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Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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イーライ・マック(Eli-Mac)・・・
本名:シアラ・カミール・ロケ・ベラスコ(1985年生まれ)はフィリピン系アメリカ人歌手で、
リアリティ/タレントサーチテレビシリーズ「アメリカン・アイドル」の第3シーズンで9位に
入りました。フィリピンのマカティ市で生まれたカミール・ベラスコの家族は、後にハワイ
の島々にあるマウイ島に引っ越しました。アメリカン・アイドルの前に、ベラスコはカフル
イの両親のIHOPレストランで働いていた苦労しているソングライター/作曲家でした。
アメリカン・アイドルでは、ベラスコのトレードマークは赤、黄色、緑のラスタリストバンド
で、彼女は幸運のお守りとして、そしてレゲエ運動(特に彼女のアイドル、ローリン・ヒル
とボブ・マーリー)へのオマージュとして左手首に絶えず身に着けていました。彼女に
よると、3色はそれぞれ平和、幸福、団結を表しています。ベラスコはまた、音楽と文化
への愛を反映して、サンフランシスコベイエリアのヒップホップクルーである象形文字の
第3回アイビジョンのロゴを何度か着用しました。メディアでは、ベラスコは自己設計の
アパレルを着用し、彼女のユニークな興味、意識的な見通し、敏感なイデオロギーを
表現することを一貫して恐れていないことで知られるようになりました。
その後、2009年4月にハワイ・ミュージック・アワードのシングル・オブ・ザ・イヤーを
受賞したスティーヴン・マーリーのシングル「グアバ・ジェリー」でジャマイカで活躍。
彼女は最近、彼女のソロのキャリアに懸命に取り組んでおり、将来のアルバムの
前駆体である彼女のトラック「ダブストップ」のための別のシングルとミュージックビデオ
をリリースしました。

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アロハ・カウアイ(Aloha Kaua'i)・・・
作曲者マイキ・アイウ・ラケがカウアイ島の友人の家を訪ねた際に受けた素晴らしい
もてなしに感謝して、この曲を作った。カウアイ島賛歌としても知られている。
マイキはアンティ・マイキとして有名なクム・フラ。彼女は幼少期、とても貧しい暮らしを
して育った。 その為、カトリックの学校に住み込みで通う事になり、その際、フラと出会う。
ロカリア・モンゴメリの弟子となり、72年にクム・フラとなる。彼女の人生は決して
順風満帆ではなかった。彼女の残した言葉「Hula is Life」(フラこそ人生)が彼女の
人生を語る。

Aloha Kaua'i
1.Aloha mokihana pua o Kaua'i
愛するモキハナ、カウアイの花
I wili 'ia me ka maile lau li'ili'i
マイレの小さな葉で編みこむ
Maile li'ili'i
小さなマイレ

2.He u'i onaona he aloha wau ia 'oe
美しくよい香りのあなたを愛してる
Me a'u me 'oe i ka pu'uwai
私の心はいつもあなたと一緒

3.Aloha no o Kaua'i
愛するカウアイ
Luana ho'okipa malihini
訪れる人を親切にもてなす

4.Puana kaulana ka inoa o Kaua'i
話はカウアイの誇りについて
Ha'aheo he nani hiwahiwa
最愛の美しさ

5.Aloha mokihana pua o Kaua'i
愛するモキハナ、カウアイの花
I wili 'ia me ka maile lau li'ili'i
マイレの小さな葉で編みこむ
Maile li'ili'i
小さなマイレ

6.He u'i onaona he aloha wau ia 'oe
美しくよい香りのあなたを愛してる
Me a'u me 'oe i ka pu'uwai
私の心はいつもあなたと一緒

7.Aloha no o Kaua'i
愛するカウアイ
Luana ho'okipa malihini
訪れる人を親切にもてなす

8.Puana kaulana ka inoa o Kaua'i
話はカウアイの誇りについて
Ha'aheo he nani hiwahiwa
最愛の美しさ

9.Kaua'i he nani no e ka oi
愛するカウアイ、とても美しい


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アンディ・アイオーナ(Andy Iona)・・・
ウクレレにスティール・ギターを用いた、ゆる~いフラのイメージが先行しがちな
ハワイ音楽において、こんなに軽快でウイットに富んだサウンドがかつて存在し
ていました。作曲家、歌手、コンダクターとして知られたアンディ・アイオーナ
(1902-66)は、ハワイ音楽にブラス・セクションを加え、スウィンギーでジャイヴ
感覚溢れるサウンドを作り上げた偉大なる音楽家。クラリネットやサックスのほか、
スティール・ギターの演奏家としてマルチな才能を発揮していた彼の音楽は、
ジャズとハワイ音楽を絶妙にブレンドしつつ、大衆性をしっかりと感じさせるもの
でした。
彼はラジオ局KHSスタッフオーケストラのメンバーでした。アメリカのスイングと
伝統的なハワイのメロディーを混合して、アンディ・イオナと彼の島民と呼ばれる
彼自身のグループを形成し続けました。バンドは映画、ホテル、劇場、そして
レコードに出演した。1940年に入団後、アメリカ作曲家・作家・出版社協会の曲を
作曲し、1941年には2つのサウンドの音楽を録音。12年間ソーニャ・ヘニーと
一緒に長いツアーを行いました。
彼はライモミ・ウッドズと結婚し,3人の子供がいました。

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ジェフ・ラスムッセン(Jeff Rasmussen)・・・
PANDANUS CLUBのメンバーとして活躍後、ソロとしてもROBI KAHAKALAUや
KONISHIKIらとのコラボレートを含め、コンテンポラリー・ハワイアンとポップスを
ブレンドした上質なサウンドを作り出してきた、ジェフ・ラスムッセンのアルバム。
ロビとのデュエット 「LEATHER & LACE」のカヴァーが好評。

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アーニー・クルーズ Jr. (Ernie Cruz, Jr.) ・・・
ハワイ出身のミュージシャンである。1990年代、トロイ・フェルナンデスとともに
カアウ・クレーター・ボーイズの一員として活動した。
2001年、ソロ・アルバム『ポートレイツ』をリリース。2002年のナ・ホク・ハノハノ賞にて、
アイランド・コンテンポラリー・アルバム賞と男性ヴォーカリスト賞を受賞した。
2007年にはエディ・ヴェダーとジャック・ジョンソンとともにコクア・フェスティバルに
出演した。2015年、Def Techの『Howzit!?』に参加した。
アーニー・クルーズJr.は音楽一家に生まれ、兄弟はガイ・クルーズとジョン・クルーズ。
若手ミュージシャンのイムア・ガルザは甥。
1990年代にはウクレレの名手トロイ・フェルナンデスと組んでカアウ・クレイター・
ボーイズで大ヒットを連発。
1997年にソロに転向してからも数多くの名曲をリリースし、ジェイク・シマブクロや
ジャック・ジョンソン、Def Techなどから絶大な信頼を寄せられる。
日本のコットンクラブなどでもライブを行い、大きな人気を博していた。
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チェリサ・ヘイノア・カーネ(Cherissa Heinoa Kane)・・・
メリーモナーク・フラフェスタ2009でミスフラ・アロハになった
彼女はクムフラで歌手のケアリィ・レイシェルの愛弟子であることはあまり知られて
いない。
本業はハイスクールの先生である。あの体格の良い体つきからどうしてあんな柔
らかい動きが出来るのか摩訶不思議である。
彼女は母の薦めで7歳からフラを始め、当初はケイキクラスに入っていた。
当時のハラウにはいとこにあたるクムフラ「ケアリィ・レイシェル」と「ウルヴェヒ・ゲレロ」
の2人がいたと言う。この親戚関係が一層フラに興味を持たせたといっても過言では
ない。やがて二人のクムはそれぞれ独立、彼女はケアリィのハラウ「ケアラオ・カマイレ」
に所属してマンツーマンの特訓が始まったのだ。
師匠のケアリィは彼女のことをこう評する・・・
「チェリサは自分のフラを完成させていた。もちろん人とは違う素質もあったと認めている。
それを自分のものにした彼女の努力を高く評価したい、そして祖先に対しても感謝したいと」。

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ジョージ・カフモク・ジュニア(George Kahumoku .Jr)・・・
ハワイアン・スラック・キー・ギターアーチスト。ハワイのグラミー賞と呼ばれる
「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」を2000年と2005年に受賞したスラック・キー・ギター
(12弦)の名手、ジョージ・カフモク・ジュニアの珠玉のハワイアンアルバム
はランキングでも上位に入る人気だ。

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 シンディーズ・レイ・・・Cindy's Lei
手頃な値段のフラワー・レイ。ハワイの思い出に、購入する人も。
45年の歴史を誇る、ハワイはホノルルの中華街の老舗フラワーショップ
「シンディーズ・レイ」。
そのトラディショナルなフラワー・レイには定評がある。
値段も、手頃なものからゴージャスなものまで豊富に取り揃えている。
バスケットに入ったフラワー・ブーケもたくさん揃っているので、
バースデイや記念の贈り物のお花としてもバッチリ対応。
便利なお花屋さんといったところか。
数あるレイショップのなかでも、豊富な品揃えでいつも賑わっている。
営業時間も長く、日本に持ち帰る際は保冷剤などの対応もしてくれる。

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サミー・ジョンソン(Sammy Johnson)・・・
ハワイアン・レゲエ歌手のサミー・ジョンソンが新曲『いつか』をリリースしたばかりだ。
これは、彼が近年直面している最も困難な課題のいくつかを明らかにします。かなり
長い間音楽シーンから遠ざかっている。しかし、彼は彼にとってあまりにも身近だった
最近遭遇した課題について話す新しいシングルで戻ってきました。そして、これらは
高校生で書いた曲であり、それはとても自然に来て、彼らは何年も私と一緒にいました。
サミーは、彼のキャリアの中で不必要な挫折を生み出したのは、音楽業界に関して
ナイーブだったと言います。それらの挫折から、彼は彼の人生の中で暗い場所に自分
自身を発見しました。「それは本当に芸術性のあらゆる形態で、ビジネスレベルで、
予約レベルの信頼で、それはちょうど私をひどく台無しにしました。そこから、私が傷
ついたので、彼は非常に多くの愚かなことがありました。しかし、3年後、彼は最終的
に目を覚ました悪夢と思われるものを克服しました。彼の最新のシングルは、それらの
経験について詳しく説明します。たくさんのお金が失われましたが、私はオリジナル曲
の100%を前奏曲から得ることができたのは、主に前奏曲からのもので、そのEPと2番目
の曲だったので、私は最終的に今、すべてを所有しています。ある段階で、人気のある
レゲエソウル歌手はあきらめたいと思っていました。しかし、代わりに彼は彼が始めた
理由を考慮に入れました。サミー・ジョンソンはこれらの学習曲線を受け入れ,祝福に変
えました。
彼は過去に何が起こったかに関係なく、この新しい10年間、サミーは彼が影響を与え、
インスピレーションを与えることを望む音楽を作り続けたいと付け加えます。
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ハワイ・コールズ(Hawaii Calls)・・・
ハワイアン・ミュージックを世界に広めた、あの伝説的ラジオ番組『Hawaii Calls』。
1935年から40年間に渡ってワイキキから放送された。ピーク時には世界中の
ラジオ400局で放送されたという。
当時の出演者は・・・
ウェブリー・エドワーズ(ハワイ・コールズの創始者)
アル・ケアロハ・ペリー(演奏の総指揮者)
アルフレッド・アパカ(シンガーの大黒柱)
ジュールス・K・ア・スイ(スチールギター)
ダニー・スチュワート(ヴォーカル)
アーヴイン・カラニカウ(スチールギター)
プア・アルメイダ(ヴォーカル、スチールギター)
ハウナニ・カハレワイ(ヴォーカル)
ベン・カラマ(フアルセット)
などなど豪華メンバーだ。
「ハワイコールズ」と言う名前は当時は観光局などなかった為に「ハワイに来て
ほしい」と言う願いからつけたのだと言う。
エセル中田がハワイ滞在中の1958年ウェブリー・エドワーズが主宰し、世界中に
ネットされていたラジオ番組「ハワイコールズ」に日本人として初出演し、大絶賛を博した。
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  ケリィ・ウクレレ(Kelii Ukulele)・・・
ハワイ・オアフ島でウクレレを製作するケリィ。元々ミュージシャンでもある創設者の
デザインするウクレレは、シンプルな装飾を採用する事で価格を抑えながら、明るく
鳴りの良いサウンドと、スリムネックによる演奏性の良さが特徴。
そして日本の代理店、荒井貿易が輸入しているケリィ・ウクレレは、チューニングの
しやすさに定評のある高級ペグGOTOHのプラネタリーチューナー(UPT)と、フランス
の弦メーカーSAVAREZのアリアンス・ウクレレ弦が標準装備されています。
日本市場向けにさらに信頼性を高めた特別仕様となっている。
またフランスの弦メーカーSAVAREZのアリアンス・ウクレレ弦を採用。より信頼性を
高めた特別仕様です。

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  ジェフ・ピーターソン(Jeff Peterson)・・・
現在ハワイでもっとも活動的で多才なギタリスト。マウイ島出身。パニオロ(カウボーイ)
だった父の影響でスラックキー・ギターを始めた。
ソロ・ギタリストとしてのデビュー作は2003年の『Kahealani』。以後2019年までにソロ・
アルバムを9作リリースするかたわら、エイミー・ハナイアリイやネイサン・アヴェアウなど
数々のアーティストとコラボレーションしてきた。
ソロ・アーティストとしてハワイの音楽賞『Nā Hōkū Hanohano Awards』を受賞したのは、
4作目『Pure Slack Key』の最優秀インストゥルメンタル・アルバム賞が初。以降、ハワ
イでリリースしたアルバムが3作品連続で最優秀スラックキー・アルバム賞に輝いている。
2011年と2013年には日本限定発売のアルバムをリリースし、スラックキー・ギターでの
J-Popカバーにも取り組んでいる。
2019年リリースの最新作『Ka Nani O Kī Hōʻalu - The Beauty of Slack Key』は、往年
のスラックキー・ギター・レジェンドたちをトリビュートするかたちで代表曲のカバーと彼らに
捧げるオリジナル・ソングを計19曲収録。
ハワイ伝統ギター奏法、スラックキーをルーツにしながら、クラシックやジャズの影響も
伺わせる、演奏スキルの高さが魅力のジェフ。彼の心地良い癒やしのギター・サウンドに
酔いしれよう。
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ギルドギター(Guild)・・・
1953年に始まったアコースティックギターメーカーで、ギブソン、マーティンに次ぐ
人気をほこるのがギルドギターだ。一時期ハワイアンバンドにも用いられた。
GUILDは高級器でもサイド&バックは合板をあえて使用していたりするので少し
重たい感じになる。GUILDで代表的なのはF-50といったギター。
メイプルを使い、バックはアーチトップの技術を用いたカーブド・バックでであるのだ。
ギルドを弾くアーティストにはポールサイモンやブライアンアダムス、ジョンクーガー
がいる。日本のミュージシャンでは南こうせつ、井上陽水などがいる。
ややスリムなグリップで弾きやすいラウンドグリップを持つD-55もまたギルドの
代表的なアコースティックギターで、ドレッドノートタイプをしている。
このほかにもGUILDのハイエンドモデルはD-40、F-412、F-512、といったモデル
が存在し、高音に澄んだ音が見られるのがギルドの特徴でもある。それでいて
GUILDはパワフルなサウンドを併せ持っていて、豪華なヘッドのデザインとともに
ファンの多いアコースティックギターがギルドなのだ。さらに非常に男性的なサウンド
のイメージがあり、ドカンと太い音を奏でてくれるアコギででもある。ギルドアコー
スティックデザインというハイコストパフォーマンスモデルでは価格帯も10万円前後
なのでメーカーにこだわりがない初心者にも音でギルドをセレクトする方がおられる
ほどだ。また、12弦ギターにも定評があるのがGUILDである。

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アヒューマヌ(アフマヌ・Ahumanu)・・・
Ahumanuとはハワイ語で「鳥たちの集まり」という意味。鳥のさえずりのような美しい
ハーモニーが特徴なのだ。
マウイのトリオ・アヒューマヌ(アフマヌ)は3つの命の複雑な複合体から構成、共有
された経験のコレクション、驚くべき才能の集合体、そして音楽的情熱の集まり。
彼らは多面的でありながら、唯一のAhumanuである音に組み合わせます。
各ファルセットは、様々な音楽ジャンルへの愛を結集するとされる。ハワイアン・R&B、
ロックンロール、そして少しの国。これは、彼らが誰であるか、彼らが何をするのが
好きかの大胆な声明を提供するのだ。そして、細かく磨かれた金のように、彼らの
美しいハワイアンメレは、私たちの故郷の言葉、私たちの誕生の砂でしか表現
できない私たちのオラメロ・マクアヒンとその内ケイシーズとニュアンスへの愛を
宣言する輝きで輝いているのだ。
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イーデン・カイ(Eden Kai 1998年 - )・・・
東京都八王子市出身のギター・ウクレレ奏者、シンガーソングライター、作曲家、俳優。
本名、鮎澤 悠介。芸名の由来について、日本語にするとエデン、楽園、創造という意味
があるので色々な場面を想像してもらいたい。2013年留学の為ハワイに移住。ハワイ
の高校に入る。ハワイの学校になかなか馴染めず、アコースティックギターを始める。
芸名の由来について、イーデン・カイは「Eden Kaiの「イーデン」って日本語にすると
エデン、楽園、創造という意味があるので色々な場面を想像してもらいたいと思った。
「カイ」っていうのは、お母さんが内モンゴル出身で、そこには7つの星があるそうで、
一番大きい星が「カイ」らしくそこからつけました。鮎澤悠介ってパッとしないので……」
と語っている[3]。
2015年ハワイの各高校の代表が出場するタレント・ショー「Brown Bags to Stardom
2015」大会で優勝。ブルーノ・マーズやジェイク島袋、伊藤由奈などが受賞してきた
有名なタレント発掘ショーの2015年チャンピオンを16歳で受賞。ギター・ソロ・デビュー・
アルバム『Touch the Sky』をリリース。
2016年、『Touch the Sky』がハワイのグラミー賞に相当する「39th Na Hoku Hanohano
Awards 2016」において、「Instrumental Album of the Year」にノミネート。
9月、『Touch the Sky』が「Hawaii Music Awards Japan 2016」において、「日本ハワイ
アン・アルバム特別賞」を受賞。2016 Hawaii Music Awards Japan — Special Recognition
Awardも受賞。
11月、Netflixのテレビ番組「テラスハウス ALOHA STATE」の初期メンバーとなる。

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ロイ・サクマ(Roy Sakuma)
ハワイのウクレレ指導者第一人者。1964年、ウクレレの神様、ハーブ オオタのヒット曲、
「Sushi(鈴懸の径)」を耳にした瞬間、この人と思いきめ熱烈な生徒になったのだ。
それからは、毎日8~10時間は稽古に没頭、彼のウクレレはボロボロになるほどだった。
16歳(高校中退)で、世界最高のウクレレ演奏家になろうと心に決める。
まもなく、オオタサンはロイに、日本ツアーの間、自分に代わり教室で教えるように言う。
そうするうちにロイは、演奏ではなく、指導こそが自分の天職だと目覚める。
オオタサンはこの若い愛弟子に独立を奨めたが、ロイは演奏家として師の跡を継いだわけ
ではなかった。それからの彼は事実、ウクレレ指導に全力を傾ける。
ロイは、1974年、最初のウクレレ教室、ロイ サクマ ウクレレ スタジオを開くまで、オオタ
サンやカマカ ウクレレに代わって指導を行った。
1970年、市の整備員としてカピオラニ公園の清掃を担当していたロイは、公園で無料コン
サートを開催し、ウクレレの魅力、技巧を広めることを夢見る。
市役所の友人で師匠でもある、モローニ メデイロスがこの夢に賛同。
メデイロスの助力と道案内で、ハワイ インターナショナル ウクレレ クラブ、およびシティ&
カントリー オブ ホノルルを初コンサートのスポンサーに獲得した。
そしてついに、1971年、ノーギャラでの演奏を快くオーケーした地元のミュージシャンらが
集まり、「ウクレレフェスティバル」第1回の幕が上がる。
現在、毎年開催のこのウクレレ フェスティバルは、ウクレレ教室生徒(多くが子供たち)
800人の大オーケストラ、さらに遠方から著名ミュージシャンを迎え、数千人の観客を動員
する、世界でも有数の大イベントに成長した。
ロイは音楽プロデューサーとしても、ウクレレの魅力を余すところ無く、多くのファンに伝えている。

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イオラニ・ルアヒネ(Iolani Luahine)・・・
ハワイ神話の女神ペレやラカに愛された特別なフラ・ダンサー、と人々に言わしめた伝説の
フラ・ダンサー、イオラニ・ルアヒネ。メアリー・カヴェナ・プクイと並ぶフラの歴史に残る重要人物。
現代の大御所ジョージ・ナオペ氏やカワイカプオカラニ・ヒューエット氏も彼女の生徒だったという。
自然や動物のスピリットとも交信できたと言われる、とてもミステリアスな彼女には多くの逸話が
残されている。なかでも僕が気に入っているのは、ジョージ・ナオペ氏が語ったこんなエピソード。
トンガの女王がFBIのエスコートでハワイ島を訪れていた。その日は強い風が吹き荒れていた。
ある訪問先で車を降りるときになっても、あまりの強い風で女王は車を降りることができないで
いた。すると、そこにいたイオラニ・ルアヒネが風に向かってチャントを唱えだした。風は彼女の
唄に反応したかのようにピタッと止んでしまったという。コナのホテルに向かう予定を変更して、
一行はイオラニの家に行くことにした。家に着くと、犬や猫や鶏や豚たちがイオラニとともにトンガ
女王一行を迎えたという。心配する同行者のひとりを制してFBIの人はこう言った。「彼女は風を
止めることができた。私たちは彼女と一緒にいる」。
彼女が踊るとボルケーノから鳥が飛んできた、とか、雨が止む時間を予言した、とか、そんな
逸話に彩られたイオラニは、何よりフラを踊るとき、その類い希な存在感を発揮した。カヒコを踊る
彼女は、恍惚としてチャントと踊りが描く神話のなかの古代ハワイに、一息に線を越えて行って
しまう。そんなフラ・ダンサーだった。
イオラニ・ルアヒネは1978年63歳で他界した‘Iolani Luahineは、King Kalākauaの時代のHulaを
現代に開花させたフラ・マスターです。“Ka Uluwehi O Ke Kai”の作者として有名な
Edith Kanakaoleや、ハワイ語辞書の編纂者としても有名なMary Kawena Pukui、同じくフラ・
マスターであるLokalia Montgomeryとならび、現代フラの祖として知られています。
彼らと同様に現代フラを築き上げた、Merry Monarch Festivalの創設者であるGeorge Na‘opeに
よって、同世代に生きたフラ・マスターに敬畏をはらい、次世代にそのスタイルや考え方を伝承し
ようとフラ大会が発案された。その思いはGeorge Na‘ope亡き後、 Kawaikapuokalani Hewettに
引き継がれ、イオラニ・ルアヒネ・フラ・フェスティバルとして定着している。
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カラニ・ペア(Kalani Pea)・・・
ハワイ島ヒロ出身。現在はマウイ島に在住し、名門カメハメハスクールのマウイ島ケアラクリア校
でハワイ文化を教えている。もちろんハワイ語も堪能です。
しかし意外にもカラニ・ペアは、4才の時に発話障害と診断されていたのです。
そんな幼少の頃のカラニを見て、お母さんが「言葉をしっかり話せるように!」と歌を唄わせるそう
にしたそうです。
いつしかカラニは音楽への興味が強くなり、いつも歌を唄う事によって発話障害も克服していった
のです。そしていつしかミュージシャンへの道を進むようになってのです。
カラニ・ペアは、2016年に1stアルバム「E Walea」でデビューします。
アルバム収録曲については7曲のオリジナルと、5曲のクラシック・ソングで構成されたトラディショ
ナル・アルバムとなっております。
シンガーとしてだけでなく、作詞家・作曲家としてもその実力を発揮しています。
クラシックミュージックをはじめ、ミュージカル・バラード・R&B・ソウルまで、彼の音楽の幅の広さ、
マルチな才能には驚かされます。
そしてデビューアルバム「E Walea」が快挙を成し遂げます。
カラニ・ペアが第59回グラミー賞に、ハワイから唯一ノミネートされたのです。
そしてなんと「最優秀リージョナル・ルーツ・ミュージック・アルバム賞」を受賞する快挙を成して
遂げたのです。
ハワイアン・ミュージックがグラミー賞で受賞するのは、じつは初めての事。
ハワイアンミュージックが「民族音楽の受賞カテゴリー」に加わったのですが、カラニ・ペアが
初めての受賞となりました。
ビヨンセ・デビッドボウイ・マックスウェル・メガデスなど、多ジャンルでのスーパースターが
受賞をしておりました。

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クムリポ (Kumulipo)・・・ハワイ諸島誕生の秘密
日本にも古事記のような創世神話がハワイにもある。クムリポと呼ばれるもので、ハワイ王朝
7代目の王カラカウア王によって公表されたものだ。
クムリポとは「起源」という意味で、もともとは代々王家に口承で秘密裏に語り伝えられてきた
2102行から構成される神話の叙事詩で、1700年頃にロノイカマカヒキという王子の誕生を祝
って作成されたと伝えられている。
暗闇と光が出会い、海と陸地が分かれ、海と陸に多種多様な動植物が誕生し、そこから神々
が産まれた。父なる天の神は「ワケア」、母なる地の神は「パパ」と名付けられた。やがて世
界が明るくなり、神々が地上に降臨した。
ワケアとパパが 「みとのまぐわい(SEX)」 をしてハワイ島が誕生し、それに続いてマウイ島と
カホオラヴェ島が誕生した。その後、パパはタヒチに戻り、残されたワケアは2人の女性と浮気
をしてしまう。ひとりの相手はヒナで、彼女との間に誕生したのがモロカイ島だ。もうひとりは
カウラワヒネで、 彼女との間に誕生したのがラナイ島である。そんな中、妻のパパはハワイに
戻ってくる。そこでワケアの浮気が発覚。
激怒したパパ。なんと今度は自分がルアという男性神と浮気をし、オアフ島が誕生した。
その後、ワケアとパパは和解。(なぜ? どうやって?)

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ケアリイ・レイシェル(Keali‘i Reichel)
ハワイ、マウイ島出身、在住。17歳からチャント(詠唱)を独学で学び始め、19才で自身の
フラ団体(halau)を結成。
1995年、デビュー作『カワイプナヘレ』が当時チャートのトップにいたマドンナを抜いてNO.1
を獲得、彼の次の作品がリリースするまで首位をキープし、ハワイの音楽史上過去最高の
セールス記録を樹立。その年のハワイ版のグラミー賞にあたるナ・ホク・アワードでアルバム・
オブ・ザ・イヤー他、主要5部門を受賞し、またホノルル・アドヴァタイザー紙がその年最も
活躍した人におくるスター・オブ・ジ・イヤーに輝く。
翌1996年に発表したセカンド・アルバム『Lei Hali'a』 はハワイのみならずアメリカ・メイン・
ランドでも話題となり、ビルボード・ワールド・チャートのトップ3にランク・イン。この年のナ・
ホク・アワードでも主要4部門を獲得、名実ともにハワイアン・ミュージック・シーンのトップ
に躍り出た。
日本では2000年以来毎年夏に行っている「KUKAHI IN JAPAN」ツアーは例年大盛況。
2006年には「涙そうそう」のハワイアン・カヴァー「カ・ノホナ・ピリ・カイ」が携帯電話のCM
ソングとなったことで爆発的な人気を呼び、現在までもハワイアン・ミュージック~ハワイ
アン・カルチャーを代表するアーティストとして高い人気を誇っている。

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アグネス・キムラ(Agnes Kimura)・・・
出身は静岡県。当初はジャズシンガーを目指していたが、アルバイト先のハワイアンクラブで
フラとタヒチアンダンスに出会い、運命が変わった。「最初はどれも同じ曲に聞こえて。でも、
ある時、まとまって聞こえていた音が旋律で聴こえて。いいメロディだなと思った」。以来、
猛然と努力を始めた。苦手だった裏声も出せるようになるにつれて曲のレパートリーも増えて
いった。「いつも、いい歌に巡り会わせてくれてありがとうって思いながら歌っている」。
1977年ハワイアンバンド「大塚竜男とパームセレナーダス」の歌手としてプロデビュー。
同時にポリネシアンダンサーとしても活躍。以来、ハワイ州知事より功労賞を授与、ハワイの
音楽賞「Hawaii Music Awards 国際部門賞」を2度受賞、デビュー30周年記念コンサートでは
ホノルル市長より「日本とハワイを結ぶ音楽親善大使」のメッセージを送られるなど、日本を
代表するに相応しい実力派ハワイアンアーティスト。2007年ハワイの伝統チューニングである
スラックキーギターを自在に操り、多方面で活躍中のギタリスト鈴木祐輔をメンバーに迎え、
ベースの川上トモヒロと共に「アグネス・キムラ バンド」を結成。豪華客船クルーズ、ホテル、
コンサート、ライブハウス、各イベント等に出演。スラックキーギターの美しい音色と共にハワイ
と日本の心を歌い上げ、多くの人々を魅了している。

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ジィ・アーヴィ(ZEE AVI)・・
ジィ・アーヴィ はまだ若干23歳だが、成熟した魂の持ち主である。小柄な身体に大いなる才能を
秘めた彼女は、手つかずの自然の楽園であるマレーシア東部の古代の島、ボルネオという生ま
れ故郷の稀有な環境をそのまま写し取ったような音楽で、ユニバーサルなメッセージを世界中に
もたらすのだ。
12歳の時、ジィはボルネオからクアラルンプールに移り住み、以来ずっとそこで暮らしている。
17歳の時、ジィは部屋にひとりで何時間もこもって独学でギターをマスターした。その後自分で
曲を書き始め、バンドと一緒にライヴ・パフォーマンスをこなすようになった。
彼女が初めてウクレレで書いた曲”Just You and Me”には、1920年代のニューオーリンズ・
スウィング・ジャズ的な雰囲気がある。 「私は昔のジャズからメロディ感覚を身につけたの。
自分の感じたままを、飾らないストレートな言葉で表現して、あまりハーモニーも重ねないのよ、」
ジィは言う。「ただたっぷりの正直さだけ。私は他愛のないことが嬉しい女の子なのよ」。
マレーシアからハワイへ、ジィ・アーヴィは旅を楽しんでおり、ここまでも本当にビックリするような
道のりだったもの、大勢の素晴らしい人たちと一緒に仕事をさせてもらえてね。本当に幸運だと思うわ。

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トロイ・フェルナンデス(Troy Fernandez)・・・
この名前を聞くと思い浮かべるのはやはりKa’au Crater Boys(カアウ・クレイター・ボーイズ)。
1990年よりポップな曲調であるコンテンポラリー・ハワイアンが流行し始めたが、その代表的な
バンドがKa’au Crater Boys(カアウ・クレイター・ボーイズ)であり、ウクレレとヴォーカルを担当
していたのがTroy Fernandez(トロイ・フェルナンデス)。「Surf」「Tropical Hawaiian Day」などの
名曲が有名なことはもちろんのことだが、ハワイアン音楽においてウクレレの魅力をさらに引き
出したのがTroy Fernandez(トロイ・フェルナンデス)でした。ウクレレの神様というと
「オータ・サン」などを思い浮かべる人も多いのでしょうが、じつはトロイ・フェルナンデスこそが
ウクレレの神様と称する人も多いのです。ウクレレの早弾きというとジェイク・シマブクロが思い
浮かびますが、元祖はトロイなのです。Ka’au Crater Boys(カアウ・クレイター・ボーイズ)では
1997年の解散までに4作のスタジオ・アルバムを発表し、それらはどの作品もハワイアンミュ
ージックの名盤といえる仕上がりとなっております。解散後はいまだソロとして第一線で活躍し
ており、ハワイアンミュージックの伝説的な人物の一人といえるだろう。

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  クムフラのチンキィ・マホエ(Chinky Māhoe)・・・
ハワイはカウアイ島にあるラカ・ヘイアウ、この場所が最初にフラが
始まったとされ、そしてフラが教えられた。ラカとはフラの神様だ。
ここではクムフラのチンキィ・マホエが定期的にフラを捧げている。
彼は先ずこの神聖な場所にマナ(精霊)がいるとされるところで
チャント(祈り)から始める。
神への祈りで許しを請うのだ。そして海、空、風などの自然に接する。
ハワイアンにとってフラとは自己表現の手段でもある。ダンスやチャント
を通して歴史を学ぶ。大切なことは競技にこだわらず自由に踊ると言うこと。
自由に踊るといってもこれは非常に難しいことなのだ。
終了したらレイを捧げて神に祈る。運がよければレインボー(虹)が出ると言う。
彼の信条は「フラは世界を平和に貢献」と説いている。


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ソル・K・ブライト(Sol K Bright)・・・
ソロモン・カマルヒャケキカイカイカリアクアオカワマハナハナ・ブライト・シニア(1909-1992)は、
ハワイアンとカスティーリャの祖先のエンターテイナーで、スチールギターを演奏し、ハワイの
カウボーイの作曲家として最も広く知られている。彼の初期のツーリングの年は、ソル・K・
ブライトのホリワイアを結成する前に、ソル・ホオピのノベルティ・トリオの一部であった。
この間、ブライトもショーの制作を始めた。第二次世界大戦後、アメリカ商船で、映画やラジオ
やテレビに出演した。晩年はハワイで定期的に公演を行い、観客を生かした。
「Honolulu How Do You Do」は日本でもバッキー白片氏のアドリブで一躍有名になった曲。
ハワイ音楽アカデミーから1987年生涯功労賞を受賞し、1995年にハワイ音楽殿堂入りを果
たした。但し、「Honolulu How Do You Do」はハワイではイマイチ人気がなかったようです。

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  テレサ・ブライト(Teresa Bright)
ハワイの唄うカナリヤと言われている。
日本ではCMソングでもお馴染みのテレサ・ブライトは、
ハワイにおいては数々の音楽賞を受賞している国民的シンガーでもある。
透きとおるような高音とチャーミングな唄い廻しは、"ヒーリング・ヴォイス"と言われ、
ハワイの風のように心地よく響きわたる。
特に彼女の歌はハワイ、伝統、音楽そして家族と友人をこよなく愛するモチーフを
大切にしている。
アコースティック・デュオ・グループ『スティーヴ&テレサ』デビュー以来、
ハワイを代表するシンガーとして活躍。88年、ハワイのグラミー賞
「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」の「ソング・オブ・ジ・イヤー」を受賞。
90年のソロ・デビュー・アルバム『Self Portrait』は、
91年のナ・ホクにおいて「アルバム・オブ・ジ・イヤー」
「最優秀女性ヴォーカリスト賞」「ソング・オブ・ジ・イヤー」
「ハワイアン音楽最優秀楽曲賞」の主要4部門を受賞。日本においては、
現在までベスト盤1枚(日本編集)と6枚のアルバムを発表。
96年『クワイエット・ガール』収録曲『パフューム・オブ・パラダイス』
がJALのCMソングに起用され、日本における人気を確立した。
ウクレレの名手であり、ハワイ語で歌える数少ないシンガー。
伝統(アロハ・スピリット)にあふれた人柄と歌声は、日本でも根強い人気を
誇っている。従兄弟には、日本でも著名なクムフラであるフランク・ヒューイットが名を
連ねるなど本物のハワイアンシンガーだ。

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ローランド・カジメロ(Roland Cazimero)
ハワイアン音楽界の代表的なミュージシャンで兄弟デュオ「ザ・ブラザーズ・カジメロ」。
ザ・ブラザーズ・カジメロは兄、ロバートと弟ローランド・カジメロの兄弟ユニットで、2人が
奏でる美しい南国のメロディは日本でもフラダンサーを初めとする多くの人々に愛されて
いました。
「私たちは彼の音楽の才能に感謝します」ローランドさんの双子の妹カノエがいます。
ローランドさんは70年初期にお兄さんでクムフラのロバートさんとピーター・ムーンさんと
共にサンデーマノアとしてデビュー。1975年にザ・ブラザーズを結成。
カジメロさんと兄のロバートさんはモダンハワイアン音楽界に大きな足跡を残しました。
ハワイアン音楽のグラミー賞といわれるナ・ホク・ハノハノ賞を何度も受賞しており、
ロイヤルハワイアンホテルのモナークルームでは10年以上も地元の音楽家として演奏
しました。
2000年1月にニューヨークのカーネギーホールのショーは満場となり、その6ヶ月後、
ザ・ブラザーズは、ハワイアン音楽の殿堂入りを果たしました。その他にも、テレビの
司会を務めたり、彼らの歌「マイ・スイート・ピカケ・レイ」や「アット・ホーム・イン・ザ・
アイランド」はハワイのサウンドトラックとして大活躍しました。
しかしながら2017年66歳で永眠しました。

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ジョージ・ラナキラケイキアヒアリイ・ナオペ 1928年―2009年)
(George Lanakilakeikiahialiʻi Naʻope)・・・
1928年ハワイのオアフ島カリヒ生まれ。ハワイ島ヒロに移住、3歳で曾祖母
メアリ・マリアプカオカラニ・ナオペにフラを教わる。10歳でオアフに転居。学校を出ると
ホノルルに移り、フラ学校を開設。 60年ハワイ州より「ハワイの人間国宝」の称号を与
えられる。1963年ヒロのイベントとして、世界最大のフラフェスティバル「メリー・モナーク・
フェスティバル」を立ち上げる。1976年子供達の大会「リリウオカラニ・ケイキ・フラフェス
ティバル」を企画。60年以上に渡ってハワイはもとより日本や北米、ヨーロッパなどでフラ
を教えた。2006年、アメリカでの最高栄誉でもある国家重要無形文化財に認定された。
現代の「フラの神様」と呼ばれ、古典フラの研究家でもあった。

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カノエ・ミラー(Kanoe Miller)・・・
フラダンサー・カノエミラーは1973年度のミス・ハワイに。彼女が舞うフラに、観客は
ため息をもらす。フラを始めたのは13歳の時。3人の娘をフラ教室に通わせていた母が、
姉妹の中でフラに魅了されたのは、カノエ・ミラーだけだった。フラの動き、チャントには
意味があり、それらを理解し踊りで表現することがダンサーの使命だと語る。彼女は
競技会で勝つフラではなく、自己表現としてのフラを師から学んだ。レッスンでは、
ハワイ語の詩を英語に直すだけでなく、その内容を自分達の生活体験と関連づけて
解釈し、皆の前で発表することが義務づけられた。ストーリーテラーとなるための、
必要な修行だったのだ。十代の頃、カノエは2つの夢を同時に追いかけていた。
一つはフラダンサー
になること、そしてもう一つはモデルになること。しかし「フラを踊るなら、長い髪と
ナチュラルメイクは必須。と言われモデルはあきらめた。その後、両親の強い勧めで
応募したミス・コンテスト。地区予選を勝ち抜き、あっという間にミス・ハワイの座を勝ち
取った。ミス・ハワイになったカノエの人生は変わった。各地に飛び回り、日本へ親善
大使として旅行する機会も何度もできた。後に知り合った夫との結婚生活も、27年間
ずっと安定している。そのカノエが心から愛してやまない仕事はフラダンサー。
彼女にとっての神聖な場所、ハレクラニでのパフォーマンスは、驚くべきことに30年も
続いている。
ハワイの大地を愛し、敬う気持ちを込めて踊ると言う。しなやかに表情を作る指先の
向こうに、刻々と色を変える空と海が続く。彼女とハワイの自然が見事に溶け合い、
完全なる美の世界を創り出している。