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ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。
満州の日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く
『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。
後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、
大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、
別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。
1948年夏に上京して、コージー・カルテットを結成。1953年に来日した
オスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。
1954年伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた
伝説的なジャム・セッションに参加。
1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院
(現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1963年、
最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。
2年後に離婚。
1967年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキン
と出会い結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド
を結成し、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。
その後ニューヨークへ戻り、秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・
タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。
その評価と人気を示すものとしてアメリカのジャズ専門誌ダウンビートでは秋吉とルー
のビッグバンドは批評家投票で5年連続、1位を獲得している。
2006年に米国ジャズマスターズ賞を受賞している。
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