広岡 浅子(1849年 - 1919年)は、日本の実業家、教育者、社会運動家。
ペンネームは九転十起生(きゅうてんじっきせい)。明治を代表する女性実業家であり、
豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた。
京都府京都市・油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の四女として
生まれる。幼名は照。幼い頃より裁縫や茶の湯、生け花、琴の稽古などよりも、
四書五経の素読など学問に強い興味を持つが、「女に教育は不要」という当時の商家の
慣習は固く、家人から読書を禁じられる。9歳で父親が没し、35歳の高喜が家長となる。
17歳で鴻池善右衛門と並ぶ大坂の豪商であった加島屋の第8代広岡久右衛門正饒の
次男・広岡信五郎と結婚。嫁いだ後も、主人は手代に任せて業務に関与しない商家の
風習に疑問と限界を感じ、簿記や算術などを独学するようになる。
20歳で明治維新の動乱を迎え、家運の傾いた加島屋を救うため実業界に身を投じ、
夭逝した正饒の長男に代わり加島屋当主となった第9代広岡久右衛門正秋、夫の
広岡信五郎と共に、加島屋の立て直しに奔走する。
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