
昭和の初期にハワイアンで活躍したスーパーアイドルがいる。
その名も「ベティ稲田」である。日系アメリカ人。
1934年のベティー・イナダは、警察に睨まれながらも、舞台でフラダンスを踊っていた。
「フラはハワイの伝統舞踊よ。英米のダンスじゃないわ」と憲兵を説得していたとある。
ベティー・イナダとディック・ミネが一時期結婚していたことは公然の秘密になっている。
満州を慰問中、ディック・ミネが白系ロシア人女性と奉天のホテルのベッドの上にいる
ところにベティー・イナダと李香蘭こと山口淑子がおしかけた逸話もある。
プレーボーイとはディック・ミネのためにある言葉であった。なお、編曲はハワイ生まれの
スチールギターの名手バッキー白片で、演奏はバッキー白片率いるハワイアンバンドの
アロハ・ハワイアンズである。
ベティ稲田は、昭和8年20歳のとき日本へやって来た。ディック・ミネの満州慰問公演に
同行するなど、戦中戦後、日本で芸能活動を続けた。戦後になって、ディックの斡旋で
テイチクと契約。おなじ二世のバッキー白片と組んでハワイアンを中心にうたった。
本盤収録の「マリヒニ・メレ」はバッキー白片とアロハ・ハワイアンズの伴奏で昭和21年
録音。さすが元フロリダの歌姫。日系アメリカ人歌手のなかでは随一の歌唱力といわれた
だけのことがある。フラもうまい、まさにスーパーアイドルであったのだ。
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