
太平洋戦争が終わると、横浜にも米軍の大部隊が進駐した。なかでも横浜港は、施設全体の90パーセントほとんどが接収され、機能が停止していた。そして、3年が経過。1948年(昭和23)。相変わらず生活の不安がつきまとう人々の耳に、明るい歌声が聞こえてきたのだ。
「憧れのハワイ航路」、作詞・石本美由紀、作曲・江口夜詩、歌ったのは、岡晴夫だ。
この当時の暗い世の中に差し込んだ一筋の光、そんな表現がピッタリな、それはそれは明るい歌だったのだ。
当時、日本人の海外渡航は禁止されていて、ハワイ旅行などは夢のまた夢だったのだ。
では、ハワイまでの船旅は、どの程度の費用がかかったのか? いろいろ調べてみると、横浜の海岸通りにある日本郵船歴史博物館に、1941年(昭和16)の資料が保存されている。これによると、横浜からハワイのホノルルまで、1等船室利用で、当時の金額でおよそ1100円、2等船室でおよそ700円と言うことです。
当時の大学卒の銀行員の初任給が、70円から75円だから、本当に贅沢で、憧れる「ハワイ旅行」だったのだと思う。
終戦後、横浜~ホノルル~サンフランシスコ、といった太平洋航路には、アメリカン・プレジデント・ライン、APLという船会社が就航していた。アメリカの歴代の大統領の名前をつけた真っ白い船が定期就航していて、7日か8日でホノルルに着いたと言う。行きたくても行けない。食べるものにも事欠くなか、「憧れのハワイ」に向けて港を出て行く白い豪華船は、まぶしく見えたことかと思う。
敗戦の混乱から回復していない世の中で、岡晴夫の若々しく明るい歌声と、マーチを思わせる軽快なメロディは、複雑な思いと共に、大ヒットしたのだ。
日本が独立を果たした後も、海外旅行には制限が加えられていて、完全に自由化されたのは、はるか後の1964年、東京オリンピックの年、のことでした。自由化された海外旅行、日本人観光客が目指した場所は、そう、ハワイだったのだ。
近年、豪華客船によるクルーズの人気が高まっている。2002年に完成した、横浜港大さん橋客船ターミナル、通称・大桟橋には時々、豪華客船が入港する。一段と大きくなった客船を見て、あの歌を思い出す方もいるのでは?
現在海外旅行は年間1000万人を超えている。
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