

























美空ひばりはどのジャンルを歌わせてもすばらしい力を発揮する。
そこが天才と言えるゆえんでもある。ハワアンも例外ではない。
アロハオエ、バイバイハワイ、サンパギータなど数曲吹き込んでいる。
いずれも味がありいかにもハワイアンらしい歌い方でもある。
この写真は昭和25年にハワイ、アメリカ公演を行った時のものである。
故美空ひばりさん(享年52)の生誕70周年を記念した「フィルムコンサート」が
2007年6月9日夕(日本時間10日午後)、米ハワイ・ホノルルのワイキキビーチで
行われた。ハワイは13歳のとき、人気ボードビリアンの故川田晴久さん(同51)と
ともに初の海外公演を開いたゆかりの地。地元の日系人を含む約5000人
の観客の胸に、懐かしの“ひばり節”が響きわたった。
夕闇迫るワイキキビーチの砂浜に設置された縦横10メートルの巨大スクリーンに、
“昭和の歌姫”がよみがえった。
ホノルルで8、9日に開かれた「まつりインハワイ」の目玉イベント。05年から始まり80カ所、
10万人以上を動員してきたひばりさんのフィルムコンサートを海外で開いたのはブラジル
に次ぎ2度目。計48曲、約2時間のコンサートに、日本からのツアー客(約70人)はもとより、
日系人ら地元民は酔いしれた。ひばりさんが川田さんとハワイで初の海外公演を行ったのは
1950年(昭25)5月。第2次大戦中ヨーロッパで戦った日系2世米国人部隊の第100大隊
の招きによるものだった。公演はどこも満員の大盛況。売り上げの一部はホノルル郊外に
ある100大隊記念館の建設費に寄付された。
「1400人ぐらいの部隊で、日本軍とは戦いづらいだろうとヨーロッパに送られた。
体が小さく敵からは米軍と思われず悔しかったが、イタリアの町でドイツ軍の侵略を防ぐ
など輝かしい功績がある。そんな歴史が残ったのも、記念館建設に協力してくれたひばり
さんのおかげ」と元大隊員の野原眞孝さん(87)。当時、戦死して6年ぶりに遺体が見つ
かったリチャード本田さんの埋葬式が国立墓地で行われ、ひばりさんは川田さんとともに
式に参列し献花もした。
川田さんの一人娘・岡村和恵さん(72)は「ひばりさんが小さいころ何をしていたか
(息子の)和也さんに知ってほしいと思っていた。フィルムコンサートは最高の機会」
と感激の面持ちでコンサートを見守った。
ひばりプロダクション社長、加藤和也氏(35)は「100大隊や岡村さんが僕の知らない
母の写真や録音テープなどを持っていて感動している。岡村さんとは “2人で本田さんの
お墓に行きましょう”と話している」。ひばりさんが86年に購入したホノルル郊外の
マンションの一室からは、その墓地が見える。ハワイ公演はその後も3回行ったが、
フィルムコンサートが57年前の糸をたぐり寄せてくれた。
スポンサーサイト