浅野 総一郎(淺野總一郎 1848年4月13日 - 1930年)は日本の実業家。
一代で浅野財閥を築いた。
富山県氷見市に、医師淺野泰順の長男として生まれた。幼名は泰治郎。姉夫婦が家督を
継ぐことになったため、1853年に氷見郡氷見町の医師・宮崎南禎の養子となるが、理由
あって離縁し、1861年に養家より戻った。
日本におけるセメント産業を軌道に乗せ、経営する浅野セメントを当時の最大手企業に
育成した手腕から「セメント王」と呼ばれるとともに、1914年には鶴見埋築株式會社を創立
して鶴見で東京湾の埋め立てをはじめるなど、京浜工業地帯の形成に寄与した「日本の
臨海工業地帯開発の父」でもある。
京浜工業地帯の埋立地に鶴見臨港鉄道を設立し、浅野駅にその名を残す。終点の扇町駅
がある「扇町」の地名も、浅野家の家紋の扇に因むものである。また、北九州市小倉北区の
埋め立て工事も行い浅野の地名が残る。群馬県渋川市に建設された水力発電所・佐久発
電所に浅野の妻・佐久の名が残る。また、南武線、留萠鉄道、五日市線の運営にも携わって
いる。札幌のビール事業の払い下げを政府から受けた大倉喜八郎に渋沢栄一を加えサッポロ
ビールを設立。
戸畑区の戸畑鋳物と共同で自動車開発を行い後の日産自動車の基礎を築いた。
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