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Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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ザ・ウェスタン・カーニバル(アーカイブ)・・・
新宿コマ劇場が老朽化の為、2009年末で取り壊されることが決まった。その為、平尾昌晃が中心となり往年のロカビリー歌手が勢ぞろい。さすがプロ、歌声はいささかの衰えもない。さて皆さん誰だかわかりますか?今となっては亡き人も。
 ・平尾昌晃(デビークロケットの唄)
 ・山下敬二郎(ダイアナ)
 ・ミッキー・カーチス(テネシーワルツ)
 ・ささきいさお(君は我が運命)
 ・田代みどり(パイナップル・プリンセス)
 ・鈴木ヤスシ(ジェニジェニ)
 ・森山加代子(月影のナポリ)
 ・佐川満男(オーキャロル)
 ・尾藤イサオ(ピーパッパルーラ)
 ・九重佑三子(シェリー)
 ・佐野修(ミスターベースマン)
 ・田辺靖雄(恋の日記)
 ・弘田三枝子(子供じゃないの)
 ・寺内タケシ&ブルージーンズ(慕情)
 ・飯田久彦(ルイジアナ・ママ)
(都合によりブログはしばらくお休みとさせて頂きます)

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  フリエヘエ宮殿( Hulihe'e Palace)・・・
アメリカ合衆国ハワイ州カイルア・コナの海岸に建つハワイ王朝時代の宮殿である。1838年にハワイ島の二代目の総督ジョン・アダムス・クアキニ(en:John Adams Kuakini)により建てられて、彼のイギリス風本宅であった。その後所有者が何人かに変わり、建物も変更され、特にカラカウア国王により大改装が行われてほぼ現在の形になった。1925年に女性団体「ドーターズ・オブ・ハワイ」(en:Daughters of Hawaii)が管理するようにハワイ準州政府が買い取って、公開されている。入館料$6。
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IWAO(本名:山口 岩男 1963年 - )・・・
日本のミュージシャン。ギタリスト、シンガーソングライター、ウクレレ・アーチスト。
1989年にデビュー。
山形県天童市生まれ。小学6年でギターを手にし、中学・高校とバンド活動に明け
暮れる。早稲田大学入学と同時に上京、学内サークルでもバンド活動や、オリジ
ナル曲を書き始めた。1989年、コロムビア・レコードよりメジャー・デビュー。
以後、シンガー・ソングライターとして9枚のアルバムをリリース。
1991年、ギタリスト・佐橋佳幸氏を通してウクレレに出会い、ハワイの 「ウクレレの
神様」 ハーブ・オータに感銘を受けてウクレレにのめり込む。 1998年、横浜・サム
ズアップにて、初のウクレレだけのライヴを開催。 同年、ハワイ島・コハラで開かれ
た 『スラッキー・ギター&ウクレレ・フェスティバル』 にサザンオールスターズの関口
和之氏と共に参加、初の海外演奏となった。1999年、IWAOとしてウクレレ・アルバム
『ウクレレマン』 をリリース。 2012年までに15枚のアルバム、3枚のマキシ・シングル
を発表、最も多くウクレレのオリジナル・アルバムをリリースしている日本人ウクレレ
奏者である。 2008年11月~2009年1月NHK教育テレビ 『趣味悠々』 の 「すぐに弾け
る楽しいウクレレ」 で講師を務め、新たなウクレレファンを獲得した。 2010年、ニューヨ
ークで行われた 『NewYorkUkeFes』 に招かれ、念願の米国本土での初公演。 現在は、
ハワイ、タイ、オーストラリア、台湾で演奏し、アジアを中心に活動の場を世界に向けて
拡げている。

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アイルランドの娘・・・
昭和12年にバッキー白片とアロハハワイアンズ演奏でディック・ミネのコンビで一世を
風びした戦前の歌謡曲である。もともとはアメリカ映画の主題歌を「アイルランドの娘」
として歌われた。これもハワイアン調で親しみやすい曲でもある。
1929年 アメリカ映画「恋の走馬灯」Smiling Irish Eyesの主題歌。アイルランドの田舎
を舞台にした部分が牧歌的で、原題と同タイトルの主題歌が楽しいが、お話は他愛ない。
えくぼの可愛い村娘コリーン・ムーアは、炭坑で働く若者ジェームズ・ホールと恋仲。
歌とフィドルの上手いジェームズはコリーンに"Smiling Irish Eyes"という歌を作って捧げ
る。途中、地主がジェームズのフィドルを取り上げたり、コリーンが自分の小豚を取り返
そうと小豚レースに出場したりのドタバタ場面があり、これが楽しいらしい。ジェームズは
地主の援助で音楽を学びに渡米する。恋人をニューヨークに訪ねたコリーンは、ミュージ
カル歌手として成功した恋人が女優相手に"Smiling Irish Eyes"を歌うのを見て、彼は
もはや自分ではなく女優を愛していると勘違い。失望してアイルランドに帰るが、ジェー
ムズが追って来て誤解も解け、めでたしめでたし。日本公開1931年。映画は忘れられ
たが、「アイルランドの娘」という日本語の歌になり、今も歌われているのは興味深い。
アイルランドの娘
作詞:H.Ruby/島田磐也 作曲:R.Perkins 歌:ディック・ミネ
1.花籠抱えて 誰を招く
アイルランドの村娘
夢見る瞳よ 君が抱く
野ばらの花は 愛の花
2.変わらぬ誓いを 囁けば
うるむ涙で じっとみてる
心の底まで みつめてる
愛の瞳の いじらしさ
3.変わらぬ誓いを 囁けば
うるむ涙で じっとみてる
心の底まで みつめてる
愛の瞳の いじらしさ
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  アロハタワー(Aloha Tower)・・・
1926年に建てられたホノルル港のシンボル的タワー。当時はハワイ諸島の中で
もっとも高い建物であった。当時アメリカ本土のサンフランシスコから定期便として
就航したのが「マトソン・ライナー号」である。マトソンとは「運ぶ」と言う意味から
名付けられた。その灯台的役割から作られたとされる。当時は出航の際は必ず
「アロハ・オエ」が演奏された。4面に取り付けられている時計は、ボストンの
ハワード・クロック・カンパニーで製造されて運ばれたもので、ひとつの重量が7トン
ある。エレベーターで10階に上がると、4方向に展望デッキがあり、海側、山側の
景色のほか、ホノルル港に出入りする豪華客船の姿も目にすることができる。
今ではホノルルのシンブル的存在でもある。

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エリカ・エロナ(Erika Elona)・・・
エロナの声とアコースティックギター、そして地元のプロデューサーショーン・リビング
ストン・モズレーと一緒に地元のアーティストをサポートするわずか数人で武装した
地元のシンガーソングライター、エリカ・エロナは最近、彼女の最初のフルレングス
アルバム「物事を壊す」をリリースしました。
過去10年間ショーをプレイしている25歳は、通常、オープンマイク、バー、コーヒー
ショップ、その他の親密な会場で演奏します。最近、彼女はブレイズデルでマッチ
ボックス20のオープニングを含むいくつかの有名なギグを持っていました。彼女の
サウンドは、ゆったりとした裸の必需品、女の子と彼女のギターから、レゲエのバック
ビート、70年代のギターなめ、トークンジュエルのような抑揚、微妙なモータウンの
影響を受けたR&Bバッキングトラックを備えた、より多面的なサウンドに進化しました。

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J- Boog
J Boogはカリフォルニア生れのサモア人! ハワイ、ジャマイカ、カリフォルニアで大人気
になり、J Boogの「Hear Me Roar」が2007年、Billboard Top Reggae Chartで8位になった
のがきっかけで、island Reggaeが世界に拡がりました。先日、MTVのインタビューでジャス
ティン・ビーバーが“僕のiPodコレクションで一番好きなのはisland Reggae のJ Boogだよ!”
とコメントしてました。
また、ショーン・ポールのプロデューサーで有名なDon Corleon(ドン・コレリオン)のプロ
デュースした「Lets Do It Again」はBillboard Top Reggae Chartで1位を獲得し、世界の
Reggae Radioでヘビロテになり、今でもMaui島のラジオ局でプレイされています。最近
では、Pia Mia ft Chris Brownがリメイクしています。
Ho’okipaの海をドライブするときはいつも「Lets Do It Again」聴いてる。Hawaiiの小さい子も、
学生もサーファーもおじいちゃんもおばあちゃんもisland Reggaeフェスに行って大はしゃぎ。
特にハワイ好き、海好き、サーファーにはおすすめ!


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ジョージ・デルメティア・ビーチャム(George Delmetia Beauchamp、1899 - 1941)
アメリカ合衆国の電気楽器の発明家で、ナショナル・ストリング・インストゥルメンツ・
コーポレーションおよびロー・パット・イン・コーポレーションの共同創設者。
テキサス州コールマン郡で生まれました。カリフォルニア州ロサンゼルスに定住する
前に、ヴァイオリンとラップスチールギターを演奏し、寄席で演奏しました。1920年代に、
彼は、エレキラップスチールギター、エレキギター、エレクトリックベースギター、エレ
クトリックバイオリン、楽器アンプの作成を試みました。1931年、ポール・バースと
アドルフ・リッケンバッカーと共にRo-Pat-Inコーポレーションを設立し、電化弦楽器の
製造・販売を行う。最も注目すべきは、リッケンバッハーA-22(およびA-25)ラップ
スチールギター("フライパン"として知られる)は、最初の量産エレキギターと広く見な
されています。1932年に生産が始まりました。1937年、ボーチャンプはエレキギターの
彼のバージョンのための米国特許を確保しました。
1917年にマートル・ジョンストンと結婚しました。彼らはフランシスとノーランの2人の子供
を持っていました。彼は1941年にロサンゼルス近郊で深海釣りをしている間に心臓
発作で死亡した。

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カレイ・ガミアオ(Kalei Gamiao)・・・
ハワイ・ハレイワ生まれ。13歳でウクレレを始め、数多くのミュージシャンに師事した後、
独自のスタイルを確立。2008年ファーストアルバム『CONTENPORARY UKULELE
INSTRUMENTAL』をリリース。ジャズ、ラテン、アイリッシュまで弾きこなし、2009年、
ハワイ最高峰の音楽賞「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」のインストゥルメンタル・アルバム・
オブ・ザ・イヤーにノミネート。以降、世界各国のウクレレ・シーンで注目され、現在は
国際的に活躍中。情熱的な表現と技巧的なプレイ、そしてループマシンなどを駆使した
ステージパフォーマンスが、国境を越えて多くの人を魅了している。特にアジアにて高い
人気を獲得。そのアグレッシブなパフォーマンからは想像がつかない程、シャイでフレン
ドリーな温厚な人柄もまた、多くのファンが魅せられている要因である。日本でも何度か
演奏を披露している。ウクレレで世界中を旅したいと夢を抱いている。

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エイドリアン・ジャニアック(Adrien Janiak)・・・
彼はもともとギタリスト。ある日音楽店で偶然ウクレレを発見し、好奇心から購入します。
学生と一緒に演奏する彼のギターのレッスンで採用、彼は、少しずつこのウクレレは、
彼の人生でますます重要になってきていることに気づきます。
彼は2010年のエレキ・コンテストでカテゴリーを受賞し、スティーブ・ヴァイの『神の愛の
ために』の表紙でウクレレ・ウンディーズ賞にノミネートされたとき、ウクレレの
ウェブコミュニティに気づきました。
彼の名声を開発するために、有名なビデオ共有サイトで彼のウェブチャンネルを供給し
ながら、ウクレレに専念することを決めました。それ以来、エイドリアンはソロアーティスト
と教師としてフランス中を旅してきました。
彼の最後のツアーはモントリオールとホノルルのフェスティバルに連れて行き、そこで
カレ・ガミアオ、ジェームズ・ヒル、タイマネ・ガードナーなどの偉大なウクレリストと出会い
ました。オアフ島での滞在を利用してハワイの振動を吸収し、彼は今日ウクレレのための
彼の探求を続けています。

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大塚竜男(Tatsuo Otsuka)・・・パーム・セレナーダスのリーダー。
大きな身体で日本人ばなれの美声を聞かせる。フービーの愛称で親しまれた。
1922年生れ、現東京芸術大学出身で満州国に招かれて新京音楽院を設立、
新京交響楽団を指揮した大塚淳氏の三男。クラシック家庭でピアノを学んだが、
偶然耳にしたレコードからハワイアンのとりこになる。
父との新京暮らしの間にバンドを始める。
戦後パラオから復員、昭和23年「パーム・セレナーダス」を結成。
スチールギターのチューニングは8弦「E7]と当時としては異色と言われた。
一時はライブハウスなども経営したが平成4年心筋梗塞で死去。74歳。
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  ツーユウ・スイートハート・アロハ・・・
(恋人よアロハ To You Sweetheart Aloha)
ソル・ホービー・カルテットのレコードで古くから親しまれてきた曲。
彼の「スウィート・レイラニ」の作者ハリー・オーエンス1936年の作品で
ハリー指揮のロイヤル・ハワイアンバンドの演奏も絶大なる人気を誇った。

“To You Sweetheart,Aloha”
To you,sweetheart,aloha
Aloha from the bottom of my heart
Keep the smile on your lips
Brush the tear from your eye
One more aloha...
Then it's time for goodbye

To you,sweetheart,aloha
In dreams I'll be with you,
dear,tonight
And Ill pray for that day when
We two will meet again
Until then sweetheart,aloha

<日本語意味>
あなたよ 恋人よ アロハ
アロハ 私の心の底から
あなたの唇に微笑みを忘れないで下さい
あなたの目から涙を拭い取って下さい
もう一度アロハ
その後はさようならの時

あなたよ 恋人よ アロハ
今夜 夢の中で私はあなたと一緒にいます 恋人よ
そして私は祈ります
私達二人がもう一度会う日のために
その時まで恋人よ アロハ

ALOHAのスペルには意味があるとされる。
* A - Akahai(上品さ、優しさ)
* L - Lokahi(調和)
* O - Olu'olu(思いやり)
* H - Ha'aha'a(謙虚さ)
* A - Ahonui(忍耐)

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ショーン・ロビンス(Sean Robbins)・・・
ハワイ島プナ出身のスラックキーギター奏者。ハワイ大学ヒロ校でハワイアンスタディーを
専攻し、ハワイ語も堪能で、ファルセット唱法が得意。1993年生まれ。2014年11月にデビ
ューアルバム「オラヌイ」を発表した期待の新人アーティスト。
叔父が持っていたギターを11歳頃の時に使わせてもらって弾き始めたのがきっかけであった。
最初は叔父に教えてもらっていたが、シリル・パヒヌイとの出会いの影響も大きいと言う。
チューニングや奏法が人によって違う。彼はぽわんとゆるんだ音色が特徴だ。あとはベース
を弾きながら同時にメロディも演奏するところが売りかも知れない。

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アイランド・ガール(Island Girls)・・・
1975年に米国のビルボード・ホット100で1位、英国で14位になったエルトン・ジョンが
演奏した曲です。ハワイアン・ミュージックとは関係ないと思いますが、ハワイをイメー
ジして作ったと言われています。このアルバム「ロック・オブ・ザ・ウェスティズ」からの
最初のシングルです。 歌詞はニューヨーク市のコールガールをジャマイカに連れ戻し
たい男性についてです。 ジョンが「彼女は大きな女の子です/彼女は6フィート3の代役
です/大都市の男のためのトリックを回します」と歌うことを考えると、おそらく「アイランド
ガール」は男性の売春婦です。 70年代のドキュメンタリー「ゲイセックス」に記録されて
いるように、当時のニューヨーク市は、ゲイの男性に前例のない性的自由を提供し、
匿名のセックスの機会を十分に与えました。 ゲイの男性は、ゲイの仲間を「彼」ではなく
「彼女」と呼ぶこともあります。 曲がリリースされたとき、エルトン・ジョンはまだ公に出て
いませんでした。 翌年、ローリングストーンの記事で、彼はバイセクシュアルだと言った。
1988年に、彼は自分が同性愛者であることを確認し、別の男性との関係を公表しました。
尚、エルトン・ジョン自身もLTBTであると公表しております。

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カムエラ・カホアノ(Kamuela Kahoano)・・・
父親はハワイアンなら誰でも知っているほど有名な、テレビや舞台で活躍している
司会者でありエンターテナーでもあるキモさん。
彼は小さな子どもの頃から、キモさんが司会をつとめるイベントなどで、ゲストの演奏
やパフォーマンスを舞台袖から見ていた。そして小さな時から本物の音楽にふれ、
エンターテインメントの世界を身近に感じて育ったことが、彼の音楽人生に大きく
影響したのだ。
ハワイアン、ロック、レゲエ、フォークなど幅広いジャンルの音楽を奏でるカムエラは、
旅をすることでインスピレーションを受けることもあるのだと言います。「旅をすること
で得られることは多いよ。いろんなジャンルの音楽に興味があるんだ。」と語る。
世界がまるごと彼の音楽観をつくる場所。枠にとらわれない、広いジャンルをカバー
する彼の実力は、シンガーとしてはもちろん、作曲家として、またギタリストとしても
高い評価を受けている。1年ぶりのシングルをリリース、さらに、カムエラも参加した
コンピレーションCD「ALOHA&MAHALO」も話題となっている今大注目のカムエラに
アロハガールが迫ります。権威ある「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」も受賞した。
カムエラは井上陽水さんの「少年時代」とチューリップの「青春の影」の2曲をカバー
している。透明感があってしかも深く心に響いてくる歌声。ハワイの爽やかな風を
感じることができる曲です。

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タイニー・ティム(Tiny Tim)・・・
ティムは1932年、ニューヨークのマンハッタンに生まれました。
幼い頃から音楽への興味は並々ならぬものがあったようで、暇さえあれば蓄音機の前で
音楽を聴きあさる少年だったようです。
6歳でギターを習い、11歳の頃にはバイオリンも習い、その音楽への情熱がのちに彼の
トレードマークになるウクレレに引き継がれていったのでしょう。
長身に長いカーリーヘアー、小さいウクレレを抱えて男性とは思えないようなファルセット
ボイスで歌うティムの姿は一度観たらもう頭から離れません!
キャラクターが強烈すぎますからね。
ウクレレによる独特の曲調と自身の声色でパフォーマンスするキャラクターが評判となり、
1968年、ジョニー・カーソンが司会を務める深夜トークショー『ザ・トゥナイト・ショー』でテ
レビ出演。その名前は幅広く知れ渡ることとなる。
初のアルバム「God Bless Tiny Tim」が1968年、全米7位。シングル、「Tip-Toe Thru
The Tulips With Me/チューリップ畑でお散歩」は、同1968年に米国17位を記録した
彼によるカバー曲の『Tiptoe Through the Tulips』は2010年のジェームズ・ワン監督に
よるホラー映画『インシディアス』で使用された。
最初はティムを色物なキャラで見てしまいがちですが、その音楽やパフォーマンスからは
本当に音楽が好きなんだなという彼の優しい人間性が伝わってきます。
日本でもエンケンを始めティムに影響を受けているミュージシャンは多くいるんですよ。
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ジャスティン・ヤング(Justin Young)・・・
ハワイ出身。中学生の頃には既にミュージシャンを志し、自身のベッドルームで
作曲を始める。中学生の時にBOYZ Ⅱ MENのコンサートに行き、自らデモを渡
すなど大のR&B,ソウルファンだった彼は、大人になるにつれ、自身のルーツで
あるハワイアン・ミュージックを積極的に取り入れるように。ハワイで最もポピュ
ラーなポップス、ソウル、レゲエをブレンドしたレイド・バック&オーガニックな
”ジャスティン・サウンド”を作り上げた。
16歳の時、学校の授業のために制作した3曲入りテープが口コミで話題となり、
ハワイのインディ・レーベルと契約。計5枚のアルバムをリリースし、トータル
7万枚ものアルバムを売上げ、10曲以上のラジオ・ヒットを生み出し、人気
アーティストの地位を確立した。
その後、新たな可能性、成長を求め、活動の場をLAにうつし、マクスウェルや
イーグル・アイ・チェリーなどを手がけるプロデューサー、Ed Turtonらとデモ・
セッションを制作したり、いくつかのレーベルからアプローチを受けショーケース
を行ったりと活動の場を広げるなか、2007年、自身のレーベルを立ち上げ、
アルバム「オール・アタッチト」をリリース。温かみのある声、彼が尊敬するベン・
ハーパーや同郷のジャック・ジョンソンのように、シンプルでありながらメッセージ
性に溢れた作品として、LA、やハワイやLAの音楽シーンで瞬く間に話題となり、
日本でも限られた流通の中で輸入盤が絶賛され&ロング・セールスとなっている。
また、現在コルビー・キャレイのライヴ・バンド・メンバーとしてギターを担当、世界
中をツアーし、新たなファンを獲得している。