






























新城 幸也(あらしろ ゆきや、1984年生れの32歳)は、沖縄県石垣市出身のサイクル
ロードレース選手。沖縄県立八重山高等学校卒業。
2009年7月には、別府史之とともに日本選手として13年ぶりにツール・ド・フランスに出場し、
日本人で初めて近代ツール・ド・フランスを完走した選手の一人となった。更に2010年の
ジロ・デ・イタリアを完走し、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを
初めて完走した日本人ライダーとなった。2012年のツール・ド・フランスでは第4ステージに
おいて敢闘賞を獲得。日本人で初めてグランツールの表彰台に上がった選手となった。
2016年、ツアー・オブ・カタールでのレース中に転倒し、左大腿骨を骨折したが、5月29日に
開幕したツアー・オブ・ジャパンでレースに復帰し、6月4日の第7ステージ(伊豆ステージ)で
ステージ優勝をあげた。

日本を代表するピアニストで、世界的に活躍した中村紘子(本名:福田紘子)さんが、
今月26日、大腸がんのため、東京都内の自宅で亡くなりました。72歳でした。
昭和19年に山梨県で生まれた中村紘子さんは、3歳でピアノを習い始め、中学3年の
とき、今の日本音楽コンクールで史上最年少で1位になりました。
昭和40年には世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノ
コンクール」で、日本人で初めて4位に入る快挙を成し遂げ、その後も繊細さと躍動感を
兼ね備えた演奏で多くのファンを魅了し、日本を代表するピアニストとして世界的に活躍
しました。
これまでに国内外で3800回を超える演奏会を行い、平成20年に紫綬褒章を受章した
ほか、翌年には日本芸術院賞・恩賜賞に選ばれています。
中村さんは、おととし大腸がんが見つかり、その後、演奏活動の休止と復帰を繰り返して
いましたが、およそ2年半の闘病の末、今月26日、東京都内の自宅で亡くなったという
ことです。
藤山 直美(1958年生れの58歳)は、日本の女優。本名、稲垣 直子。
京都市出身。京都女子高等学校卒業。
実父は喜劇俳優で松竹新喜劇で活躍した藤山寛美。5人姉妹で唯一父と
同じ道を歩み、以後舞台を中心に活躍する。1964年、父が主役を務めた、
NHKのテレビ番組『お好み新喜劇・初代桂春団治』でデビュー。小学校に
入学する前には子役として吉本新喜劇の舞台に立つこともあったという。
90年代からはドラマでは岸部一徳と共演することが特に多く、特に恋仲の
役になる事が多い。他にも中村勘三郎、波乃久里子、柄本明らと共演する
ことが多い。
コロッケ(1960年生れの56歳)は、日本のお笑いタレント、ものまねタレント、歌手。
本名、瀧川 広志。熊本市出身。熊本開新高等学校卒業。
ものまねを始めたきっかけとして、本人は姉やピーターの影響を挙げている。
1985年、フジテレビ『ものまね王座決定戦』の出演で一躍人気芸人となり、ものまね
タレントの代名詞的存在となる。ものまね四天王の一人としてフジテレビの『ものまね
珍坊』にレギュラー出演。またTBSにて自身の冠番組『そんなコロッケな!?』→『コロッケ!!
噂の芸能界』も持つようになった。
現在も中日劇場や新宿コマ劇場などの大劇場での座長公演を定期的にこなし、
喜劇役者として円熟度を増している。







バッキー白片の秘蔵写真を入手。
バッキー白片(1912年 - 1994年)は昭和期に活躍したハワイアン・バンド、
バッキー白片とアロハ・ハワイアンズのリーダー。
本名白片 力(しらかた つとむ)。
日系2世。父は山口県からハワイに渡った移民1世で、建築業を営んだ。
二男として生まれ、欧名としてレイモンドを名乗った。バッキーは愛称。
小学校時代はウクレレに親しみ、中学でギター、ドラムを学び、17歳から自宅で
スティール・ギターを演奏。
昭和8年ハワイ大学進学のためにやってきた灰田有紀彦のインタビュー記事を
地元紙で読んで知遇を求め、日本行きを相談。
大学の最終学年(医学部)にいるのだから卒業後に来日するように勧められたが
気持ちを抑えきれず、友人たちとアロハ・ハワイアン・トリオを結成して来日、
日本コロムビアで「アカカの滝」「フイ・エ」を録音した。
9年いったん大学に戻り、10年無事に卒業して改めて来日。
この時、初めて日本に電気を用いたスティール・ギターを持ち込んだ(それまでは
アコースティックのスティール・ギターしか入ってきていなかった)。
12年日本に帰化。





























小籔 千豊(こやぶ かずとよ、1973年生れの42歳)は、日本の喜劇男優、お笑い
タレント、ミュージシャン。吉本新喜劇座長。大阪府大阪市住之江区出身。
1993年、山田知一(現在はやまだともカズの名で構成作家として活動)と漫才コンビ
「ビリジアン」を結成。フルーツ大統領のメンバーに編成されるなどするも、相方の
山田が構成作家を志し、見捨てられるようなかたちで2001年に解散。
この時「俺はおもろない、売れない」と思っていたという。
2005年3月には「吉本新喜劇 川畑泰史・小籔千豊公演 がんばろっカナ!〜キャン
ペーン」をなんばグランド花月にて開催。
2008年に、亡くなった小籔の母親への後悔の思いを歌った「プリン」を発売し、
歌手デビューも果たした。
ペギー葉山(本名:森 繁子・1933年生れの83歳)は、日本の女性歌手、タレント。
社団法人日本歌手協会名誉会長)。 東京都新宿区出身。青山学院高等部卒業。
1952年にキングレコードよりレコードデビュー。
1952年11月にキングレコードから「ドミノ/火の接吻」を発売し、レコードデビュー。
1954年には「第5回NHK紅白歌合戦」に紅白歌合戦初出場を果たす。渡辺弘と
スター・ダスターズの専属解除後の1955年2月には初渡米。各地で歌い、盛況を博す。
1965年に俳優の根上淳と結婚、1968年には長男(自閉症)を出産している。根上とは、
芸能界きってのおしどり夫婦で知られ、1998年に根上が糖尿病の合併症から来る
脳梗塞で倒れてから2005年に亡くなるまで歌手業の傍ら在宅介護を続けた。
1958年、ミュージカル『あなたの為に歌うジョニー』で芸術祭個人奨励賞受賞。
翌1959年には「南国土佐を後にして」の空前の大ヒットで、ジャズ/ポピュラー界だけではなく
歌謡界においても、その地位を不動のものにする。
皇后美智子(1934年10月20日生れの82歳 )は、今上天皇の皇后。
前姓は正田(しょうだ)。皇室典範に定める敬称は陛下。日本赤十字社名誉総裁、
国際児童図書評議会名誉総裁。
1957年聖心女子大学文学部外国語外国文学科を首席で卒業。
1958年11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。
藤 竜也(本名:伊藤 龍也、1941年生れの75歳)は、日本の俳優。北京生まれ、
神奈川県横浜市育ち。日本大学芸術学部演劇学科卒業。愛称はツモちゃん。
大学在学中にスカウトされ日活に入社、1962年映画『望郷の海』でデビュー。
数多くの映画に出演した。硬派・コミカル・シリアス・バラエティとあらゆる役幅を
持っており、演技力は自在。70年代前半までは凶悪犯や用心棒などの悪役・
敵役を演じる機会も多かった。現在、スポーツジム等で身体を作る俳優は多いが、
藤竜也はその先駆者とも言える。テレビドラマの『時間ですよ』で人気を博した頃
より後、彼の肉体はいつしか鍛え上げられたものへと変貌し、藤の役者としての
プロ意識・美学が窺われる。
妻は元日活女優の芦川いづみ。






























福原 愛(1988年生れの28歳)は、日本の卓球選手。宮城県仙台市生まれ。
日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。
ITTF世界ランキング最高位は4位(2015年10月)。青森山田高校卒、早稲田大学
スポーツ科学部中退。内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」。
中学の3年間は世界各地のITTFプロツアーに数多く出場。安定した成績を見せ、
世界ランキングを上げていった。この頃国内の高校以下では無敵となり、また国際
試合での強さも見せ、国内シニアの選手にも勝てるようになっていった。選考会など
を経て14歳の若さで2003年世界卓球選手権個人戦に抜擢され出場し、日本勢の中
で一人躍進、ベスト8に進出。この結果により翌2004年3月の世界選手権団体戦と、
4月のアテネ五輪アジア予選出場が内定。2001年にはコーチの黄智敏と1分間に
175回のラリーを続けるというギネス記録を達成している。
7ロンドンオリンピック卓球競技では、日本勢オリンピック史上初の決勝進出を果たす。
決勝戦で中国に0-3で敗れ2位となったが、日本卓球史上初となる銀メダルを獲得した。
































濱田 真由(1994年生れの22歳)は、日本のテコンドー選手(WTF)。
徳山大学在学中。
佐賀県立高志館高等学校在学中の2010年3月、世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。
2011年2月に全日本テコンドー選手権大会初出場で初優勝を達成。11月27日、ロンドン
オリンピックアジア地区予選女子57キロ級で3位に入り、日本のオリンピック出場枠を獲得、
その後テコンドー史上日本勢最年少の17歳でオリンピック出場が内定。
ロンドンオリンピックでは初戦でザニノビチ(クロアチア)に14-11勝利したが、準々決勝で
金メダルを獲得したジョーンズ(イギリス)に3-13で敗れた。その後、敗者復活戦でグラド
ビッチ(セルビア)に15-2で勝利して3位決定戦に進出し、フランスのアルノワに8-12で
敗れてメダル獲得はならなかったが5位入賞。
2015年の世界テコンドー選手権大会(ロシア・チェリャビンスク)女子57kg級の決勝に進出し、
世界ランク2位のエバ・カルボ・ゴメス(スペイン)を降し、世界選手権大会において日本人
初の金メダルを獲得した。




















歌詞の内容が賛否両論を呼んでいる歌手・森山直太朗の新曲「生きてることが
辛いなら」(8月27日発売)が、一部コンビニエンスストアなどで"オンエア禁止曲"
になったことが19日(火)、明らかになった。不特定多数の客が来店するコンビニは
「非常に大事なプロモーション箇所」としており、新曲発売直前に思わぬ痛手を
被る形となった。
森山の友人である御徒町凧(おかちまち・かいと)氏が書いた歌詞は、冒頭から
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」といったフレーズで始まり、
一部で自殺を助長しているとされ、発表後から賛否両論が沸き起こった。
そんななか、店舗数や24時間営業など魅力的なプロモーション場所として人気の
コンビニから、店内放送用の楽曲として"使用不可能"という判断が下った。

























鈴木 亜由子(1991年生れの25歳)は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。
愛知県豊橋市出身。
2014年、大学卒業と同時に日本郵便に入社し、同年に結成された日本郵政グルー
プ女子陸上部に第1期選手として参加した。社会人2年目の 2015年、第99回日本
陸上競技選手権大会女子5000mで3位に入り、第15回世界陸上競技選手権大会
日本代表に選出された。世界陸上本番では8月27日の予選2組で15分28秒18で6位と
なり決勝に進出し、8月30日の決勝レースでは1000〜2000までは、尾西美咲と先頭を
引っ張り、3000以降も上位をキープ。15分08秒29の自己ベストタイム(日本歴代5位)
の記録で9位となった。
この結果をもって、リオデジャネイロオリンピック女子10000m及び5000mの日本代表
選手に選出された。













平井 堅(1972年生れの44歳)は、日本のシンガーソングライター。
大阪府生まれ三重県育ち。横浜市立大学出身。
大学在学中から横浜市関内のライブハウス専属の歌手等で活動する傍ら、
Sony Music Entertainment Auditionに自作ビデオを応募し、入選したのを
きっかけに1993年よりソニーレコードと契約。1995年にCDデビュー。
1枚目のシングル「Precious Junk」はフジテレビドラマ『王様のレストラン』
(三谷幸喜作品)のタイアップであったものの、オリコン最高50位と振るわ
なかった。デビュー翌年には『オールナイトニッポン』のジングルを担当し
ていたこともあった。
2001年に第30回ベストドレッサー賞(芸能部門)受賞、2005年にはデビュー
10周年を記念し、初の写真集『歌バカ一代』を学研より10万部限定で
発売している。






独立記念日の花火で始まる7月のハワイ。
人気ミュージシャンが登場する野外ライブにウクレレやフラのフェスティバルなど、
のんびりと芝生に座りながら楽しめるイベントがいっぱい!
街のいたるところでセールの文字が躍り、ショッピング派にはたまらない月でもあります。
◆ホノルル動物園 「ワイルデスト・ショー・イン・タウン」 2016年7月6・13・20・27日(水)
6~8月の水曜日に動物園の野外ステージで開催されるコンサートシリーズ。
ハワイの人気ミュージシャンのライブがたった3ドルで楽しめて、閉園後の動物たちにも
会えるという魅力的なイベントです。
7月は、ウィリーK(13日)、ウクレレの神様と呼ばれるハーブ・オータ(20日)などが登場。
<詳細>
■WILDEST SHOW IN TOWN(ワイルデスト・ショー・イン・タウン)
開催日:6~8月の毎週水曜 開場16:35、開演18:00(~19:00)
会場:ホノルル動物園 屋外ステージ
TEL:808-926-3191
料金:動物園基金への寄付として3ドル
◆ボンダンス 6月下旬~8月の毎週末
19世紀後半、さとうきび産業が最盛期を迎えていたハワイに労働者として移民してきた
日本の人々。
遠く離れた故郷に思いをはせて始まった盆踊りが、いつしかハワイの夏の風物詩
「ボンダンス」へ。
現在では、6月末~8月の毎週末に仏教系の寺院で開催されており、焼きそばやシェイブ
アイスなどの屋台も登場します。
昭和のかおりがする、とてもレトロなボンダンス。
開催スケジュールは、地元新聞のウェブサイト(毎年6月上旬)に掲載されるので、
要チェックです!
<7月にホノルルで開催されるボンダンス>
■SHINSHU KYOKAI MISSION(真宗教会) 7月15日(金)・16日(土)19:00~22:30
会場:1631 S. Beretania St.
TEL:808-973-0150
■JIKOEN HONGWANJI MISSION(慈光園本願寺) 7月15日(金)18:00~21:30・
16日(土)17:30~21:30
会場:1731 N. School St.
TEL:808-845-3422
■HIGASHI HONGWANJI BETSUIN(東本願寺別院) 7月22日(金)・23日(土)19:00~
会場:1685 Alaneo St.
TEL:808-531-9088
■PALOLO HONGWANJI(パロロ本願寺) 7月29日(金)・30日(土)18:30~21:30
会場:1641 Palolo Ave.
TEL:808-732-1491
岸 惠子(1932年生れの82歳)は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。
横浜市神奈川区生まれ。1945年5月の横浜大空襲で被災。高校在学中に小牧
バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業。
もともとは作家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、
映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村
公三郎にスカウトされ、断ったが後に「本物の女学生が欲しいと頼まれて1本だけの
約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』で
デビューするがヒットしてそのまま女優になった。
1957年フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚。挙式はフランスで、川端康成が
立会人となった。1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) を
出産した。しかし1975年、イヴ・シャンピと離婚。娘の親権は岸が持った。

草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」をはじめ
多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、
本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去したことが11日分かった。83歳だった。
東京・浅草出身。10代の頃のNHKラジオへの投稿がきっかけで放送作家の
道へ進む。ラジオや草創期のテレビ番組に携わり、1961年から66年まで
放送されたNHK「夢であいましょう」などの人気番組の脚本を書くかたわら、
自らも番組に出演し、独特の早口なしゃべりで人気者になった。
作詞家としては、中村八大さんが作曲し、水原弘さんが歌った「黒い花びら」が
59年に第1回日本レコード大賞を受賞。以後も中村さんとのコンビで「上を向いて
歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などの国民的ヒット曲を送り出した。


「恋のバカンス」などのヒット曲で知られる双子の人気ポップスデュオ
「ザ・ピーナッツ」の妹・伊藤ユミ(本名:伊藤月子)さんが5月18日に亡く
なっていたことが11日、わかった。75歳だった。
病気療養中であったと言う。
ユミさんは姉の伊藤エミさんとのデュオとして1959年に「可愛い花」で
レコードデビュー。かわいらしく高い歌唱力と美しいハーモニーでヒット曲を
連発させ、国民的人気を博して昭和の歌謡史に大きな足跡を残した。
そのほかにも「恋のフーガ」「情熱の花」なども大ヒットし、姉妹で妖精役で
出演した映画『モスラ』の挿入歌だった「モスラの歌」もヒットした。しかし、
1975年に芸能界を引退。姉のエミさんは2012年6月15日に71歳で亡くなった。
美空 ひばり(1937年5月29日 - 1989年6月24日)は、日本の歌手、女優。
横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部卒業。
12歳でデビューして「天才少女歌手」と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで
活躍し自他共に「歌謡界の女王」と認める存在となった。昭和の歌謡界を代表する
歌手・女優の1人であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した。
本名は加藤 和枝。愛称は御嬢(おじょう)。
笹野 高史(1948年生れの68歳)は、兵庫県淡路市多賀出身の俳優。
洲本高校卒業後、日本大学芸術学部へ進学、中退。
コミカル、シリアス、真面目、堅物と、どのような役柄でも独特の味わいを見せる。
山田洋次監督作品の常連でもあり、時代劇には欠かせない存在である。
原則としてくる仕事を拒まないことから「ワンシーン役者」を自称する。
真山 仁(まやま じん、1962年生れの54歳)は、日本の小説家。
経済小説 『ハゲタカ』シリーズの著者として知られる。
大阪府出身。同志社大学法学部政治学科卒業後、1987年に読売新聞
中部支社へ入社。岐阜支局記者として勤務し、1990年に退職してフリー
ライターとなった。
2003年、生命保険会社の破綻危機を描いた 『連鎖破綻 ダブルギアリング』
で作家デビューした。当時のペンネームは、「香住 究」(かずみ きわむ)だった。
翌年、ハゲタカファンドを扱った小説、『ハゲタカ』を、「真山 仁」として出版し、
経済小説の新鋭として注目される。
2012年、『コラプティオ』で第2回山田風太郎賞候補、第146回直木賞候補。
2014年、『グリード』で第35回吉川英治文学新人賞候補。
石毛 宏典(1956年生れの60歳)は、野球指導者・野球解説者・城西国際
大学客員教授で、元プロ野球選手・監督・実業家・プロ野球独立リーグ運営者。
愛称はミスターレオ、ハチ。
1996年に福岡ダイエーホークスで現役を引退した後に、同球団の二軍監督・
オリックス・ブルーウェーブの監督などを経て、2004年に四国アイランドリーグ
(現:四国アイランドリーグplus)を創設。2009年創設の関西独立リーグでも、
最高顧問を務めた。2014年6月1日付で、千葉商科大学付属高等学校硬式
野球部のテクニカルアドバイザーに就任。




























辻 沙絵(21歳)は日本体育大学在学中。北海道出身。
すでに昨年の世界選手権で、代表推薦選手の資格を得ている選手にとっては、
これからの自身の進化を確かめる場でもある。
そして初めてのパラリンピック出場を目指す選手たちにとっては、大舞台へ向けて、
まさに挑戦の場となる。
その一人、辻沙絵は異色の経歴を持つスプリンターだ。
生まれつき、右ひじから下が欠損している辻は、もともとは、ハンドボールの選手だった。
健常者のハンドボールに取り組み、一歩も引かずにプレーしてきた。
そして日本体育大学にスポーツ推薦で進学。大学でもハンドボール部に所属していたが、
学内の発掘プロジェクトでパラ陸上へと転向した。昨年3月のことだ。
一度知ってしまった魅力だから、リオデジャネイロへの意志も強い。伸び盛りなだけに、
今大会で注目の一人だ。