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Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

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 原信夫とシャープス&フラッツは半世紀以上立った舞台から退くことを決めた。
「82歳、人前でやる仕事ですから、あんまり老いぼれると人様に失礼ですよね」と、
さらりと言ってのける。60年近く率いてきたジャズ・オーケストラも7月いっぱいで終わる。
海軍軍楽隊に入隊するも終戦を迎えてジャズを始めた。駐留軍施設にあったクラブで米兵相手に
腕を上げた。渡辺貞夫も聴きに来ていた。
小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団との共演や、尺八を入れたオリジナル曲作りなど
ジャンルを問わない活動も。「いまやジャズはアメリカだけのものじゃなくなった。世界の音楽
です。日本でも舶来主義じゃなくて、独自のスタイルが生まれてほしい」と次世代へ思いを託す。
 「ジャズは不良のやるもの」と言われてきたのに、昭和63年に紫綬褒章を受章した。
「何かお返しをしなければ」と、始めたのが学校での音楽鑑賞会やクリニック。一線を退いても、
教えることは続けたいという。日本を代表するビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」
の58年の歴史は、そのまま戦後の日本のポピュラー音楽の歴史そのものなのだ。
1951年9月、10人編成で「シャープス&フラッツ」をスタートさせた原信夫は、
短期間で現在と同じ17人編成のビッグバンド・スタイルを取り入れ、アメリカのスイング・ジャズ
からモダン・ジャズへの推移をその敏感な感覚で捉え、ダンス・バンドからコンサート・バンドへと
脱却を図り、「デューク・エリントン」「カウント・ベイシー」「スタン・ケイトン」
「ウディ・ハーマン」等の本場のトップクラスを射程におさめた積極的な音楽活動を繰り広げてきた。
1958年には初リサイタルを成功させ、「NHK交響楽団」「日本フィルハーモニー交響楽団」
との共演等、音楽性の高さは初期から高く評価され、熱狂的なファンを獲得するだけではなく
全国規模で幅広い音楽ファンに受け入れられた。
そして国民的スターであった「美空ひばり」との出会い、原自身の作曲による「真っ赤な太陽」
の大ヒットは周知の通り。そうした多岐にわたる活動の中でも、ビッグバンド・ジャズの本質は
片時も失われず、1967年には、「アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演、
大成功を納め、その後もアメリカ、ソビエト、ヨーロッパ、アジア各国から招待され、多くの海外
公演を成功を収める。
さらに「クインシー・ジョーンズ」「サミー・デイヴィス Jr.」「ダイアナ・ロス」「イブ・モンタン」
「パット・ブーン」「ペリー・モコ」をはじめとする国際級スター達との共演も実に多く、
「世界のシャープス&フラッツ」としてその実力を強烈にアピールしてきた。
今後は作曲を中心に活動し、若手育成にも力を入れると言う。


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テーマ:ライブ! - ジャンル:音楽
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