
スコットランド民謡が何故「蛍の光」になったのか以前から疑問に
思っていたが、ようやくわかりかけてきた。これは韓国の国歌として
も歌われていたのだ。
作詞 ロバート・バーンズRobert Burns(1759年~1796年)。
最も有名な唱歌の一つ、「蛍の光」の原曲。
「オールド・ラング・サイン」(old long since=昔むかし)は、地元のスコットランド
でも広く親しまれ、さまざまな集まりにみんなが輪になって歌う。2番になると、
少しテンポが上がるのも特色で、懐かしい仲間との再会を祝して杯を酌み交わ
そうと歌われる。
詞を書いたのはロバート・バーンズという高名な詩人。彼がスコットランドの古謡
を元にして1788年に発表した。バーンズの詞には、かつて別のメロディで歌われ
ていたが、最終的にジョージ・タムソンが発表したこのメロディに落ち着いた。
同じメロディを元にした讃美歌に「目覚めよ我が霊」(370番)があり、こちらの歌詞は
フィリップ・ドッドリッジが1755年に発表したものである。
日本に紹介されたこの歌は、稲垣千頴(いながき・ちかい)によって、
原詞とはまったく異なる歌詞が付けられ、これが「蛍の光」となり(元々は「蛍」)、
卒業式などの別れの場や、新しい門出にふさわしい名曲として歌い継がれてきた。
いっぽう日本の軍国主義時代、「蛍の光」あるいは「オールド・ラング・サイン」の
メロディは日本を経由して朝鮮半島や台湾、中国本土にも紹介され、
日本とはまた別の浸透をしたことが知られている。たとえば日本の侵略に対して
独立を目指した朝鮮半島の抵抗運動においては、このメロディにあわせて「わが
大韓万歳!」と歌われた(1896年)。愛国歌として知られるこの詞は、同時に
賛美歌14番としても知られている。また、1948年までは韓国国歌であった。
韓国の映画では、日本の政治家などが殺される場面になると、よくこのメロディが
象徴的に流され、日韓の過去を象徴するものとして使われている。
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テーマ:なつかしさでいっぱい - ジャンル:音楽