平尾 昌晃(1937年生まれの75歳 )は作曲家、歌手。
幼少時にたびたび改名し、初期の芸名・昌章を経て、現在は現芸名を本名
にしている。
茅ヶ崎市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山ら
と知り合う。 慶應義塾高等学校を中退後、ウエスタンの人気バンド
『チャック・ワゴン・ボーイズ』に入る。しばらくして、
『チャック・ワゴン・ボーイズ』はボーカルの小坂一也が脱退したため、
『オールスターズ・ワゴン』となる。
1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た
渡辺プロにスカウトされ同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』
に出演。自身としても、1958年キングレコードより「リトル・ダーリン」
でソロ・デビュー。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と
「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な
大人気を博した。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバー
である「星は何でも知っている」、翌年には「ミヨちゃん」が大ヒット。
その後も、作曲家として非凡な才能を発揮していたが、結核で長期間の休養を
余儀なくされる。1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス
調まで様々な作風の曲を五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャン等に提供
している。作詞家山口洋子とのコンビはこの時代を代表する
ゴールデン・コンビとして知られている。
現在は音楽活動のみならず、ボランティアにも力をいれて施設の訪問などを
行っている。またチャリティゴルフの企画等、幅広く活躍。
2001年、モンブラン国際文化賞受賞。2003年、紫綬褒章受章。
2004年に歌手デビューを果たした平尾勇気は3男。
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