淡谷 のり子(1907年- 1999年)は、青森県青森市出身の女性歌手。
本名:淡谷 のり。日本のシャンソン界の先駆者であり、ブルースと名の付く歌謡曲を
何曲も出した由縁から「ブルースの女王」と呼ばれた。叔父は元社会党の代議士・淡谷悠蔵。
1931年コロムビアへ移籍。古賀メロディーの「私此頃憂鬱よ」がヒット。
淡谷はコロムビアでは映画主題歌を中心に外国のポピュラーソングを吹込む。
1935年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となる。
日中戦争が勃発した1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめる。
ブルースの情感を出すために吹込み前の晩酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌う。
その当時に淡谷のピアニストを務めていた和田肇と1938年に結婚するが、翌年離婚。
その後は生涯独身であった。
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