























黒人奴隷制度と言うとアメリカを思い出す人が多いと思うが、ブラジルにも
この制度があったことは意外と知られていない。
ブラジルを植民地支配をしていたポルトガルはさとうきびの栽培にアフリカから多くの黒人奴隷を
連れてきた。その数約500万人とされている。
1500年にペトロ・アルヴァレス・カブラルによって発見されたブラジルは、アメリゴ・ヴェスプッチの
その後の探査によって大した価値のない土地であると考えられていた。
1500年代中頃なると、先の植民の際ポルトガル人が持ち込んだ砂糖黍がブラジル北東部の
土壌と相性が良かったこともあり、たくさんの砂糖黍が植えられた。ブラジル産業は砂糖黍ブームと
いわれるほどの熱を帯び、主要産業がパウ・ブラジルから大土地所有制による砂糖黍の栽培への
移行した。
1884年に奴隷制は廃止したが、世界で一番遅い開放と言われている。
現在奴隷売買の拠点となったサルバドルは黒人の街とされているがいずれも貧しく、
貧困街とされ失業も4人に一人と言うのが現状だ。多くの若者は物売りをしたり
日雇いで肉体労働をしている。学歴もなく従って就職も難しいとされている。
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