




デューク・カハナモク(Duke Paoa Kahinu Mokoe Hulikohola Kahanamoku,
1890年 - 1968年。
ハワイはオアフ島に生まれる。純粋な先住ハワイ人である。彼の父親も同じく
デュークという名であったが、ワイキキで育った彼は幼少時よりアウトリガー・
カヌーや水泳に親しみ、長じては誰もが認める「ウォーターマン」となる。
母親は彼を「決して水を怖れず、可能な限り遠くにまで行ってごらんなさい」
と言われたいわれる。
1920年のアントワープ五輪でも100メートル自由形優勝、リレー優勝。
初の金メダルをもたらした。1924年のパリ五輪では100メートル自由形
準優勝に終わったものの、この大会で銅メダルを獲得したのは実弟サミュエル・
カハナモクであり、改めてハワイのウォーターマンの実力を世界に知らしめる
こととなった。
それまでは王族の遊びだったサーフィンをアマチュアのスポーツとして取り上
げたのだ。サーファーとしてのデュークは現代のようなサーフィンではなく、
伝統的なハワイのサーフィンを好み、「パパ・ヌイ(偉大なるパパ)」と名付
けられた巨大なロングボードを愛用していた。なおパパとはポリネシア神話に
登場する神の一柱であって、父親を指す英語ではない。この「パパ・ヌイ」
ロングボードは長さ4.8メートル、重さ52kgもあったという。
材はハワイアン・コアであった。
また彼の教えを忠実に守って指導しているビーチボーイの存在も無視出来ない。
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