
























石川 啄木(1886年 - 1912年)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。
岩手県に、曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎と母・カツの長男として生まれる。
雑誌『明星』への投稿でつながりがあった新詩社の集まりに参加、与謝野夫妻を訪ねる。
滞在は続き作歌もするが出版社への就職がうまく行かず、結核の発病もあり、1903年、
父に迎えられて故郷に帰る。5月から6月にかけ『岩手日報』に評論を連載、
11月には『明星』に再び短歌を発表し、新詩社同人となる。この頃から啄木のペンネームを
使い始め、12月には啄木名で『明星』に長詩「愁調」を掲載、歌壇で注目される。
1912年腹膜炎と肺結核を患い、発熱が続く。
1912年、母カツ死去。4月9日、土岐は第二歌集出版の話を啄木に伝える。4月13日、啄木、
小石川区久堅町にて肺結核のため死去。妻、父、友人の若山牧水に看取られている。享年26。
1930年長女京子が懐妊中に急性肺炎を起こし、二児を残して24歳で死去。
その二週間後には次女房江も肺結核により19歳で死去。
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