川島 芳子(かわしま よしこ、1907年 - 1948年)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の
第十四王女。本名は愛新覺羅顯玗(あいしんかくら けんし)。
8歳のとき、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。1927年に旅順の
ヤマトホテルで、関東軍参謀長の斎藤恒の媒酌で蒙古族のカンジュルジャップと結婚式をあげた。
カンジュルジャップは、川島浪速の満蒙独立運動と連携して挙兵し、1916年に中華民国軍との
戦いで戦死したバボージャブ将軍の次男にあたり、早稲田大学を中退後1925年「韓紹約」名で
陸軍士官学校に入学していた。
彼らの結婚生活は長くは続かず、3年ほどで離婚した。 その後、芳子は上海へ渡り同地の駐在
武官だった田中隆吉と交際して日本軍の工作員として諜報活動に従事し、第一次上海事変を
勃発させたといわれているが、実際に諜報工作を行っていたのかなど、その実態は謎に包まれて
いる。
なお、芳子は戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となったが、
日中双方での根強い人気を反映して現在でも生存説が流布されている。
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