「別れの磯千鳥」と言う曲は今までハワイ民謡をアレンジしたものと思って
いたが、実はいろいろ調べてみるとハワイアンとは全く関係ないことがわかった。
大半のハワイアンバンドがこの曲をレパートリーにしているのも面白い。
歌手では井上ひろし、日野てる子、大橋節夫などが歌っているが、個人的には
日野てる子がお気に入りである。
この曲について第二次世界大戦中、日系アメリカ人兵士の間で歌われていたと
いわれる曲である。その為に、兵士がイタリア戦線でつくった歌だとか、出征する
兵士を見送る為の歌だとかいった誤解も生れたが、実際は戦前につくられた一般
の歌謡曲であったのだ。
第442部隊など日系人部隊の純粋な軍歌としては、他に「Four-Forty-Second
Infantry」「Go for broke!」などといった有名なものが複数存在する。
とはいえ、この「別れの磯千鳥」は戦後になって日本に輸入されヒットし、複数の歌手
が吹き込んだ結果、なんと21もの音盤が生産される結果となったのだ。
その点、他の純粋な軍歌とは一線を画する曲だといえる。
作曲者のフランシスコ座波(ざなみ)は、本名座波(ざは)嘉一といい、沖縄出身の
父母を持ち、ハワイに生れた日系二世。父はハワイで財を成した日系一世。
嘉一は日本の中学受験失敗など挫折を経て、音楽家の道を志し、アマチュアの作曲家
に転向。1934年には音楽団を結成し、仲間からフランシスと呼ばれるようになった。
1940年には作曲の勉強のため、かつて師事した服部逸郎を頼って渡日するも、
日米戦争必至の情勢下、1941年にハワイに戻った。
その帰国の際に、この「別れの磯千鳥」の楽譜を持っていたといわれている。
したがって作曲は1941年頃となるが、彼が1949年35歳の若さで死去した事で
詳細はわからなくなっている。
歌詞も日本の無名の女学生が作ったとも言われているが真相は不明。
別れの磯千鳥
1.
逢うが別れの はじめとは
知らぬ私じゃ ないけれど
切なく残る この思い
知っているのは 磯千鳥
2.
泣いてくれるな そよ風よ
希望抱いた あの人に
晴れの笑顔が 何故悲し
沖のかもめも 涙声
3.
希望の船よ ドラの音に
いとしあなたの 面影が
はるか彼方に 消えて行く
青い空には 黒けむり
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