浜口 庫之助(1917年 - 1990年)は、日本の音楽家。兵庫県神戸市出身。
愛称はハマクラ。
浜口の父は建設会社を経営する実業家で、家庭環境は非常に裕福だった。
家族の多くが音楽好きで兄弟はチェロ、ギター、ウクレレなどを嗜んだ。
浜口自身も自然に音楽に親しんで育ち、5歳の時には楽譜を読めるようになった。
1939年に青山学院高等商学部(現・青山学院大学商学部)に入学した。
当時の浜口はギター講師やスタジオ・ミュージシャンをして生活費を稼ぐ傍ら、
大学内で慶應義塾大学や立教大学など他大学の学生と一緒に「DooDooフライヤン」
という名のバンドを組んで活動した。
その後灰田勝彦の誘いを受けて灰田がメンバーを務めるハワイアンバンドのメンバー
となったり、自らも「スウィング・サーフライダーズ」や「アフロクバーノ」を結成して
音楽活動を続ける。そして数々のヒット曲を生み出す。
1950年結婚、一男一女をもうける。長男はスタジオミュージシャンで、ラテン
パーカッショニストとして日本屈指の存在である浜口茂外也。
1963年、妻、邦子と死別。
1973年に女優の渚まゆみと再婚。一女(あんず)を儲けた。
1990年12月2日、喉頭ガンの為、逝去。73歳没。
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