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Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

菊池章子


 1975年のビッグショーである。左は恩師淡谷のり子だ。
1924年(大正13年)に東京の下谷に生まれる。本名は菊池郁子。早5歳にして琵琶を弾く。8歳には琵琶教師の免状を得た。 その後、歌謡曲に興味を持ち、九段にあった「大村能章歌謡学院」に入った。日華事変が起こった後は、学院の生徒と共に軍の病院などで慰問活動を行う。女学校の低学年にも関わらず、彼女が唄うと、アンコールの声が鳴り止まなかった。1939年テイチクやポリドールからの誘いもあったが、恩師大村の勧めもあり、コロムビアのテストを受け、一度でパスし専属になった。デビュー曲は「噯噯噯」であった。しかしこの曲は、検閲をにより発売禁止という憂き目に合ってしまった。その後は、「相呼ぶ歌」や「愛馬花嫁」がヒット。その中でも、松竹映画「湖畔の別れ」主題歌「湖畔の乙女」は、大ヒットした。戦後の1947年(昭和22年)には、娼婦を歌った「星の流れに」が大ヒット。「そんな女に誰がした」という歌詞は当時の風俗を象徴しているような内容である。1948年(昭和23年)、作曲家の大久保徳二郎と結婚(1956年に離婚)。 1954年(昭和29年)には、引揚船を待つ母の心情を歌った「岸壁の母」がヒット。1957年(昭和32年)にビクターへ移籍するもヒット曲には恵まれず、歌手業から遠ざかり、渋谷の道玄坂でレコード店「キクチ」を経営する。1967年(昭和42年)に復帰し、懐メロ番組などに出演する。2000年(平成12年)勳四等瑞宝章を受章。テレビ東京の「昭和歌謡大全集」などに出演していたが、体調を崩し、2002年(平成14年)、心不全で死去する。享年は78歳だった。
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テーマ:自分に力をくれるもの - ジャンル:音楽
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