

我々のレパに小畑実の「星影の小径」があるが、個人的にも好きで
これから本格的に演奏しょうと思っている。間奏に「スターダスト」を入れて
さらにムード満点だ。
この『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と
『アイ・ラブ・ユー』という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、かれの歌唱の特徴が
生かされた傑作であるとされる。
小畑 実(おばた みのる、1923年生まれ)は、北朝鮮平壌出身の歌手である。
本名は、康永(カン・ヨン・チョル)。
1937年、同胞のテノール歌手永田絃次郎に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。
苦学しながら声楽を学ぶ。このころ秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが
小畑姓と秋田出身を称した理由とされる。なおイクの息子小畑達夫はいわゆる
共産党リンチ事件で死去している。
デビューは1941年ポリドールからで『成吉思汗』であった。ただし朝鮮半島出身を隠して
出身地を秋田県としていた。のちビクターに移籍、
1942年『湯島の白梅』が出世作となる。翌年『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の
歌手として注目を浴びるが、実際の活躍は終戦後であった。 テイチク・キング・
古巣のビクターと所属会社を転々としながらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・
『薔薇を召しませ』・『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街角で』・
『高原の駅よさようなら』などのヒット曲を飛ばした。
昭和32年に突然アメリカはラスベガスに渡りホテル経営に乗り出す。
これが約10年間続き昭和42年再び日本に戻り歌を再開。
このアメリカ生活については多くを語らず今もって詳細は不明だ。
その後ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活動していた矢先、
千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全のため55歳で亡くなる。
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