



渚ゆう子はもともとのハワイアン歌手で今もハワイアンを歌わせたらなかなか
いける。「月の夜は」「バリバリの浜辺」などごきげんな曲も多い。
渚 ゆう子(なぎさ ゆうこ、1945年生まれの64歳)は、日本の歌手。
大阪市浪速区出身。本名は大江千鶴子。ハワイアン歌手としてレコードデビューの後、
ベンチャーズ作曲・演奏の「京都の恋」を日本語の歌詞で唄って大ブレイクし一躍
人気歌手となった。
母親が沖縄、父親が大阪出身。幼少より両親の熱心な教育を受け、沖縄民謡と
琉球舞踊を習熟する。
1964年 久葉真鶴(くばまづる)の芸名で芸能界入り。
1965年 マヒナスターズの前唄で出演した。そのとき、リーダー和田弘のすすめが
あり上京。作曲家浜口庫之助に師事。ハワイアンを覚える。
1966年 「渚ゆう子」に改名(命名当初は渚夕子だったが、日没のイメージは良くない
ということでゆう子となった。名付け親はマヒナスターズの松平直樹氏。「汀ゆう子」
と言う説もある)
1957年 ハワイアン歌謡「早くキスして」でレコードデビュー。そのB面は「ルアウの
火も消えて」どちらも東芝レコードのスチールギター奏者でハニーアイランダースの
リーダー大橋節夫が作曲した。
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