


長い間捜していたジョージ根本さんの写真を入手しました。
当時このバンドでベースをやられていた「センベー」さんから頂きました。
ありがとうございました。
ジョージ根本&ザ・ブラザース・・・
ジョージ根本は明治大学軽音楽部卒業後ハワイアンバンドを結成。
当時、長男【ジョージ】と次男【昭夫】がスチールギターで活動していた。
三男【正行】ギターが大学卒業メンバーに加わり、その後四男【文夫】ドラムが加わり、
五男【厚則】ベースで加わり、ジョージ根本ハワイブラザースとして
活動していたがその後名前がジョージ根本&ブラザースと変わりました。
やがて五男ベースが脱退して兄弟4人+1で活動していました。
そしてハワイに1年間滞在後、帰国してベースとしてセンベーさんがメンバーに
加わりました。
フラダンスを踊りながらショーバンドとして日本中演奏活動をしてきたのです。
15年前に解散いたしましたが皆さん現役で活動しております。
三男の正行さんは5年前に亡くなりました。
ジョージ根本さんは小池厚子さんと今でも2人で活動しています。
次男はウクレレ教室を開いております。四男はお店のマスターです。
センベーさんは津軽三味線弾きと今でもハワイアンバンドで活動しております。
当時銀座タクトは常連で多くのファンの方が見えられました。

ジョージ根本とザ・ブラザース
メンバー全員、兄弟と言う異色のこのバンドはハワイのホノルルに滞在し、
7ヶ月にわたってハワイ全島を公演した。ホノルルに於いては日本人タレント
として最大の好評を博し、ホノルルキクテレビ等にレギュラー出演した。
テレビ映画「ハワイファイブオー」の撮影を最後に帰国。
レパートリーはハワイアンはもとよりラテン・ポピュラー・カントリー
フォークなど巾広く、特にハワイアンに於いては既成の概念を打ち破った
最も新しいタイプのグループでもある。

小池厚子
昭和18年愛媛県今治市生まれ。
高校在学中よりハワイアンに熱中し、昭和34年プロへの道へ。
最初はバンドの歌手として歌っていたが、昭和37年ソロシンガーとして再出発。
持ち前の甘い美声とフィーリングのうまさには定評があり、また非常に努力家
でもある彼女は巾の広い奥行のあるハワイアン歌手として知られている。

アイリン・多(おおの)
昭和20年高知市生まれ。大阪でハワイアンバンドの歌手として活躍していたが、
上京して女性ハワイアンバンド関万里子とパイナップル・プリンセスに籍を置いた。
ウクレレ、ヴォーカル、フラダンスを担当していたが、昭和44年1月ソロシンガーとして独立。
レパートリーはハワイアンを始め最近のポピュラーからオリジナルに至るまで幅広く手がけている。
旧日劇オーケストラの指揮者「多(おおの) 忠修」氏の姪にあたる。
また、鉄道唱歌の作曲で知られる「多 梅雅」氏のお孫さんでもある。
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