























立川 談志(1936年 - 2011年)は、落語家、落語立川流家元。
本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。
1952年 - 東京高校を中退し、4月の16歳で5代目柳家小さんに入門。
本名の「克由」の一字を取って、柳家小よしと名乗る。
1954年 - 3月に二つ目昇進し柳家小ゑんに改名。寄席の他に日劇ミュージックホール
や新宿松竹文化演芸場にも定期的に出演し、コントや漫談も披露。
赤シャツにジーパン姿がトレードマークだった。
1962年 - 入門が5年も遅い古今亭志ん朝が、「36人抜き」で小ゑんより先に真打になり、
生涯最大の屈辱を味わう。
1963年 - 4月に立川談志を襲名し、真打に昇進。同時に小さん門下から真打に昇進した
のが5代目柳家つばめ。
日本テレビ『笑点』の企画を発案し、1966年5月から1969年11月まで初代司会者を務める。
後に、笑点放送100回記念では桂歌丸と異色漫才を行った。
政治家として参議院議員を1期、沖縄開発庁の政務次官を36日間務めた。
サイバー大学客員教授。
2011年11月21日家族に看取られて死去。死因は喉頭癌。75歳没。
立川 談志は、落語家の名跡。7代目の死後は空き名跡となっている。
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