




















宮地秀亨(みやち ひであき)24歳。
福井県鯖江市出身。「ならわ体操クラブ」で腕を磨く。
3歳からここに通って体操の英才教育を受ける。いわば、宮地秀享の原点。
出身高校、福井県立鯖江高校。
鯖江高校も体操では、全国大会に出場するレベル。
大学は、筑波大学に進み、現在は筑波大学院1年生。
『鉄棒』一本に絞っての熱い挑戦をして来た。
日本の絶対エース『内村航平』には、わずかに及ばないまでも、
演技構成の難易度では内村をはるかに(?)越えてきている。
その目玉となるのが「伸身コバチ2回ひねり」・・・・何と鉄棒史上初の「Ⅰ難度」。
名前がつかないまま2017年度版採点規則に掲載された。
もし、今回の選手権で宮地秀享が成功したら「ミヤチ」の名前が間違いなくつくことに。



















石井 竜也(1959年生れの59歳)は、日本のポップミュージシャン、芸術家、音楽プロデュー
サー、映画監督である。茨城県北茨城市出身。
音楽、舞台美術、空間・イベントのプロデュース、衣装・アクセサリー・食器・家具等のデザイン、
絵画・オブジェ制作、役者や映像監督等、表現者として多岐にわたり活動している。
文化学院美術科(油絵専攻)卒業。1985年「米米CLUB」のボーカリストとしてデビュー。
現在、ソロ活動と並行して米米CLUBとしても活動しており、米米CLUBではカールスモーキー
石井というキャラクターとしてステージに立つ。
楽曲制作や年1 - 3回の全国ツアーに加え、作品展の開催や、プロデューサーとしての仕事も
多い。ライブでは、舞台セット・衣装・キャラクター等のデザイン、脚本まで全て自ら行っている。
愛称は『テッペイちゃん』。大学時代からのもので、「70年代のアイドル歌手“渋谷哲平”に似て
いたから」、「漫画“おれは鉄兵”の髪型に似ていてからかわれてから」(『罪と罰』、『PATiPATi』
インタビューなどより)など諸説ある。
学生時代から落語や映画鑑賞を好んでいた。























柳澤 寿男(1971年生れの47歳)は、日本の音楽家・指揮者。 コソボ紛争後、UNMIK国連
コソボ暫定行政ミッション下でコソボフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任。また、
バルカン半島(特に旧ユーゴスラヴィア)の民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立し、
旧ユーゴスラヴィアを中心に活動を続ける。
長野県下諏訪町出身。国立音楽大学器楽科トロンボーン専攻卒業。1996年、ウィーン旅行中
にウィーンフィルハーモニー管弦楽団でR.シュトラウス「アルプス交響曲」を指揮する小澤征爾
に強く感動し指揮者を志す。佐渡裕や大野和士に弟子入りし研鑽を積む。
1999年に渡仏。パリ・エコール・ノルマル音楽院オーケストラ指揮科に学ぶ。2000年東京国際
音楽コンクール指揮部門で第2位を受賞。2001年3月に大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮
してデビュー。2003年にはスイス・ヴェルビエ音楽祭指揮マスタークラス・オーディションに合格し、
ジェームズ・レヴァイン、クルト・マズアに師事。





















大西 順子(1967年生れの51歳)は日本のジャズ・ピアニスト。京都府城陽市出身。
4歳からピアノを始める。東京都立国立高等学校に在籍中、兄が持っていたセロニアス・
モンクのレコードを聴いて衝撃を受け、ジャズに開眼。卒業後渡米し、ボストンのバークリー
音楽院に学ぶ。
1989年 バークリーを首席で卒業後、ニューヨークに移る。アップタウンのジェシー・デイヴィス・
クインテットのレギュラー・ピアニストとして活躍。
1991年 ジョー・ヘンダーソン・カルテットのピアニストとして米国、日本をツアー。
1992年 日本へ帰国。バークリー時代の仲間とトリオを結成し、都内ジャズ・スポットなどで活動
を始める。同年9月デビューアルバム『WOW/ワウ 』をレコーディング。
1993年 『WOW/ワウ』発売。大反響を巻き起こし、ジャズ・レコードとしては異例の5万枚の
セールスを記録。
1994年 ニューヨークの名門ジャズ・クラブヴィレッジ・ヴァンガードに、日本人として初めて
自分のグループを率いて出演する。この演奏はライブ・レコーディングもされた。10月からは、
初の欧州ツアーも成功させる。
1995年 出光音楽賞受賞。
2016年 5月 菊地成孔をプロデューサーに迎えた新作を製作中と 菊地がウェブサイトなどで発表。































蝶野 正洋(1963年生れの55歳)は、日本のプロレスラー。
愛媛県出身で大手製紙会社の会社員であった父親の赴任先であるアメリカ合衆国ワシントン州
シアトルで生まれ、2歳半で帰国し、神奈川大学は入学式の出席のみ、籍を置いたままの入門、
後に中退した。
同年新日本プロレスに入門している。サッカーは小中高を通して励んだ、大のサッカーファン。
中高時代は、不良行為も勤しんでいた。
1989年に新日本に戻ってからは、1990年に新日本プロレス2度目の東京ドーム興行のメイン
イベントにおいて、橋本真也とのタッグでアントニオ猪木・坂口征二組と対戦し、武藤敬司との
タッグでIWGPタッグ王座を獲得、師匠であるルー・テーズを破った。翌1991年、新日本プロレス
の夏期興行G1 CLIMAXの第1回大会において素晴しいパフォーマンスを見せた蝶野はメイン
イベンターとしての地位を確立した。決勝では武藤を破り優勝。
























今井 美樹(1963年生れの55歳)は、日本の歌手、女優。
夫である布袋寅泰と共に「IRc2 CORPORATION」に所属。2012年に家族でロンドンに移住した。
現在では、歌手活動に重心を置いている。
宮崎県出身。ジャズ好きの父親の影響を受ける。実家は電器屋だったが父の趣味でオーディオ
専門店となった。中学時代には松任谷由実に熱中し、ピアノの弾き語りをする。宮崎県立高鍋
高校卒業。1981年、横浜で行われたインターハイに100mハードルとリレーメンバーとして出場。
高校を卒業後、スチュワーデスを目指し上京。
1983年、ファッション系女性情報誌『エムシーシスター』でモデルとしてデビュー。
1984年、山田太一脚本のTVドラマ『輝きたいの』女優活動もスタート。1986年、映画『犬死に
せしもの』に出演、唯一のヌードシーンがある。
1986年、『黄昏のモノローグ』で歌手デビュー。フォーライフ・レコードのディレクターは松田直で、
後にワーナーに移籍するまで、松田が一貫して担当。1988年、3枚目のオリジナルアルバム
『Bewith』、資生堂秋のキャンペーンソングになった4枚目のシングル『彼女とTIP ON DUO』の
ヒットでブレイク。

1976年年に「ぼくたちの失敗」がヒットするなど、1970年代にシンガー・ソングライター
として活躍し、1983年に引退した森田童子さん(もりた・どうじ=本名不明)が、4月24日に
亡くなっていたことが11日、分かった。66歳だった。日本音楽著作権協会の会報に、
訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。
森田さんは、1975年に「さよなら ぼくの ともだち」でデビュー。若さとむなしさが充満する
歌詞と、語り掛けるような歌声が特徴で「孤立無援の唄」や「男のくせに泣いてくれた」など
ヒット曲を出した。ライブハウスを中心に活動を展開し、若者に支持されたが、83年に東京・
新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として
暮らし、表舞台には出なかった。
その中、1993年に「ぼくたちの失敗」がTBSドラマ「高校教師」の主題歌となり再ブームを
呼んだ。2016年には、最新技術でリマスターされたアルバム全集や全曲集の楽譜も出版され
るなど、再び脚光を浴びていた。
奥村 チヨ(1947年生れの70歳)は、日本の歌手。本名は金野 智代。夫は浜圭介で
麻生祐未は姪にあたる。
黛ジュン、小川知子、とともに「東芝3人娘」と称して、「ごめんネ…ジロー」「北国の青い空」
などをヒットさせる。
1969年 - 1970年に発表して51万枚を販売した「恋の奴隷」を初めに「恋狂い」と「恋泥棒」の
「恋3部作」が広く高評を得て、人気歌手の地位を確立する。コケティッシュな雰囲気がいっそう
官能的になり初めてNHK紅白歌合戦に出演するが、「恋の奴隷」の歌詞の一部がNHKの内部
規則に抵触することを回避するために「恋泥棒」を歌った。
1971年に発売の、自身のイメージを脱却した「終着駅」も販売枚数が40万枚と好評を得た。
本人の歌手引退も辞さない強い希望から実現した曲で、作曲した浜圭介も作曲家として返り
咲いた。1971年に発売した「川の流れのように」は、後年に美空ひばりが歌った楽曲と同名
異曲である。
1974年に浜と結婚し、芸能界の第一線を退く。
内藤 剛志(1955年生れの63歳)は、日本の俳優、タレント、司会者である。大阪府大阪市出身。
日本大学芸術学部映画学科中退。
文学座研究所を経て、一般の映画としては1980年、『ヒポクラテスたち』でデビュー。以後、テレビ
ドラマ、映画を中心に活動、地道に芸能活動を続ける。80年代は刑事ドラマなどで悪役、犯人役を
演じることが多かったが、1991年10月に『ホテルウーマン』に同郷出身の沢口靖子演ずるホテル
従業員の上司として出演し、1992年10月開始の『ウーマンドリーム』に裕木奈江演ずるアイドル
歌手の事務所のマネージャー役を演じた。1994年 - 1995年の日本テレビドラマ『家なき子』では、
安達祐実が演ずる主人公を苛める酒浸りの凶暴な父親役を演じ、同作品が高視聴率の話題作と
なったことで知名度が上がった。1995年1月 - 2001年9月にかけて、27クール連続で連続ドラマに
出演という日本新記録を樹立し、同時期に2つのドラマを掛け持ちで出演するなど、主演・助演問
わずドラマに欠かせない存在となり、「連ドラの鉄人」と呼ばれるようになった。




























柴野 大造・ジェラートを中心としたチーズ、ヨーグルトで世界に通用する「石川県発信の
乳製品の総合メーカー」を目指す。
ジェラートイリュージョンやジェラートの監修・コンサルで多数のショップを全国にプロデュース。
ジェラートワークショップや農家、企業間連携により新たな商品を多数開発するなど、マルチ
な才能を発揮しジェラートの枠を超えて日々その可能性を追求中。
1975年生まれの43歳。 石川県能登町出身。
杏仁豆腐アプリコット~ハニー&ジンジャーキャラメルソースが 2016 sherbeth festivalにて
外国人部門第1位(イタリアパレルモ)を受賞
世界ジェラート大使(ローマ 日本人初殿堂入り)
2015 ジェラート日本チャンピオン(日本ジェラート協会主催)
2014 ジェラート国際コンクールピスタチオ部門入賞(イタリア リミニ)
日本ジェラート協会 理事 公認ジェラートマエストロ
能登町ふるさと大使
ジェラートイリュージョン パフォーマー
株式会社マルガー 代表取締役
ジェラートショップ プロデューサー
立川 志らく(本名・新間 一弘〉、1963年生れの55歳)は東京都世田谷区出身の落語家、
映画評論家、映画監督。落語立川流、ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。
出囃子は『鳩』『花嫁人形』。日本映画監督協会にも所属。現在の妻は女優の酒井莉加。