













オーティス・レイ・レディング
(Otis Ray Redding Jr.、1941年 - 1967年26歳没)は、
アメリカのミュージシャン。独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えた。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に
於いて第3位。
1960年代初頭にジョニー・ジェンキンズのパイントッパーズで音楽活動を始め、
ソロ・シンガーとして契約後1962年に「These Arms of Mine」を発表(R&B)
この歌をきっかけにスタックス傘下のヴォルトからアルバム「Pain in My Heart」
を発表、全国流通を果たす。その後、喉の異変を訴え、ポリープが見つかり医者
から2ヶ月間歌う事を禁じられ後の曲調の変化に大きな影響を与えた。
白人のロック・ミュージシャンが多数出演するモントレー・ポップ・フェスティバル
にオーティスが出ることについて当初難色人は多かったが、黒人のソウル・
ミュージシャンとして同フェスティバルに出演したオーティスは大観衆の心を虜にし、
音楽に人種の壁はないことを示し、大喝采を浴びた。
1967年、オーティス・レデイングとバーケイズのメンバー5人、マネージャー
及びパイロットの8名の乗った双発機が、次の公演地であるウィスコンシン州
マディソンに向かう途中、濃霧で滑走路を見失い近くのモノナ湖に墜落。
トランペットのベン・コーリーを除く7人が死亡した。
その後息子のデクスターとオーティス2世は、いとこのマーク・ロケットとともに、
ファンク・ディスコ系のバンド、ザ・レディングスを結成した。
アパレトヘイト(人種隔離政策)の真っただ中、苦難にあえぎながらも
力強く生きた男の短い人生。
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