土地を取得し、寺院建設が始る。
白峰山大正寺と名づけられる。1942年、日本との戦争勃発のため、布教師や寺役員の日系
有力者たちは強制収容所に隔離される。のちに家族とともに米国本土の収容所に送致される。
1945年、終戦。1955年、Taishoji Soto Missionという英名が決定される。1964年、
大正寺細則が施行される。
ここでは座禅、盆踊り、結婚式、華道、茶道など行事が盛んだ。
特に人気は「大正太鼓」である。日本の和太鼓だ。週1回のペースで練習を行い日本の文化
を楽しんでいる。目的も様々でストレス解消、リズムに興味があるなどである。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報


 越路 吹雪(1924年- 1980年)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。
本名、内藤 美保子(旧姓:河野)。愛称:コーちゃん、東京都出身。
日本のシャンソンの女王。宝塚歌劇団男役スターとして戦中から戦後にかけて活躍した。
宝塚歌劇団26期生。同期生に月丘夢路、乙羽信子、東郷晴子、大路三千緒らがいる。
1951年の宝塚退団後は、女優として主にミュージカルで活躍したほか、歌手としてシャンソンや映画
音楽を多くカヴァーし、特にシャンソンにおいては岩谷時子とともに数多くの曲を日本に紹介した。
1980年劇場の出演中激しい胃の痛みを訴え、公演終了直後に緊急入院。胃がんとの診断を受け、
その後も入退院を繰り返すものの、ついに助からなかった。56歳没。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 シャーク・ウォッチング・ツアー
サメを見たことがないと言う人が沢山いることと思う。サーフィンのメッカとして有名なノースショア・
ハレイワにて毎日実施している。真っ青な海の底から音もなく静かに浮上してくるたくさんのサメ・・・
海上にはサメのヒレが波を切り、えさを求めて集まってくる。船の周りに一匹又一匹と増えて行く様は
怖いと言うより壮観でもある。特殊なケージの中に入ってその野生のサメを間じかに見る体験は
きっとわすれられない思い出となる事と思う。
・サメの種類はその日の状態や状況によって変わるが、グレーリーフシャーク、ガラパコスシャーク、
 タイガーシャーク等が見られる。
・サメが見られない事はないと言うことです。
・ツアーの値段は、船からの見学コースは一人$60 (6歳以上)檻に入って水中で見学コースは一人$120。
・ツアーの時間はほとんど朝8時と10時に出発。
・2人以上6人までの参加が条件。
・シュノーケルのセットのレンタルはツアー代金に含まれていますので、船上で借りる事が出来る。
 ただ、ウエットスーツはレンタルしていない。

テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報
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 10年前からイギリスはロンドンのペンパルから今年もXmasプレセントが届く。
今年ロンドンで行われたオリンピックのオフィシャル・マスコットとカードである。
実際見るのは初めてであるが感動しました。
こちらからは大した物をあげた訳ではなかったが、うれしいクリスマスである。

 オリンピックマスコットは、銀色のボディにオレンジのストライプが入った「ウェンロック」と、
銀色と青色のボディの「マンデビル」。顔にはカメラのレンズに見立てた大きな目が1つあり、
額にはロンドンの名物タクシー(ブラックキャブ)をイメージしたライトが付いている。
五輪スタジアム建設に使われた鉄骨のしずくから、定年退職した作業員が孫のために作った
という設定。ウェンロックの名は、近代五輪の概念が生まれたシュロップシャー州の街、
マッチウェンロックにちなんだ。1890年にこの地を訪れた五輪の父、クーベルタン男爵は、
ここで開かれていた大会を見て五輪の着想を得たといわれる。 一方マンデビルは、
1940年代のパラリンピック発祥の地であるイングランド南部のストーク・マンデビルに由来する
テーマ:模型・プラモデル - ジャンル:趣味・実用
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Mr.Children(ミスターチルドレン)は、日本のロック・バンド。略称は「ミスチル」。
デビュー以来20年の間、日本のポップミュージックの第一線を走り続ける大人気ロックバンドとして知られる。
1990年代のJ-POPブームに乗って数々のヒット曲を生み出し、1994年から95年に発売したCDは全て
ミリオンセラーとなったことからメディアには大々的に「ミスチル現象」と称された。
2000年代に入っても依然として名実共に日本の音楽界を代表するロックバンドとして特にアルバムセールス
において圧倒的な存在感を見せる。過去の楽曲が注目・起用されがちな日本のミュージシャンの中で、
タイアップなどを差し引いても新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。

テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽


 想像より、おもしろい。ハワイ!
どこまでも続く青い空と海、降りそそぐ太陽。
色彩豊かな大自然、人々の笑顔にあふれるアロハ・スピリット。
そして、永い時を経て受け継がれる豊かな歴史と文化。
ハワイの8つの島には、数々の発見に出逢える個性豊かな表情がいっぱい。

ここでは、訪れる人々が出逢うことすべてが、驚きにあふれた発見。
初めての人も、また帰ってきた人も「想像より、おもしろい。」
きっと新しい発見が待っています。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報


 アメリカン・パイ(American Pie)は、アメリカのシンガーソングライターの
ドン・マクリーンが1971年にリリースしたシングル。作詞、作曲は、ドン・マクリーン自身。
歌詞では、韻を踏んだ音が多く出てくる。また、歌詞中の「February made me shiver」
とは、1959年2月3日未明にミュージシャンのリッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)、
バディ・ホリー(Buddy Holly)、ビッグ・ボッパー(Big Bopper)の乗ったミネソタ州
ムーアヘッド行きのチャーター機が、アイオワ州で墜落したことを指す。曲中でこの日のことを
「音楽が死んだ日 The Day the Music Died」と繰り返しており、これがそのままこの
飛行機事故の日を指す語として定着するようになった。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 モンゴルはウリヤスタイ出身のプレヴジャブ・ムンフツェツェグさん。
二胡演奏家である。中国の二胡は「軟」とするとモンゴルの二胡は「硬」にあたると言う。
つまりダイナミックな奏法でもあるのだ。モンゴル国立音楽大学卒業。
結婚して日本に在住。現在横浜でモンゴル料理を経営するかたわら全国をまわり演奏活動
をしている。

モンゴル料理;ワンセンベル(京急鶴見)
2010年4月にオープンしたモンゴル料理のお店。
店名の「ワンセンベル」とはモンゴルの高山に咲く幻ともいわれる花の名前。オーナーは
外モンゴル出身のプレヴジャブ・ムンフツェツェグさん。羊の肉をメインにした古くからの
遊牧民料理が味わえる。中でも定番の「ビトウ汁」は器の上に小麦粉を練った皮で蓋をした
羊のスープ。骨付き肉をじっくり煮込んだスープに皮を浸して頂く。定期的に夜8時から
店内で二胡の演奏を行っている。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 ハワイアンジュエリーの起源は、19世紀の半ば英国ビクトリア王朝時代にさかのぼる。
当時英国王室と親交の深かった、ハワイ王朝のリリウ・カマカエハ大酋長(リリウオカラ
ニ女王)は、ビクトリア女王が故夫アルバート王子に捧げた「ビクトリアンジュエリー」
に魅了され、自らも王子との思い出の品として特注のブレスレットを身に付けたのが始
まりとされている。
このブレスレットには、「ホオマナオ・マウ(永遠の思い出)」の黒いエナメル文字が
刻み込まれ、一生涯身に付けていたと言われている。
リリウオカラニ女王時代にはイオラニ宮殿のプレゼンテーション・プログラムで尽力された
イギリス人の恩師「ゾイ・アトキンソン」に感謝の意をこめて、黒のエナメルで“アロハ・
オエ”の文字、内側には1893年1月15日の日付を記したハワイアンブレスレットを贈った。
この頃から、大切な人への贈り物として、ハワイアンジュエリーのステイタスが確立されて行く。
太古よりハワイのジュエリーとして親しまれてきた「Ni'ihau Shell/ニイハウシェル」、
Manuo'o鳥などの羽で作られた「Lei Hulu/フェザーケープやレイ」、髪の毛を編んで作った
「Niho Palaoa (左上)/ニホパラオア」など、ハワイ王家には独特な元祖ハワイアンジュエ
リーが存在する。これらの伝統を受け、女王の命により英国文化をブレンドさせたのが、
現在のハワイアンジュエリーのはじまりとなります。
150年以上経った現在でも「ハワイアン・エアルーム・ジュエリー」(エアルーム=代々受け
継がれる宝・家宝)と呼ばれ、“永遠の思い出”や“アロハスピリット”の象徴的な存在と
なっている。
ここアラモアナSC3階にあるジェリー・ショップ「フィリップ・リカード」では
当時のジェリーなどを作る道具などが展示されている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報


 八代 亜紀(本名:増田 明子(旧姓:橋本)、1950年生まれの62歳 )は
日本の女性演歌歌手、画家。
熊本県八代市出身。幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。
そうした影響もあり、八代は歌好きの子供になり、地元のコンクールなどにも出場していた。
その後、八代が小学5年生のとき、たまたま父親が買ってきたジュリー・
ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。もともと
自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干の
コンプレックスがあったようだが、ジュリーの声質に勇気づけられ、
クラブで歌っていた。
中学卒業後、地元熊本のバス会社九州産業交通のバスガイドとして
勤務した後、15歳で父親の反対を押し切り上京。銀座のクラブ歌手となり、
スタンダードやポップスなどを歌った。
演歌歌手には珍しく、全盛期においては出す曲全て連続ヒットを記録しており、
女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップ。オリコンのシングル・チャート
におけるトップ10獲得作品数も通算7作で女性演歌歌手歴代1位。また、
アルバムも好セールスを記録した。
歌手活動だけにとどまらず、画家としてもフランスの「ル・サロン」展に5年
連続入選、日本の芸能人として初の正会員になるなど活躍している。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽
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 声の世界遺産 モンゴルホーメイ
モンゴルホーメイ歌手「ボルドー・エルデネ」。
ホーメイとは、草原の遊牧民が編み出した、のどと舌を巧みに動かし、
1人の歌手が楽器を使わず、低いうなり声と同時に2つの音色を奏でる
口笛のような高い声を発する、世界無形文化遺産登録の不思議な歌唱法。
“人間楽器”とも呼ばれている。
谷間の風の音が起源という説もあるが、まだ定説は無いと言う。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 パトリック・パーカー。
カリフォルニア出身の画家でオアフ島ノーズショア在住。
ハワイの魅力にとりつかれ、その雄大な自然を満喫して作品に取り組んでいる。
サーフアーチストとして最近注目を集めNYのアートショーなどにも参加している。
テーマ:イラスト - ジャンル:趣味・実用


 森 進一(1947年生まれの65歳)は山梨県甲府市出身の日本の歌手
である。演歌を代表する人気歌手であるとともに、常に新たな音楽の領域
に挑戦し続ける幅広い音楽性の持ち主でもある。一聴して森とわかる、
独特のハスキーボイスを特徴とする。本名は森内 一寛(もりうち かずひろ)。
大原麗子、森昌子との結婚歴があり(いずれもその後離婚)、昌子との間に
できた長男森田貴寛はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストである。
母子家庭に育ち、沼津、下関、鹿児島など各地を転々とした。中学卒業と
同時に集団就職で大阪に移住、家族に仕送りするために少しでもいい賃金を
求めて17回も職を替えた。
1965年、フジテレビ系の「リズム歌合戦」に出場して優勝。チャーリー
石黒にその才能を見出され、渡辺プロダクションに所属した。スクールメイツ
を経て翌1966年、猪俣公章作曲による「女のためいき」でデビューした。
「恍惚のブルース」でほぼ同時期にデビューした青江三奈と共に、「ため息路線」
として売り出された。猪俣はその後の彼の数多くの代表曲を手がけることになる。
その後の活躍は周知の通り。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 加藤訓子(カトウ・クニコ)、パーカッショニスト。
桐朋学園大学卒業。同校研究科在席時から渡欧し、ロッテルダム音楽院へ留学。
首席で卒業。世界的な指揮者や作曲家から注目される打楽器奏者として世界を
舞台に活躍する。その技量、音楽性、芸術性の高さは、学生時代から注目され、
ソリストとしてマリンバ、打楽器に天性の才能を発揮する。
95年第1回「リー・ハワード・スティーブンス国際マリンバコンクール」準優勝、
96年ドイツ、ダルムシュタッド国際現代音楽際にてクラニヒシュタイン賞受賞、
2000年米国パーカッシヴ・アートソサイエティーより世界35人のマリンビスト
に選出、2002年愛知県豊橋市より文化賞奨励賞を受賞。
日本を代表する打楽器奏者の一人として、グローバルに幅広いフィールドで活躍
している。現在米国在住。
テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽


 尾崎 紀世彦(1943年- 2012年)は、日本の歌手。愛称は「キーヨ」。
立派な「もみ上げ」がトレードマークで、そのダイナミックな歌唱力から
「和製トム・ジョーンズ」と呼ばれていた。
神奈川県出身。父がイギリス人と日本人のハーフ、母が日本人というクォーターである。
当初は「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」のメンバーだったが、
1967年にGSでも活躍したコーラス・グループザ・ワンダースに参加。
グループ名の由来は、元・デューク・エイセスの和田昭治に師事した事から師匠の名前
をもじったと言われる。
2012年肝臓ガンの為に東京都内の病院で死去。69歳没。
実生活では2度の離婚を経験。アメリカ合衆国ハワイ州出身の女性との最初の結婚では
長女と長男をもうけ、2度目の結婚では次女をもうけた。今際の際には長男がハワイから
駆けつけ、最期を看取ったという。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽


 FUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)は、2004年に結成された
日本の男性音楽グループ。通称はファンモン。
2013年に開催される全国ツアーをもって解散することを発表した。
2人のボーカルと1DJのグループで、メンバー全員が東京都八王子市出身である。
グループ名の由来は、それぞれソロ活動をしていたファンキー加藤とモン吉が最初にグループ
を結成し「ファンキー」と「モンキー」で「Funky Monkey Babys」となった。      
シングルのイメージに合う有名人を選び、ジャケットの顔写真と同曲のプロモーションビデオ
に起用するのが特徴である。元々メジャーデビュー曲の「そのまんま東へ」をリリースする際
に曲名から「そのまんま東さんが出てくれたら面白いな」と考えてダメ元で依頼したら快諾
された事から始まっている。

メンバー
・ファンキー加藤(本名:加藤 俊介)Vo、リーダー、アーティスト写真の立ち位置は向かって左。
・モン吉(本名:塚本 達)Vo、アーティスト写真の立ち位置は向かって右。
・DJケミカル(本名:田野倉 智文)DJ、アーティスト写真の立ち位置は向かって中央。
 実家がお寺で2013年解散後住職になる。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 モンゴル国、西部の伝統舞踊「ビイルゲー」は、モンゴル舞踊は娯楽の1つであると
同時に人々の精神を伝え、支えるための手段でもあった。狭いゲルで踊るため、手、肩、
胸、腰、目、頭の微妙な動きで表現する。祈りと踊りが暮らしに根付いたモンゴル舞踊。
その第一人者がノミンさんである。
オボー(овоо, heap)とはモンゴルで建てられる、一種のケルン(標柱)である。
通常石または木で作られ、山頂や峠のような高所に建てられることが多い。オボーは
おもに仏教儀礼が行われる場所であるとともに、山岳信仰、テングリといった宗教的意味
を示す役割を持つが、同時に境界標識や道標としての役割も持つ。
テーマ:中国 - ジャンル:海外情報
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 米ジャズ界を代表するピアニストのデイブ・ブルーベック氏が5日、米北東部
コネティカット州内の病院で死亡した。米メディアが伝えた。91歳だった。
1940年代から活躍し、59年のアルバム「タイム・アウト」が大ヒット。
このアルバムに収録されたモダンジャズ名曲「テイク・ファイブ」は日本でもCMで使われた
テーマ:おすすめ音楽♪ - ジャンル:音楽


 イル・ディーヴォ(Il Divo)は、2004年11月、イギリスでデビューした4人組の
ヴォーカル・グループ。
クラシック音楽の声楽でポピュラー音楽を歌うクラシカル・クロスオーバーの様式を
表現するため、オーディション番組『アメリカン・アイドル』のプロデューサーである
サイモン・コーウェルの手により、2003年に結成された。彼ら自身は、自分たちの
音楽をポペラ(ポップ+オペラ)と形容している。
2004年のデビュー作『イル・ディーヴォ』で初登場全英1位となる。翌年には初登場
全米4位、その他25か国以上でチャート5位に入り、一躍人気グループとなった。
2006年発売の第2作目『アンコール』も成功を収め、同年のFIFAワールドカップの
テーマソング「タイム・オブ・アワ・ライヴズ」も世界中で大人気になり、2試合の
会場でトニー・ブラクストンとともに歌った。

メンバー

・カルロス・マリン・・・バリトン・パート担当。スペイン出身。しばしば、子ども
 のころの愛称カリート(Calito)を本人もメンバーも使う。

・デイヴィッド・ミラー・・・テノール・パート担当。アメリカ出身。

・セバスチャン・イザンバール・・・テノール(vox populi)・パート担当。
 グループ唯一のポップス歌手出身。独学で歌を習得。フランス出身。愛称セブ (Seb)。

・ウルス・ブーラー・・・テノール・パート担当。スイス出身。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽
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 遠藤 実(1932年 - 2008年)は、戦後歌謡界を代表する日本の作曲家の一人である。
東京都出身。
17歳の時上京。さまざまな職を経て、ギターを携えて流しの演歌師になる。
1956年、日本マーキュリーレコードより『お月さん今晩わ』にて作曲家としてデビュー。
当時の芸名は星幸男で、現在に至るまで世に送り出した楽曲は5000曲以上(その大部分
は演歌)と言われ舟木一夫、千昌夫、森昌子など多くの歌手を育てた。
1965年、島倉千代子らのパトロンだった中山幸市の出資による太平音響株式会社の設立
に加わり専務取締役となり、1966年には自叙伝『太陽も笑っている』が映画化され、
『太陽に突っ走れ』が東映から製作配給された。
1988年、ハワイで心臓のバイパス手術を受ける。
2003年、歌謡界から初めて文化功労者に選出された。
2008年急性心筋梗塞のため東京都内の病院で逝去。76歳没。
テーマ:男性アーティスト - ジャンル:音楽


•セントルイスブルースの作曲者「ハンディ」は、アメリカ南部アラバマ州フローレンスで生まれる。
•牧師だった父は彼を教師にしようと文字を教え、教会の手伝いとして賛美歌を演奏させるために
楽譜の読み書きを教えた。
•しかし毎日のようにオルガンを演奏したハンディは、音楽への想いが強くなる。
•父の反対を受け、家を出たハンディは、友人とブラスバンドを組み、仕事を探しながら放浪生活を
するが、当時は黒人差別が強く、なかなか仕事をもらえなかった。
•放浪中、各地で耳にした黒人たちの歌を楽譜に書き写した。
•セントルイスに着いたときに、ついに無一文になったハンディは、黒人たちに施しを受けながら
生活をした。
•その後、セントルイスを離れ、小さな楽団の指揮者になり、その時に『セント・ルイス・ブルース』
を作る。
◦『セント・ルイス・ブルース』を世界に広めたのは戦争だった。
◦1917年第1次世界大戦に参戦したアメリカ軍に黒人だけで編成された部隊があった。
◦米国陸軍第369歩兵連隊で「ハーレム・ヘル・ファイターズ」と呼ばれていた。
◦激戦地に送られたこの部隊は特別に楽団を作ることを許され、彼らが好んで演奏したのが
『セント・ルイス・ブルース』だった。
その後各国(日本含む)でタイトルを変えて普及していった。
テーマ:お気に入り&好きな音楽 - ジャンル:音楽
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 ホノルル郊外にある小学校「アヌエヌエ学校」。
ここはハワイでも数校しかないハワイ語の授業を行っている。
公用語は英語であるが日常の会話もハワイ語を使うように指導している。
ハワイ語に限らずハワイアンの歴史から生活スタイルまで細かく教えているのが特徴だ。
「ハワイアンの先祖はタロイモ」と言われておりタロイモの栽培も必須である。
国としてハワイ語を残そうと言う取り組みの表れと見ている。
テーマ:ハワイ生活 - ジャンル:海外情報