fc2ブログ

Royal Hawaii

ALOHA! ハワイアンバンドでスチールギターをやっています。 ハワイアンファンの皆様、全員集合。

DSCN9361.jpg
DSCN9360.jpg
DSCN9355.jpg
DSCN9354.jpg
DSCN9353.jpg
a-1_202108090823052b1.jpg


エイドリアン・ジャニアック(Adrien Janiak)・・・
彼はもともとギタリスト。ある日音楽店で偶然ウクレレを発見し、好奇心から購入します。
学生と一緒に演奏する彼のギターのレッスンで採用、彼は、少しずつこのウクレレは、
彼の人生でますます重要になってきていることに気づきます。
彼は2010年のエレキ・コンテストでカテゴリーを受賞し、スティーブ・ヴァイの『神の愛の
ために』の表紙でウクレレ・ウンディーズ賞にノミネートされたとき、ウクレレの
ウェブコミュニティに気づきました。
彼の名声を開発するために、有名なビデオ共有サイトで彼のウェブチャンネルを供給し
ながら、ウクレレに専念することを決めました。それ以来、エイドリアンはソロアーティスト
と教師としてフランス中を旅してきました。
彼の最後のツアーはモントリオールとホノルルのフェスティバルに連れて行き、そこで
カレ・ガミアオ、ジェームズ・ヒル、タイマネ・ガードナーなどの偉大なウクレリストと出会い
ました。オアフ島での滞在を利用してハワイの振動を吸収し、彼は今日ウクレレのための
彼の探求を続けています。

DSCN9522.jpg
DSCN9519.jpg
DSCN9517.jpg
DSCN9514.jpg
c-3_20210808082905750.jpg
c-2_20210808082904ecb.jpg
c-1_2021080808290131f.jpg
o-13のコピー
o-9.jpg
o-6のコピー
o-5のコピー
o-3のコピー
o-2のコピー
o-1のコピー


大塚竜男(Tatsuo Otsuka)・・・パーム・セレナーダスのリーダー。
大きな身体で日本人ばなれの美声を聞かせる。フービーの愛称で親しまれた。
1922年生れ、現東京芸術大学出身で満州国に招かれて新京音楽院を設立、
新京交響楽団を指揮した大塚淳氏の三男。クラシック家庭でピアノを学んだが、
偶然耳にしたレコードからハワイアンのとりこになる。
父との新京暮らしの間にバンドを始める。
戦後パラオから復員、昭和23年「パーム・セレナーダス」を結成。
スチールギターのチューニングは8弦「E7]と当時としては異色と言われた。
一時はライブハウスなども経営したが平成4年心筋梗塞で死去。74歳。
s-5_20210806090635606.jpg
s-1_20210806090634ca4.jpg
DSCN1765_202108060906326bb.jpg
DSCN1763_20210806090631eaa.jpg
DSCN1762.jpg
DSCN1761_202108060906287e0.jpg
DSCN1760.jpg
DSCN1759_202108060906256d3.jpg
an.jpg


  ツーユウ・スイートハート・アロハ・・・
(恋人よアロハ To You Sweetheart Aloha)
ソル・ホービー・カルテットのレコードで古くから親しまれてきた曲。
彼の「スウィート・レイラニ」の作者ハリー・オーエンス1936年の作品で
ハリー指揮のロイヤル・ハワイアンバンドの演奏も絶大なる人気を誇った。

“To You Sweetheart,Aloha”
To you,sweetheart,aloha
Aloha from the bottom of my heart
Keep the smile on your lips
Brush the tear from your eye
One more aloha...
Then it's time for goodbye

To you,sweetheart,aloha
In dreams I'll be with you,
dear,tonight
And Ill pray for that day when
We two will meet again
Until then sweetheart,aloha

<日本語意味>
あなたよ 恋人よ アロハ
アロハ 私の心の底から
あなたの唇に微笑みを忘れないで下さい
あなたの目から涙を拭い取って下さい
もう一度アロハ
その後はさようならの時

あなたよ 恋人よ アロハ
今夜 夢の中で私はあなたと一緒にいます 恋人よ
そして私は祈ります
私達二人がもう一度会う日のために
その時まで恋人よ アロハ

ALOHAのスペルには意味があるとされる。
* A - Akahai(上品さ、優しさ)
* L - Lokahi(調和)
* O - Olu'olu(思いやり)
* H - Ha'aha'a(謙虚さ)
* A - Ahonui(忍耐)

j-3_20210805085752f83.jpg
j-2_2021080508575138a.jpg
j-1_20210805085749e3e.jpg
DSCN0881_20210805085748c92.jpg
DSCN0879_202108050857468bf.jpg
DSCN0878_2021080508574591e.jpg
DSCN0876_202108050857437de.jpg
DSCN0875_20210805085742081.jpg


ショーン・ロビンス(Sean Robbins)・・・
ハワイ島プナ出身のスラックキーギター奏者。ハワイ大学ヒロ校でハワイアンスタディーを
専攻し、ハワイ語も堪能で、ファルセット唱法が得意。1993年生まれ。2014年11月にデビ
ューアルバム「オラヌイ」を発表した期待の新人アーティスト。
叔父が持っていたギターを11歳頃の時に使わせてもらって弾き始めたのがきっかけであった。
最初は叔父に教えてもらっていたが、シリル・パヒヌイとの出会いの影響も大きいと言う。
チューニングや奏法が人によって違う。彼はぽわんとゆるんだ音色が特徴だ。あとはベース
を弾きながら同時にメロディも演奏するところが売りかも知れない。

i-4_20210804083048a15.jpg
i-3_20210804083047198.jpg
i-2_20210804083045ad8.jpg
i-1_20210804083044ebd.jpg
e-1_20210804083042226.jpg
DSCN0288.jpg


アイランド・ガール(Island Girls)・・・
1975年に米国のビルボード・ホット100で1位、英国で14位になったエルトン・ジョンが
演奏した曲です。ハワイアン・ミュージックとは関係ないと思いますが、ハワイをイメー
ジして作ったと言われています。このアルバム「ロック・オブ・ザ・ウェスティズ」からの
最初のシングルです。 歌詞はニューヨーク市のコールガールをジャマイカに連れ戻し
たい男性についてです。 ジョンが「彼女は大きな女の子です/彼女は6フィート3の代役
です/大都市の男のためのトリックを回します」と歌うことを考えると、おそらく「アイランド
ガール」は男性の売春婦です。 70年代のドキュメンタリー「ゲイセックス」に記録されて
いるように、当時のニューヨーク市は、ゲイの男性に前例のない性的自由を提供し、
匿名のセックスの機会を十分に与えました。 ゲイの男性は、ゲイの仲間を「彼」ではなく
「彼女」と呼ぶこともあります。 曲がリリースされたとき、エルトン・ジョンはまだ公に出て
いませんでした。 翌年、ローリングストーンの記事で、彼はバイセクシュアルだと言った。
1988年に、彼は自分が同性愛者であることを確認し、別の男性との関係を公表しました。
尚、エルトン・ジョン自身もLTBTであると公表しております。

k-5_2021080309242006f.jpg
k-4_202108030924191a8.jpg
k-3_20210803092417ac4.jpg
k-2_20210803092415b72.jpg
k-1_2021080309241444b.jpg
DSCN0373_20210803092413534.jpg
DSCN0372.jpg
DSCN0370_20210803092410134.jpg
DSCN0369.jpg


カムエラ・カホアノ(Kamuela Kahoano)・・・
父親はハワイアンなら誰でも知っているほど有名な、テレビや舞台で活躍している
司会者でありエンターテナーでもあるキモさん。
彼は小さな子どもの頃から、キモさんが司会をつとめるイベントなどで、ゲストの演奏
やパフォーマンスを舞台袖から見ていた。そして小さな時から本物の音楽にふれ、
エンターテインメントの世界を身近に感じて育ったことが、彼の音楽人生に大きく
影響したのだ。
ハワイアン、ロック、レゲエ、フォークなど幅広いジャンルの音楽を奏でるカムエラは、
旅をすることでインスピレーションを受けることもあるのだと言います。「旅をすること
で得られることは多いよ。いろんなジャンルの音楽に興味があるんだ。」と語る。
世界がまるごと彼の音楽観をつくる場所。枠にとらわれない、広いジャンルをカバー
する彼の実力は、シンガーとしてはもちろん、作曲家として、またギタリストとしても
高い評価を受けている。1年ぶりのシングルをリリース、さらに、カムエラも参加した
コンピレーションCD「ALOHA&MAHALO」も話題となっている今大注目のカムエラに
アロハガールが迫ります。権威ある「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」も受賞した。
カムエラは井上陽水さんの「少年時代」とチューリップの「青春の影」の2曲をカバー
している。透明感があってしかも深く心に響いてくる歌声。ハワイの爽やかな風を
感じることができる曲です。

t-8_20210802090434857.jpg
t-5_20210802090432333.jpg
t-3_202108020904319da.jpg
t-1_2021080209042888d.jpg
gettyimages-92307539-612x612_2021080209042755e.jpg
t-3_2021080208595294d.jpg
t-8_202108020859528d9.jpg
t-9.jpg


タイニー・ティム(Tiny Tim)・・・
ティムは1932年、ニューヨークのマンハッタンに生まれました。
幼い頃から音楽への興味は並々ならぬものがあったようで、暇さえあれば蓄音機の前で
音楽を聴きあさる少年だったようです。
6歳でギターを習い、11歳の頃にはバイオリンも習い、その音楽への情熱がのちに彼の
トレードマークになるウクレレに引き継がれていったのでしょう。
長身に長いカーリーヘアー、小さいウクレレを抱えて男性とは思えないようなファルセット
ボイスで歌うティムの姿は一度観たらもう頭から離れません!
キャラクターが強烈すぎますからね。
ウクレレによる独特の曲調と自身の声色でパフォーマンスするキャラクターが評判となり、
1968年、ジョニー・カーソンが司会を務める深夜トークショー『ザ・トゥナイト・ショー』でテ
レビ出演。その名前は幅広く知れ渡ることとなる。
初のアルバム「God Bless Tiny Tim」が1968年、全米7位。シングル、「Tip-Toe Thru
The Tulips With Me/チューリップ畑でお散歩」は、同1968年に米国17位を記録した
彼によるカバー曲の『Tiptoe Through the Tulips』は2010年のジェームズ・ワン監督に
よるホラー映画『インシディアス』で使用された。
最初はティムを色物なキャラで見てしまいがちですが、その音楽やパフォーマンスからは
本当に音楽が好きなんだなという彼の優しい人間性が伝わってきます。
日本でもエンケンを始めティムに影響を受けているミュージシャンは多くいるんですよ。
j-1_20210801085517011.jpg
IMG_0753.jpg
IMG_0752.jpg
IMG_0754.jpg
IMG_0755.jpg
IMG_0750.jpg
DSCN9084.jpg
DSCN9082.jpg
DSCN9080.jpg
DSCN9079.jpg
DSCN9078.jpg
DSCN9077.jpg


ジャスティン・ヤング(Justin Young)・・・
ハワイ出身。中学生の頃には既にミュージシャンを志し、自身のベッドルームで
作曲を始める。中学生の時にBOYZ Ⅱ MENのコンサートに行き、自らデモを渡
すなど大のR&B,ソウルファンだった彼は、大人になるにつれ、自身のルーツで
あるハワイアン・ミュージックを積極的に取り入れるように。ハワイで最もポピュ
ラーなポップス、ソウル、レゲエをブレンドしたレイド・バック&オーガニックな
”ジャスティン・サウンド”を作り上げた。
16歳の時、学校の授業のために制作した3曲入りテープが口コミで話題となり、
ハワイのインディ・レーベルと契約。計5枚のアルバムをリリースし、トータル
7万枚ものアルバムを売上げ、10曲以上のラジオ・ヒットを生み出し、人気
アーティストの地位を確立した。
その後、新たな可能性、成長を求め、活動の場をLAにうつし、マクスウェルや
イーグル・アイ・チェリーなどを手がけるプロデューサー、Ed Turtonらとデモ・
セッションを制作したり、いくつかのレーベルからアプローチを受けショーケース
を行ったりと活動の場を広げるなか、2007年、自身のレーベルを立ち上げ、
アルバム「オール・アタッチト」をリリース。温かみのある声、彼が尊敬するベン・
ハーパーや同郷のジャック・ジョンソンのように、シンプルでありながらメッセージ
性に溢れた作品として、LA、やハワイやLAの音楽シーンで瞬く間に話題となり、
日本でも限られた流通の中で輸入盤が絶賛され&ロング・セールスとなっている。
また、現在コルビー・キャレイのライヴ・バンド・メンバーとしてギターを担当、世界
中をツアーし、新たなファンを獲得している。


e-1_202107310833458da.jpg
DSCN0280.jpg
DSCN0279.jpg
DSCN0278.jpg
DSCN0276.jpg
DSCN0274.jpg
DSCN0273.jpg
DSCN0272.jpg
DSCN0270.jpg
DSCN0268.jpg
DSCN0267.jpg


イーライ・マック(Eli-Mac)・・・
本名:シアラ・カミール・ロケ・ベラスコ(1985年生まれ)はフィリピン系アメリカ人歌手で、
リアリティ/タレントサーチテレビシリーズ「アメリカン・アイドル」の第3シーズンで9位に
入りました。フィリピンのマカティ市で生まれたカミール・ベラスコの家族は、後にハワイ
の島々にあるマウイ島に引っ越しました。アメリカン・アイドルの前に、ベラスコはカフル
イの両親のIHOPレストランで働いていた苦労しているソングライター/作曲家でした。
アメリカン・アイドルでは、ベラスコのトレードマークは赤、黄色、緑のラスタリストバンド
で、彼女は幸運のお守りとして、そしてレゲエ運動(特に彼女のアイドル、ローリン・ヒル
とボブ・マーリー)へのオマージュとして左手首に絶えず身に着けていました。彼女に
よると、3色はそれぞれ平和、幸福、団結を表しています。ベラスコはまた、音楽と文化
への愛を反映して、サンフランシスコベイエリアのヒップホップクルーである象形文字の
第3回アイビジョンのロゴを何度か着用しました。メディアでは、ベラスコは自己設計の
アパレルを着用し、彼女のユニークな興味、意識的な見通し、敏感なイデオロギーを
表現することを一貫して恐れていないことで知られるようになりました。
その後、2009年4月にハワイ・ミュージック・アワードのシングル・オブ・ザ・イヤーを
受賞したスティーヴン・マーリーのシングル「グアバ・ジェリー」でジャマイカで活躍。
彼女は最近、彼女のソロのキャリアに懸命に取り組んでおり、将来のアルバムの
前駆体である彼女のトラック「ダブストップ」のための別のシングルとミュージックビデオ
をリリースしました。